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ある朝

ある朝、いつもより早く目覚めた時、目に見えるものが近く鮮明に感じられる気がして、まるで今なら小説家になれるかのような錯覚を覚えた。

私室から出てすぐの階段を降りていくと、玄関がある。玄関上辺の硝子窓には雀蜂が入りこんでいる。長細いガラス窓の上で翅を振動させるおあつらえむきの姿が、階段を降りていく小説家気取りの眼差しに近く鮮明に写り込んだ。

「お母さん、蜂が入り込んでいるよ」と居間の敷居で声を張ると、台所にいる母が殺虫剤を持ち出してやってきた。母の後についていく最中、幾重の脚をかさかさと動かしながら中毒によって麻痺して死んでいく蜂を想像する悪趣味を考え出し、ぞっとした気持ちを覚えた。その興奮に取り憑かれると、母と一緒にいられなくなり、蜂を退治しにいく果敢な彼女から離れ、勝手口から一人サンダルで外に繰り出した。外から上辺の蜂を見ると、もぞもぞと脚を動かしていて、翅は幾重にも振動している。この生き物がこれから死ぬんだ。そう思うとまたそれが死んでいく姿を想像した。「死は生よりも生々しい」という、脳裏に浮かんだありきたりな箴言にすら興奮を覚えた。

家に帰ると蜂はもう死に、三和土から箒で吐き出されていた後だった。それを追った母が玄関口で蜂を踏みにじる後ろ姿だけを見れただけだった。それからまた勝手口から外に出て、母が踏み潰した蜂の死骸を形の上だけで探した。

それでも小説家気取りはやめられない。ついには記憶をまさぐり出し、小学校の夏、丁度自転車で遊び場に向かう路端に猫の死骸があったのを思い出して慰めにすることを考え出した。

悪臭を放ち、日に日に唯の皮肉に近づいていく猫の亡骸。最後は知らぬ間に路から取り除かれていたあの匂い。あの時、僕たちはあの猫の臭い匂いを嫌ってわざわざ路を避けて通った。クセえ、クセえと言いながら、誰も猫の死骸には近づこうとはしなかった。だがその朝の妄想の中で初めて気づいたことだったが、僕がそうしていたように、きっと皆一人でいる時、あの猫の皮肉に近づいていって、炎暑に公開された死を自転車のサドルを跨いだまま上から覗き込んでいたのだ、と。

僕は猫の死骸を上辺から眺めたときの落胆を思い出した。なんだ、こんなものかと真昼の肝試しにつまらなさを感じただけだった。

中学にあがると身体が発達していきいずれ性欲に皆が目覚めた。普段皆で女子を交えて会話する裏では、きっと皆一人で女子を妄想するようになっていた。妄想の中の匂いは、あの猫の死骸の悪臭に似ていた。その匂いは路から取り除かれた今も、皆に妄想され皆の眼差しを集めている。

紙に包まれた精子はいずれ死ぬ。ごみ捨てに投げ込むとき、自分かそうなっていた可能性を稀に思い出すだけで、くさいごみ捨ての中、彼らの震えはいずれ弱って止まっていく。僕がどうやって死んでいくかを、今の僕には知るよしもない。だがそれを空想するたびに、彼らの震えを空想して脅威を感じる。生きている僕よりも生々しく可能性に満ち溢れ溌剌としているような気がする彼らの震え。

死は生よりも生々しいのだ。

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