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三秒もどせる手持ち時計(2章13話:縺れた糸)

13.縺れた糸

 祥子の荘厳な雰囲気は、部屋の空気を一変させた。皆が、祥子の発言に耳を傾けているように見える。
「これは、小豆沢家の心の縺れ。挙句、京子さんにこのような事をさせてしまうなんて…」
「お義母様…」
 京子が、力なく言った。
「本当に申し訳ない事をさせてしまいました。これは…わたくしが師匠として、母親として蓮也や柚葉との対話を怠ったことが遠因です」
 祥子は、悄然とした面持ちで言った。
「…蓮也、柚葉。聞かせてくれないかしら。あなた達の心中を」
 少しの間があった。そして、柚葉が椅子に座ったまま、話し始めた。その表情は、悲しみと後悔が見染み出ていた。

 柚葉は、中学生に上がる前から本格的に華道をはじめた。当時、母・祥子を中心に一歳上の桜子と四歳上の蓮也から多くを学んだ。特に、桜子とは共に修練をサボり、祥子によく叱られた。
 そんな柚葉であったが、蓮也が『いけばなコンクール』に出展した作品を見て、驚愕した。それは、いにしえの技法でありながら新しさを感じさせる圧倒的な作品であった。そして、柚葉は蓮也の作品はもとい、蓮也自身にも強い憧れを抱くようになった。
 ある日、愛葉心なる人物が弟子入りしてきた。どうやら、父・竜也のお墨付きの様だ。心の作品は、新しい技法を多く盛り込んだ斬新なものが多かった。そのためか、様々なコンクールで高い評価をされていた。
 一方、蓮也は基本的な技法を洗練させた作品が多かった。そのため、周囲から一定の評価は受けるものの、大賞に至る作品は生み出せずにいた。しかし、柚葉は彼のひたむきな姿勢が好きだった。
 柚葉は、外国語を学べる高校への進学を決めた。進路を決める際、桜子のように実家から飛び出し、自由に生きる選択肢にも憧れた。しかし、小豆沢家の作品、もとい蓮也を世界に伝えたいという思いが勝った。
 高校ではカナダで英語を学んだ。さらに、大学では中国語を学ぶため上海への留学を決めた。当時、柚葉の華道の実力は、蓮也や心には遠く及ばなかった。
 それでも、二人の作品の素晴らしさは理解できた。それらは、甲乙つけ難く、感銘を覚えずにはいられなかった。そして、彼らの作品を世界に伝えたいという思いがより一層強くなった。
 しかし、上海留学を終えて実家に戻ると、蓮也が家にいなかった。聞くと、実績面で心との差が開きストレスを感じたのであろうか、夜遊びに繰り出す日が増えたという。
 しばらくすると、蓮也が女性を連れてきた。京子である。彼女は、清楚かつ教養の深そうな出で立ちであった。しかし、柚葉はどうにも腑に落ちなかった。京子に俗な何かを感じずにはいられなかったからだ。
 蓮也は、京子との結婚を境に、部屋に籠るようになった。京子によれば、コンクールに出典する作品を作っているという。柚葉は、蓮也の作品を楽しみにした。
 蓮也の作品が、久しぶりに『いけばなコンクール』へと出展された。柚葉は、その日まで敢えて作品を見ないようにしていた。そのため、会場で蓮也の作品を見るのを心待ちにしていた。
 しかし、そこには嘗てのような作品は無かった。それは、基本や伝統からは程遠く、禍々しささえも感じる作品であった。ふと見ると、京子が蓮也の隣で作品を喜々として解説していた。そこに、嘗ての蓮也の姿は無かった。
 父・竜也が亡くなった。そして、蓮也が小豆沢家の家元になった。すると、京子があからさまに蓮也の作品に口を出すようになった。柚葉は、それが許せなかった。
 蓮也が、家元になって初めて作品を世に送り出した。そして、心の作品と共に展示された。心の作品は、伝統に新しい技法を加え、斬新かつ洗練された代物だった。
 一方、蓮也の作品は以前にも増して、禍々しく俗に満ちた代物であった。蓮也の作品は、一部の特殊なファンには評価された。しかし、多くは心の作品を評価したのだった。
 それから長らく、蓮也は作品制作を行わなくなった。そして、部屋に籠る日もより一層増えた。小豆沢家の行事を除くと、食事ですら自室で摂るようになってしまった。
 そんなある日、凛から耳を疑う話を聞いた。どうやら、京子が小豆沢家から心を追い出そうとしているらしい。
 柚葉は焦った。もし、愛葉心が小豆沢家から居なくなれば、嘗ての蓮也を取り戻すのは不可能に近い。そう思わずには、いられなかった。
 聞くと、凛はかなり前から心と交際しているという。そのため、柚葉と凛は京子を小豆沢家から追い出せないかを画策した。しかし、二人にはそのような策謀は無く、時間だけが過ぎていった。
 すると、小豆沢家に北村涼なる人物が頻繁に来るようになった。どうやら、蓮也にネットビジネスを薦めているようだ。柚葉は、彼を怪しげな人物だと思っていた。
 それから、時を置かず、凛が近くのカフェに呼び出してきた。カフェに行くと、凛の隣に北村涼が座っている。聞くと、北村涼は凛の元先生だという。さらに、凛は京子を追い出したい旨も相談していたそうだ。
 そして、涼はすぐさま京子を陥れる筋書きを作ってきた。それが、今回の計画だった。

