掌編3分の旅『お母さんと刑事さん』

僕ね、お母さんのこと大好きなんだ。お母さんはとっても優しい良いお母さん。いつも僕のことを心配してくれて、僕の障害になるものをいつも先回りして取り上げてくる。お陰で僕は転んだことなんて一度もないんです。優しいお母さんがイケナイって言ったら、僕はどんなことでもすぐイケナイことだと認めるんです。例えば塾のテストで百点取らないのはイケナイこと。ワルいお友達と遊ぶのもイケナイこと。学校から帰る時に寄り道するのはイケナイこと。お母さんの気に入らないお絵かきをするのはイケナイこと。お母さんが好きじゃないアニメを見るのはイケナイこと。この世の中にあるイケナイことは全部お母さんが教えてくれる。僕はお母さんの手の中に包み込まれてさえいれば安心して生きていける。お母さんのおかげでイケナイことをせずに生きていける。僕ってなんて幸せなんだろう。

そんなある日刑事のような格好をした銃を持った男が、家に突然やって来ました。

その男はお母さんに向かって銃を発砲します。お母さんはそんなものにはびくともせずに長い爪と牙のを伸ばして刑事さんを餌食にしようとしましたが、刑事さんは僕を抱えたまま、なんとかお母さんの爪と牙から逃げおおせました。

お母さんを振り切った外の世界で、刑事さんは僕に言いました。

「君は今まであの怪物、いやお母さんに洗脳されていたけど、今僕が君をあの世界から救い出した。これから君は、外の世界の自由を享受して生きていくことができる。僕がこの外の世界の自由を教えてあげよう。」

その日から、僕は刑事さんと一緒に暮らすことになりました。

警察署内の事務員のお姉さんが刑事さんに言います。

「すいません、刑事さん。〇〇丁目の〇〇さんから、隣の家の騒ぎがうるさいからなんとかしてくれと通報が入りました。」

「はあ?そんなの刑事の仕事じゃねえよ!近所のコーバンにでも出向いてもらえよ!」

「いや、でも人出不足らしいのでと署長が。」

お姉さんは刑事さんの方へは目を向けずパタパタとパソコンを打ち続けました。

「ちょっと来てくれ刑事!ちょっとまたパソコンの使い方がわかんなくなっちまった!」
「おい!刑事!新人にもっとちゃんと指導してくれよ!こんな枠通りじゃない調書じゃお上には文書として送れねえよ!」
「おい!新人!何度言ったら分かるんだ!調書ってのは決められた枠通りに書くんだよ!」
「あ、いやでもそれでは被害者の証言をありのままにかけてはいないので・・・・」
「関係ねえよ!そんなこと!俺たち警察は統制の行き届いた組織でなきゃいけねえんだよ!じゃなけりゃ市民の平和なんて守れねえだろ!だから文書もちゃんと統制をきかせて、たとえ事実に反しても決められた枠通りに書かなきゃいけないんだよ!」

刑事さんは署内で叫び声を上げています。一体いつになったら自由を教えてくれるんでしょうか?

「えーとこの前の書類はどこ言ったっけ・・・・」

刑事さんはさっきから机の前のパソコンと向かい合ったままです。僕に目をくれる暇もありません。なんだ。自由を教えてくれるって聞いたから楽しみにしてたけど、自由なんて誰も教えてくれないんじゃないか。長い牙と鋭い歯が向こうから伸びて来ました。

あ、お母さんが迎えに来てくれた。

そうです。僕は自由なんかよりもお母さんが大好きなんです。たとえこのままならお母さんの腕の暖かい腕の中で絞め殺されるだけだとしても、誰も彼も本当のことを知ったふりをして生きている外の世界で砂漠の中の煮干のような人生を送るぐらいなら、そっちの方がずっとマシなんです。

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