vol.1 悔いなく生きるには
結論:やり続けるしかない
そう確信を得た2020年でした。
くわGがTwitterでこう書いてました
「誰しもが明日死ぬリスクがあると言うこと。事故するかもしれない。今、やりたいことできてますか?僕はマーチング、一生できません。」
僕はマーチング、一生できません。
どれほどの重みがあるか、想像は難くなかったし
今でこそ余計と心に響きます。響くというよりはのしかかる。
オーディエンスに見てもらえて当たり前、
次の本番があって当たり前、
練習会があって当たり前、
友達に会えて当たり前、
んなわけない、と。
練習をやりきれなかった、突然終わりが来る、そんな可能性もある
仕方ないと割り切れるものなのか、割り切る自分でいいんか
何も仕方なくない、そこに思いを残すのは自分が命燃やしてやってきたかどうかに尽きる
戦ってきたのか、自分に挑み切ってきたのか
悔、という感じの成り立ちは諸説あるがその一つに
人を無視して「あなどる」意を表す
あなどる、かろんじる、もてあそぶ、ばかにする
それが後悔になる
自分の時間を軽んじてしまってなかったか
人のことをあなどっていなかったか、
気持ちをもてあそんでいなかったか、
一切そういうことがなく後悔なく生きる人がどれだけいるのか
かろんじる、が自分には一番フィットする
マーチングができる時間をかろんじていなかったか
そこに時間、労力、費用をかけて集まる人の気持ちを軽んじていなかったか
基本ドM精神構造しているので、追い込み癖があるもののそれを差し引いても自分がそこに悔いを残すのは自分の可能性を信じているから
俺ならできる、もっとできる、こんなもんじゃない、まだやれると。
一生マーチング、できません。。。。
そんな絶望考えられへんのやけど、自分以外の何物かが起因して
自分のやっていることを中断されることもある、そんなときに
仕方ないと割り切れる自分でいたくないし、
そうなったとしても「もっとやっておげばよかった」と思いたくない
今晩仕事の帰り道に死ぬかもしれん
長野から京都に帰る運転中に居眠りで死ぬかもしれん(リアルガチ
明日死ぬことを受け入れられんし、絶対嫌です
やるしかないし、やり続けるしかない、それしか後悔しない方法はない
無念の中で死にたくない
もっと生きたい、もっとやりたい、執着して何一つ満足せず、死にたい
満足してしまったら、生きながら死んでる
当たり前じゃないことに感謝することよりも
戦っていない自分でいたくない気持ちの方が強い
コロナは、必ず、糧にする
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