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死にたくなったら、親の家族写真を見る。


今日、久々に母方の実家に行きました。


自分はかなりのおばあちゃんっ子で、それゆえに離婚してからというもの複雑な気持ちで会いづらかったのと、たまたま機会もなかったのもあってほぼ1年ぶりの再開。


外で美味いごはんを食べてからおじゃましてきまんですが、そこでふと、亡くなったじいちゃんの仏壇の前に古い写真が何枚も。


今までなかったので気になって見てみると、そこに幼い母親や叔父、若いじいちゃんやばあちゃんの姿が写ってました。


よくよく考えると今まで自分の親の家族写真ってちゃんと見たことなくて、その昭和感満載の思い出に興味津々でした。


その流れで何となく中学卒業してすぐに勤めだした話や、じいちゃんと歳が離れていて結婚が最初は嫌だったこと(乙女やなぁ…)、結婚式の写真なのに花嫁が写ってない新郎家族写真エピソードなどなど…何気ない会話にむちゃくちゃ花が咲きました(笑)

でもそこで強く感じたのは、


自分はこの人たちの歩んだ人生の先に存在してるんだな、と。


じゃあ親のために生きてるの?っていう話とは全然違って


自分の家族の人生にカタチとして触れることで、生きることの実証を感じることができたという表現が正しいと思う。


離婚の話と、会社からのパワハラの話が同時に襲ってきたときは、本気で自分の人生の価値について考えたし、死にたくなったことも何度もあった。


けど、どんな形でもいい、結婚しようとしないと、定職に就こうが、ちょっとおやすみしようが、それもひとつの生き方。


あらためて、生き続ける選択をしてきて良かったと心から思った瞬間でした。


結局、ばあちゃんが自分が離婚した話に触れてくることはありませんでした(離婚した事実は母親から聞いてるけど)
きっと気を遣ってくれたんだなぁ。


何気ない孫とばあちゃんと会話だったけど、これからの活力をもらった気がしました。


自分とばあちゃんはちょうど50歳の歳の差。
なので、あと50歳は生きようと思います(笑)

これからリスタート。僕は僕なりの人生を描けるようにがんばります。

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