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朝の逆転(#毎週ショートショートnote)

なんであの店に入ったのか、覚えていない。
シラフなら絶対に視界にも入らなかった。
黴臭い赤い絨毯張りの、小柄な女が独りでやってる小さなカウンターバー。

他に客はいなかった。
すぐに出ようとする俺を引きとめ、場違いな、だけどとんでもなくうまいカフェオレを作ってくれたんだ。
パッと見、冷たく見えた女は、口を開けば驚くほど気さくでチャーミングだった。

世間に見下され続ける日々や、苦い思い出だけの故郷の話。
自分でも呆れるほど、俺は洗いざらい彼女にぶちまけていた。
聖人君子の仮面を剥ぎ取ると、急に楽になった。

店がはねた後、俺はそのまま彼女の部屋に上がりこんだ。
安アパートの小さな窓から無邪気に輝く汚い街のネオンを眺めながらいつか眠りに落ち、そのまま朝が来た。


「おはよ」

優しい陽射しを映したような黄金のビールが、突然目の前に。

「カフェ…」
「却下。朝の正しい飲み物はこれよ」

苦い泡は、苦い日々だった。
彼女の笑顔も朝のビールも、俺には正しかった。

(412文字)

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