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窒息

(一)

 カーブで体が傾いて一瞬の眠りから目が覚めた。窓の外には、完全に照明の落とされた国立競技場が巨大な神殿のようにそびえていた。わずかな街灯と信号の光だけに照らされた外壁は、日中よりも圧を持って眼前に迫っていた。
 そっと車内の様子をうかがったが、うたた寝していた僕のことを特に誰も気に留めていない。別にびくびくする必要もないと分かっているのだが、出発時に運転手が若い男に「お前、俺が運転してるんだから寝るんじゃねえぞ」と言っていたことを若干気にしていた。軽い調子だったし、若い男は「寝ないっすよ!」と笑いながら返していたから冗談だったのだろうが、それでも三十を過ぎて自分より若いであろう人から注意されるのは嫌だった。そっと右後ろを振り向くと、寝るなと言われていた若い男は腕を組んで下を向いたまま動かなくなっていた。
「寝ていいですからね」
 運転席から、何かを察したような、他人行儀の優しい声が聞こえた。先ほどの軽口は冗談であるとわざわざ強調してくれたようだった。僕は少しだけ安心しながら、それでも目を閉じないように窓の外に意識を向けた。バンは真夜中の街を駆け抜けていく。
半世紀ぶりに建て替えられた国立競技場はデザインの変更やら費用の問題やら何かと物議をかもしたが、地味だとか何だとか言われながら建てられた新しい競技場のデザインを、僕は嫌いではなかった。神宮外苑の雰囲気を決して破壊することなく、新世代らしい機能美も清潔さも持ち合わせていると感じる。実際に観客として足を踏み入れたことはないが。
新宿駅に集合したのが午後十一時のこと。僕も含めた日雇いの派遣アルバイト五人は、今ハンドルを握っているイベント会社社員の男に引き連れられて駅近くの事務所に立ち寄り、資材をトランクに積み込んでからそのままバンに乗り込んだ。その時から、今僕の右後ろに座っている若い男と社員の男は親しげに談笑していた。
「お前がいてくれて助かったわー」
「いやー、逆に声掛けしてもらってありがとうございますって感じですよー」
このバイトは「イベントスタッフ」として募集されていた。いくつかの職種があり、深夜から朝までかけて設営を担当する仕事、朝以降に警備を担当する仕事はいずれも現地集合だった。しかし少数ながら、新宿駅に集合して資材積み込みから手伝い、そのまま設営も担当する仕事もあったのだ。僕はたまたまバイト募集サイトで職種を見かけて先着で応募しただけだが、常連は社員から直接声をかけられることもある。今回声をかけられた彼は、暗にバイトリーダーのような役割を期待されているのだ。
派遣バイトに登録する人間はどこか共通した空気をまとっている。それは例えば日中のイベントで人目に付きやすいところに配置される若い女でもそうだし、逆に裏方で力仕事ばかりに回される筋骨隆々の男でもそうだし、夏休みだけ短期で登録する大学生でもそうだし、今僕の右後ろに座っている若い男のようにコミュニケーションに長けている人間でもそうだ。そしてもちろん僕もそうだ。ただ、その空気が何なのかを言葉で説明するのはなかなか難しい。
例えばイベント会場でニコニコと笑顔を振りまいた女は、休憩でバックヤードに入れば大きくため息をつき、先ほどまでの愛想が嘘であると強調するかのように無言でスマートフォンをいじり続ける。それはプロ意識と呼ぶこともできるのかもしれないが、本当のプロ、つまり社員との決定的な違いは、「仕事を好き」だという意識を微塵も持っていないことだ。もちろんわざわざ「仕事が嫌いだ」という空気を滲ませても、それは職場の働きやすさを奪うだけだと分かっているからそんなことはしない。後部座席の男のように社員の覚えめでたいバイトは現場に一人は必要だと分かっているから、その調子のよさを疎むこともうらやむこともない。だが、今まさにバンに乗せられて職場に向かう彼が腕を組んで下を向き、寝たふりをして外からの情報を一切遮断しているように、時々どうしても我に返ってしまうのだ。自分の人生について考えてしまうのだ。「いつまでやればいいのだろう」と。
どんな会社でもいいから正社員になれば、仕事を好きになれるのだろうか。でも、だからといってどこの何の社員になればいいのか。社員の人たちは、好きな仕事だから社員になっているのか、それとも社員だから仕事を好きになっているのか。そもそも仕事を好きなのか。どこかで誰かがいきなり僕のことをスカウトしてくれないだろうか。僕には僕ですら気づいていない類まれなる才能があって、何かのきっかけでいきなりそれを見出してくれる人がいて、その仕事に就かせてもらえないだろうか。誰か僕を見つけてくれないか。そんなことを考えてしまうのだ。
思うに、僕や彼らがまとう空気を無理やり言葉で説明すると、それは「不足」だ。僕や彼らは常に「足りていない」。金が足りない。愛が足りない。時間が足りない。承認が足りない。地位が足りない。知識が足りない。頭脳が足りない。学歴が足りない。人脈が足りない。家族が足りない。夢が足りない。自分が足りない。何かが足りない。食い足りない。満たされない。何かになりたいのに、そのために必要な何かが足りない。腹が立つのに、自分が何に腹が立っているのか分からない。そしてきっとこれだけ言葉を尽くしても、その空気を言い表すのに言葉が足りていない。
深夜に怪しげなバンに乗せられて運ばれる僕たちは、さしずめドナドナに合わせて運ばれる子牛か、あるいは奴隷か囚人か。昔テレビのロードショーで見た映画で、東南アジアのマフィアに捕まった主人公が強制労働所まで連れ去られていくときに乗せられていた車がまさに今乗っているようなバンだった。
今日も今日とてそんなことばかり連綿と考える僕の目に、やがて東京タワーが入ってきた。
東京スカイツリーができてもう十年が過ぎた。すでに東京のシンボルとしての存在感は東京スカイツリーの方が東京タワーより上だ。それでも東京タワーは赤い光を絶やさずに立ち続けている。もっとも今現在は深夜でほとんど消灯されているが。
車は麻布十番のあたりを走っている。東京タワーは目前に迫っているが、僕はむしろこんなに目前に迫るまで東京タワーの存在に気づかなかったことに驚いた。昔からこんなに存在感が希薄だったのだろうか。近くで見ていてもなお、その下半身はほの暗いビル群に隠されている。近くに建設中の超高層ビルは、完成したら東京タワーに並ぶ高さだという。すでに七割以上完成していると思われるそのビルは、東京タワーのように原色で彩られているわけでもなければ特別に異彩を放つほど意匠を凝らしている外見でもない。コンクリートとガラスで覆われた、普通のビルの範疇を出ない建物だ。にもかかわらず、その存在感で東京タワーを圧倒していた。東京タワーは、役割を終えたのだ。
二十一世紀の東京は、鈍色だ。ねずみの色でも灰の色でもなく、鉄が静かに輝きを終え、仄かに黒くくすんだ鈍色。先ほどの新国立競技場もそう。再開発される超高層ビル群もそう。色合いで言えばスカイツリーもそう。かつて東京タワーや新幹線こだま号にあったような原色は、おそらく近隣住民の苦情やら「光害」やらで街からどんどん敬遠され、落ち着きや暮らしやすさを考慮した鈍色が街を覆っていく。
前述のとおり、僕自身がその鈍色を嫌ってはいない。落ち着きや暮らしやすさを望んでいる一人だ。だが、東京という街を俯瞰して見てみたとき、そこから色合いというものが欠落していることに気づく。僕が小学校低学年だったとき、街の絵をここまで鈍い色で描いただろうか。今の子が街の絵を描いたら、灰色のクレヨンばかりが減っていくのではないか。二十世紀の子供たちが想像した未来の街は、もっと色鮮やかだったのではないか。
「見て」
 ふと、記憶の中の小さな彼女が、両手の親指と人差し指で小さな四角形のフレームを作って見せた。
「灰色しかない」
 記憶の中の小さな彼女に、小さな僕が言った。
「これはね、『にびいろ』っていうんだよ」
 丁寧に丁寧に思い出そうとしたけれど、その少女の姿は思い出そうとすればするほど輪郭がぼやけていき、最後には霞のように闇の中に消えた。
 バンは深夜の東京を走っていく。

(二)

 イベント会場のアリーナは住宅街の近くにある。設営スタッフは地上階の通用口に灯ったわずかな電灯の下に集められた。
「羽虫みたいだな」
 ぼんやりと思いながら資材を下ろし、社員の指示に従ってその羽虫の群れの中に加わった。社員の指示に従って五、六人ずつの小グループに振り分けられ、それぞれ担当の社員の指示に従って資材を運んだり、パーテーションを組み立てたり、椅子を並べたりするわけだ。
 新宿駅に向かう山手線の車内で見た天気予報によると、今夜も最低気温は二十五度を下回らないという。熱帯夜だ。真夜中で、アリーナの中は冷房が効いているのに蒸し暑く、少し動けば汗は噴き出る。頭にはタオルを巻いてその上にヘルメットをかぶっているから、常に圧迫感があり暑苦しさを増幅させる。ウオーターサーバーの水はいつでも飲んでいいと言われているが、湿度は高いからそこまで喉が渇くわけではない。だが汗が出る以上、無理にでも飲まないと脱水症状になってしまうから、ウオーターサーバーの周りにはいつも数人の人が集まっている。
「おい、そこのでけえの!」
 現場を仕切る親方の一人が大きな声を出す。バイトスタッフやイベント会社社員とは別に、イベント会社と契約している下請け会社の作業員のことだ。周りのバイトが一斉に振り向く。自分のことかどうか図りかねている。
「お前だよ! ちょっとこっち手伝え!」
 親方ははっきりと僕を見て言った。慌てて早歩きで駆け寄り、指示を仰ぐ。身長一八七センチの僕は、たまにこのように「でけえの」と呼ばれることがあるのだ。実際には僕よりもっと肉がついていて「でけえ」人はいる。だがそういう人は「そこのデブ」と呼ばれるのだ。
 現場の親方連中の、バイトに対する接し方は人それぞれだが、人によっては相手が大学生だろうが中年のベテランだろうが容赦なく罵声を浴びせることもある。例えば僕のことを「でけえの」と呼びつけた親方は、現場に入れば真っ先にそうと分かるタイプの「怒らせてはいけないタイプ」だ。
 親方のもとには六人集まった。なんとなく大柄な男ばかりが集められている時点で力仕事だと察する。
「二人一組でこのパーテーションをあっちに持っていってくれ。あそこの青い服の奴の言う通りに組み立てていく」
 親方の指示は大声だから耳には入ってくるが早口だから時々脳の理解が追いつかないことがある。六人が理解するタイミングは各々ばらけた。
「おい聞こえてんのか!」
「はい!」
 思わず返事をする。はきはきと返事をするのは大事だ。この時点で、親方の指示を理解し、目の前に大量に平積みになっているパーテーションを視認し、「青い服の奴」のところまで運んで組み立てる工程をイメージできていたのは僕を含め三人ほどだったと思う。
「おら早くやれ!」
 親方は別に怒っているわけではない。この言葉遣いが通常運転なのだ。
 まず動いたのは僕と、もう一人中年の男だった。僕より十歳ぐらい年上だろうか。落ち着きはあるが体力的にはまだまだ衰えていない感じがする。おそらくバイトの経験も豊富で、現場にいて最も安心感を抱くタイプだ。
「よろしく」
 中年の男がほどよい距離感で会釈してくれた。僕も会釈を返し、「せーの」でパーテーションを持ち上げて歩き出した。
 後ろをいちいち振り返らなかったが、残る四人も僕らの動きを見習ってのろのろと動き出した。実を言えば、六人組の中で年長である二人が真っ先にペアを組んでしまったのはチーム全体を鑑みれば悪手かもしれないというのはこの時点で思ってはいた。残る四人はいずれもおそらく経験の浅い大学生だ。健康的な見た目から想像される力強さで選抜されたのだろう。僕と中年の男は本来ばらけて、それぞれ大学生とペアを組んで相手に指示しながら動いた方が、経験値は分散されてチーム全体の効率は上がったはずだ。おそらく中年の男もその考えはあったはずだ。だが、僕とペアを組むことを選んだ。この選択も理解できた。僕たちは社員でもないし職人でもない。今日この日が終われば二度と会うことのない人間関係がほとんどだ。だったら、自分だけはミスなく今日この日を終えたいと思うのは当然だ。ペアを組むならミスを犯しそうな大学生とではなく、三十代で多少経験を積んでいそうな僕のような男と組む方が安全だと考えるのはごく自然なことだ。グループ内でほかのメンバーがミスを犯そうが怒られようが、関係ないのだ。
 そして実際、後続の連中がミスを犯した。太った大学生がパーテーションの近くで鉄骨に足を引っかけて転び、白いパーテーションを踏んで足跡をつけてしまったのだ。
「おーい気をつけろー!」
 近くにいた親方が、先ほどまでより一オクターブ高い声で叫んだ。
「すみません……」
 大学生は若干の照れ笑いを浮かべながら立ち上がった。確かに肉付きは良いが、筋肉よりも脂肪の方が多そうだ。あまり日焼けもしていない。
「すみませんじゃねえんだよてめえ!」
 大学生は、先ほどの「気をつけろ」は本当に文字通り自分の身を案じて心配してくれた言葉だと思ったのだろう。だが、本来その時点で大学生はせめて勢いよく立ち上がり「申し訳ありません!」とでも叫ぶべきだったのだ、へらへらと立ち上がった姿が一発で親方の逆鱗に触れた。親方が一気に大学生に詰め寄った。
「遊びじゃねえんだよ! やる気ねえなら帰れてめえこの野郎!」
 親方の怒りは、現場ならではの説得力を持つ。つまり、作業中の事故でアルバイトが誰か怪我でもした場合、その責任は現場監督やイベント会社に降りかかる。だから現場で駆け足は厳禁なのだ。さらに言えば、パーテーションを踏んでしまったことも大きい。備品の破損・汚損もまた同様に責任問題となる。それらの責任は、怒られ慣れてもいないような一介のアルバイトの手には負えないのだ。
 アリーナ中がシンと静まり返る。
 巨大なホールのほとんど対角にいるような別のグループのリーダーが「……ほら、集中してやらないと怪我するからなー」と、白々しく発破をかける声が聞こえた。
「すみません……」
 太った大学生は自らのTシャツの裾でパーテーションを懸命に拭う。
「触んなお前!」
 親方は大学生の胸ぐらにつかみかからんばかりの勢いで詰め寄ったものの、ぎりぎりで体には触らない。触れば不利になることが分かっているということは、実は冷静なのだ。これ見よがしに別の作業員を呼んでパーテーションを確認してもらい、「汚れ自体は拭けば落ちたのでこれぐらいなら大丈夫」という言質を得たようだ。その次は大学生に「お前怪我ないのか? 本当に大丈夫なんだろうな?」としつこく確認している。
災難なのは太った大学生の相方の男だ。自分には全く非がないにも関わらず作業がストップし、どうすればいいのか分からずにTシャツの裾を握ってもじもじしている。
 ちょうど僕と中年の男がパーテーションを一往復運び終えて戻ってきたところで、再び親方が号令をかけた。
「お前ら本当に気をつけてやれよ!」
「はい!」
 今度は、大学生たちも反射的に大きな声で鋭く返事をした。その後の作業は見違えるほどきびきびして進んだ。

