「失敗」という言葉は使わない

うわ!ミスったわー!

あ、やっちまった…

日常は一歩振り返れば、自分を責める否定的な感情が波のように覆いかぶさって来る。
なんでもっと上手く出来なかったのか?
なぜ、間違えてしまったのか?
反省、反省、反省・・・
そんなのいくらしたって、また新たな反省と、昨日もしたような反省で頭はいっぱいになり、コップから水があふれ出るように、反省は常にキャパシティを超えてくる。

自分はなんてダメな人間なんだろう。
がっくりと肩を落として、来た道をトボトボと引き返す。

やり直しだ。
やり直せるうちはまだいい。

いつになったら上手に生きられるようになるのだろう…?


そんな風に思っていたある日、
父と毎年行っているイベントへ今年も一緒に出掛けた時の事、
その日一日で、父は「失敗したな。」と5回もつぶやいたのである。

「え?」

最初は聞き流していたのだけれど、
さすがに「またか…」と思い、ついに耐え切れなくなって、

「今日一日で失敗って言葉を5回も言ってるよ!やめてくれない?別にどれも失敗じゃないよね?」

と言うと、父は「そうか?」と苦笑い。


出掛ける時間、選んだ道、着ている服、バスの待ち時間、通り過ぎた店、


私にとっては、その日一日は父と出掛けるというだけであって、
何かを上手くこなそうとは一つも思っていなかった。

長い時間待つことも、
通り過ぎて引き返すことも、
そうすればいいし、そうしよう!で済む話なんだけど。
私にとっては。

そう考えた時、
私自身「失敗」という言葉をほとんど使った記憶がないことに気がつく。
間違えることはたくさんある。
やっちまったな、と思うことも山ほどある。
人に謝らなければならないことも時々ある。

それでも、「失敗」と口に出したことは、ほとんどない。


「失敗」という言葉は、恐ろしい破壊力を持っている。

「お前、失敗しただろう?」
「それは、失敗だな。」
「失敗するなよ。」

こんな小さな2文字が、小石が猛スピードで飛んできて当たったような、いつまでも続く痛みを与え続ける。

そんな直らない痛みを引きずりながら、ひたすら歩き続けてなんていけない。
出来ることならば、マトリックスのように様々な内的・外的攻撃をかわしながら、踊るように生きていきたい。

失敗しない人なんていない。
でも、
思うように出来なかったことも、
理想通りにならなかったことも、
「こうすればよかったのか」「こっちを選べばよかったのか」「これではなかったな」という気づきに、いつかはなるのだから、わざわざ「失敗」という小石を飛ばす必要などないのだ。自分にも。周りにも。

未だ解決にたどり着かない問題や疑問、見いだせずにいる正解や成功、
済んだと思っていた様々な事柄の真相、…
この先だっていつ私の前に「実は・・・」といって現れるとも限らない。

それはまだ終わってはいないこと。

だから、私は「失敗」という言葉は使わない。


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