ナラティブの勝利(1)

野球には“流れ”というものがあるといいます。解説者も新聞記事も、たびたび“流れ”について語ります。藤川球児氏は「野球は“流れ”のスポーツ」とまで言い切りました。

ところが、『野球人の錯覚』という本がありまして、

「チャンスをつかもうが潰そうが、その次の回の状況に変化はない」
「ファインプレーが出ても次の回の攻撃状況が良くなるわけではない」

などと統計的に検証して、“流れ”なるものの存在に強い疑問を呈しました。

しかし、こういう数字には状況の重要度が反映されていないと私は反論したくなります。緊迫した1点を争う試合の1プレーも、大差のついた大味な試合の1プレーも等価とするのは、全く人間的じゃない。

今年の日本シリーズを見れば、“流れ”はたしかに存在したし、“流れ”を変えたのは「ナラティブ」であり、阪神タイガースの勝利は「ナラティブの勝利」であったと私は主張したい!(ここでいう「ナラティブ」とはもともとは文学理論の用語で、神話や伝説のように、ある集団の成立に関わる物語の構造のことです)。

阪神がリーグ優勝を決めたとき、私は「MVPは橫田慎太郎かもしれない」と書きました。橫田氏は元阪神の選手で、脳腫瘍のため引退。本年7月に28歳の若さで逝去されました。

橫田氏の訃報の前の阪神の勝率は0.550。訃報の後は0.791。大きく勝率が上がった理由は、病さえなければ同じユニフォームで同じグラウンドに立っていたはずのチームメイトの訃報により、チームの結束力が強固なものになったからだ、と私は感じました。

しかし、これは後付けの「勝利のナラティブ」です。「ナラティブの勝利」とは、岡田監督がナラティブ効果を活用して勝利に導いたということです。

例えば第4戦、3-3で迎えた8回2死1,3塁で湯浅を起用しました。岡田監督は
「ここは湯浅に懸けるしかない、と。湯浅が出てくるとガラッとムードが変わる」
と考えたと語っています。湯浅がコールされたとき、球場の雰囲気が一変するのを岡田監督は予想していました。

「ベンチ入りは球場の半分ぐらいしか知らんやろなと思ってた。沸くのは当然やんか」

湯浅は育成出身で昨年ブレイク。侍ジャパンに選ばれるも、不調に加え、シーズン途中で故障・離脱。約4カ月半ぶりの1軍マウンドでした。ファンはシーズン終盤に湯浅の復帰を心待ちにしていました。最後の最後、日本シリーズにようやく間に合った。これが数字には反映されない湯浅起用の「ナラティブ」です。
湯浅はストレート1球で打者を打ち取り、最後は4番大山のサヨナラタイムリーでチームは勝利し、対戦成績を2勝2敗の五分にしました。

岡田監督自身はシリーズの分岐点を、この試合の前の第3戦だと見ています。

「相手のクローザーをそこまで9回の裏で苦しめたいうのは、4戦目、5戦目の勝ちにつながったと思うよ。」

この試合、5-1でリードされていましたが、7回に3点を上げて追い上げ、9回は一打同点、長打なら逆転サヨナラの状況でフルカウントまで平野を追い詰めました。最後の打者は4番の大山でした。

そして続く第4戦8回に湯浅の登板、9回を岩崎が抑え、その裏の攻撃で、前日に阪神ファンにため息をつかせた大山がサヨナラ打を放ちました。

3勝3敗で迎えた最終戦。阪神の先発はこのシリーズ初登板となる青柳投手でした。試合前、岡田監督は青柳を監督室に呼び、「京セラで青柳で始まり、京セラで青柳で終わるシーズンなんで、最後もう思いっきり楽しんで、もうイニングとか関係なしに投げてくれ」と激励しました。青柳は昨年、一昨年に比べて不本意なシーズンではありましたが、奮起して4イニング2/3を無失点の力投で応えました。(続く)

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