(三)

 アリーナを出たのはもう日が高く上ったころだった。がらんどうだったアリーナにいつの間にか巨大なコンサートステージと客席が出来上がっていた。僕たちは、あとは軽い資材を荷車に乗せて屋外の倉庫に運べば解散。六人でそろって外に出た瞬間、サウナのような蒸し暑さに包まれた。アリーナの中がいかに涼しかったのかを今頃になって思い知る。セミの声がジャンジャンと絶え間なく降り注いでいる。
「いやーお疲れ様でしたー」
 結局一晩中ほとんどの時間をペアとして過ごした中年の男が、一仕事終えた爽やかな顔で話しかけてきた。
「お疲れ様でした」
 僕もそのままオウム返しする。派遣バイトの現場でいちいち仲間と仲良くなっても意味はない。せいぜい働きづらい空気にならない程度のコミュニケーションがあれば十分だ。僕が今のこの生活を選んで続けている理由もそこにある。当然、経験豊富そうに見える中年の男も、そこは分かっているはずだ。だからニコニコとした空気はまとったまま、特にそれ以上の会話はしてこない。無事に今日の一仕事を終えて生還したという充足感を味わうためのルーティンが、先程の「お疲れ様でした」だったのだろう。そういう人が一定数いるのも分かる。世のサラリーマンたちが仕事終わりに居酒屋で同僚と乾杯するビールの代わりが、笑顔の「お疲れ様でした」なのだ。
 アリーナの入り口付近には、すでに観客たちが開場待ちの行列を作っていた。今日、僕たちが作ったステージでは人気女性グループのコンサートが行われるが、開演は午後六時だ。だが熱狂的なファンが朝から行列を作ってしまうので、会場警備のスタッフも朝から人員が必要なのだ。このグループはファンサービスが手厚いことでも知られ、正午には開場して物販や小規模イベントが始まる。そうなれば警備要員だけではなくチケットのもぎりや手荷物検査などの人員も必要になる。だからスタッフ募集の職種も、「昼から終演まで」や「夕方から会場片付けまで」など多様に分かれている。エンタメ業界が生む経済効果は、何も音源や物販の売上だけではない。僕らのような人たちの雇用も、ファンの熱気が生んでいるのだ。
「はあ~」
 深夜に親方の怒りを買った太った大学生がこれ見よがしにため息をつく。親方の監視を離れたことに加え、中年の男や僕が雑談をしたことで緊張の糸を切ってもよいと判断したようだ。周りの大学生とは普段の接点はないようで、友達でもないのになれなれしく話しかけてほしそうな空気を醸し出す彼を面倒くさそうに無視していた。
「……本当すみませんでした今日は」
 大学生の年頃で、自分の仕事のミスを上司ではなく同じ立場の同僚たちに謝れるなら十分立派だ。社会では普通といえば普通なのだが。
「……うん。まあ、こんなもんだから大丈夫大丈夫。それより怪我とかしてないよね?」
 雑談できる空気を作ってしまった責任を取ってか、中年の男がフォローする。
「はい大丈夫です。すみませんありがとうございます」
 太った大学生は、フォローしてくれたことに感謝して人懐っこそうな笑顔を見せる。元来純朴な性格なのだろう。ここで会話を終えていればまだよかったのに、またしてもこれ見よがしな仕草でアリーナの入り口付近に目をやる。
「……いいですねえ。観客。楽しそうで。もう並んでる。その陰で僕たちが地獄の苦しみを味わっていたなんて知りもしないで」
 自分が生活の基盤にしている場所が「地獄」だと指摘され、僕は無反応のまま、気持ちワンテンポだけ歩みを速めた。同じ空間にいたくなくて、誰にともなく無関係の別人だと主張したかった。さりげなく横を見ると、深夜に彼とペアを組んだばっかりにとばっちりを食っていた大学生も若干忌々しげな空気をにじませていた。
「……皆さんは、もうこの生活長いんですか?」
 派遣バイトの現場では、特別仲良くもない限り相手のパーソナルな部分に踏み込まないというのは、経験にかかわらず誰でも分かる簡単なことだと思っていたのだが、彼には分からなかったようだ。
「……」
 先ほどは相手をしてあげた中年の男も、今度は答えない。だが、太った大学生の質問が、僕と中年の男に対する問いであったことは明らかだった。名乗った覚えもないのに、バイト暮らしのフリーターであるということが彼の中で前提になっているのだ。
「……長いんですか?」
 中年の男が僕に振る。裏切られた。「さっきは相手をしてあげたんだから今度は君の番だよ」とでも言うような意地悪な目つきで僕を見た。
「……」
 どうせもう間もなく解散して二度と会わないのだから無視したって大して後腐れはない。あるいはいっそのこと「こういう場所でそういうことをうかつに人に聞かない方がいいよ」とでも説教した方がいいのか。しかしその場合、中年の男のことも暗に「訳アリ」だと勝手に決めつけることになり、それはそれで失礼だ。
「……前の会社も含めると……もう十年以上……」
 あえてひた隠すほどのことでもないと思いなおし、観念して端的に答えることにした。
「はあ~。長いんですね~」
 太った大学生がなれなれしく食いついてくる。長いのは確かだ。実のところ、現場に来ればイベント会社社員や親方連中で見知った顔も何人かいた。僕が覚えているということは相手も覚えていておかしくないが、僕の方から近寄らないので社員や親方連中が僕と親しくしようと話しかけたり、僕をリーダー役に任命したりするようなことはめったにないのだ。
「……足りないから……」
 結局いたたまれなくなって自分から続けた。
「……え、お金が?」
「……」
太った大学生はようやく「これ以上深く聞いてはいけないのだ」と気づいたようで、勝手にハッとして勝手に黙った。
「……」
 六人、無言で歩いた。午前十時前だが、セミの声が降り注ぐアスファルトは完全に炎天下だ。
「……セミが落ちてら」
 中年の男が植え込みの足元を見てつぶやく。セミが二匹、くっついたままひっくり返っていた。
「……セミですらイイコトしてるのに俺らときたら……」
 今までずっと無言だった色黒の大学生がつぶやいた。太った大学生がこれ見よがしにクスクスと笑ったが、その後は誰も会話を続けなかった。

(四)

