見出し画像

僕らの歌舞伎ジュース

仕事と酒と読書で構成された日々を過ごしている。晴れれば暑いし曇れば涼しい。雨が降れば体調が悪くなって憂鬱になる。季節の変わり目は気候が安定しないとは言うが今年1週間も気候の安定した記憶が無い。殆ど何時も雨に打たれていたような気がする。


ブレすぎゲーミング所属のプロゲーマーです

人が辞める、腰を痛める、内臓がやられるなどして人員不足に拍車がかかっている。別に配達員としては繁忙期でもなんでもないのにみんな月上限まで残業している。これから新米や林檎の荷物が出てきてどんどん身体は疲弊していくはずだ。そして気づけばお歳暮の繁忙期に突入する。吐息が自然と溜息になるのも無理はない、そうだろう?

変態社長と呼ばれている小包配達のリーダーが少し休む。おふくろの介護と兄弟の入院が重なったのだ。私はそういう話を聞くたびに何か人というものが時限性の地雷の様に思ってしまう。つまり経営経済社会的に価値を生むことの出来る僅かな時以外は働き始めるまで、働き終えてからその余剰の時間を誰かが働かずに面倒を見ている。私もそのうち似たようなことをするはずだ、独身だから。起爆したらあとは吹き飛んだ脚を止血して身を窶す他ない。私はそういう時、生まれるとか死ぬとかいうことが何か数値上で、感覚で、果たして有意義なのかどうか極めて疑問してしまう。これが私の宿痾、不仕合せの根源だとは解っている。然し之が終わる時は私の命が終わる時だ。憂鬱は命だ。この歳で独りならば尚更。

現X (旧Twitter)でフォロワーが減ってるような気がする。私は殆ど現X (旧Twitter)を使ってないしトゥイート(ネイティブ)もしてないためリムーブされてたりブロックされてたりするんだと思う。思い返せば学生時分に現X (旧Twitter)を始めたのだから10年以上続けていたことになる。継続は力なりと言うがこんなになんの力にもならなかったものは珍しいのではないか。解ったのはコンクリートブロックを裏返したら這い出てくる蟲の類がインターネットにいるならこういう場所なのかなと言う了解だけだ。そこはかつて居心地のいい場所でもあった。多分ドラッグパーティみたいなもんだと思う。トイレでシンナーを吸い合う様な、自我を溶かして情けない感覚を共有する様などうしようもない時間。それでも、現X (旧Twitter)をやらなくなってゲームもしなくなって、さあ何を得たのかと訊かれたら別に何も得られてはいないのだ。そんな足踏みをし続けてきたような気がするが、認めたらとても生きては行けないので考えないようにする。

坊主にした。

髪がストレートなので大概今まで髪は長かった。結んでいた時期も長かったし、なによりチン毛の生える前初恋の女の子に髪を褒められてからはこの直毛加減を生かす方向にシフトしたのだ。つまり、髪は私のひとつのアイデンティティだったのだ。だから、それを殺してしまうことにした。

ニーチェ「髪は死んだ(笑)」」

私は時々アニメや漫画の創作物について考えを馳せる。それらは表層的な表現において視覚に多くを頼っている。この髪色のキャラはこれ、この髪型はこいつ、この服装のやつはあいつ。では、然し、春琴抄の様に両目を潰して尚創作の人を人と想うに必要な事柄を創作は創作出来ているだろうか?人が居るとは、有るとは、私は多くの期待を込めて五感に依らない物だと思っている。或いは、そうでなければ果たして人は人では無いのだと諦めてしまう。君が在るとは目で見たから在るのだろうか?君が居るとは耳で聴いたから居るのだろうか?違うだろう、超感覚でそこに在るのを人は感ぜられるのだ。だから私は此処に居る。

機動戦士ガンダムのガルマ・ザビみたいに髪を触る癖があったけどもうそれも必要ない。髪がないからだ。それは負担を削ぎ落としたことになる。毎日着る服、毎日浴びるシャワー、そんな気にすべき事柄が1つ消えたのは少しく愉快な事だ。吹き飛んだ髪と共に私の此れ迄が消えて行った様な気がする。そう自傷とは、瀉血とは気分のいいものだ。失うとは脳内物質が出る。失いたい。多くを賜って頸をもたげて背筋を曲げて生きるには余剰が多すぎる。なんかテイルズオブジアビスのルークみたいな、FF9のダガーみたいなことをやってるがこれはかなり気分がいい。成程抱えてきたものが多かったと見える。抱える必要のなかったはずのものも含めて。

ついに隣人が転居した。

私は配達をやっているのでどこに誰が住んでて何時転居したか全て把握している。つまり隣人がいるかどうかも全てわかる。その人が確実にいなくなった。

多くのマンションでは1部屋を真ん中で区切って2部屋にしている。その方が楽だからだ。しかしつまりはその隣で響く音は大きくなる。元々は1部屋だったから。そこに今は誰もいない。堪らないぜ。やりたい放題だぜ。やることがない。

私の病める時も当時の恋人が病める時もちょっとした注意くらいで済ませてくれた隣人にサンキューです。その一方でテメーらも男女ですごく仲良い時にする行為がうるさかったからお互い様だよな。そもそも「ああん、ダメー♡」って言ってるんだからやめろよ。ダメって言ってんだから。犯罪じゃん。

配達中、荷物が多かったので走って配達してたら一般通過爺に「走って、えらいねえ。おれも明日から頑張ろうって思うよ!」と言われた。爺って言うか40くらいのおじさんと思われるが、なんと言ったらいいか分からないのでヘラヘラすることしかできなかった。朝ドラみたいな出来事だった。

起きたら髪が無くて嘘かと思った。

髪を洗う、乾かす、整える、結ぶ、とにかく髪を気にする必要がなくなったので気楽になった。その一方で無敵のおじさんへ近づいていってるのは否めない。営業妨害でニュースになるおじさん、あれは未来の自分だと思う。自分の身なりを気にしなくなって、というかどうでもよくなって、そのうち全てがどうでも良くなって、虚しくなって、せめてなにかぶっ壊して発散してやろうという気持ちはとてもよくわかる。そういうニュースが流れると人々は口々にそんな人を馬鹿にするが、私はそれから目を逸らすことが出来ない。

マジでこのツラで坊主だと脱獄犯にしか見えない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?