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【短編小説】フォーチュンアップリケ

 鈴木祐樹、小学5年生。彼は悩んでいた。今日をどう乗り切ろうかと……。

 今日は運動会。それが、祐樹の悩みの種だった。昨日、テルテル坊主を逆さに吊ってみた。さらには、三国志で有名なあの人に倣って雨ごいもしてみたのだ。
 しかし、祐樹は天才軍師ではなかったようだ。外は快晴、予定通り運動会が執り行われるだろう。
 というのも、彼は運動が得意ではない。むしろ、苦手な部類に属する。週に何度かある体育の授業は、いかに目立たずにやり過ごすかを試す時間だと思っていた。
 リビングに行くと、両親と二歳上の姉が楽しそうに団らんしている。運動会は家族のイベントでもある。祐樹は腹痛を訴えようかと思っていたが、家族の笑顔を見てその考えを改めた。
 もう腹を括るしかない。そう思ったのだ。
 祐樹は簡単な朝食を摂り、身支度を済ませた。そして、運動会を乗り切る方法を考えた。しかし、何も思いつかない。ただ、運に任せるほかはないのだ。
 スマホで星占いを調べてみた。牡羊座は四位、ラッキーアイテムはアップリケだそうだ。
 アップリケ……。そう言えば、母さんが作っていたっけ?しかし、何と言って貰えば良いかもわからない。
 祐樹は、そう思いながら家を出たのだった。

 学校に着くと、同級生の川端が話しかけてきた。彼はガタイがよく、運動神経もそこそこ良い。そのため、2組の大将と呼ばれている。しかし、今日は彼の声を聞きたくなかった。何を言うかが予想できるからだ。
「おぉ鈴木。運動会で足を引っ張るなよ!」
 予想通りの言葉だった。
「まぁ、できるだけ頑張るよ」
 祐樹は苦笑しながら、心にも無いことを言ってみた。
 クラスメイトを見ると、皆、気合いが入っている。場を盛り上げる大将・川端。ゆっくりとストレッチをするエース・田中、女子をまとめるマドンナ・神原。しかし、祐樹には関係ないことであった。
 さて、運動会をどう乗り切るか。目立たない事、そのためにクラスの群れに紛れる事、そして全力を出している風を装う事、これが彼にできる唯一の処世術だった。

 入場行進が始まった。クラスメイトは笑顔に満ちている。運動会が嫌いなのは、自分だけなのだろうか?そう思うほどに、周囲は明るく活気に満ち溢れていた。
 祐樹はふと、体操服のポケットに手を入れた。負の感情を隠すためである。すると、何かが入っていることに気が付いた。
 それは、フェルト生地で作られた黄色いヒヨコ。背面には乾いたノリが付いているようだ。祐樹は、このアップリケで空虚な思いをふさいでくれ。そんなことを思っていた。
 しかし、彼はすぐにポケットにしまった。何故入っているかは定かではない。しかし、ここで誰かに見られる訳にはいかないのだ。そして、彼は何食わぬ顔で整列するのであった。
 最初の種目は、5年生の徒競走。運動神経の良いクラスメイトがヒーローになれる競技だ。しかし、祐樹には関係のないことであった。彼は観客席でクラスメイトと同化し、時おり声をあげる。それだけの時間だった。
 どうやら、2組がトップだったようだ。周囲はエース・田中の帰還にどよめき立つ。そこで、彼も群れに紛れて笑顔を作るのだった。