事件というのは一つの理由だけで起こるものではない。一つのアクシデントの影に三十のインシデントと三百のヒヤリハットがあると言われるように、一つ一つは小さなほころびや油断や非日常だったとしても、それが組み合わさったときにはじめて、それらは重大な事件として表面化するのだ。
 その日に関して言えば、まず手荷物検査の緩さは、一度でも経験したことのある人なら誰もが思うことではあったにも関わらず、誰もが指摘してこなかった。
 九月の大型連休中に都内のアリーナで人気女性アイドルの握手会があり、「警備スタッフ」に応募した僕は午前十時の開場と同時に入り口で手荷物検査の任についていた。
 やるべきことは単純だ。会場入り口に長机を用意し、来場者全員にその長机の上で鞄を開けて見せてもらう。開けてもらうといっても、荷物を全部出して並べてもらうわけではなく、本当に文字通りチャックを開けてもらって中を見せてもらうだけだ。刃物や危険物に該当するものがあったらその場で指摘し、悪意がなければ一時的に預からせてもらうなどの対応をする。悪意があったら「人を呼んでどうにか対応する」と言われている。対応の仕方についての指示は極めていい加減なのだが、かといってマニュアルを細かく設定したところで悪意と凶器を持った人間がマニュアル通りに対応してくれるわけがないので、今にして思えばそれしか言いようがないのだろう。
 実際にやってみると、手荷物検査はなかなか大変だった。もちろんコンサート会場の設営のような肉体的な負担はそこまで大きくない。長時間立ちっぱなしでせいぜい足腰がだるくなる程度だ。それよりも、時間に追われるのが大変なのだ。
 人気アイドルの握手会ともなれば、アイドルを一目見るべく開場前から集まっていたファンが開場と同時になだれ込んでくる。といっても、先頭の方は意外にも制御不能な雑踏にはならない。問題は、中ほどより後ろにいるファンだ。会場の中に目を向ければ、先駆者たちがすでにアイドルと仲睦まじく握手している。もどかしい思いでいるところに手荷物検査などという邪魔が入るから、「危険物なんて持ってないから早く通せよ」とか「プライバシーの侵害だよ」とか言ったり、バイト相手に口に出したところでどうしようもないような悪態をついたりするのだ。さらに言えば、一通り人の流れが循環してくると、今度は「二回目」以降の客が入ってくる。握手券はCDやグッズを買うと付録でついてくるため、買ったCDやグッズの数に応じて何枚でも握手券を入手できる。今回のイベントは、握手券を何枚持参しても一枚につき握手は一回十秒のみ。つまり例えば、握手券を五枚持参したファンは列に五回並びなおして一回十秒の握手を五回繰り返すのだ。列に並びなおすには一度会場を出なければならないから、そのファンは手荷物検査も五回受けなおすことになる。五回ならまだいい方で、数十枚の握手券を持参して数十回手荷物検査を受けなおすファンも珍しくない。行儀のよいファンなら何度でも「はいどうぞ見てください!」だの「またお会いしましたね」だのと、我々スタッフにも皮肉交じりの愛想を振りまくのだが、やはり中には悪態をつくファンもいる。「もうさっき見せたからいいだろう!」とか「さっき見たの覚えてないの? 記憶力ないね!」とか。何回も並びなおして会場を出たり入ったりして体力的にも疲れてくるとバッグの口を開けるのも次第にいい加減になってくる。長机で足を止めずに、通りすがりのままバッグの口を一瞬だけ開けて「はいどうも!」とでも言って去っていくのだ。
 そんな人たちを相手にするわけだから、手荷物検査をする側もいちいち本当に荷物の中身をしっかりチェックなんてしていられない。バッグの口を全部開けてもらって、バッグの底や内ポケットまで全部チェックなんてしていたら、あっという間に長蛇の列が渋滞して、後ろから罵声を浴びることになる。チャックを開けてもらうのは、せいぜいメインポケット一つだけ。前ポケットや横ポケットはスルー。中が暗くてよく見えなくても「もうちょっとよく見せてください」なんて言っていられない。実際、指導役のバイトリーダーも「適当でいいですからね。『チェックしていますよ』っていう体制を示すこと自体に意味があるから」と言っていた。
 この日僕は、午前十時から正午までの第一部、正午から午後二時までの第二部、午後二時から午後四時までの第三部……という流れで手荷物検査を担当した。一生分の「こんにちは」と「ありがとうございました」を言いつくした気分だったが、握手会は第五部つまり午後八時まで行われる。人気者はむしろ遅い時間帯に登場する。さらに午後四時からは屋外ステージでグループ内ユニットによるミニライブも行われている。「アリーナ内の混雑を少しでも分散させるために屋外にアイキャッチを作る」という狙いがあったことは後で聞いたが、むしろ屋外屋内両方とも混雑に拍車がかかっていたように思えた。
 午後六時、第四部の手荷物検査をなんとか無事に終えて数分ばかりの休憩に入った僕に、顔なじみになりつつあるイベント制作会社社員の男性が声をかけてきた。
「ごめんちょっと屋外ステージ来れる?」
 手荷物検査には飽き飽きしていたのでこの場を離れられること自体はうれしかったが、社員の表情に明らかな焦りと苛立ちが浮かんでいたのが不穏だった。
「えー、こっちの人員は?」
 僕の隣でずっと手荷物検査を担当していたバイトの女が臆せず言う。
「ここ、今何人だっけ?」
「四人。一人減るなら三人」
「三人で頑張って」
「これからユーコちゃん登場ですよ!」
 アイドルグループの押しも押されぬエースだ。入り口の待機列の長さもメンバーの中で群を抜いている。女は苛立ちを隠さずに抗議した。
「ごめん、こっちも大変なんだ。急いで来て」
 社員が有無を言わせぬ雰囲気で背を向け、小走りで屋外ステージに向かう。僕は手荷物検査会場に残される他のバイトたちに会釈だけ残して追いかけた。

(五)

 屋外ステージは大混乱だった。
 本来、ステージは周囲五メートルほどを取り囲むようにパーテーションが置かれ、立ち入り禁止エリアが確保されているはずなのに、そのエリアが完全に決壊していた。ステージの真下まで観客が大量に押し寄せ、アイドルのスカートの真下からカメラを向けたり手を差し出したりしている。アイドル達はなんとかダンスを続けているが、顔が引きつっているのは分かる。ユニットでダンスを踊るアイドルたちの立ち位置はステージ上であらかじめはっきり決められており、勝手に動けば他のメンバーとの連携に支障が出るため、それぞれの判断で後ろに下がることができないのだ。盗撮、雑踏事故、下手すればアイドルへの接触事故……。大小さまざまなリスクが僕の脳裏に瞬時によぎった。
「なんでこんなことに……」
 周辺を見やると、ここの警備担当であろう、バイトの大学生らしき男が呆然と立ち尽くしていた。後で聞いたところによると、この男はこの日が人生初のアルバイトだったという。
 顛末はこうだ。ミニライブが始まった直後の午後四時すぎ、パーテーションの区切りの前に立っていた彼に、中年の女が小躍りしながら話しかけてきた。
「すみません私あの子の親なんですけど、中入っていいですか?」
 手にはコンパクトカメラを構え、鞄からはキラキラと光る装飾を施した団扇が突き出している。返事を待たずに今すぐにでもステージ下まで駆け寄っていきそうな勢いだ。〝あの子〟とは、つい先ほど踊り始めたばかりの三人組のうちの一人のことのようだ。十代半ば過ぎ、グループ内の人気投票では四十位程度で、上位進出の足掛かりを作るためにユニットを結成してもらったメンバーだが、男は顔も歌唱力も他のメンバーと区別できずにいた。
「いや、でもこちら関係者以外立ち入り禁止でして……」
「私、関係者です。ね? いいでしょう? 私あの子の親なんです」
 文字通りの足踏みをしている中年の女を前に、男は考えあぐねた。確かにデビューしたばかりのメンバーなら、親は誰よりも近いところで目に焼き付けたいところだろう。親なら関係者席に……と言いたいところだが、大型アリーナのコンサートならともかく、このような手作りのステージで行われるミニライブで関係者席も何もないだろう。誰かに相談しようにも、バイト開始前に軽く指導してくれた先輩は自分の持ち場で精いっぱいだし、そもそも目に見える範囲にいない。「ちょっと待ってて」なんて言って先輩のところに走れば、この女はその隙にパーテーションの間を縫ってステージ下まで駆けていくのは間違いない。
 結局男は、自分の判断で女を通すことにした。一人なら目立たないだろうし、「関係者」で通すこともできるだろうと考えた。何より、「あの子の親なんです」と満面の笑みで繰り返す女をこのまま追い返したら、例えば小学校の運動会を見に来た保護者を校門の前で追い返すような忍びなさを感じてしまうと思ったのだ。
 その考えが甘かった。女はステージの真下、それも結構目立つところで団扇を振り、片手でカメラを構えてアイドルの名前を読んで飛び跳ねたのだ。
 すると、近くにいた高校生ぐらいの若い女三人組が、たった今中年女が通って行ったばかりのパーテーションの隙間を指して言った。
「ねえねえ、あそこから入っていいみたいだよ!」
 三人組はさも当然のようにパーテーションの隙間を広げてステージに向けて悠然と歩いていく。
「あ、ここは関係者以外立ち入り禁止です」
 男は慌てて声を出したが遅かった。声は明らかに三人組の耳に入っていたはずだが、完全に無視された。まるでナンパ男にでも声をかけられたかのようだった。三人組の最後尾の女は「なんか言ってるけど大丈夫?」と先頭の女に尋ねていたが、先頭の女は「大丈夫っしょ」と言ってステージ下に駆け寄った。
 そこからはあっという間だった。大人も子供も、次々とパーテーションの隙間からステージ下に駆け寄っていく。
「すみません、こちら関係者以外立ち入り禁止です!」
 大声を出して立ちふさがっても意味がなかった。
「じゃあなんであの人たちはいいんですか?」
 茶髪の若い男に問われれば、言い返せる言葉はなかった。問うてくれるだけまだ良心的で、多くの人は内心で「ここは本当は入ってはいけないところだ」と分かっていて、なおかつバイトの男の叫び声も耳に入っているにも関わらずあえて無視していたのだ。ステージを取り囲むパーテーションのあちこちには「立ち入り禁止」の文字が掲げられているのだから、それを理解できないわけがないのだ。
 バイトの男にできることは、もはやステージ下の群衆が悪さをしないか見張るぐらいしかできなかった。見張ったところでそれを止められるかどうかはまた別なのだが。
 ステージ下の群衆は、一時間経って一組目のユニットのミニライブが終わっても離散しなかった。一組目のユニットのメンバーが、撤収した際に裏方に文句を言い、裏方が運営会社社員に事情を確認し、運営会社社員がイベント制作会社社員を呼びつけてようやく事態が把握された。イベント制作会社社員は最初こそどうにかしようと足掻いたようだが、現場慣れしているわけでもない一社員にどうにかできる状況ではなく、そのままの状態で二組目のミニライブも終わった。
そして午後六時、イベント制作会社社員が僕を呼んで増員したのがつい先ほどのことだったというわけだ。
 すでに三組目の歌は始まっている。耳に響く音楽は脳内の思考領域を狭めた。
「なんとかしてくれ」
 社員の男がうんざりした顔で言う。歎願ではない。命令だった。
「どうしろと……」
「なんとかしてくれ」
 社員の男が繰り返す。そこにもう一人、若い男が駆けつけてきた。少し見つめて思い出した。この前の設営バイトの時、午後十一時に新宿駅にいた顔だ。バンの右後ろに座っていた男。社員の覚えめでたく、事実上のバイトリーダーのような立ち回りをしていた若い男だ。急遽増員で呼ばれたのは僕だけではなかったようだ。
「達郎! 来てくれてよかった」
 社員の男は、明らかに僕には向けていなかった信頼の目を向けた。
 達郎と呼ばれた若い男はステージ周りを見渡し、小さくため息をついた後、本来の警備担当である若いバイト男の胸ぐらをつかんで言った。
「いいか。落ち着いて聞け。やれることだけ『やれる』と言え。俺も恥はかきたくないから俺の言う通りに動け」
「はい」
 胸ぐらをつかまれたまま、若いバイトがぶんぶんと首を縦に振る。
「お前はこのままここにいればいい。最初に言われた通り、ここを守っとけ。これ以上人を入れるなよ」
「はい」
「で、今、中に入っちゃってる人は今更はがそうとしても多分無駄なんでしょう。石田さん」
「そうだな」
 石田と呼ばれた社員の男も首をぶんぶんと振る。
「じゃあもうしょうがないから、僕ら三人で中の人たちを見張るしかないっすね。明らかにステージに乗り出してたり、スカートの下からカメラ向けたりしてるような人たちだけでも注意して回るしかない。で、できれば曲の合間のMCのタイミングで大きな声で少しずつでもはがしていきましょう。『こちら、本来は立ち入り禁止エリアですので、申し訳ありませんがゆっくり退場ください』って。中に入れちゃったのはこっちの落ち度だから、へりくだって下手に下手に、で。でも一人ずつ声をかけちゃったら『なんで自分だけ』ってなっちゃうから、できるだけ大きな声で。そうすればうまくいけばアイドルの子も対応してくれるかもしれない」
「なるほど。分かった」
 石田が頼もしそうに達郎の肩を叩き、僕を見る。
「分かりました」
 頼りない僕も、首を一回だけ縦に振って二人に続いてパーテーションの中に入った。
 その瞬間だった。
「きゃああああ!」
 悲鳴と悲鳴が重なり合って大波のようになった空気の揺れが、アリーナの中から届いた。何をしても止まらなかった群衆のざわめきも、ステージ上のアイドルのダンスも、すべてが静止した。

(六)

