『ゴリラ裁判の日』

『ゴリラ裁判の日』(須藤古都離 講談社 2023)

アメリカの動物園で4歳の男の子が柵を乗り越え、ローランドゴリラの飼育スペースに落ちてしまい、動物園の判断でやむなく男の子に接触した一頭のゴリラを射殺してしまいました。これは実際にあった事件で、映像を見た人もいると思います。ここから創作。

射殺されたゴリラにはローズという妻がいました。ローズには特殊な能力がありました。人間と同じように言葉を使い、思考できるのです。手話を音声に翻訳する機器によって、円滑なコミュニケーションができます。高校生程度の知能があり、ジョークも使えます。

ローズは、動物園の行為は不当だとして、園長を相手に裁判に訴えて出ました。一審で陪審員は、訴えを棄却します。「動物の命より、人間の命が大切だ」と。
ローズは裁判所の前で待ち構えるマスコミに訴えました。
「正義は人間に支配されている。裁判は動物に不公平だ!」


法廷シーンだけでも読み応えあり。加えて、ジャングルでのゴリラの生活もおもしろいし、なにより、ゴリラと人間のちぐはぐさが笑えます。
ローズをアメリカに連れてきたのは霊長類の女性研究者で、離婚を経験しています。
「サムと別れたのは、あなたが一夫多妻制を好きじゃなかったから?」
「そうね。私たちがゴリラだったら何の問題もなかったのよね。オスが別のメスを好きになるのなんて、本当は自然なことなのかもしれない」


★以下ネタバレを含みます
ローズはその後、腕利きの弁護士に出会います。ローズは弁護士に怒りをぶつけました。
「裁判官も 陪審員も人間だけで、 私のことを理解してくれる人がいなかった。 正義を人間が不正に操っているから、動物が殺されても誰も罪を問われない。私は何か間違ってる?」
すると弁護士は自信たっぷりにこう言います。
「僕以外の誰も気づいていないが、君は立派な人間だ。 だから君を救うために必要なのは動物の権利じゃない。 君たちを守るのは人権だ。だから裁判で負けるはずがない」

そして法廷では、「人間とは何か」「言葉を話すゴリラは人間とどうちがうのか」「人権とは何か」と、哲学的な問答が繰り広げられるのでした。

この問答には考え込んでしまいました。実際、アルゼンチンの裁判所では、オランウータンに人権を認めた例もあるそうです。ただ、原告はオランウータンではなく、動物保護団体ですが。

『ゴリラ裁判の日』には裏テーマがあると思ったのですが、外国人の非正規滞在問題を取り上げた『やさしい猫』を最近読み直したところなので、私の意識がそっちに敏感になっているのかもしれません。

例えば、法廷でのゴリラの代理人の問い。
「あなたが『人権』という言葉を思い浮かべるときに、他の国の人はそこにいますか。自分とは違う肌の色の人は?  そして、そこにゴリラはいますか?」
これを読んで、非正規滞在問題が即座に頭に浮かびました。

最終弁論での被告人代理人の態度。「ケイリーはダニエルのロジックを崩すことはできなかった。議論に値しない、と言って冷笑するだけだった」
これはツイッターでよく見る www に表徴される冷笑主義だ、と感じました。

弁護士がローズを諭す場面。
「人間は粗暴で矛盾を抱いた、 利己的な存在なんだよ。 僕たちはそれで満足していたわけじゃない。 何千年もの歴史をかけて 憲法や法律を作り、 司法制度を練り上げてきたんだ。 完璧な正義を達成するためじゃない。より良い社会を築くため、 正義に少しでも近づくためだ」
安倍総理以降の自民党政権の様々な政策は、正義から遠ざかる方向と直感しました。

とにかく、刺激的で多くのことを考えさせる優れた小説だと思います。作者は新人で、つい先日2作目を出版したそうですが、今後も注目したいと思います。

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