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フラれた理由

剣、斧、鎖鎌。

 子供たちは、新聞紙から今日も思い思いの武器を生み出して遊んでいる。
 彼らが思い思いに回答する、「ぼくのかんがえたさいきょうのぶき」への正答として、人類が第三次世界大戦とも呼ばれる「8年戦争」という設問の末に生んだ兵器は、核でもなければ分散するステルス巡航ミサイルでもなく、ウィルスとも化学分子ともつかない得体の知れないものだった。
 二酸化炭素でも放射能でもないそれ、今は「レジオン」と呼ばれるそれが大気を満たしている。
 吸気から肺を通して人体に潜伏するそれが、病原体として作用するのに必要なもの。言葉。
 レジオンは言葉が交わされる内にしか存在することができない。
 普段は体内に宿り、人間が聞き取れる周波数の音を介してしか外に出れない貧弱なそれ。
 外に放たれたレジオンが聞き手の内耳神経を通して脳内に入り込み、「ホルモンの異常作用の帰結としての自死」を引き起こすためには、聞き手が受け取れる語彙と文法の範疇になければならず、彼らが多少の犠牲者とともに僕らの文明から奪えたものといえば、僕らが発する生の言葉だけだった。実際、沈黙は金なりの金言通り、言葉を奪われて困ることはあまりなかった。口語は手話。文学、音楽、絵画、彫刻、映画、芸術。そしてそれに関する批評たちも各々の工夫を介して生き残り、今もなお変わらず現存している。防音室で語られたスタンドアップコメディや落語、歌。スカイプを通して行われる政論番組やバラエティ。それらをネットを介して犠牲者なく受け取る僕たちーーーーーーーーー

僕はスタンドアップコメディアンを目指している。高校生だ。僕はいつかきっとネタにできると思って一風変わった女の子に告白した。その子は手話を使わなければ、もちろん言葉も使わない。彼女はネットに漂うクラウド内の手話辞典にも載ってない、ごく端的な仕草や鳴き声ともつかない音声を使ってコミュニケーションをする。僕が調べたところ、それはありとあらゆる単語との類比の中で様々な意味を持つ言葉と違って、指し示したい事態や事実と一対一の対応しか持たない記号と呼ばれるものらしい。だがなぜ彼女はこんなものしか使わなくなったのか。僕がいつかネタに書き上げたいと思っているのはその謎だった。彼女に告白して、案の定フラれた僕は、今はその謎ばかり考えている。彼女の好きな絵画はなんだったか。彼女の好む音楽はなんだったか。それから推測できることはないか?そして彼女が最も忌み嫌うもの、僕と言葉はなぜ彼女にこんなにもウザがられているのか。その謎を解くために僕はプラネタリウムを見ることにした。以前は星々の物語を円い天井に映し出していたらしいが、今はVRを通して8年戦争前の歴史を映し出すことが一般的になったプラネタリウム。最近とても質のいいソフトが、無料配信されたらしい。

レジオンを生み出した研究者。僕たちから自由な会話を奪った彼女。その女性は今でも人類共通の悪魔として忌み嫌われている。彼女がレジオンというアイディアを承ったのは、ラファエロという画家が描いた『アテナイの学堂』と呼ばれる絵画の前でのことらしい。話によれば、彼女は地球が完全な球でないことに苛立っていたそうだ。彼女の考えによれば、世界からいびつさを取り除けば、そこにあるのは完全なる球で、だがその完全性は、僕たちが理解する空想の中、あるいは数式という表記の中にしか存在しない。彼女に言わせれば、人間の認識によって、世界にいびつさが勝手に空想され、自然と不自然と二分法が生まれる。そして芸術とは、もともいびつではなかった一つの球を直感しながらも、技法や媒体を通して、それが二つに割れていることをわざわざ描き出そうとする、彼女にとっては理解不能な嫌悪すべき行いにすぎなかった。

 球を二つに割る契機は彼女の考えによると鏡。鏡は自己という単子にすぎないものにシュミレートされた自己をアップデートする。しかもそのシュミレートは他ならぬ自己自身によって行われ、そのシュミレートはナルシズムのために存在するというよりも、他人を見て、情報を受信するためのメディアとしてあった。他者とのコミュニケーションの手段としての言葉には、常に背後にあるものとして文脈が存在しなければならないし、その文脈を予感するにはどうしても文脈を収束する自己像が存在しなければならない。あいつと俺はこういう関係だから、きっとこの言葉はこういう意味だ、そういう情報を受け取るための自己像としてのシュミレート。


そして言葉には常に背後に何かあるという完全性がつきまとう。その完全性を見極めて、個を離れてそれと同一化しようという弁証法。彼女が忌み嫌ったのはその弁証法だ。まず世界には完璧な姿がある。だが完璧とは程遠い個である自分がいる。その個が世界の完璧さを内面化し、同一化することにより、完璧な存在になれる。あるいは完璧な存在に近づける。それは彼女の大切な球を割ったと勘違いした認識による二分法が生み出した考えに他ならない。本当はきっと、認識の前に完璧な球があり、後から勝手にきた二分法が勝手にそれを割ったと空想しただけなのに、その二分法が、勝手な罪障感と幼稚園児じみた性欲を振り回して、二つに割れた球が完璧な元の形に戻るためにはきっと自分たちの存在が必要なのだと考え始める。なぜならば自分たちがいなければ球が割れなかったのだからという勘違いも甚だしい空想を起動させる。それは女は男によって完全な存在になれるという童貞じみた考え方と変わらない。そして、そんな想像が生き残れる余地を常に与えているのが常に背後に完全性を想定する言葉なのだーーーーーーーーーーーーーーー

なるほど、だから彼女は背後に何もない記号しか使わず、そして喋ることによって背後にある完全性を扱いこなそうとする、完全性同一化願望のある僕をあんなにも嫌悪したのか。フラれた理由がよくわかった。これでまた一つネタがかけそうな気がする。まあ、というわけで、彼女に嫌悪されようと、僕は喋り倒して世界を二つに割り続けるよ。僕が喋る前に完璧な球が存在したのなら、僕はそれを二つに割ったつもりで生きよう。完璧な球など僕たちの認識には存在しない。僕には世界がどうなっているか、本当のところはわからない。その答えには、きっと近づけもしないのだろう。だけど僕は間違いなく世界の上に立っている。そして僕がどんなに喋って世界を二つに割っていこうと、世界の存在は揺らがない。僕はこの世界というOSの底力を信じながら、僕がプログラムできるアプリケーションの上で生きて行くんだ。それが僕が君と出会ってから後付けした、スタンドアップコメディを目指す理由の一つ。

いつかきっと、君からも大爆笑をとってやるよ。

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