「つまり貴方は、本来いるべき場所を離れて屋外で警備にあたっていたんですね」
「はい」
「貴方の本来の担当は?」
「……手荷物検査でした」
「貴方が離れていた間、手荷物検査の担当はいなかったということ?」
「あと三人いました……。これ、社員の人に聞いた方がいいと思うんですけど」
「皆さんに同じように聞いています。記憶違いに備えて複数の証言を集めているだけです。それで、貴方がいなくなったことで、手荷物検査が緩くなっていた可能性がある?」
「え、僕のせいなんですか?」
「そうは言ってないです。事実確認です。それで?」
「……正直分からないです。僕は社員の人に言われて場を離れただけなんで。後から人員補充した可能性はあるけど、でも僕が場を離れたとき、社員の人は『三人で頑張って』とか言ってたような気もするんで、多分補充はなかったと思います。他の場もどこもいっぱいいっぱいだったと思うし」
「『三人で頑張って』って言ってた?」
「え?……はい」
「それはどういう文脈で?」
「えっと、残された三人の中の一人、……名前は覚えてないけど、女性の方が、僕がいなくなることに不満みたいなことを言って、それで、だったと思います」
「不満っていうのはなんで?」
「えっと、その時、まさにこれから、ユーコちゃん……エースの登場っていうタイミングだったんで。人も増えるのに……っていう意味だったと」
「つまり、社員の方は、貴方が本来の持ち場を離れることで手荷物検査が緩くなる可能性もあると認識していた可能性もあるっていうこと?」
「え……ごめんなさいそれは本当に分からないです。……本人に聞いてもらわないと……」
 実況見分と並行して事実上の取り調べを受けた。もちろん僕だけではなく、その場にいたバイトや関係者はみんな同じように順番に話を聞かれた。今にして思えば、警察官は、イベント制作会社側の業務上の過失の有無を念入りに調べていたのだろう。裁判に備えて。
 さりげなく時計を見ると午後十時を回っていた。空気はまだ生ぬるい。今夜はこれ以上空気が冷めることはないのだろう。会場はまだ警察やマスコミでごった返している。目が乾ききって、目の周りに脂の膜のようなものができてしまっているのが分かる。こうなると、下手に目薬をうったり目を洗ったりすると涙が決壊して目を開けられなくなると知っているから、帰宅するまではこのまま我慢するしかない。
警察官に記憶をほじくり返されながら、夕方のことを振り返った。夕焼けのない空だった。
アリーナの外まで響く大きな悲鳴が上がったのが午後六時十三分だった。
 男の怒声や女の泣き声が大きな壺の中に放り投げられてごちゃごちゃに混ぜられたあとでドロドロと流れ出てきたような音がアリーナから聞こえてきた。
 僕はまず達郎の顔を見た。達郎も動揺していたのは見て取れた。だが、今持ち場を離れてはかえって混乱を招くことが分かっていたのは僕と同じだった。じれったそうにアリーナに目を向けた後、視線をミニライブのステージに戻した。
 次に石田の顔を見た。僕らへの指示権があるのは本来達郎より先に石田だ。石田は、眉をひそめてはいたが、達郎や僕ほどには動揺していなかった。今この場の責務を全うするというよりは、面倒ごとにこれ以上首を突っ込みたくないのだという感情が読み取れた。
 だが、僕らが曲がりなりにも屋外ステージの警備体制を維持することを決めたのとは裏腹に、ミニライブのステージ上は混乱していた。音楽だけは引き続き鳴っているが、三人組ユニットの一人は完全に足を止め、後の二人は足だけでダンスのステップを踏み、上半身はおろおろとよたついていた。やがて三人は、引き寄せあうように集まり、一つの塊になって固まってしまった。
 ああだめだ。これは緊急事態だ。
 ようやく脳が現状を把握し始めた。むしろ長年この類のバイトを続けて、緊急事態に遭遇しなかったことが幸運だったのだ。来るべき時が来ただけだ。確率論だ。サウナの後に水風呂に入るときのように、足先からじわじわと覚悟を固めていった。
 そういえば、元々ここの警備担当だったあのバイトの彼は……と、ここでようやく存在を思い出したが、遅かった。アリーナ入り口から逃げ出してきた人の濁流にのまれて、どこにいるのか見当もつかなかった。何の奇跡か、僕が比較的身の安全を保つことができていたのは、パーテーションで区切られた立ち入り禁止エリアにいたおかげだった。
 結局その後は達郎と石田と三人そろって呆然としていただけだった。何もしなかった。なぜなら、僕のバイトの契約内容に「緊急時の対応」は入っていなかったからだ。
 アリーナの中で、握手会中のメンバーが刃物で傷つけられたということを知り得たのは十分ほど後だった。
 メンバーを傷つけた犯人が、その場で取り押さえられたということは、さらに三十分ほど後に知らされた。
 傷つけられたメンバーが、グループのエースである郡司ユーコであったことは、その一時間後にネットのニュースで知った。
 郡司ユーコが肩を刺されて重傷であったことと、命に別状がなく意識もはっきりしているということは先ほど実況見分中に警察官から教えてもらった。
 郡司ユーコを刺した刃物がどんなものだったのかは、警察官から解放された今になっても誰からも知らされていない。
 つまり、僕らには法的な過失の有無が問われているのだ。刃物を持った犯人の握手会場への侵入を許した警備上の責任だ。それが、僕や達郎のような一バイトに降りかかる性質のものなのか、イベント制作会社に降りかかる性質のものなのかはよく分からなかった。
 何が原因だったのだろう。
 少なくともあの時アリーナにいなかった僕の責任にはならないだろうとは思えたが、かといって原因を考察できるほど冷静ではなかったし、そもそも情報を持ち合わせていなかった。
結局、僕が現場を退散することができたのは十一時前だった。とぼとぼと駅に向かって歩きながら、一日のことを振り返っていた。
そんな時だった。
「あのー、すみません」
 背後から声をかけられるのと、生ぬるい風が吹いて目に汗が入ったタイミングが同じだった。とっさに目を触ってしまって「まずい」と思ったが遅かった。乾ききっていた目から涙があふれて止まらなくなり、目を開けられなくなった。
「私たち東横テレビの者でして……」
 女性、おそらくレポーターの声が聞こえたが、ほとんど目を開けられない。そして女性は勝手に息をのんだ。
「……本当にショッキングな経験をされてお辛い中申し訳ありません……。今回の事件の目撃者を探していたところだったのですが……」
 かすかに開けた瞼の隙間、涙の奥にテレビカメラが向いていたのが見えた。
「ごめんなさい、今ちょっと……」
 ドライアイの症状が治るまで待ってほしかったが、女性レポーターはどうも勘違いしているようだ。
「そうですよね……お辛かったと思います。申し訳ありません……」
 おそらく僕のことをアイドルの熱烈なファンだと勘違いして、事件にショックを受けて泣いているのだと思った女性レポーターが勝手に恐縮するのと裏腹に、テレビカメラがずいと近づいてきたのを感じた。
「ちが……そうじゃなくて」
「……血……ですか?」
「いや……」
「事件の瞬間を目撃されたのでしょうか?」
 恐縮していた女性レポーターも再びずいっと詰め寄ってきた。
「すみません僕ほんと、ただのバイトで……」
 ようやくかろうじて目を開けられた時、目の前にあった顔はどこか懐かしかった。
「……ユイちゃん?」
「……え?」

(七)

 僕が生まれた街は、かつては製鉄業と漁業で栄えていたらしい。東京から新幹線で三時間ほどの距離にある県庁所在地から、さらにローカル線を二時間ほど乗り継いでようやくたどり着く、山と海に囲まれた街。全盛期には漁港で大漁旗が威勢よく舞ったという。だが、一九七〇年代には十万人以上を数えた人口は今は三万人弱。緩やかな衰退の途上にある小さな街は、常にどこか鈍色の哀愁が漂っていた。現代の東京を覆う鈍色とは違うようで同じ、くすんだ鉄が醸し出す寒々しい鈍色。そうとしか言いようのない色なのだ。
 ユイとは、その小さな街の小学校で一年生から四年生まで同じクラスだった。所詮は子供の淡い小さな想いに過ぎなかったが、好意を自覚したのは三年生ごろだったと思う。きっかけは別に大したことではなく、おませな女の子に「好きな子いる?」と聞かれて、なんとなくユイの名前を出したことで、後から後から自分の中で好意を募らせていったとか、そんなものだった。かわいいものだった。幼い僕は、ユイにその淡い想いを伝えるでもなく、たまたま二人きりになった時などに独りよがりな悦楽と優しい眠気に身をゆだねていた。
 小三の時、図画工作の時間に写生をすることになった。確か一学期が始まったばかりだったと思う。学校の敷地内ならどこに行ってもいいから素敵なスポットを探して描いてね、と言われていた。
授業中に大手を振って屋外に出られる貴重な体験に同級生のほとんどがはしゃぎ声をあげて駆け回り、我先にと外へ飛び出し、普段足を運ばないような場所を選んでスケッチを始めた。先生も、屋外に出て行った児童を見守るために早々に出て行っていた。
そんな中、ユイは教室の自分の席に座ったまま、窓を見て画板を構えていた。
 ユイは天真爛漫やお転婆といったタイプではないが、かといって内気でもない。クラスの中心ではなくとも、いつも誰かしらとは女の子同士のグループを形成していたから、独りぼっちでちょこんと座っていた姿は珍しかった。確かに「教室に残ってはいけない」とは言われていなかったが、ユイがそんな斜に構えたことをするようなイメージはなかったので意外だった。
僕はあさましくもチャンスだと思い、さりげなく近くに立った。
教室には僕とユイ、二人きりだった。他のクラスは授業中だ。教室はやけに静かで、何かあまり良くないところに取り残されてしまったような気分だった。窓は一か所だけ開いていて、裾に絵の具の汚れがついたカーテンが風にあおられて時々揺れた。
 ユイはこちらを見ずに、窓を見据えたまま、両手の親指と人差し指で小さな四角形のフレームを作っていた。
ユイは言った。
「見て」
 ユイは依然としてこちらには一瞥もくれない。だが「見て」と言われたので、僕は意図を汲めないままにユイと同じ方向を見る。
 三年生の教室は三階だから、窓からは街のほとんどを見渡すことができた。
「灰色しかない」
 その日は花曇りだった。校庭の隅にはピンク色の桜がまだ咲いていたし、校舎の足元の花壇には赤や黄色のチューリップが咲いていたし、中庭の芝生広場には白いペンペン草も黄色いタンポポの花も、あちらこちらに生えていた。実際、多くの同級生たちはだいたいそういったカラフルな地点に陣取ってスケッチブックを開いていた。
「こうしてみて」
 ユイがこちらを見て言った。言われるままに、ユイの隣の椅子に腰かけ、ユイと同じように両手の指でフレームを作り、フレームの中から窓の外の景色を覗いてみた。少し視点が下がったせいで校庭の景色は見えなくなり、街の風景だけがフレームに収まっていた。
 街は工場や煙突ばかりだった。空間のほとんどを覆う建物の壁は、確かに灰色だった。街の三方を囲む山々は、鉄鉱石採取のために赤茶けた裸に剥かれていた。もう一方、街の東側には海があるが、海の近くには大きな工場や倉庫が立ち並ぶため、青い海はほとんど見えない。四角いフレームの中に収まっていた景色は、それだけだった。
「簡単。これ一本で描けちゃう」
 ユイは灰色のクレヨンを手に取り、画用紙に塗りたくっていった。厳密には灰色よりも赤に近い山肌も、ユイは灰色で塗りつぶした。
「これが私の街」
 僕ときたら、その時に考えていたのはユイのまつ毛のことだった。
「あそこ、私のうち」
 ユイが指さしたので再び目を前に向けた。ユイが示した先には小さな長屋の小さな屋根が見えた。その屋根はきっと元は赤かったのだと思う。今はかなり黒ずんでいたが、かろうじて元の赤色は残っていた。それでもユイは、その屋根もお構いなしに灰色のクレヨンで塗りたくっていった。
 僕は何かを言いたかった。何か、ユイの気を引くうまい言葉を言ってやらなければ、きっと僕は大人になった時にユイから思い出されることのないまま一生を終える気がしていた。
「これはね、『にびいろ』っていうんだよ」
 僕は、つい最近覚えたばかりの言葉を口にした。
「にじいろ?」
 思惑通り、ユイは反応した。
「違う。にびいろ」
「なにそれ」
 僕は、聞きかじったばかりの説明をそのまま繰り返した。
「死んだ鉄の色」

