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金曜日の夜に一人で蒲焼さん太郎を9枚食べるということ

金曜日、20時頃勤めている会社を出て、一人で帰宅した。

運よくそれほど待たずに電車で空席を見つけることができ、非常に揺れる電車でスマホをいじりながら、ボーッとしていると、いつの間にか家の最寄駅に着いていた。

駅の改札を出て如何ともしがたい空腹感を覚え、そういう時に毎度訪れる混ぜそばに立ち寄り、軽く二玉平らげる。

満腹中枢が十分に刺激を受けるとともに、幸福感を感じてはいたものの、どこか口に寂しさを感じてしまった。家の近くのコンビニに立ち寄り、小学校の頃からの大好物である蒲焼さん太郎を9枚購入した。ついでに購入したピルクルと蒲焼さん太郎9枚を入れた袋をリズミカルに揺らしながら家に着く。

私は、普段蒲焼さん太郎を購入する際、8枚まとめて購入する。ただ、この日は「ガシっ」と8枚ほど掴んだはずが、どうやら1枚多く掴んでしまったようだ。ただそれだけのことである。

家に着き、「フーッ」と大きなため息を吐きながら、Youtubeを広げながら蒲焼さん太郎を1枚、また1枚、とかじっていく。一見際限のないような至福の一時を蒲焼さん太郎と感じていたが、それでも蒲焼さん太郎は9枚しかない。

至福の時というのは途切れるからこそ至福なのである。

段々と終焉を迎えつつある蒲焼さん太郎との生活に対して「待った」をかける存在が現れた。

ピルクルである。

蒲焼さん太郎の濃厚なタレに対し、ピルクルはとろけるような甘味で中和してくる。全く相反する二つの存在に対して私ができることは、「あー、全く・・・。仲良くしてくれよな」とツッコミを入れるぐらいが関の山である。

お互いがお互いの味を引き立てあうことで、私の幸福感は絶頂を迎えた。

絶頂を迎えた後は、どこか喪失感を抱くものである。

そう、「寂しさ」である。

これが、金曜夜に一人で蒲焼さん太郎9枚を食べるアラサー男子の実態である。

この記事が、金曜夜に食べた蒲焼さん太郎の枚数が世界一というギネス記録の証明となることを祈る。

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