櫻井翔だから届く言葉_240712
櫻井翔はブログやインタビューで、しばしば「自分だからこそ届けられる人が居る」という旨の発言をする。
アイドル業に身を置く者が、別分野(報道、司会、ラップ詞)に挑戦する理由や意味を問われる際に、よくこの言葉を口にする。
受け取り手によっては傲慢な態度だと思われるかもしれないが、実際私の世代ではニュースZEROで選挙特番を初めて見た若者はかなり多かったし、五輪・戦争・紅白の番組に彼が出る事によって貢献できる広報力がある事は事実である。
今日は、櫻井翔だからこそ届いた話を記す。
櫻井翔といえば迷彩柄と白Tシャツ、とテレビでイジられるくらい、私服がシンプルな人である。
気に入ったら、同じ物を大量買いして延々と着回すタイプらしい。
無地の白Tシャツばかり見掛ける中、時々胸ポケットが付いている白Tシャツが登場する時もあった。
そのポケットはいつも奇抜な柄をしていて、シンプルな服装をファッショナブルに彩っていた。
あるタイミングで、
それがCLOUDYというブランドである事、
アフリカの女性の雇用を生み出すプロジェクトである事を知った。
今でこそブランドや業態が確立し、色々な小物も展開しているが、
その当時のCLOUDYは確か普段着として着れそうな物が男性用のTシャツしか無かった。
巾着や女性用の服は、アフリカの文様の総柄でかなり主張が激しかったと記憶している。
そもそもしがない中学生がTシャツに8000円も出せるはずが無く、しっぽ巻いてHPから逃げた。
ただ、この体験は強烈で、10年近く経った今もCLOUDYという単語は忘れた事がない。
何より中学生の私が、「買い物で応援できる」「買い物は自分の意思を示す投票でもある」という概念を理解するのに十分な出来事であった。
櫻井翔でなければ、Tシャツが私の目に入る事は無かっただろう。
アイドル業から離れて、私服で居るプライベートの時間も、意志を持って自身の身を使って学びを与えてくれる櫻井翔に感心した。
そして、この人に一生着いていけば間違いないと、中学生ながらに確信した。
今でも尚その確信は揺るがず、心の支えや自分の道標として大切な存在で居続けてくれている。
(CLOUDYのプロジェクトを立ち上げた人がご学友だったと知ったのは、もう少し後の話である。)
(これは昨今流行っている意識高い系のツリー系ツイートだが、読み進めてたらCLOUDYの創設者の話でウケた)