(八)

 アイドル襲撃事件から一夜明け、めったにつけないテレビを見て驚いた。僕の顔が、モザイクもなしで繰り返し大写しされていたのだ。長時間のバイト後に実況見分と言う名の取り調べで深夜まで拘束され、乾ききった目を擦ってしまったせいで涙が止まらなくなっていた時の僕の顔が、だ。字幕にはご丁寧に「アイドルのファンは――」と記されていた。目を真っ赤に腫らしてカメラから顔を隠そうとし、「今ちょっと……」とか「ちが……」などと声を漏らす僕は、まぎれもなく事件にショックを受けたファンにしか見えなかった。だいたいの想像はついたが、ネットの掲示板やソーシャルメディアでは早速嘲笑の的になっていた。
 さすがに辟易した。無論僕はファンでもなければ事件にショックを受けて涙を流していたわけでもない。事実ではないことを報じられて、しかもその反響で世間の笑いものになっているのだからクレームをつける権利ぐらいはあるはずだ。
 勢いに任せてテレビ局の電話番号を検索しながら、「そういえば……」とも思った。昨日僕は、自分がアイドルのファンではなく事件のショックで涙を流していたわけでもないということを、テレビクルーたちに説明するタイミングを逸してしまっていたのだ。
 昨夜帰宅して机の上に置きっぱなしにしていた一枚の名刺を拾い上げる。「大輪田ユイ」。それは記憶の中の彼女の苗字とは違っていた。大方結婚したのだろうが、昨日はそれを問うタイミングすらもなかった。僕が「ユイちゃん?」と問い、彼女が僕のことを認識するや否や、大げさなほどに反応して僕に名刺を押し付け、取材クルーごと忙しなく去ってしまったからだ。
 僕は名刺を見て考えた。クレームをつけるなら、彼女に直接文句を言った方がいいのではないか。どうせ意見窓口にクレームをつけたところであしらわれるか、僕の知らないところで彼女が上司に怒られるだけなのだから。名刺には携帯の電話番号とメールアドレスが書いてあった。
考えた末、なるべく感情をこめないように短いメールを打った。
〈放送見ました。まず、僕はアイドルのファンではないし、ショックで泣いていたわけでもない。とりあえず話がしたい〉
 ユイからは二十分後にメールが返ってきた。
〈承知しました。では、差し支えなければ今夜七時に以下のお店でお会いできますでしょうか?〉
 極めて他人行儀な文面の後に、店の住所が書いてあった。個室の飲食店のようだ。余計なことは書いていない。こちらが誤報を指摘したのに対して、確認も謝罪もない。証拠に残るメールで下手なことを言って言質を取られるのを警戒したのかもしれないが、それにしてもあまりの淡白さにかえって苛立ちが募った。
 それでも、直接本人が場所まで指定して会ってくれるということに対しては悪い気がしなかった。

(九)

「ごめんなさい! あの時バタバタしていて、細かく確認もできなくて……」
 他の席の話し声が届かず、かといって静かすぎない個室に現れたユイは、開口一番そう言った。淡白なメールとは裏腹に、顔を突き合わせるやこちらが何かを言う前から過失と謝罪を態度で示してきた。
 ユイはきれいな人になっていた。まつ毛の長さも、くっきりとした目鼻立ちも相変わらずだった。しっかりとした服装も化粧も、順調な人生をまっとうに生きていることを感じさせた。きっと今まで三十数年間の人生で失敗をしたことも嫌な思いをしたこともあったに違いないが、そのたびにこうして直接会って誠心誠意を伝えて謝罪をすれば相手に理解してもらえて、許してもらえてきた人間なのだろう。
「……いや、別に大丈夫……。そんなに怒ってるわけでもないし」
 僕もまた、謝罪を素直に受け入れて彼女を許す人間の一人だった。とはいえ、そもそもそんなに怒っていたわけでもないというのも事実だった。多少ネットで笑いものになったところで、それで支障が出たり嫌な思いをさせられるような人間関係も社会的地位もそもそも今の僕にはなかったからだ。
「ユイちゃんは、女子アナなの……?」
「違うよ! テレビ局の記者。……元はと言えばアナウンサー志望ではあったけどね……」
 アナウンサー志望で入社試験を受けて、志望はかなわなかったが記者職で採用されたということか。
ユイは「女子アナ崩れだよ」と自嘲し、僕は「そんなこと言っちゃ、よくないよ……」とかろうじて返した。
ユイが、滑舌の良いよく通る声で続けた。
「それで、今回の事件の取材班に入って急遽地取りして回ってたんだけど……。あ、『地取り』って要するに聞き込みのことね。全然成果が出てなくて困ってたとこだったの」
「そうは言っても、記者さんなら顔出しOKかどうかとか、相手の素性とか、普通はもっとちゃんと確認するもんなんじゃないの?」
 抗議ではなく純粋な興味として尋ねた。
「普段はちゃんとやるんだけど……。だから本当申し訳ありません!」
 顔の前で両手を合わせてユイが頭を下げた。この件に関してこれ以上問答を繰り返しても謝罪以上のものは出てこないのだろうと理解した。それよりも、ユイの左手の薬指に、光るものがなかったことに興味が引かれた。
「……結婚、したの?」
「……え?」
「……名刺。苗字変わってたから」
「……ああ。そうだよね。……えっと、あの場で、他のスタッフもいる前でその辺のことを聞かれるのが嫌だったっていうか、その辺のいろいろもあって、君のことに気づいて動揺してあのときいろいろ怠っちゃったっていうのもあるんだけど……」
 モゴモゴと口ごもり、目を左下に向けた後、少しだけ表情を崩して言った。
「えっと、とりあえず結婚はしてない。それで、苗字が変わってるのは、まあ家庭の事情」
「……そっか」
 謝るのも変だと思ったので謝らなかったが、表情で詫びを入れた。
「うん……」
 ユイも表情で謝罪を受け入れてくれた。
「えっと。私、小四で急に転校したの覚えてる?」
 確かにユイは、小四の終わりに急に転校した。二月のことだった。学期末でもない中途半端な時期だったので印象的だった。クラスではお別れ会もなく、僕はユイに何も言うことができなかった。
「覚えてるよ」
「私、あそこの市長さんの隠し子だったって知ってる?」

(十)

 僕らが住んでいた街の市長は常に「市長さん」と肩書きで呼ばれていた。何期も連続で務めていたから(後で知ったが任期満了の際はいずれも他に候補者が出ず無投票での再選を繰り返していたという)、わざわざ固有名詞で呼ぶ必要がなかったのだ。小さな街で、小学校の入学式や卒業式では結構な頻度で来賓として挨拶をしていたから、子供でも「市長さん」と呼んで顔を認識していた。名家の血筋で、父親もかつて長年にわたり市長を務めた。
 そして市長については、不倫疑惑があることを街中が知っていた。何歳のころだったか覚えていないが、ある晩、僕が床に就いた後、ふすまを隔てた居間から聞こえてきた父と母の会話を覚えている。
「一番悪いのは市長だよ。次、市長選いつ? 普通の人は票なんか入れないよ」
「そうは言っても、じゃあ次に誰が市長になるかって言ったって誰もいないじゃないか」
「あの人のお父さんは良かったんだけどねえ。まじめだったし」
「息子はあんなんだからねえ。不倫の相手は役所の人間なんだろ?」
「一緒に車乗ったとこ、みんな何回も見てるよ。私だけじゃない。みんな知ってるよ」
「俺の仲間も見てるさ。『あ、行ったぞ』って言い合ってる。金曜の夕方さ。『この時間に出ていったら、後は帰ってこないぞ』って」
 僕の父は、市役所の守衛だった。聞こえてきた話から想像するに、駐車場で警備業務に就く中で、市長が不倫相手の女と車に乗り込んで出ていく姿を何度も見ていたようだった。そしてその姿は、一介の専業主婦に過ぎない母も見ていたのだという。父や母だけでなく、「みんな知っていた」のだというのだ。そんな話が聞こえてきたのは、一度や二度ではなかった。
 ある晩、寝室から居間に起きて「何の話?」と尋ねてみたことがある。確か、それこそ小四ぐらいのころだったか。父と母は「早く寝なさい」と取り合わなかった。

 中学に上がると、僕自身も同級生から同じような話を聞くようになった。ただしそのうわさ話の主役は市長ではなく、ユイだった。
「小四のとき急に転校したユイって覚えてる?」
「いたね」
 いた、どころではない。僕は思春期になるにつれて、頭の中で勝手にユイの存在を大きくして悶々としていたのだ。
「あいつ、市長の隠し子だったらしいぜ」
「へえ」
「あいつの母親、市役所の秘書だったんだ。で、市長とは不倫関係。子供できちゃって、相当もめたらしい」
 僕はユイに父親がいないことだけは知っていた。
「市長、相手側の実家から『責任取れ』って脅された挙句、……認知届っていうの? 『自分の子供だ』って認めるやつ。あれにハンコ押させられたらしい。で、しかも市長の母親が結構なお金を払ったんだって」
「……市長、今いくつだっけ」
「もう六十ぐらい?」
「……当時四十過ぎでお母さんにケツ拭いてもらったの?」
「そうそう」
 同級生の男子は声を上げて笑ったが、僕の興味はそこではなかった。
「で、ユイちゃんはどこ行ったの?」
「どこかは分からんけど、俺がちらっと聞いたのは、子供が十歳になって、だんだん隠し子であることを隠しきれなくなってきたから、子供がいじめとかに遭わないように母親に連れられてどっかに行ったって」
 僕は小四の時に自分の両親の噂話に口をはさんだことを思い出した。ユイやその周辺が思春期を迎えれば、何の罪もないユイ本人がデリケートな話題の当事者になってしまう。いじめの標的になる可能性は十分あり得る。ひょっとして僕があの夜に口をはさんだことがユイの転校の一因になったのではないかと思うと、急に喉の奥がヒュンとした。たかが市役所の守衛と一介の主婦がそんな影響力を持つなどと、当時世間知らずの中学生だった僕ですら考えづらかったが。
なぜか今になってみるとその荒唐無稽な想像が逆に現実味を持っているのだが。
 当時から今に至るまで、時々思うことがある。
 父母にしろ、同級生にしろ、市長の不倫や隠し子の件は、すべて疑いようのない事実として話題にされていた。だが、その情報源である噂話を辿っていくと、語尾は全て「らしい」なのだ。
 確かに市長とユイの母がともに一緒に車に乗り込んだという目撃証言は複数ある。僕の母も実際にそれを見たと言っていた。だが、市長と秘書が一緒に車に乗り込んだだけなのだ。それ自体は不倫の証拠にはならない。にもかかわらず、市長の不倫は市民の大半から事実として認定されているだけではなく、一緒に車に乗り込んでドライブでもして、ホテルか自宅にしけこもうとしているという、誰も見たことのない映像が、どこにも目撃証言がないはずなのに、誰の目にも浮かぶほど具体的に話されているのだ。
「それ、ほんとなの?」
 当時の僕もそんな違和感を抱き、改めて同級生に尋ねた。
「そりゃほんとなんでしょう。みんな言ってるんだから」
「でもじゃあなんで、問題にならないの?」
「タブーなんだって。親父が言ってた。ほら、俺の親父、役所勤めだから。役所でその話をすること自体タブー」
「タブーなのに、みんなが言ってるっていうことは知ってるの?」
「そりゃ、結局みんなどっかで話すんでしょ」
 これが鈍色の正体だ。
 裸に剥かれた山に街の三方を囲まれ、唯一開けた東側は冷たい海とコンクリートの港がふさぐ。人口三万人ほど。以前の繁栄をもう取り戻せないことも、衰退するしかないことも知りながら、住人の多くが街と共に滅びていくことを心のどこかで覚悟している。そんな閉ざされた田舎町では、確たる証拠もない、雲を掴むようなうわさ話も時として質量を持って人々の間を駆け巡る。僕は唐突に、ユイが小三の時にスケッチブックを灰色に塗りたくっていたことを思い出した。
 同級生と会話を交わした翌日には、「僕がユイのことを好きだったらしい」という話が学校中で噂になっていた。むろん僕はそんなことは一言も言っていない。だが数日後には、母親がいきなりユイの話題を僕に振ってきたから、きっと学校だけではなく街中のみんなの話題提供に一役買ってしまったようだ。「市長の隠し子はモテていたらしい」なんて。
 ユイはどこまで知っていたのか。自分の素性を。彼女は、どんな思いでこの鈍色の街を逃げ出したのだろうか。

