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無題:夜風は何を連れてゆく

 noteのタイトルを入れると、PCで入力している場合今開いているタグにタイトルが即時反映されていくのだなと、タイトルを打ち込みながらぼんやりと眺めていた。投稿が完了されるまで世に出ることは無いけれど、息を吹きこんでいるのは今この瞬間なんだなと、なんとなく思った。

 夜風が気持ちいい。台風がすぎた余波だろうか。休みに入りエアコンをつけっぱにしている罪人にとっては、窓を開けてこんなに涼しいのは久方ぶりだ。昔は扇風機一本でバトってしたし、今より暑さ耐性が高かったと思われるが、今の夏が暑すぎんのがわりぃわ。
 南側の窓はやや網戸の穴が広がっており、大体ここから虫さんが侵入してしまう。そのため大体開けていないのだけど、どういうわけかここから入る風が一番通りが良い。なので、その窓に隣する机に向かい夜風をあびているわけだ。中学の頃、体育祭での係の名札がたなびいている。ココアシガレットを咥えながら、今日(8月15日)アップされた情緒ちゃんの「少女レイ」coverを聴き、入力を始めた。執筆と言ってしまうと、やや申し訳なくなる。

 聴き続けているとなんだか情緒がおかしくなると判断し、別の曲に切り替える。

 約1年前、どうでもいい情報を教えるタグで話したことあるんだけど、棒状のキャンディとかを咥えながら行動することが割と好きだったりする。原風景は葉っぱを咥えるキモリ(ポケモン)だったりするんだろうか。ホウエン地方の御三家はみんなかっこよくて1番好きかもしれない。あとは長い串を咥えたままにするのも好きだ。別にかっこつけたいのが主題ではないんだけどね。
 コロナが始まるまではよくチュッパチャプスを咥えていたし、部活前に咥えながら来ては周りから暖かく(?)笑われていた気がする。そんなことあったか?とは思うが、まぁ多分あったろう。そんなわけで、タバコを吸うみたいにシガレットを咥えることが多々ある。市販のを食べ比べて、やっぱりオリオンのココアシガレットが1番かな。コーラとかソーダも悪くはないのだけど。あと、咥えているだけだから物持ちが良い。
 私はタバコを嗜まないけど、吸いたい気分というのは分かる。いや、多分ずれた認識だとは思うが。。いつか夜の屋上で夜景を眺めながら、喫煙者を装ってココアシガレットを1本やりたいものだ。一応駄菓子と認識しているのだが、将来的に製造ラインとかは大丈夫なのだろうか、少し心配。


 …、なんか、最初に書きたかったこと盛り込んでいないと思って書いてたら前置きが長くなってしまったな。
 12か月、いや1年と謎に続いているnoteの更新を途絶えさせぬため、今年の8月分をここで消化していこう。



 …。話したことあるのか分からないんだけど、この『無題』シリーズ、無題な割にタイトルがついてたりするのよねぇ。人って自己矛盾を抱えながら生きているでしょう?そんなもんでしょ。

 この無題シリーズ、いわば自身の[古札納所]と位置付けているんだけど。(古札を寺社に持っていって燃やしてもらうやつね。まぁ、自分の手元にあるお守りとかそういうの燃やしてもらったことなくて、ずっとある。)
 大体心が終わっている時の勢いとエネルギーでもって書かれていて、一時嫌になって下書きに戻したり、時間が経って、自身の手で生み出したものだからせめて生みの親は受け入れなければと公開/後悔し直したりするわけ。界わいとは関係ないので、例の「タイトルが浮かびません。」以外は対外的にツイートしたことはないです。
 ちなみに分類としては、長期休暇中に何も行動せずただうめいているのが3件。今の私にとってのウェイトをあまりにも占めてしまっている直近の旅のくさい感想(旅の中身の話というより、結。)が1件。亡き店に捧げるは1件。あれから何も変われず腐り落ちた所信表明が1件。ゴミ。以上です。

