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訪問リハビリの心技体。わたし的重要度ランキング

僕は大相撲が好きだ。理由はと聞かれると正直困るが、とにかく好きだ。(ちなみに好きな力士は、先場所引退した豪栄道でした。。)

この相撲の用語に「心技体」というものがある。本来の意味は、心と技と体のバランスが整ってこそ、力が発揮できるということらしい。

僕はリハビリに必要なのは、この心技体の中では一番に「心」を挙げたい。

それは技を重視しすぎると、押し売りリハビリになるからだ。

技術を学ぶのはとても楽しい。できなかったことができるようになり、これまで得られなかった成果が得られるようになる。これはある意味快感。

しかし、その快感の依存性は、セラピストを裸の王様にしてしまう。

「わたしにかかればこんな症状どうってことない」から始まり、「このわたしがやっても変わらないなら誰がやっても変わらない」に進化し、最終的には「そんな状態になってからわたしにみてくれって言われても」と相手のせいにする着地の仕方があるらしい。

本当にそんな人に技術があるのかはわからないが、何せ技術が先行するのは危険を伴う。まずは相手の抱えている問題を知る。知ろうとする。そんな出発点の方が、技術の捉え方を間違える可能性は低いだろう。

技術が必要ないなんて全く思わない。リハビリは技術職なので、技術は絶対必要。間違いなく。ただ技術が必要な理由が大切なのだ。

相手の問題を解決するための技術であって、評価されるための、褒めてもらうための技術ならきっといらない。魅せ方が大事というのは確かだろうが、魅せるための理由の方が先だ。

新人の頃、患者さんのリハビリで何をすればいいかわからなかった僕は、患者さんがどんな生活を送っているのか、ひたすら聞きまくっていた時期がある。その中で知ったことは、僕の想像力はとても狭く、楽観的すぎて、相手の立場をわきまえていないということだった。

僕がリハビリ職を志した理由は、自分のリハビリ経験からであり、家族が介護を受けていたとか、体が不自由な祖父母がいたからとかではない。そんな僕が他人の介護生活について想像したところで、現実からかけ離れている妄想に過ぎないことは不思議ではない。

受け止めきれない現実を、技術で埋めるなんてことはできない。

自分には何ができるのか、本当に自分は役に立つことができるのか、この葛藤を乗り越えない限り、困っている人の手助けはできない。患者さんの状況はこんな部分で大変なんだな。自分にできることはなんだろう。そもそもリハビリってなんだ?

あまりにも何もできない僕は、そんな素朴なことを考えたり、話を聞かせていただく機会が多かったのが、今となって考えると、かけがえのない財産だ。

価値観は人によって様々。大変という言葉のさす内容も様々。まずは相手の訴えを聞く姿勢をとる必要があるという意味で、心技体の中では、僕は「心」が重要度第1位だ。

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