(十一)

「東京に行ったの。私」
 ユイが細いグラスでカクテルを飲みながら滑らかに語り続けた。
「不思議ね。東京に行くのなんてあんなに簡単なのに、誰もが『自分たちはこの街から抜け出せない』って、謎の……閉塞感っていうのか、被害妄想っていうのか、ヒロイズムっていうのか……、そういうのに取りつかれていて、街と心中するものだって思い込んでいたもんね。みんなの生活圏の中に普通に駅はあったし、駅の案内板には結構遠くまでいろんな街の名前が書いてあったし、駅員さんに聞けば東京への運賃だって教えてくれるのに」
 僕は何も言わなかった。ユイは構わず続けた。
「どこまで聞いてた? 私のこと」
「……市長のこと?」
「うん」
僕は、両親や同級生から聞いた噂話を、あくまでも噂話としてユイに伝えた。
「まあ……だいたい合ってるかな」
 ユイはあっさりと言った。
「……そうなの?」
「っていうか、お母さんは私に隠してたつもりだったみたいだけど、私もずっとちっちゃいころから知ってたし。そりゃそうでしょ。家にときどき市長さん来てたし」
ユイが普段から父親のことを「市長さん」と呼んでいたのだと気づき、僕は会話を繋ぐことができなかった。
「あ、だから、隠し子であることを隠しきれなくなって、いじめを受けないように転校したっていうのは間違いかな。いじめだってもう当時何年も前から受けてたし」
「……そうなの?」
「そうだよ。クラスの子も結構いろいろやってきたけど、でもクラスのいじめ自体は別にどうってことなかったかなあ。友達ってそういうもんだと思ってたし。今にして思えばいじめだったんだろうなあっていうだけ。私がうんざりしてたのはむしろご近所さんの大人かなあ。『お父さんに言ってもっと税金減らしてよ』とか『新市庁舎なんて建てなくていいからもっと便利なもん建ててよ』とか。私当時小学生よ? そんなこと言われても知らないって。で、近所のおばちゃんたちはそんなことお母さんには絶対言わない。市長さんに本当に睨まれたらどうなるか分からないから。私が実際には告げ口しないって分かってて、私をただ困らせて憂さ晴らししてるの。ばかみたいでしょ?」
「……そうなんだ……」
 ユイがふふっと声を出して笑う。
「さっきからそれしか言ってない」
 僕は慌てて言葉を継いだ。
「じゃあ、なんで急に転校したの?」
「そうそう。その話ね。えっと、お母さん、さっき言った通り秘書課だったんだけど、結構市民の個人情報を勝手に抜いたりしてたみたいで」
「えっ?」
 あまりにもあっさりとした口ぶりに思わず聞き返した。
「なんか、市民税課に忍び込んで結構閲覧できちゃったみたい。当時はセキュリティなんて今より断然緩かったっていうのもあるだろうけど」
「なんでそんなことを」
「市長さんが家に来てお母さんと話してたのをこっそり聞いた限りだけど……。ほら、ああいう街だから、住民の情報なんて持ってたもん勝ちなのよね。住所や電話番号はもちろんだけど、家族構成とか、旦那の勤め先とか、子供の学歴とか、通院歴とか、逮捕歴とか、車種とか、宗教とか」
 僕は思わず息をのんだ。
「……そんなものまで」
「……うん。なんか、見る人が見れば分かっちゃうみたい」
 ユイはまた静かにグラスに口をつけた。
「……犯罪……」
「……か、どうかは私も詳しくは分からないけど、普通にクビよね。懲戒免職で、記者会見で市長が深々と頭を下げるレベルなのは間違いない。だけど市長さんはそれを隠し、その代わりお母さんに対して自己都合退職で役所を去ることを求めた。もちろんいきなり退職したら、それこそ住民の噂の的になって隠したい事実が掘り起こされる可能性は高い。だから、私がいじめを受けていることにして、この街から逃げてくれ、って」
僕は市長が「しめしめ」と後ろ手を握りしめている姿を容易に想像できた。無投票のまま何期も市長を務めてきた男にとって、若いころの不倫相手とその子供は邪魔でしかないはずだ。だが、その不倫相手が不祥事を起こしたタイミングで、女をその不祥事ごと覆い隠して存在を目の前から消し去ってしまえば厄介ごとはなくなる。しかも女を消し去る理由を子供のせいにしてしまえば、さすがにデリケートな問題に首を突っ込まれるリスクも低いというわけだ。
「さすがに手切れ金はもらったみたいだけどね。手切れ金というか、口止め料というか」
 ユイは僕の頭の中を読んだように言葉を付け足し、そして続けた。
「でもね、正直、私にとってみてもおいしい話だったと思う。市長さんからもらったお金で堂々とあの街を抜け出すことができて、とりあえず東京に出てこれた。そりゃ、何の縁もない土地でお母さんは苦労しただろうけどそれは自業自得よね。それでも情報漏洩犯として後ろ指をさされたままあの街で暮らすよりは断然マシだったと思う。で、ちゃっかり再婚して、今でものうのうと生きてるし。あ、つまり長くなったけど、この大輪田っていうのはお母さんの再婚相手の苗字。それだけ」
 ユイはグラスを飲み干し、新たなカクテルを注文した。
「じゃあ今の仕事は……」
「うん。まあその辺は再婚相手に感謝よね。大学まで行かせてくれて、私は新卒で普通に就活して、テレビ局に入社できた。アナウンサーはだめだったけど、まあ記者としてそれなりに楽しい仕事を十年もさせてもらえてるし。まあでもそろそろ内勤に異動かな。タイミング的に」
僕はなんだか急に胃の奥がムカムカしてきた。真っ黒い嫉妬の炎が燃え上がってしまっているのを否定できなかった。母親が犯した犯罪まがいの行為のおかげで、結果的に彼女はあの鈍色の街を脱出し、新たな父を得て、大学を出て、自らの仕事にやりがいを感じている。
 片や、僕は……。
街の風景に絶望し、瞳に影を落としながらスケッチブックを抱えていたあの少女はもうどこにもいないのだ。僕は中ジョッキのビールを一気に喉に流し込んだ。

(十二)

 僕は気を取り直して、アイドル襲撃事件の当日の話をすることにした。ユイの顔つきが一気に変わり、さすがはプロだと思った。ユイは僕に許可を得たうえでテープレコーダーを回し、ノートにペンを走らせた。
 事件があった日の夜からずっと考えていたのは、何が原因だったのだろうということだ。ユイによれば、それはやはり今後の裁判などを見据えて報道の争点にもなるだろう、とのことだった。
 まず、あの日、僕が持ち場を離れずに当初の予定通り手荷物検査を続けていたとして、僕が刃物男の侵入を防げていたかどうかは分からない。そもそも、もしかしたら、僕が手荷物検査を担当していた間にすでに男が握手会場に何度か入って普通に握手していたかもしれない。僕が何度も見逃していたと言われれば、そうかもしれないと不安にならざるを得ない。あの日話を聞かれた警察官からは犯人の男の顔写真を見せられたが、通した覚えがあると言われればそうだし、一度も見たことがないと言われればそうだし、要するに何の印象も手掛かりも得られなかったからだ。いずれにせよ、犯行時刻に会場にいた男が、自分のリュックサックに刃物を入れていたかどうか、自分だったらちゃんとチェックできたかどうか、自信はないのだ。何しろ、煩雑な手荷物検査をすでに八時間ぶっ続けで行ってきた後のことだ。リュックの中を見ることより、いかに喉を乾かさずに「ありがとうございます」を言うかどうかの方に気を取られていたのは間違いない。犯人の男が適当にリュックの口を一瞬だけ開いて、例えばリュックの中には適当な荷物が詰められていて内ポケットの存在自体を見つかりにくくしていたとして、僕がその中にある刃物の存在に気づけた可能性は限りなく低い。僕の性格がいい加減という意味ではなく、システムそのものが杜撰だったのだ。本気でアイドルの身の安全を守る気があったならば、金属探知機でも設置すべきだったし、それが難しいならせめて手荷物検査担当のアルバイトには全てのポケットの中身を丁寧に調べるようにマニュアルで周知徹底しておくべきだったのだ。そして最大十時間もの長丁場を同じ担当者に任せず、最大でも六時間程度で担当を交代する勤務形態にしておくべきだったのだ。手荷物検査の体制の不備。それが第一の原因だ。
 そしてもう一つの失態は、そこからさらに僕が抜けたことだ。これも僕の責任ではない。グループのエースがこれから登場するというタイミングで手荷物検査の担当者を一人減らすという判断をしたのは、イベント制作会社の社員の男だ。僕はたまたま選抜されて抜き取られる駒になったに過ぎない。僕に拒否権があったかどうかといえば、事実上なかった。そして、手荷物検査が人員不足になるリスクを冒してでも人員をほかに回さざるを得ない状況であったことが問題だ。つまり、屋外のミニライブステージのパーテーション決壊と混乱。それが第二の原因だ。
 ではミニライブのパーテーションが決壊した原因は何か。新人バイトの彼の責任がないとは言い切れないが、あの場にいたのが僕だったら、決壊を防ぐことはできだだろうか。もっと具体的に言えば、最初に決壊のきっかけを作った、「メンバーの親を名乗る女」。彼女が、新人バイトに対してしたのと同じように足踏みしながら僕に対してプレッシャーをかけてきたとしたら、僕は彼女を通さずにパーテーションを死守することができただろうか。親であることを信じるかどうかは別にして、押し切られたら難しかったかもしれない。となると、失態の原因は新人バイトではなく、「メンバーの親を名乗る女」ということになる。これは外的要因だから失態ではない。これこそが不可測項目であり、事件のトリガーとなったと言える。
 そもそも彼女は本当にメンバーの母親だったのか。経験上、そうでない可能性も大いにあるだろうと思う。別に親でなくても、中年の女で同性のアイドルを熱狂的に信奉する人はいくらでもいる。自分が親ぐらいの年代だという自覚があって、デビューしたばかりのアイドルを本気で娘だと信じてしまっている人かもしれない。あるいは「親を装うファン」を装って、ステージ下から撮影したアイドルのスカートの中の写真をネットで高額で売りさばいているかもしれない。いずれも単なる可能性に過ぎないが、逆に言えば可能性だけなら彼女が今回のアイドル殺傷事件の仕掛け人の一人であるということだって言えなくはないのだ。少なくとも結果的に彼女の存在が今回の事件のトリガーとなったことは事実なのだから。彼女は今どこにいるのか。「娘」だと言われた当該メンバーに確かめたいところだが、言うまでもなく僕にそんな権限はないし、そもそもそのメンバーの顔も名前も知らない。どうせあの新人バイトの彼も覚えていないだろう。実況見分の際は聞かれたことに答えるので精いっぱいで、中年の女の存在は警察官に伝えられなかったが、今思えば警察に伝えた方がいいような気がした。警察官にとってみればあくまでも事件とは直接関係のない場所で生じたイレギュラーに過ぎないから、どこまで事件に絡めて捜査してくれるかは分からない。実際に事件とは関係がない可能性の方が高い。ただそれならそれで、せめて僕としては、今の思考過程を順番通りに新人バイトの彼に伝えて「君の過失は極めて限定的だ」と伝えてあげたいところだった。
「……そんなところかな」
 僕が一気に話していた間、ユイはほとんど口を挟まなかった。
「……ありがとう。すごくいい証言だと思う」
 ユイはそう言ってノートを閉じた。もう十分のようだ。
「今の話、警察に伝えた方がいいかな」
「面倒でなければ、一市民としては『伝えた方がいい』って言うところだけど……」
「……そっか……」
「まあでも、本当に重要な話だったら多分向こうから呼ばれるんじゃないかな。っていうか、私が知り合いのおまわりさんに伝えといてあげる」
「本当?」
 そんなことができるのか。自分と同じ街で同じ年に生まれた元同級生が。そう思うと、バイト暮らしの自分が一層身分の低い存在に思えて仕方なかった。
「ありがとね。また飲もう」
 店を出た軒先で、ユイは僕の目を見てそう言った。
「忙しいんじゃないの? むしろごめんね、今日、なんか呼び出しちゃって」
「全然。今日は半分仕事みたいな感じで後半は事件の話ばっかりしちゃったけど、今度は君の話も聞かせてね」
 正直うれしかったが、社交辞令だと思っていた。それに、立派に社会の一員としての役割を果たしているユイに対して、僕ごときの話をするのは気が引けた。
「東京に来た経緯とかも聞きたいな。同じ、あの『鈍色の街』を抜け出した者同士」
 僕はハッと目を見開いた。ユイは小慣れた笑顔を僕に向けた。小三のスケッチの時間に一度しか出さなかった単語を、覚えてくれていたのだ。
 ユイは少し照れ臭そうに僕に背を向け、そして歩き出しながら小さな声で付け足した。
「独身同士、仲良くしよ」
 僕は立ちすくんだまましばらく動けなかった。

