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小さな家族の話

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#エッセイ

また、見送る

 11月の終わり、叔母が亡くなった。  わずか数年の間に、私の大好きだった父の弟が、私の大好きだった父が、私の大好きだった母の弟が亡くなっている。  そして今また、私の大好きだった、母のもう一人の弟の奥さんが、亡くなった。    大好きな人ばかり、どんどんいなくなる。いや亡くなる。  いなくなると亡くなるは違うか。いやもう同じ意味だ。  楽しいことも、悲しいことも、続く時は続くものだ。止められない。 ◆    お通夜の前日から葬儀を終えて帰途につくまで、もう何度も見た光

ミモザの日

3月8日はミモザの日。 ちょっといろいろありすぎて今年も忘れそうでした。 とはいえ、「国際女性デー」とは何の関係もありません。 今日は単なる日記、そしてただの猫の話です。 つい先日の特集「#猫のいる幸せ」でも記事を書いた、うちの猫が、この名前だという話です。 もうあの時さんざん持ち上げたので、彼女についてさらに書くことはそう残っていません。 でも今日はちょっとツイッター以外のところで気を紛らわせたかったので、巷で賑わっている様子の「ミモザの日」にこじつけて、飛びつきまし

光陰ニャの如し

 「ミモザ」と名付けた、今年16才になる雌猫と暮らしている。  ツイッターでは時々彼女の様子をあげていて、フォロワーさんたちにもかなり馴染みの顔になっていると思う。  だらだら書いた自分の駄文(うまいこと韻を踏めたw)より、彼女のぼーっとした顔などただ写した画像の方が好感を持たれているのは、ちょっと悔しい気もするが明らかである。    人間にすれば70代後半というところか。  我が家の歴代の猫たちの中では一番の長寿となった彼女だけど、うちにきた当時はこんなにかわいかったの

大寒だけど羊羹はまだ食べない。

 年末に虎屋の羊羹が届いて、仏前に供えてある。  小ぶりな箱だがずっしりと重く、白地に赤い文字の包装が端正で麗しくて、我が家のさみしいお正月にも彩りを添えてくれ、ありがたかった。小豆のやさしい舌触りと甘味は、亡き父の好物でもあったから。  しかし、まだ包みを開けていない。  正直に言うと、開けられないのだ。  開けてしまうと劣化が始まる。私と母のふたりでは、到底食べきれない一本ものの羊羹は、さながら我が家にとっての甘い生の「のべ棒」で、その確かな味わいの記憶に舌を濡らし