 このうち割と冷静に書いていたのは、たぶん「タイトルが浮かびません。」位だと思うので、今回はそれに引き続いて冷静に書かれている文になります。今まではお風呂の合間に思いついたワン・ツーフレーズを転じさせてこのシリーズを書いていたんですけど、今は仮に思いついてもそれを昇華させようとしないし、執筆欲も段々薄れてきました。なので、今回は内容が蛇行しまくり、何を書いてどう終わらせるかみたいな構想がないです。あれ、これいつもと同じ話だな!
 つーわけで、なんとなく今思っていることとか、浮かびません以降の自分という罪人の足取りを少し振り返ろうかな。


 現在、8月初週の実習期間を終えて、つかの間の夏休み期間を惰性で塗りつぶす行為をしています。14時~15時に起床して、7時くらいに寝る。寝るのは毎回ずるずると遅くなっていく傾向にあって、最近はポケモンスリープでカビゴンにあげられる朝ごはんが午前6時からなので、それもあり就寝時間が遅くなっています。いつ寝てんの?みたいな話もありますけど、長らく動いていない時があれば死んだか寝てるかくらいのX廃(エックスハイ)なので、観察すればよくわかります。皆さんはしませんか?人間観察。8月下旬には強襲所が控える中、迫りくる期日すらも確認せずろくに勉強もしないでいます。目の前で実際に自身のための大金を支払われると、本当に気分が良くないですよね。その分が自身にのしかかっているようで。逆に動けません。
 人の車に乗っていると、余計にそんな動作が自身にも可能なのだろうかと、乗って座っているだけでも気分が悪くなります。

 まぁ、今夏がこれだけなら良かったのですが、残念ながら私は気づけばDie学死年生。どこから嗅ぎつけてくるのか分かりませんが、それっぽい人たちからのいいねを貰うのが癪なので伏字で表記しますけど、終活と卒Ronが私を待っています。特に年下の子には醜態をさらしたくないのですが、まったくもってそれらの進捗が進んでいません。ただ進んでいないんならまぁ、頑張れ!で済む話なんですが、全然の手付かずなんですよね、参った、参った(笑)。

 イメージしてたプランなら、さっさと内偵を頂戴し論文に集中するんだったんですけど、なんか共倒れしちゃったんですよね。そもそも昨年の強制スーツ着用のそういった対策ガイダンスを軒並みサボりましたし(座学は出た)、世の人々がイメージするようなDie学生の終活みたいな立ち回りは自分に出来るはずがないと色々な様子を見て感じていました。ただ、そういうわけにもいかないので、昨年の今頃辺りの割と早い段階でそういう相談所に伺いを立てに行ったのですが、アドバイスを家に持ち帰って以降、霧散しました。
 その具合のまま冬・春休みを迎え、あ~終活正式解禁か~となり、そのままの体でここまで来てしまいました。自分が何をしたいのか、みたいなことは先の昨年の相談時になんとなくな状態で持っていたのですが、今はそれも揺らいでいますし、そもそも探りも入れていない。見識を広げもしないし、何もかもだめです。私がダメライフだったのでは?周りの状況もよく分からないので(大抵こんな私よりも様々な面で優秀でしょうから、皆大丈夫でしょうね。)、焦りというより諦観が強いです。(諦める方ね?)こんなメンタルで胸を張り自分を売り込める気がしませんし、自身を必要とする場所なんてあるのだろうか、肉体労働の現場くらいしかないのではないかと、特に能力を得るため努力をしなかった人間のような何かがなんか言っています。これからどうするんですかね?