 しばらくすると、祐樹の出番が訪れた。綱引きである。毎年、彼は綱引きを志願していた。団体競技ならば目立つことは無く、全力を尽くすフリもしやすいからだ。
 ルールは至ってシンプルだ。十人で縄を持ち、センターラインから二メートル引っ張ると勝ちになる。また、三十秒が経過すると、その時点で優勢なチームが勝利となる。
 つまり、三十秒。三十秒を耐え忍べば、やり過ごせるのだ。祐樹は、そう思いながらクラスの真ん中の位置で縄を持った。
 競技が始まった。初戦は1組。クラスメイトが全力で綱を引く。祐樹も全力で引っ張った。すると、勝敗が決した。どうやら、2組が勝ってしまったのだ。クラスメイトは喜びの声をあげている。
 しかし、祐樹は無感情だった。5年は全部で4クラス。つまり、あと一回、あと三十秒だけ、そう考えながら笑顔を作っていた。
 決勝の相手は4組であった。4組は運動神経の良い生徒が多く、対抗心を抱いているクラスメイトも多いように見える。
 ブザーと共に、縄が引っ張られる。先ほどよりも強く引っ張られる感じだ。前後からは、気合いの入った声が聞こえてくる。祐樹も引っ張った。一応、全力で。
 しばらく攻防が続いた。すると、縄が地面へと引きつけられ、全員の重心が低くなる。祐樹も、それにつられてバランスを崩した。しかし彼は縄にしがみつき、その場に踏みとどまった。
 ブザーが鳴った。
「2組の勝利!」
 先生が声をあげる。見ると、自分以外の生徒は地面に転げていた。どうやら、三十秒が経過し、わずかに2組が優勢だったらしい。
 すると、川端の声が聞こえた。彼は綱の最も後ろにおり、綱引きにおける攻防の要を果たしていた。祐樹は、全力風にはしていたので文句を言われる筋合いはないと思った。
 しかし、川端の言葉は予想に反するものであった。
「鈴木。あそこで、よく踏ん張った。後ろからだと良く見えたんだけど、鈴木の最後の引っ張りで勝敗が決まってたぜ。やるな、お前」
 川端は微笑んで言う。もしかすると、最後に縄にしがみついたのが運良く決め手となったのだろうか。
 祐樹は、そう思いながら川端に感謝の言葉を伝え、ポケットのアップリケを取り出した。黄色いヒヨコは、心なしか微笑んでいるように思えた。

 気がつくと、運動会も後半に差し掛かってきた。棒倒し、移動玉入れなどなど、それぞれの競技で一喜一憂し、時間が過ぎていく。
 祐樹が出場する競技は、あと一つ。騎馬戦であった。当然、彼が志願したわけではない。しかし、体重や身長の兼ね合いで騎馬に乗る役に選ばれてしまったのだ。
 実は、祐樹にとって騎馬戦が最大の悩みだった。それは、騎馬戦は自分の意思で動くことすら奪われる恐ろしい競技だからだ。さらには、騎馬役となれば必然的に目立ってしまう。やり過ごし方が全く分からないのだ。
 祐樹たち2組は、3組との初戦をあっけなく勝利した。祐樹は気配を消しながら、やり過ごしている間に勝利してしまったのだ。しかし、クラスメイトは初戦の勝利に酔いしれてはいなかった。
 というのも、決勝はまたしても4組。両軍が殺気立つのを見て、祐樹はさらにやり過ごし方が分からなくなった。もうどうにでもなれ、そう思いながら騎馬に乗った。
 祐樹は気配を消した。騎馬は逃げ回る。両軍が衝突し、脱落者が続々と現れる。見ると、川端たちが4組のリーダー高橋と対峙している。
 4組の高橋は、頭が良く、運動神経も抜群、さらにはイケメンという神にも恵まれた存在であった。
 祐樹らは、敵軍を躱しながら彼らの戦局を見守った。川端が勝てば、この試合が終わる。祐樹は、この時ばかりは川端を応援した。
 しかし、川端は散った。辺りを見ると、多くの騎馬が倒れている。自分と高橋を除いては……。すると、高橋と目が合った。祐樹は彼と面識がない。おそらく、彼は自分の事など知るはずもない。そんなことを思っていた。
 高橋が向かってきた。祐樹の騎馬も突撃する。周囲から歓声が聞こえた。しかし、祐樹には何をすることもできなかった。そもそも、高橋に勝てるはずが無いのだ。彼は、ただただ今の状況を呪った。
 祐樹は、目を瞑り、全力で両手を振り回した。簡単にやられては、集中砲火の的になるに違えないからだ。祐樹は両手を振りまわし続ける。何も見ない。何も考えない。取られるまで腕を振り回す。それだけだった。
 砂風が顔に当たった。そして、左手が何かをつかんだ。その時、ブザーが鳴った。
「2組の勝利!」
 祐樹は先生の言葉に耳を疑った。目を瞑っていたから、状況が分からない。すると、足音が聞こえた。見ると、川端と神原だった。
「お前、よくあの場面で目を瞑ったな。高橋が砂煙で怯んだ隙に、右でフェイント入れて、左で取りに行くとは、大したもんだぜ」
 川端が言う。またしても、運よく活躍してしまったようだ。
 しかし、そこで事件が起こった。騎馬戦で、エース・田中が負傷したらしい。聞くと、軽い打ち身らしいが利き足がやられたという。
 2組に不穏な空気が漂った。今日の最後の競技、クラス対抗リレー。田中はアンカーを務める予定だった。当然、クラスメイトは田中の代わりを探し出す。しかし、エースの代わりが務まる人物などいるはずがなかった。
 すると、神原が口を開いた。
「リレーのアンカーは……、鈴木君にお願いしましょう。鈴木君、今日、調子良さそうだし、運も持ってるから、それしかないと思う」
 川端もそれに同意する。すると、クラスメイトからの視線を感じた。田中が歩いてくる。左足に包帯を巻いているが、普段とあまり変わらないように見える。
「田中くん、大丈夫?」
 祐樹が言う。
「歩くのは大丈夫だけど、走るのはマズそうだ。鈴木、アンカー頼んだ!」
 そう言って田中は、襷を渡すのだった。
 祐樹は、不安で押しつぶされそうになった。そして、ポケットのアップリケを見た。黄色いヒヨコはさっきより輝いているように感じた。

