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WEAVERというバンドと私

WEAVERのラストLIVEに参戦して
あまりの感情を抑えられなくなってしまったので
noteを開設するまでに至ってしまった。

今後このnoteをどう使うかは未知数なんだけど
とりあえず今日のこの気持ちを忘れないために
ガンガン書きなぐる。書きなぐらせてください。

そもそもWEAVERとは。

神戸出身の3ピースピアノバンド

WEAVER Official Site

公式サイトから引用しよう!と開いたはいいものの
なんともシンプルな一言でまとめられていた。
そして、2022年4月3日に解散を発表したバンド。らしい。

"らしい"というのも、
こんな偉そうなnoteを書いておきながら
私は解散の事実を人づてに聞いた。
「解散するの知ってますか?」と聞かれて、
久々にWEAVERの名前を聞いて、
「ええぇぇぇぇええ!?」と大声を出したのを覚えている。
なんともお粗末な話だ。そんな私がWEAVERの何を語るというのか。

でも、

WEAVERにもし出会っていなかったら…

そんな大層なことを言いたくなってしまうくらい
私の人生にWEAVERは絶対に絶対に絶対になくてはならないものだった。

WEAVERとの出会い(2010年)

時はauリスモ全盛期。
黄緑色の背景に白抜きされたリスが
自分と同じくらいの大きさのポータブルプレイヤーをもって
てくてくと歩いているCMの、あのauリスモだ。

当時の私は中学1年生だった。
バスケ部に所属していて、塾にちょうど通い始めて、視力が落ち始めて、
そしてクラスでハブられはじめていた。

「部活とか塾とか別コミュニティがあるから、
 小学6年生のときのハブよりはマシだなぁ」

そんなことを考えるくらいには大人だった。たぶん。
でももちろん学校は楽しくなくて、起きるのも憂鬱で、
まぁある意味では年相応に、しっかり悩んでいたと思う。

きっとそんな悩みに母親は気づいていたんだろう。
auリスモを契約した母親がある朝「良い曲あるよ」と携帯を差し出してきた。

いま思うと中学生には早かったよね。笑
でも杉くんの優しい声になんとなく引き込まれて、
「生きることってむずかしい」と素直に言ってくれた歌詞が嬉しくて、
その朝から、よく聴く曲に仲間入りした。
あと杉くんの顔が好きだった。単純に。笑

そのときの最新曲が「僕らの永遠」だったからYouTubeで何回も見たり
ライブ映像を何度も見ては杉くんに「キャー!」ってしたり
だんだんと生活の中心がWEAVERになっていった。

WEAVERから邦ロックへ(2011年)

もともとオタク気質が備わっているので
好きな人が発信するものはすべて享受したい!!ということで
中学1年生にしてTwitterを始めた。

もちろんリアルの友達とはつながらないという母親との約束つきで。
ちゃんと守ってた。
というか、その頃にはいよいよ学校が楽しくなくなってた。
クラスのいじめっこに目をつけられて、初めてできた彼氏にも
ある日突然無視されるようになって。どうでもよかったな。

初めてのTwitterライフはとても楽しかった。
WEAVERメンバーにリプライを送ったり、
たまに返信がきてすごく嬉しかったのも覚えてる。
どんどんWEAVERのことが大好きになった。
ブログも毎日見て、更新されてたときはすぐ読んで。
その時発売されてたCDも全部買った。
Tapestryも新世界創造記も全部歌える。何回も、何回も聴いた。

そんなある日、一通のDMが届いた。

「はじめまして!〇〇っていうバンドです!
 よかったら僕たちの曲も聴いてください!!」

※WEAVERと直接関係ないのでバンド名は伏せます

たぶん当時DMで自分たちを売り込むのが流行っていたんだろうなあ。
今でいうYouTubeのコメント欄で宣伝するのと同じ感じで。笑
中学1年生にこの方法は効果てきめんだった。すぐ聴いた。

これがね…好きだったんだよね…。
WEAVERに次ぐ、2つ目の、私とバンドの出会いだった。

WEAVERと出会うまで、私の世界は

・パパが車の中で流しているブルーハーツ
・小学6年生のとき大好きだった嵐
・学校のみんなが聴いている曲

この3種類で分類できるくらい狭いものだった。

だから、世の中には恐ろしいほどたくさんの音楽があること、
そしてその音楽をつくる人がたくさんいることなんて
まったく想像ができていなかった。
いや、正確にはWEAVERだけではこの事実に気づけなかったと思う。

この2つ目のバンドとの出会いをきっかけにして、
夢で溢れるバンドの世界に足を踏み入れることになった。

そのバンドはDMで宣伝してくるくらいだから
「今度初めてワンマンライブやります!」みたいな、
これからだ!!っていうインディーズバンドで
嵐よりも、WEAVERよりも、遥かに距離が近かった。

リプライを送ればぜんぶ返ってくるし、
もちろん認知もとれてたし(今でも気にかけてくれてて嬉しい)、
WEAVER一色だった生活が、このバンドとの二色になった。
バンド経由で知り合った友達もTwitter上にできて、
いや、、本当に楽しかったなぁ…。

そしてまぁ。
二色になったらもう色は増える一方で。
初めてのライブハウスに行けば対バンという形で新しいバンドを知り、
YouTubeで「バンド」と検索すれば一生かかっても聴き終わらないであろう量が検索されて、
好きなバンドメンバーがおすすめするバンドはもちろん聴くし。
3か月後には立派なインディーズガールが誕生していた。