(十三)

 翌日の夕方のニュースで、僕の話はかなりの部分が証言として使われていた。
 警備体制に不備があったとして、「バッグの中をしっかりと見ないような杜撰な手荷物検査が常態化していた」「手荷物検査は同じアルバイトが最大十時間にもわたって担当するような体制で、現場は疲労の色が濃かった」など。僕が話した具体的な内容が、「当日の警備担当者」の証言として、声色を変えた録音テープで何度も使用されていた。「テレビだから音声がないと厳しい」とユイに懇願され、加工することを条件に証言音声を放送で使用しても良いと僕が許可したのだ。
 冷静に考えれば、かなりニュースバリューのある証言だったのだと思う。派遣バイトの世界で常態化していた警備体制を見直さざるを得ないきっかけになったと思うと、問題意識を抱いていた僕としては善行をした気分だった。
 一方で、当日の屋外ミニライブステージ周辺が混雑していたことは一言触れられただけにとどまり、手荷物検査担当者が一人応援に徴収されたことや、混雑の原因として「メンバーの親を名乗る女」の存在があったことなどはニュースにならなかったようだ。手荷物検査担当者で徴収されたのは僕だけだったから、あまり具体的に言及しすぎると情報源が特定されてしまう恐れがあるとしてユイが気を遣って記事に盛り込まないようにしてくれたのかもしれないと思った。「メンバーの親を名乗る女」については、確かにその存在が混雑の原因になったかどうかは断定しきれないだろうから、安直に記事に盛り込まれなくてむしろほっとした。今頃ユイが捜査関係者に取材してその存在を伝えているのかもしれない、とも想像した。
 ところが、僕の安易な想像やユイの気遣いに反して、証言者は僕だとあっさりと特定されてしまった。
 放送の翌日、僕の電話が鳴った。派遣バイトを登録している人材派遣会社からだった。普段はウェブサイト上のフォームとメールでしかやり取りしていないから、電話が鳴った時点で不吉な予感はした。
「今から会社に来れますか」
 淡々とした口調だったが、従わざるを得ない圧力を感じた。
 電車を乗り継ぎ、五年前の登録時に一度足を運んだだけのオフィスに入ると、小さな会議室に呼ばれ、スーツの社員かが軽い口調で言った。
「警備の体制について取材を受けましたよね?」
 僕は頷きもせず、首を横に振ることもせず、ただ黙って社員の目を見返した。
「ああ、記者さんから『認めないように』とか言われてますかね。まあでも、当日同じ現場にいた複数のバイトの方から『間違いなくあいつだ』って聞いてますから。当時の現場の状況や手荷物検査の体制をあそこまで具体的に証言できる時点で証言者はかなり絞れるし、音声は加工してたけど話し方のクセは残っていたし、って。こう言っていた人もいました。『あいつ、事件直後にはユーコちゃんのファンとして号泣しながら顔出しでインタビュー受けてた。その時は笑ったが、大方、その後に金でも積まれてテレビ局と連絡取り合って警備の体制について詳細な取材に応じたんだろう』って」
僕はただ黙っていた。金なんて受け取っていないということだけでも言いたかったが、それを認めれば取材を受けたこと自体も認めることになってしまうから黙っているしかなかった。とにかくボロが出ないように逃げ切るしかない。
「一応、バイトの現場で毎回、一筆署名してもらってますよね。同意書はちゃんと読んでますか? 明記してありますよね、『業務に関する情報を不正に利用しないこと』って。あの、はっきり言いますね。クビです。もう来ないでください。それをお伝えするためにお呼びしました」
「あのっ……」
「それから」
 社員は少し声を大きくして僕の言葉を遮った。もとより僕の意見など聞くつもりはなかったようだ。
「もしあなたが郡司ユーコのファンで、警備バイトの立場を利用して彼女たちに近づいていたり、それだけならまだしも、写真やグッズなどを不正に入手、販売などしていたと判明した場合、法的措置に出ることもありますからご了承ください」
「そんなことしてませんって!」
 大声で反論した。
 社員は顔を近づけて目を見張った。
「自分がやったことと、自分の立場分かってます? まずあなたは、勝手な行動でこの会社に不利益を与えたんです」
「不利益も何も、警備体制が杜撰だったのは事実じゃないんですか?」
 もはやこれ以上黙秘を貫く意味はないと思い反論することにした。
「杜撰かどうか判断するのはあなたではない。ましてやテレビ局でもない。にもかかわらず、一方的な価値判断で杜撰だったと決めつけた。会社は警備体制を不必要に増強せざるを得なくなった。その分の人件費や備品代、時給換算でいくらになるのか、あなたに分かりますか?」
会社が追及するのは利益であり社会正義でも市民の安全でもないのだと初めて理解した。
「あなたは所詮アルバイトです。解雇の基準は正社員よりはるかに軽い。我々が『この会社の利益にならない』と判断した人間をクビにすることなんてたやすいんです。そんな立場でありながら余計なことをした自分の行動を悔いてください」
言い返す気力もないまま、毎回現場に持参する登録カードを奪い取られ、会議室から出された。オフィスを通過する一瞬、あたりを見渡すと電話がひっきりなしに鳴り、受話器を持った社員が必死に謝罪の言葉を述べているのが見えた。杜撰な警備体制によって傷つけられたユーコのファンからの怒りの電話が殺到しているのだと気づいた瞬間、社員から背中を押されて文字通りオフィスを追い出された。

(十四)

「それ、録音してた?」
 ユイに言われてようやく気がつき、僕は思わず「しまった」とうめき声をあげた。
 人材派遣会社から一方的に解雇された後、僕はユイに連絡して再び食事の機会を設けた。「情報源がすぐにばれたじゃないか」と文句を言うためではなく、単に「こんなことがあった」と話したかっただけだった。
「まあ、それが世の中の派遣バイトの実態なんでしょうね。いつでも簡単に首を切れる、会社にとって都合の良いだけの存在。昔はここまで蔓延ってなかったんでしょうけど。いつからこんな世の中になっちゃったんだか……」
 確かにあのあんまりな言いっぷりは、録音音声でもあればそれはそれで人材派遣会社の実態を如実に示す一場面として、社会に一石を投じる重要な報道になったかもしれない。だが録音がなければ、僕がいくら証言したところで世間からは大して見向きもされないだろう。悲しきかな、それぐらいの証言自体は世の中見渡せばいくらでもあふれているのだ。肝心なのは決定的な証拠であるということは、ユイとの交流の中でなんとなくわかってきていた。決定的な証拠のない報道は、訴訟リスクでしかないのだ。
 訴訟と言えば……。
「社員からは法的措置がどうこうとか言われたんだけど、例えば今回僕が事件の時の警備体制を証言したことについて、僕自身が訴訟を起こされる可能性はあるの?」
 気がかりではあった。
「絶対にないとは言い切れないけど、限りなく低いでしょうね。仮に君が、人材派遣会社を貶めるためにあえて嘘の証言をした、とかだったら別だけど」
「そんなことはない」
「でしょうね。私だって素人じゃあるまいし、情報のソースだって別に君一人じゃない。捜査関係者にも取材して裏が取れたと判断したものだけを原稿にして放送したつもり」
 それは僕自身も放送を見て感じ取っていた。だからこそ、今この状況でもユイを信頼できているのだ。
「それにしても、こんなにあっさり情報源を特定されるなんて……。申し訳ない」
「まあ、仕方ない。これでも配慮はしてくれたんでしょう?」
「そうだけど……。情報源の保護は命なのに」
「どのみち、あんなところなら辞めてせいせいしたよ」
「これからどうするの?」
 ユイは本心から心配してくれたようだった。それ自体はありがたいことではあったが、どうもユイと僕とでは、職場を去ることに対する価値観が違うようだった。
「別に。所詮バイトだし。バイトなんて探せばいくらでもあるでしょう。コンビニでも、ガソリンスタンドでも、工場でも行けばいい」
「……」
 ユイは明らかに何か言いたげだった。
「いや、言いたいことは分かるよ。そりゃ、ユイちゃんみたいに大学を出て新卒で大企業の正社員になった人からしたら、さぞかし不安定に見えるんだろうけど。でもこれは僕が望んだ生き方なんだ」
「……そうなの?」
「そうだよ」
「今の仕事、何年やってたの?」
「……五年」
「その前は?」
「……別の派遣会社で、主に工場」
「そこはなんで辞めちゃったの?」
「……」
「ずっと居たら正社員になれたとか、そういうのなかったの?」
「違うんだよ。そうじゃないんだ。別に安定して生きるために生きてるわけじゃない」
価値観の違い。ユイに限らず、今までもちょっとした会話の中で人から聞かれたことは何度かあった。「正社員にはならないの?」と。
僕は逆に問いかけた。
「なんでそこまでして正社員にならないといけないの? 仕事なんてそこら中にあるのに」
「でもみんなそうしてるんだから」
「分かんない分かんない」
 僕はジョッキを空け、次の生ビールを自分の分だけ注文した。テーブルの正面に座るユイが前のめりになって言葉を発する。
「今は分からないかもしれないけど、いずれ君だって結婚して子供ができて、四十代五十代になっても今みたいに日雇いのバイト暮らしだったら……」
「上司に頭下げて、先輩後輩関係で振り回されて、オンオフ問わず常に会社の看板を背負わされて、何かあったら会社から怒られて。うまくいかないことがあっても従わないといけなくて。同僚とはいつまでも『会社がさあ』とか『上司がさあ』とか愚痴ばっかり言い合って。うまくいかないことを全部、自分ではない誰かのせいにしたまま三十代四十代になって、そんな人生を送るほうがよっぽど嫌だ。それこそ今回だって、僕が僕の責任でマスコミに警備バイトの実態を証言して、その結果自分の責任でクビになっただけだ。もし僕があの会社の正社員だったら、多分証言する勇気なんて出なかっただろうし。同じように情報源が特定されてたら、僕が正社員だったらもっといろんな無関係の人を巻き込んだ大問題になってたかもしれない」
「……」
「例えばプロ野球選手だったら、三十過ぎてレギュラーにもなれてなかったら普通クビじゃないか。そんな選手が、『チームがさあ』とか『監督がさあ』とか、そんなこと言ってたらどう思う? 僕だったら……恥ずかしくて、とても生きていられない」
 新しい生ビールが届いた。
「……思い出した」
「え?」
「私、思い出した。三年生の時、君が『将来はプロ野球選手になりたいです』って言ってたこと」
「……なんでそんなの覚えてるの。僕は覚えてないよ」
 僕はジョッキで自らの口をふさぐ。
「覚えてるよ。君が休み時間の三角ベースで活躍してたことも」
「そんなの忘れてよ。小学生の頃の話じゃないか」
「覚えてるよ。その時私、君ならきっとこの街から飛び出せるって……」
「今関係ないでしょ」
「関係あるよ。なんでそんな……」
 ユイが、あっと口を閉ざす。僕は反射的にまくし立てた。
「そんな? そんな、何? 『なんでそんな夢がない人生送っちゃってるの?』って? 決めつけるなよ。勝手に」
「そんなことは……」
「だいたい僕は、別に野球部だったわけでもないし。具体的にプロ野球選手になろうとしたことなんて一度もない。野球の話は、あくまでも例えとして出しただけだ。僕は僕として、ちゃんと自分の責任で自分の人生を歩んでるんだって言いたかっただけだ」
「……君はそうやって、自分のことは否定するなって言うくせに、なんだかまるで、例えば正社員みたいに腰を据えて生きてる他人のことは一生懸命否定してるみたい」
「……」
「プロ野球選手でもなんでもいいけど、あの人たちだってどんなに頑張ったって遅くとも四十ぐらいまででほとんど必ず引退して、それからは私たちと同じようにそれぞれどこかの会社に所属したりしてスーツ着て生きていかないといけないんだから。サラリーマンにどんなイメージ持ってても勝手だけど、みんなそれぞれ自分の頭で思い悩んでるんだから」
「……」
「ほら、この前も引退してニュースになってた人いたでしょ? あの人、私たちと同世代なんだよね。確か」
「小田切光輔」
「そう」
 知っているとも。
 思えばさっき無意識に野球選手の例えを出してしまったのは、彼のせいかもしれない。
「僕はね、あいつを甲子園のアルプススタンドから見てたんだ」

