が苦手シリーズ「服屋に入る」_220504

服屋に入るのが苦手である。


ショッピングモールのHoneysに親同伴無しで入った時、過呼吸を起こして失神しそうになった事がある。

自分が場違いだと思い込みすぎて。


別に、服に興味が無いことに対して負い目を感じているわけではない。

負い目を感じていたら、あんな都会のキラキラ学校にユニTジーパンでかリュックで向かう習慣なんて絶対つくらない。


私が何となく服を気にした方が良いなと思い始めたきっかけは、金銭的にコンサートに行けるようになり「現場で悪目立ちして他担ファンに『あの人のオタクってダセェの多いよな』と思われたくないから」である。
自分がダサい分には良いが、自担の印象と結び付いたらたまったもんじゃない。
消極的な理由。

最近は、そこに「芸人さんが販売している少々ダサいTシャツを普段着にするには、それ以外の服を程々に小綺麗にしておく必要があるから」が追加された。
グッズを主張させて街に出るという事は、毎日が「現場」という事であり、『ダセェの多いよな』を避けるには綺麗な服(言い方)をいくつか揃えて着回していく必要がある。

消極的なのは変わらないが、意識的な面で成長はしてると自負している。
行動やらセンスやらより先に意識の改革が大切だと思っているから。


服屋で壁にかかった服を見回って、ハンガーを掻き分けたり、あるいは手に取ったりするのが苦痛でしょうがない。

ショッピングモールに行っても、体調が良い日はこのスカート試着してみよ〜!うわぁ似合わねぇコスプレか?おもろ!となる事もあるが、本当にダメな日は連れて行かれても何も頭に入ってこない。

10歩数えてそこの服を掻き分ける。また10歩歩いて目の前の服を引っ張り出してみる。5秒見たら隣と見比べて戻す。
端まで数分で歩いて「見終わった、今服着れてるし買う必要ないや。」である。

国語の時間に「思った事を書いてみましょう」と言われて、先生が巡回して時々覗いてきた小学校時代を思い出す。

嫌で嫌で仕方なくて、先生が来る度に消しゴムで途中まで消したり、腕で隠そうとしてみたりしていた。


「誰かが感想も言わず自分の意見/選択を監視している」という場が怖い。
別に何も思われないし監視してない事は理解しているものの、「へぇ、お前それ選ぶんだ…」という圧を勝手に感じてしまう。
視界に入った時点で何らかの意見感想を相手は抱いているはずなのに、それがこっちに伝わってこないのが怖い。


「自分が考え途中の物を人に見られる」というのも嫌だ。
外出時の服は、自宅で私が選んで完成したものだから大丈夫。
選んでいる最中、何か取り組んでいる途中の物を人に見られるのがあまり好きではない。
完成したら見せるし、選び終えたらレジやら試着室やらに自ら行くって。


あと「服分からない人間が服の品定めして何が分かるんだ?」と正気に戻るせいもある。服を選ぶ自体が失礼なのでは?と思い始める。
これは単純に私の自己肯定感不足。


最初は、店に入った瞬間の「いらっしゃいませ〜」すらたまらなく嫌だったけど、最近は平気になってきた。
これを「慣れ」ではなく「成長」と捉えることが自己肯定感に繋がって行くのだと思う。



服屋って「いらっしゃいませ、どうぞご覧下さ〜い!」と繰り返すけど、そもそも見に来てんだから「ご覧下さい」って言う必要なくない?

「店内どうぞご自由にご覧下さ〜い!」って言う時もあるけど、その昔、服屋は店内ご自由に見れなくてその名残とかなのかな。