 リレーが始まった。
 祐樹は、バトンを落とさない事、途中で転ばない事、それだけに注意して全力で走る。これは、全力を出すフリではなく、正真正銘の全力でなければクラスメイトに申し訳ない。そう思った。
 ついに出番が回ってきた。各クラスのアンカーたちがスタートラインに並ぶ。祐樹は、アンカーの顔ぶれを見た。1組の佐藤、3組の中村、そして4組の高橋、誰もが学年のスターたちであった。そして、彼は緊張を抑えるべく、ポケットのアップリケを握りしめた。
 最初にバトンを受け取ったのは1組の佐藤。やや遅れて、4組の高橋が続く。そして、2組と3組の第三走者がほぼ同時に現れた。
 祐樹はバトンを落とさない事だけに集中した。受け取ったら走る、それだけを考えた。
 冷たい固体が掌に触れる。そして、強く握って走り出す。見ると、3組のバトンが遠くに転がっている。しかし、祐樹は何も考えずにただ走った。
 祐樹は足が速くない。1組の佐藤と4組の高橋がどんどん先に進んでいく。各クラスのアンカーたちには遠く及ばない。そんな言葉が脳裏をめぐろうとも、何も考えない。ただ、走る。それだけに集中した。
 先頭の二人がカーブを抜けようとする。その時、彼らが互いに衝突し、グランドに転んだのが見えた。二つのバトンもグランドに転がっている。
 ようやく、祐樹が彼らに追い付いた。その時、4組の高橋はバトンを見つけ走り出す。3組の中村はまだ後ろに、1組の佐藤は未だバトンを追っている。
 祐樹は全力で走った。大きく腕を振って、出来るだけ足を速く動かした。カーブを曲がり切ればゴール。クラスメイトの声援が聞こえてくる。
 しかし、背後から足音が聞こえてくる。一人、また一人と近づいてくる。それでも、祐樹は走った。やがて、4組の高橋に抜かされ、1組の佐藤が真横に、3組の中村がすぐ後ろにいる。祐樹は大きく手を振った。それしか出来ることはなかった。
 ゴールに辿り着いた。クラスメイトが迎えてくれる。3位だったようだ。やはり、勝てなかった。知っていた事だが、なぜか悔しい気持ちになった。
すると、先生が何やら会話をしている。そして、
「1組と4組はバトンの取り違えにより、優勝は2組になります」
 クラスメイトがどよめき立つ。そして、皆でハイタッチをした。祐樹も、その中に混じっていた。群れに紛れるのではなく、積極的に。
「鈴木、ナイスラン!」
 川端が言う。見ると、神原が笑顔を見せて拍手をしている。田中も観客席から親指を上げた拳を見せている。
 祐樹は、涙を押さえるのに必死になった。

 こうして、祐樹の運動会は幕を閉じた。
 帰り道、祐樹は思った。全力で取り組むと、気持ちがこんなに晴れやかになるのかと。死力を尽くす必要さを学んだのだ。さらに、その方が絶対に楽しいことも。
 祐樹は、ふいにポケットに手を突っ込んだ。そこには、アップリケの感触が無くなっていたのであった。

☀この記事はクロサキナオさんの企画参加記事です☀
#クロサキナオの2024CrispOct
https://note.com/kurosakina0/n/n182ddaae17b9


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