オイラは陽気な江戸っ子でゑもん
気がかりな夢をみた。私は旧友の家におり、さよなら絶望先生などのアニメを観ている。そこに、実在しない彼の妹もおり、私とその妹が次第にイチャイチャし始める。服は乱れ柔肌が露わになり、私はこの肌で、手で、彼女の肌を、熱を感じていく。いよいよ例のアレが始まる予兆を感じたその時、その子が私の耳元でこう囁いた。
「ふふ……♡♡お兄ちゃん……♡♡」
私はたまらず彼女を強く抱き締め敵は本能寺にありと戦場に赴かんとしたその時、無情にも目覚ましが鳴り響いた。私は滅多に怒らず物に怒りをぶつけたりなどしたこともないがこの時ばかりはスマートフォンをボコボコにしようかと思った。口角をこめかみまで上げながらシャワーを浴び、豆とバナナを食べて出勤した。
気がかりなのは、前回の淫夢(存在しない日本語)に引き続き妹が登場したことだ。私に妹はいない。兄が1人おり、息子(ティンポコのこと!)がおるのみだ。それに、特段妹という存在を希うわけでもない。漫画やアニメに出てくる妹キャラについて萌えーしたわけでもないし、それについて思考したこともない。だからビビった。
以下に前回の淫夢を記事から引用する。
"どえらい夢を見た。詳らかにすることすらはばかられるどえらい夢だ。どえらいっていうか、どエロい、だ。いい歳こいてと言われそうだが、いやむしろこの歳でこそじゃないか。詳しいことは言えないが、夢の中で言われたこととしては、「お酒飲むと妹に手ぇ出しちゃうからお酒禁止してたのに……ふふ♡♡お兄ちゃん、いけないんだぁ♡♡」でした。大丈夫かおれ……。持て余す、性欲を(倒置法スネーク)近日中に見た夢の中でもトップクラスに酷い"。
確かにひどい。
それにその妹というのは旧友の妹であって、その妹に「お兄ちゃん……♡♡」などと呼ばれて喜ぶというのはどういった了見であるか。あまりにもキモすぎるというのはさておき、私はなぜその一言でたまらなくなったのか。実の妹ではない人に兄呼ばわりされて喜ぶ感性はどこで築かれたのか。
仕事中それだけをぐーっと考えていて突如ふわりと思い浮かぶビジョンがあった。ガンダムZZのエルピー・プルだ。思い返すと確かに彼女が主人公のジュドー・アーシタをお兄ちゃんと呼ぶ描写があったような……気がする。実の兄ではない、血の繋がらない歳下の女の子にお兄ちゃんと呼ばれるのは何か私にとってひどく都合のいいように思えたのではないか。実際プルめっちゃ好きだったし。しかしその実、ギャルゲーのダ・カーポなどによくある血の繋がらない妹キャラには大して高ぶるものなどはなかった。つまり今の私にはその観念のたまらない何かがあるのだろう。
なにか私は性交における痙攣よりもむしろ、その副産物である肉体の接触を求めているように思う。こんな話がある。ゾウリムシはある時なにも食べなくなる。不安そうに右往左往し、ざわめき立つ。あちこちを歩き回り、繊毛がぶつかる。そうして無性生殖によって繁殖するこの生物は接吻するかのように結合し絡み合う。そして彼らの原形質(プロトプラズム)を包む膜が薄くなり、自由に混じりあっていく。これは15分程度続くといわれている。ただ細胞を分裂させればいいだけの生物があたかも性交のようなことをするのはなぜか。私には私自身の欲望を正体がここにある気がしてならない。繁殖の現象と結合の現象は決定的に違うものだ。その錯誤、誤謬を苗床にその夢は育ったのだろう。
目覚め、そして意識が明瞭になるにつれ彼女の顔が記憶から消えていく。暖かな夢が冷たい現実に塗りつぶされていく。明晰夢だけを全力で研究し追い求めていたうつ病時代と変わらない、私はあの夢に帰りたがっている。私の被造物は私を愛するだろう。現実はもうたくさんだ。私は彼女に会いたい。あの体温をまた……やめよっかこの話。
夢の名前は、「欲望」。
前の休みに野郎めしで油淋鶏定食を食べた。何故か店内は外よりも暑く、身体中の穴という穴から汗が噴き出すレベルだった。冗談抜きでサウナ状態だったし未だにあの暑さには疑問が残る。額から汗がボタボタ垂れてるのに他の客は涼しい顔をしてたのもよくわからない。思えばこの時から私の体調は芳しくなかったのかもしれない。
帰り道、配達でよく使う道をバイクでダラダラ走ってたら前の車が妙に遅い。更に前の車が徐行レベルの速度で走ってるようでなにしてんのかなと思って身を乗り出したらたら前の車が急に止まった。その瞬間でブレーキが間に合わないこと、ぶつかること、貯金、その後の処理などが頭蓋のうちを駆け巡り、ついに前輪のタイヤが「ぷに」と車に当たった。どこに当たったかも分からないし傷にもへこみにもなってないが結果的に10万払うことになった。任意保険が切れてるのに気づいてなかったのである。その値段を聞いた瞬間さすがに「な”ん”で”だ”よ”ぉ”ぉ”ぉ”ぉ”!”!”!”」になった。それはそれとして、私が悪いとはいえ、じ、じ、10万。さすがにそれを聞いた時は口の中が砂漠になった。
記事に……記事にしたっけ?下書きにしたままかもしれないけど、私の職場では一日になんと3発も事故を起こしてるのだ。後で聞いたところ史上初らしい。そりゃそうだ。それが当たり前なら一年に1000回事故を起こしてることになる。そんな企業はパブリック・エネミーだ。そんな中配達中は気をつけていたけどプライベートのバイクでは気を抜いていた。勉強代とはいえ高くついたものだ。プライベートでも仕事中と同じくらい気をつけて運転しよう。多段階一時停止の励行、ヨシ!
