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【雑文】「夜景は残業の光」とかいう嘘

「夜景の正体は残業の光」というのをTwitter(当時)で見たのはもしかしたら10年前とかになるのだろうか?

毎日退社時間が10時を超えてたような時期には
「自分も夜景を構成する要素になってるのか(笑)」と思ってたせいで、
ついこの前までずっとこの考えでいたのだが、

よくよく考えると、残業なんか無くても夜の街は明るい。


つい先週のこと、久々に残業を長々とやり、うつろな目で車を走らせていた。
小高い道を走らせながら、ふと横をみると思わず「おっ」と思う綺麗な夜景が広がっていた。ギラギラという様子ではないが、星空のようにきらめくような綺麗さだ。普段はあまり気にならないが、結構残業で疲れていたのだろう。普段はなんでもない風景がちょっとした癒しに感じた。
そんな癒しもそこそこに、急にふと気が付く。職場はイオンモールがあるぐらいのレベル感の田舎、ではあるのだが、そんな場所でも夜の街は明るい。オフィス街ではなくとも、民家から漏れる光も集まれば眩しささえ感じる。

そこでよくよく考えてみると当たり前なのだが、夜に溢れる光は別に残業だけなわけではない。
オフィス街だって、名は体を表すとかいうわけでもなく、オフィスばっかりがあるわけでもない。それこそ飲食店は、夜景の時間こそコアタイムだ。
なんかしらの小売店なんてのもある程度遅くまでは開店しているだろうし、それこそ夜景があればそこには必ず数棟のマンションもあるだろう。何も建物だけでなく、街路灯なんてのも当然立ち並ぶ。
残業の光の話をする度にどこからともなく、したり顔で「24時間稼働するタイプの交代制の仕事」なんて話をするような人間もいるが、そんな逆張りな判例を持ち出すまでもない。


という風に、よくよく考えると「夜景の光=残業の光」なんてのは嘘、というよりは、エビデンスの無いミームみたいなものなのだが、なぜ流行っているのかと考えてみると、やはりフレーズを聞いた時「綺麗さの裏には闇がある」という構図のある種の”綺麗さ”が記憶に残りすぎてしまうのだろう。
言葉には魔力があると自分は信じてはいるが、必ずしもそれがいい方向に働くわけではないのだ。
こういう事例をみる度に「松島や ああ松島や 松島や」とかいう句を思い出す。念のため補足するとこの句は芭蕉の句ではない。


長々と講釈を垂れておいといてなんだが、実は本当は実際に夜景の写真を撮り、光の正体を検証した上でないと、この記事のタイトルこそ嘘となるという何をやっているのかわからない状態ではある。
のだが、そんなときの【雑文】という免罪符だと思っているので、今回は「言葉の強さだけに惑わされずに本質を見極めていきたいものだ。」というそれっぽいフレーズで強引に締めさせていただこうと思う。



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