 さて、一方のRon君ですけど、これはね~、テーマも決まり、やることもやらなきゃいけないことも決まってるのに全然やる気が出ないんだぁ!自身がやりたいと設定したもののはずなのにね、おかしいよね?嫌ならテーマ変えてもいいんだよ?無理にそれをやる必要はないんだよ、と言われてしまった始末だよ。当たり前。
 こちらの場合、昨年から所属しているゼミで順調に(でもなかったか?)課された課題をこなし、段々と浮かんでいたテーマを徐々に固めていったんだけど、問題を起こしたのは今年の春休みね。もちろん、長期休暇中は課題が課されるんですけど、この場合自身が進めてる論文の進捗を上げなきゃなんですね。なんか気づいたら文の口調変わってんな。
 でもね~、な~~~~んもしなかったんだ~~^^^^。色々とやることがあったし、特に自分の場合外に出て調査…というかFWする必要があって、その関係上1番冬にやるのが適していたし、先生にも指摘されていて自分でも分かってたんだけど、全部ぽしゃりました!!!ポシャリスエット!!!  
 
 そんなわけで、その課題が白紙の中果たして先生と顔合わせが出来るでしょうか?1度その機会から逃げた後、前期1回目ではフォロワーから背中を押されて何とか出席を果たしました。
 正直、課題の締切日をがっつり過ぎたり、期日に遅れることもほぼなかった自分の中では、課題を提出しないままなぞとても考えられない行為でした。その場しのぎをした後、2週、3週…と続いていく内に、出席するよりもサボって欠席していくことが増えていきました。
 遂にはこれだけは出席しないといけない、と踏ん張っていた講義も、1限の時間指定による朝起きた時の絶望感、柔らかに体を包みこみ蝕んでくる逃げの囁き、ゼミのメンバー大多数が受講している等相まって、単位を落とすスレスレの欠席を重ねました。
 そういうわけで、許される欠席回数までは逃げ込んでやろうと始まった逃避行は、許される上限となれば流石に危機管理能力の一環で正常化していくだろうという甘い考えの中、始まっていきました。ちなみに3年次で必修単位以外は全部取ったけど、今期では時間帯の様子を見たうえで興味を持って取った講義のモチベも全部死んだので(1回しか出てない、マジでごめんなさい。何で4年次生のための講義なんだよこれ)、私が逃避行動をしたのは週2回です。実家住みのDie学生は講義をサボった場合、日程ごとに帰る時間帯を大体把握されているので外で時間を潰さないといけません。そんなわけで、梅雨入りと灼熱地獄の夏に入るまで、外に出て活動するという意味での逃避行動は6月辺りまで行われました。他人事みたい。
 この後、逃避行動の中身を説明していくんですけど、そっちに集中させたいので先にこの行動の結果を述べます。結局のところ単位落とされない欠席回数の上限を優に超え、何度か面談をくらいその場しのぎで対応、提案された解決方法等にも手を付けず、前期の進捗報告も提出せずに今期が”終わった”って感じでした。終わってるな。
 一応後期と連動する単位なので後期に持ち越しですが、このままだと後期も色々と終わってしまいますね。そもそも卒業の雲行きすら怪しく、こんなにサボっていることを公言もせずに、終活の問題も抱えてやや平然とインターネットに浸り怠惰に日々を送りヒビが入った薄氷の上に立つ自分のヤバさ具合が滅茶苦茶分かったでしょう?
 上には、じゃなくて、下にも下はいます。皆さんは本当によく頑張っていると思います。だから下の私をあざ笑い、唾を吐き、ゴミを見るかのような目で見下し、どうにかその場で踏ん張ってくださいね。