これが530円とかだったと思う。最初はやっす!と感じたが今思うとふつう……って感じ。ホテルの朝食とかでも思うんだけど味のりでご飯を巻いて食うやつ、全く好きじゃない。味のりの塩味(えんみ)が弱すぎるし食べててだいぶみすぼらしい気分になる。ただ、価格は安いのでこれにサラダをつけても800円いくかどうかってところなのは僥倖。割と仕事中行く機会の多いすき家、なか卯のメニューが充実してるのはありがたい。牛丼ばかりでは飽きてしまうから。
限定メニューが割と多いなか卯だけど、看板メニューの親子丼がつよすぎて似たような限定メニューその全てを圧倒してる気がしてならない。というかしてる。なので風変わりな蕎麦にしたら存外美味かった。今風変わりって言ったけどもともとはうどん屋だったから麺類つよつよなのは当然なんだよな。なか「卵」っていうから元来親子丼ばかりなのかと思ってた。
ところでなか卯の店内放送で「携帯電話のご使用は他のお客様のご迷惑になりますので……」と言っていて、これがどういうことなのか毎回わからずにいた。今日日スマートフォンを使ってはいけない飲食店なんか聞いたことがない。そもそもなにが迷惑になるというのか。通話はご遠慮くださいとか、ペースメーカーがどうとかならまだわかるけど、例えば私がKindleでシャーロック・ホームズを読みながら親子丼をむさぼっていたとて誰に迷惑がかかるだろうか。
私なりに考えてみた。これはコロナ全盛期に多く見られた「なんでもコロナを理由に店が得したいやつ」なのではないか。コロナなのであれはセルフ、これもセルフで、コロナなので注文はタブレットから、そんな具合になにかと理由をつけて店が得しようとするケースは少なくない。なか卯やすき家は回転率が命だ。最近はテーブル席も増えてきたとはいえやはりさっと提供してさっと食べてもらってさっと帰ってもらいたい。だから携帯電話……スマートフォンをいじりながらダラダラ食べてもらっては困るのではないか。というかそれくらいしか理由が思いつかない。調べてもわからなかったのでわかった人は私のポケットに爆竹を仕込んでキンタマを木っ端微塵にしてほしい。きっと、だからね。
シャーロック・ホームズの「緋色の研究」を読み終えた。
鎌倉のシャーロック・ホームズ展へ行った記念に読んだ。もともとコナン・ドイルはおろか推理小説すらまともに読んだことのないまま行ったがそれはそれで楽しめた。そもそも19世紀ロンドンというのが私は好きだ。曇天、貧富、犯罪、ハットにパイプ、馬車。素敵だ。
本作はシャーロック・ホームズの第一作にあたる。ワトソンとホームズの出会いが描かれ両者の人となりもわかる。話はまあまあよかった。構成も興味深いもので、推理小説とはいえそこまで詳らかに詳細を明かすかねと驚いた。ホームズは天才だけど変なやつ、それに対して常識人のワトソンが語り部という構図もいい。今では割とよくある構図だけどこれはホームズ以前からあったんだろうか?ところでワトソンにその推理力を褒められたホームズが普通に照れてる描写については「やってんなあ」と思った。ただまあ、私の読書に求めるのは問題と解答とかではないので今度またホームズを読むなら気が向いた時かな。朝井リョウのエッセイを読み終えたら「桐島、部活辞めるってよ」を読んでみようかと思う。普通逆ではないか?
一人の時間が増えた。孤独は誰をも傷つけない。孤独は答えを必要としない。たくさんの人達と触れ合う中で感ぜられる淋しさと比べたら、孤独はなんて暖かい事だろう。しかしそう思うのとほぼ同時に、もう二度と手に入れることの出来ないなにかが手のひらから零れ落ちてるような気がする。デラシネ(根無草)と成り果て、私や、私の周りがゴミだとして、この世界がゴミだとは思いたくない。しかし時々諦めてしまいそうになる。
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