いま思えば狂っている…。
O-CrestやO-West、横浜BAYSISといったライブハウスにパパ同伴で
おこづかいで通った。CDも買った。グッズも買った。
ライブに行くために勉強も頑張った。
(テストで〇点以上でライブの許可がおりる制度だった)

挙句の果てには、
自分の力でいま大好きなインディーズバンドを有名にしたい!と思って
出版社への就職を目指すことにした。
この時の志望で大学も選んでいるから、つくづく私の人生はバンド中心に
回っているなと思う。良い人生だよ本当に。

この頃にはWEAVERの濃度はだいぶ薄まっていた。
WEAVERは地方も含めてライブをするからなかなかライブにいけない。
リプライが返ってくることも非常に稀。
ましてライブでおしゃべりなんて絶対にできない。
どうしても優先順位は下がりがちになってしまっていた。

そして高校に入学し、軽音楽部に入部したことで、
私はライブキッズへと変貌を遂げた。
ディッキーズを履き、フロアを駆け回り、踊り、床を叩き、
モッシュにサークルにツーステに、、ちなみにハーコーはできなかった。
WEAVERとは対極に位置するところまできてしまった。
この頃にはWEAVERはたまーーーーに聴くくらいな感じだったと思う。

そして解散ライブ(2023年)

飛んだ。時代が一気に飛んだ。
私がWEAVERに出会ったのは2010年のことである。
2010年のことである。

ライブキッズになったのは2014年。
なんと呆れることにそこから6年間、ずっとライブキッズをしていたのだ。
いろんなライブに行った。フェスにも行った。
大阪まで行ったこともあったし、友達もたくさんできた。
2020年にコロナウイルスがライブキッズを淘汰するまで
ずっとライブキッズをしていた。

もちろんキッズ時代も本当に本当に楽しかった。
たくさんのバンドに出会って、曲を聴いて、
大好きな人たちのグッズを身にまとって、はしゃぎまくって。
ただ、WEAVERとはずっと対極にいた。

キッズとして出会った友達はもちろんWEAVERのことは知らなくて
正直思い出しすらしなかったというのが正しいかもしれない。

2020年。
コロナによってライブキッズを卒業すると同時に学生も卒業した。
つまり、社会人になった。

社会人になって私は音楽を聴かなくなった。
あんなにずっと一緒に歩んできたバンドすらノイズに感じてしまうくらい
仕事が忙しくて、充実していて、大変だった。
新しいバンドを探す気力なんてもちろんなくて
聴くとしても今まで聴いていた曲をひたすら聴き流し。
だからここ3年間くらいのバンドの話題にはまったくついていけてない。
ひげだんがいつのまにか覇権とってたね…みたいな、そんなレベル。

たまーーーにライブ情報がうまく手に入ればライブには行っていたけど
勉強せずにいくから「知らない曲だらけだ!!」って毎回なってた。笑

ただ、誰かと会話するのにバンドの知識はかなり役立つ。
WEAVERの話題もきっとそんな感じで出したのだろう。
ある日突然会社の人から、「解散するの知ってますか?」と声をかけられた。
そして冒頭の反応につながる。ここまで長かったね。

なんか、私の中でWEAVERはある意味で偶像化されていたから
まさかそんな日がくるなんて思ってなかった。とにかく驚いた。
そしてまさかの、解散ライブに誘っていただいた。

正直、自分に行く資格があるのかという考えが一瞬よぎった。
でも行きたい……行きたいってことは行っていいはずだ!!となり
「行きます!」と返事をするまでには一瞬だった。コンマ2秒。笑

そこからはとくに特筆することはない。
相変わらず音楽は大して聴いてなくて、
彼氏がアメリカに飛び立って、仕事をやめた。
そして今日。2/11を迎えた。

私にとってのWEAVERは、
このクソ長エピソードをもってのWEAVERだから、
正直曲がどうとか、ライブがどうとかはもうよくわからない。

ただ、見れてよかった。
WEAVERの生の音を、心に、身体に、刻めてよかった。
肉眼で見れてよかった。出会えてよかった。
とにかくその感情に3時間支配されていた。

1曲だけ。
「僕らの永遠~何度生まれ変わっても、手を繋ぎたいだけの愛だから~」
絶対泣いちゃうだろうなと思っていたけど、案の定。笑
イントロで号泣した。

改めて歌詞をちゃんと噛みしめて聴くと、
きっとあの日の朝、母親はこの曲にのせて、
いろんなことを伝えたかったんだろうなと思う。

悲しい夢の中から 映画のように君を守れる 強い僕じゃないけれど
誰よりも君を見てたよ 君の強がりだって知ってたよ
そんなところは自信があるんだ

「僕らの永遠~何度生まれ変わっても、手を繋ぎたいだけの愛だから~」
WEAVER

失うことが怖くて いつか消えていくことを恐れて
永遠がいいなあ わがままも言うよ どうせ無理だと知ってる

「僕らの永遠~何度生まれ変わっても、手を繋ぎたいだけの愛だから~」
WEAVER

何度生まれ変わっても 手を繋ぎたいだけの愛だから 
素直になれるよ 君が笑うだけで僕は僕になれる
ちゃんと伝えるよ そのままの君が好き

「僕らの永遠~何度生まれ変わっても、手を繋ぎたいだけの愛だから~」
WEAVER

13年越しのこの愛情に気づいて、余計にダメだった。
なんなら今も涙が止まらない。
絶対にこの景色を、歌声を忘れないようにしようと誓った。

WEAVERが今日見せてくれた景色は、
もう一生見ることができない景色ではあるんだけど、
このnoteをもっていつでも思い出せる景色になった。と思う。

出会ってくれて、本当に本当にありがとう。
お疲れさまでした。お元気で!

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