 あ、今PLAYERの白昼夢が流れてる。あの時会場にいた自分では考えられない現状だな。泣いてる。二重の意味でね。自分は(急な自己開示、術式の開示による能力の底上げか?)、死にたいと思うことはこれまで以上に増えてきたけど、残念ながら死ぬ覚悟は無く、死は怖いし、そこまで自分を追い込むような覚悟がなく、その覚悟が芽生えるには阻むものがあまりにも多い。
 『生きたい未来は”此処”に在って/歯車』にあるけど、本当にそのままの意味。付き合いが悪い自分を気遣ってくれる友は数える限り。死んでからじゃあいくらかつての友が反応してくれたって俺にはちっとも見えやしないでしょう?リア垢のInstagramのストーリーも、いつにも増して冷めた目つきでみるようになってしまった、自己嫌悪。
 それなのに、時に文章でしか表されないような人々の繋がりが愛おしくて仕方がない。インターネットを忌避する存在に口説く労力なぞないが、自分のことを、相手のことを本質的に知ることなどないまま、ただお互いが繋がれる空間。もちろん、私が一方的なlikeに限るし、何度も醜悪な場面を見てきたインターネット空間だけど、相手が私のことを信じてくれて成り立っているの、この繋がりはさ。
 推しの行く末を見届け、ついていくために。現場で会い別れる度に、言葉に詰まり土壇場で、どこかのライブ終わりのMCと同じような文言、「また生きて会いましょう」という呪詛を回ごとに振りまき自身の首を絞めつけながらも、再び会いたい人たちがいる。握手を交わし別れた人もいる。

 ああああああああ!行きたい場所もいっぱいある、街歩きが趣味になりつつあるのにそれを理由にして外に出ないいい加減さ、苦しいなぁ!収入を得ていないから何もできないし、しないし、したいしたいばかりでそのための路を経由しようとしない。生きたい理由も死にたい理由もここにあるが、どちらにしてもそれを成し得るためのものが足りないぶち壊れた生死の天秤て感じでマジ面白いな。何もかもが足りなさすぎる。足りないなら補うべきだと汗水たらして努力しようともしない。いいかい、学生さん。かつ丼をね…ではなく、こんな奴にはならないで。でも、良い意味でインターネットって無干渉だし、というか何か出来ることもないので当たり前なんですけど、こうやって宣ってもまったく意味のない行為なんですよね。超常的な何かに助けられたいとずっと思っている。自分が全ての命運を握っているのにね。あぁ、全部ポシャりたいなぁ。情けないなぁ。


 ライブの白昼夢を聴いたことで半ば発作的に筆が進んでしまったな。あの空間っていつか俺らの魂が還る場所だと思っているんだけど、皆もどう?

 なんかこのままnote終わっても良かったんだけど、逃避行のこと書いてなかったしそこだけ触れて。最初は楽しかったのですが、足取りと心は段々と重くなっていって、やがてはその行動自体も記憶から抜け落ちていく気がしたので、思い立って逃避行終盤にメモしていました。
 まず前提として、逃避行は平日の週2で行われました。月曜は朝から19時過ぎに帰路につく算段。金曜は昼前から18時に帰路につく立ち回りでした。

 逃避行前半の内容は大体noteの内容と紐づけられています。

↓今回のnoteの内容はコイツから時間を経過させた感じになってますが、こっちの方が楽しそうな雰囲気で書いていたのでお勧めです。あれから状況が悪化しただけですけどね。この頃はまだ楽しかった。

↓このマガジンにある『ヰ国情緒にNomad Life』シリーズは、いずれも逃避行中の足取りです。人に喜んでもらったのに、まさかサボっている中での行為なんて嫌になりますね。ガッデム。

 
 GW、Vの宴を経てからはしばらくサボっていました。
 
 5月22日、なんとなく海を見たいと思っておもむろに電車に向かい、丁度良い距離のところで下車し、初めて見る高輪ゲートウェイ、品川を歩いて経由し、天王洲アイル。ここら辺の時にお話会の情報を見て震えていた記憶があります。その後、レインボーブリッジを歩くことが出来るのを知って、歩いて橋を渡ってみました。というか、品川埠頭あたりはこれ一般人が歩いてええんか…?って感じの工場地帯でウケましたね。
 レインボーブリッジを歩きながらふと、『未来になれなかったあの夜に』を歌いたくなってしまったりして、下書きツイートに今も残っていたりします。その後、まさか東京で砂浜とな…とお台場に立ち寄り(時間があったら台場公園の方に行きたかったです。)、砂浜で生き物を探す子供たちなど、彼らの日常に目で触れます。