「私は、最初からあなた達の手のひらで踊っていたというの…」
 京子の肩から気力が失われていくのを感じた。
「…涼さん。今の話は、真実かしら?」
 祥子が、涼を問いただす。
「異論はありません。私は、柚葉さんと凛の話から、小豆沢家にとっての最善だと考える方法を提示しました。出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした」
 涼は、そう言うと、深く頭を下げた。部屋は、重苦しい雰囲気に包まれた。
「蓮也…」
 すると、誰かが声を発した。愛葉心である。
「また、作品を作ってくれないか?そして、昔のように切磋琢磨しよう」
 心が、蓮也に訴えかけるように言う。
「…何を今更。お前の作品と並べば、酷評されるだけだ。それとも、そんなに俺をこき下ろしたいのか」
 蓮也は、静かながら怨念の籠った声で言った。
「蓮也、それは――」
「お袋は、黙っとけ!死んだ親父もそうだったが、すぐに心の肩を持つ!」
 蓮也が声を荒げる。
「なのに、どうして俺を家元に指名した。心の方が適任じゃないのか!それとも、罪滅ぼしのつもりか!」
 蓮也は、心に指を差し、祥子を見て言った。
「蓮也…」
 祥子は声を出せずにいる。すると、
「蓮也。違うんだ」
 心が、話し出した。彼の話では、竜也の生前、小豆沢家の家元を継げないかと相談されたそうだ。しかし、小豆沢家の家元には蓮也が最もふさわしいと断ったのだという。
「俺は、蓮也の伝統や基本に忠実な作風に憧れていたんだよ。そして、俺には蓮也のような作品を一生作れないのではないかと今でも思っている。だから、俺は新しい技法をたくさん取り込んだ作風にするしかなかったんだ」
 心は、手提げ袋から花瓶を取り出した。それは、『鶴の水面』そのものだった。
「これは、先代が大事にしていた本物の『鶴の水面』だ。京子さんが、割ったのは俺が作った贋作だよ」
 今朝、愛葉心は凛から涼の策謀を聞いた。京子が、自分を追い出そうとしているのも驚きだったが、何より『鶴の水面』が破壊されそうになっているのに驚いた。しかし、凛や柚葉を説得する時間は無かった。
 そこで、パーティーが始まる少し前、凛に倉庫の鍵を借りて、自室にある『鶴の水面』の贋作と取り替えたという。
「この贋作は、小豆沢家の伝統を少しでも知るために密かに作った代物なんだよ。蓮也の作品に追いつきたくてさ…。でも、桜子さんには、すぐに看破されていましたけれど…」
 心が、桜子を見て言った。
「通りで、奥ゆかしさや洗練された雰囲気を感じられなかったわけですわね」
 桜子も、少し落ちついたように見える。
「蓮也。そういう事なんだよ。桜子さんの言う通り、俺にはそういった作品はまだまだ作れない。でも、蓮也は違う。蓮也の作品には、昔からそう言ったものが宿ってるんだよ!」
 心は、強い口調で言った。

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