『タフラブ 絆を手放す生き方』(

『タフラブ 絆を手放す生き方』(信田さよ子・著 dZERO 2022)

私は、家族問題についても関心があります。その界隈で、「信田さよ子は必読」という話を聞き、最新刊の単著を読んでみました。

震災以後、「絆」ということばが万能ワードになっている気がしますが、そんなもの、手放したってちっともかまわないのでは?と著者は問いかけます。なぜならこの「絆」、特に「家族の絆」がなかなかのくせ者だからです。
多くの家族問題の根本にあるのは、「家族とはかくあるべき」という固定観念や、「母親なら当然でしょう」「それが妻のつとめじゃないの」といった世間の「常識」であると、著者は考えます。その「常識」を利用して甘い汁を吸う人がいます。ということは、それによって押さえつけられる人がいるわけです。

そういえば最近、維新の馬場代表が、「24時間選挙を考えて政治活動を実行できる女性はかなり少ない」と発言して批判されました。その発言、「母親として、妻として、当然果たさなくてはならないつとめがある」ことを前提にしていますよね。もうこういうおっさんは政界から去ってもらいましょうよ。

この「家族の絆」が保守の政治家が口にすれば、さらにやっかいなことになります。危険です。
私が憲法改正について9条よりも警戒しているのは、24条です。自民党の改憲草案はこうです。

「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」

一見、もっともなように思えますが、ちょっと待てい。
家族は「自然かつ基礎的な単位」だと? それが「同性婚は認めない」とか「LGBTは自然の法則に反する」とかの差別を生み出すんじゃないか。そんな文言を憲法に入れることは許されません。
それに、社会のセーフティーネットとしての家族を強化した方がずっと安上がりで、自民にとって都合がいいのですよ。だから保守派は「家族の絆」をいっそう声高に叫びます。で、福祉に回すべき予算を、大企業が儲かるように使おうと目論んでいるに違いないと私は見ています。
世界にまれなほど、日本に世襲議員が多いのも納得です。日本の総理大臣のなんと7割が世襲政治家だそうです。そんなの、むしろ北朝鮮に近いじゃん。

彼らは、近代的「個人」「自我」なんて考えたことも無いんじゃないですかね。先代、先々代からいわゆる地盤・看板・鞄を受け継げば政治になれるんですから、そりゃ家族は大切でしょうよ。
「行き過ぎた個人主義」なんて保守派は批判するけど、私に言わせれば「おまえらは行き過ぎた利己主義者だ」ですよ。

さて、国家と家族とはちがいます。共通しているのは、システムの一部に不具合が生じると、全体が機能しなくなること。システムの機能低下が、一部に不具合を生じさせること。
そして、逆に考えればシステムは、「ある部分を変化させれば、全体がうまく動くようになるかもしれない」ということ。
では、政権交代実現のためには、どこをどう変化させればいいのでしょうね。


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