視点は違うけど後に春ちゃんの聖地になりましたね。
夜に行きてえ。


 そんで、私はゆりかもめが好きなので(初めて豊洲PITに行って乗った時えらく感動したのだ。なお、それ以降はたったの1駅なので使用していない。)、そこから新豊洲まで電車に乗ります。

この時初めて、ビッグサイトを見ることになりました。
船の博物館も外から見て素敵な建造物でしたねぇ。

降りてからは豊洲PITにご挨拶をして、晴海‐黎明‐勝鬨橋と縦に連なる橋々を初めて渡りました。最終的には銀座・有楽町の空気を吸って、ヒューリックホール東京近くにある、かつてのPLAYER時に参拝したお稲荷さんにご挨拶してきた…という感じです。

複雑な気持ちで拝みました。

 
 なんか丁寧に書いたら長くなってしまったのでダイジェスト版でお送りです。西日暮里新幹線キャッキャッ谷中銀座ウロウロ喫茶店クリームソーダしゅわしゅわトコトコ人生どうでも飯田橋。

この階段、本当に素晴らしい。諏訪台。
そこまでは大きくない商店街でしたが、良いところでした。
なんのリサーチもなくとりあえず近くで評価の高い喫茶店に入ったら、なんかすごい有名なとこだった初の例。
この時はまぁこういうことにだったら…と、残金を崩して少し贅沢をしていました。美味しかった。


 この後はなんとなくまだ見つかっていない渋谷の聖地をぼんやり探すというまったく当てのない理由で2回ほどやーしぶに行きました。
 1度目は新宿・渋谷方面へ歩いて向かいました。正直大都市圏のあれこれで電車代が浮くのは少量ですが、駅名で見るよりも土地が地続きであることを歩いて実感させられますね。この時、見つけて頂いた言霊MVの聖地の場所確認をしています。
 2度目は渋谷駅から降りて俗に言う「オクシブ」に足を踏み入れます。その後、代々木上原から幡ヶ谷に出て東に横断し、新宿へ出るという感じ。都庁周りも昔十二社熊野神社とかに行ったぶりで、あと行く方向も違かったので新鮮でした。でも、あの都庁の橋?の下あたりでホームレスがいるの、都庁がある空間との対比でかなりグロテスクな構造になっているな、と感じました。
 一方のオクシブ辺りはその落ち着き具合と、表参道・青山とか宮下公園あたりのオシャレ・活気さ、どっちも好きですね~今振り返ってみると。
 あと、大都会だと自分のことをわざわざちゃんと見たりして気にする人はいないと思ってるので、いつもより大胆に胸を張って気持ち的にズコズコと歩くのが楽しいです。

紫陽花綺麗だった。
タワレコの前を初めて通ったのもこの辺りの時でしたね。


 他にもぽろぽろ虫食いで行ってはいますが、最終的に時間をかけて行ったのは荻窪あたりですかね。あの日は逃避行も大分重ねてきた時だったし、約4万歩も歩いたしで、心身ともに大変疲れました。自分は変に吹っ切れないので、常に罪の意識を抱えたまま足を動かしていました。(なんか写真撮っとけば良かったかな、この日は特に撮ろうと思ったものがなかった、のかも。)


 はい、そういう感じでした。オチがないな…。
 正直、なんか写真貼ったりしてキャッキャッして楽しそうじゃんとか思うけど、騙されちゃダメです。美化していかないとやっていけないです。いつかこんな日々を笑いながら振り返られるようになれたらいいんですけど、厳しいかも。


 ふはは、というわけでそれじゃあまた。来月はライブレポを死ぬ気でかけるようなモチベと成し得る努力が残っていることを祈ります。

 また、お会いしましょう。

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