夕方の蜂

夕立の上がった夕方のことである。
雨滴に翅が潰され、もう飛べなくなった庭先の蜂を、後生だと思って踏みにじった。
もう十分だと思って靴を上げると、蜂はきっと絶命こそしていたものの、ぴくぴくと脚が引きつり、彼は生物とも無生物ともつかない姿を、夕暮れの空のもとにさらしていた。夕暮れの空にはつい先まで夕立を降らせていた底の暗い雲が、上の方で斜陽のおびただしい光線を浴びて輝いているのが空に上がり、地上から見ればそれが一幅の眺めを成しているかのように思えた。

その夜、布団に横になりながら、あの底の暗い雲を思い出し、自分があの生物とも無生物ともつかないものであったらと、つい目が冴えて暗い天井を凝視して考えてしまった。死後、私の死体は様々な目差しに晒されるはずだ。だがそれを見れない無というのはどんな気持ちなのだろうか。暗い天井があの雲に化けて、それから蜂に化けていった。いよいよ靴裏に化けて、私の目差しに殺到してくるのかと思われたが、天井はいつも通りの高さにある。私には靴裏に迫られる気持ちがわからない。だがあの時は後生だと思って蜂を踏み潰した。私たちだけが自己自身を省みる目差しをもつ。それを死ぬまで持て余して生きるのが人間なのだとも思った。

遠くから犬の遠吠えが聞こえてくる。まるで気が狂ったように鳴いている。その声を聞いていると夢現つに微睡んだ。このまま静かに目差しが眠っていくのだと思った。

朝目覚めると昨日のことはすっかりと忘れたか恥ずかしい記憶となり、冷たい水でびしゃびしゃと顔を洗い真っ先にメールボックスを開くいつもの日々がやってきた。
その日も、ふとしたときにあの蜂のことを思い出すことはあった。だがあの蜂の痙攣は日常の雑事に埋もれていくたびに弱まっていくばかりであった。

今日は久しぶりに仏壇に線香でも上げようと思った。その頃になるとそんな他愛ない信心に応えるだけで、私の気はすむようになっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?