(十五)

 小田切光輔は、僕らの世代の光だった。
元々中学時代から注目されていた存在だったようだが、最初にその名を明確に全国に轟かせたのは高校一年の夏だった。一年生にして名門校の背番号「1」を背負った小田切は、甲子園の初戦で十四奪三振完封の鮮烈デビューを果たす。注目を浴びたまま、彼は名門を二十年ぶりの決勝まで導き、挙句の果てに決勝でノーヒットノーランをやってのけたのだ。日本中のメディアが一斉に注目した。『光ちゃん』とあだ名をつけ、大会後しばらくたっても、野球部の練習風景のみならず学校の通常の授業風景がワイドショーで放映された。何より大人たちが舌を巻いたのが、小田切自身、そのフィーバーを重圧に感じるどころか楽しんでいた様子だった点だ。あまりに堂々としすぎた対応に一部の球界OBは「かわいげがない」と苦言を呈する者もいたが、秋の関東大会と翌春の全国大会でも抜群の実力を見せつけ、反感の声を黙らせていた。
 そんな中、二年生の夏に僕の高校が三十年ぶりの甲子園出場を決めた。しかも、初戦で小田切のいる梵光学園高校と対戦することに決まり、夏休み中にもかかわらずバスを手配して全校あげて甲子園まで応援に行くことになった。
「行くのはいいけど、さすがにバス移動はだりいな」
 クラス四十人が押し込められたバスで、たまたま隣に座った同級生の山岡幸也が話しかけてきた。天然パーマで大きく膨らんだ頭が特徴的だ。よく同級生から「ブロッコリー」などとからかわれていた。
「まあ、しょうがないんじゃない? うちも結構全国にお金持ちの卒業生が多いから、甲子園のスタンドがガラガラだと卒業生がうるさいって先生が言ってた」
「へえ。お前、なんか情報通だなあ」
「そんなんじゃないよ」
「なに照れてるのさ」
 山岡が快活に笑いながら肘で僕の脇腹を小突く。
僕は生まれた街から電車で一時間弱の距離にある県立高校に進んだ。文武両道をうたう進学校で、僕のことを知る人は同級生にいなかった。だが、いいクラスで、いい同級生に恵まれたと思う。僕は目立たないながらも居心地よく過ごしていた。山岡は、当時何度目かのバンドブームに乗って教室にギターを持ち込み、しょっちゅう仲間に囲まれてギターをかき鳴らしていた人気者だったが、僕のように目立たない同級生にも分け隔てなく接してくれた。
「中学で野球やってた?」
「やってないよ」
「部活は? ……バスケ部?」
「いや……。確かにこんな身長だからバスケはちょっと考えたし、野球だって見るのは好きだけど、僕家庭の事情で土日に部活に出られなくて。だから帰宅部だった」
「なんだあ、もったいないなあ。せっかく背が高いのに」
「背が高いだけでひょろひょろだよ」
 実際、中一の時点で百七十センチを超え、中三で百八十センチになっていた僕は中学時代何度も、バスケ部はじめ運動部に誘われていたが、そのたびに「家庭の事情で……」と断っていたのだ。
「なんだよ家庭の事情って」
「いろいろあんだよ。聞かないでよ」
「そっか」
 山岡はそれ以上追及はしなかった。
「でもこの前の体育のバスケでも結構活躍してたよな」
「そんなことないよ」
「あっはっは! お前、褒められると本当照れくさそうに笑うよな!」
 山岡が声を上げて笑ったことで周辺の席の同級生の目が集まり、思わず肩をすくめた。
「いや全然いいと思うよ。下手に気張って目立とうとしてる奴よりよっぽどいい。人間、素朴が一番だな!」
 山岡はすごい奴だったと今でも思う。今でも、山岡になら会って酒でも飲みたいと思う。
 僕は、進学校の中でも学業ではそれなりの好成績を維持していた。学年で一番になるようなことはなかったが、我ながら授業はまじめに聞いて宿題が出れば忘れずに提出していたので、教師陣の印象は決して悪くはなかったと思う。それゆえ印象に残るような生徒でもなかったとも思うが。先述したように甲子園に全校応援で行くと決めた際の裏事情をポツリと漏らしてもらえる程度には、その場その場で大人たちから信頼されていた。
「音楽は何聞く?」
 バンドマンの山岡が僕自身のことに興味を持ってくれたようで、質問を重ねてきた。
 当時、なんだか世の中には「好きなもの」を統一するよう強制させられているような居心地の悪さが蔓延していたのを覚えている。例えば当時、空前のバスケブームが起きていたのだが、それはあるバスケ漫画が原因だった。全国の中高生が少年漫画誌を読みまわし、登場人物の話をする前に「お前、誰が好き?」と確認しあっていた。その漫画が好きであることは大前提で、その上でキャラクターの話を求めていたのだ。誰もが、自分が好きかどうかよりも義務感で趣味嗜好を選択しているような気がしていた。
 音楽で言えば、「何歌う?」と聞かれればカラオケの定番はアニメ主題歌やCMソング。「何聞く?」と聞かれれば、バンドブームを牽引していた有名バンドの名前を挙げればまず間違いはなかった。
 僕はそれが嫌だった。そしてそれを嫌だと思う感じを、山岡なら分かってくれると思った。「右向け右」に流されずに自分が好きなものを好きだと言えることそれ自体を強いと思ってくれるタイプだと思った。
「僕はね、ブルーハーツなんだ」
「へえ?」
「古い、とか思った?」
「いやそんなことないけど」
 ブルーハーツが一世を風靡したのは一九八〇年代後半から一九九〇年代前半だ。ブルーハーツが解散を発表したとき、僕の同級生世代で話題にする人はいなかった。世代的には五歳前後上の人たちのカラオケの定番曲という印象だった。
「いいんだ。僕はこれが好きなんだ」
「ほう」
 山岡が目を輝かせてくれていたのを僕は今でも覚えている。

(十六)

 アルプススタンドから見届けた試合は完敗だった。
 二十年ぶりに全国優勝を果たしたチームと、三十年ぶりの甲子園出場に沸き立つチームとの差、と言われれば、結果自体は予想通りだった。
 僕は母校の選手たちが三振を積み重ねていく姿よりも、同い年の小田切光輔が球場の中央から放ち続けていた強烈な光にくぎ付けになっていた。すでに日本中の注目を集め、その身に背負っているのは期待だけではなかっただろう。妬みも、難癖も、常人が想像する以上のものが寄せられているはずだ。別に一国の総理大臣や芸能人ではない。自分と同じように高校に通い、授業を受けている十代半ばの青年が、である。にもかかわらず、彼は意にも介さないような顔をして三振の山を築き、カメラの前に立ち、大人たちの期待通りの言動をしてみせるのだ。
 来なければよかった――。
 僕は痛切に思った。光が強ければ強いほど、作り出す影は濃くなる。何も考えず、テレビの前で日常を送りながら横目で見るぐらいがちょうどよかったのだ。平坦なところに影は生まれない。ただ単に太陽の恩恵を享受できるぐらいの距離にいればよかった。アルプススタンドからマウンドまでの距離は、自ら生み出す影の濃さを無視するには近すぎた。
 失明してしまいそうなほどの高揚感が僕をおかしくした。
「ねえ、梵光ってなんか変じゃない?」
 母校の選手たちが三振の山を築くのを見飽きてしまった隣の席の生徒が、反対隣の生徒に話しかけた声が聞こえた。ちょうどグラウンド整備のタイミングだった。目はグラウンドではなく、相手側のスタンドに向いていた。スタンドには紫と黒の幟旗が無数に立ち、そしてアルプススタンドの一般生徒は全員が、丸刈りの坊主頭だった。そしてみんな、紫の法被を羽織っていた。
「なんだ、知らないの?」
 思わず横から会話に割り込んでしまった。出席番号順に機械的に座らされていたため、相手は僕があまり話したことのない同級生だった。僕は相手が目を見開いてこちらを見たのに構わず続けた。
「梵光学園高校って――」

「宗教系の学校だよね」
 訥々と思い出話を続ける僕の意識を取り戻すように、ユイが口を挟んできた。
「そう」
 僕はとっくに空になっていた中ジョッキのおかわりを注文した。ユイにも注文を促し、新たに注文したカクテルが席に届いたのを待って続けた。
「普通の高校生って意外とその辺疎いからね。『梵光学園高校』っていう名前自体はテレビやスポーツ新聞で『野球の強豪校』として認知していただろうけど、その運営法人のことなんてそんなにいちいち意識しない」
梵光学園高校は、戦後間もない時期に設立された宗教法人「梵(ブラフマン)の光」が運営する高校だ。
学園を運営する宗教法人が、自らの高校の知名度を向上させて生徒獲得、ひいては宗教法人の知名度と好感度を上げることを狙って部活動を強化するのは、そう珍しい話ではない。運営法人は野球部に潤沢な資金を回すから、中学時代に有望視された選手たちはそのトレーニング環境や充実した指導者陣に惹かれて入学し、思惑通りに活躍して全国大会で母校の名を大いに宣伝するのだ。実際には学園に通う生徒が必ずしもその宗教の信者でなければならないというわけでもないようだが、坊主頭や法被の着用などは校則で定められているらしい。梵光学園高校の卒業生は何十年も前からプロ野球界で多数活躍していたが、特に何か宗教的な活動をしている様子は報じられてこなかった。折に触れて週刊誌などが信者かどうかを本人に直接問いただす記事を出していたが、否定する者がほとんどだった。
 だが、小田切光輔に限っては例外だった。
 小田切が一年生の夏で「光ちゃんフィーバー」を巻き起こしてすぐに、ある週刊誌が小田切の両親に直撃取材を実施。その際、両親ともに堂々と信者であることを認めた。光輔の「光」も、「梵の光」から取って名付けたと公言。そして光輔自身も、毎日欠かさず「お祈り」をしているということは野球系雑誌の取材にも公言している。
「アルプススタンドで高揚していた僕は、隣の席の同級生に対してその辺りの事情を早口で一気にまくしたてた。気づけば周辺の結構な人数が僕の話に聞き入っていたみたいだ。ほら、あるでしょう? たまたま空気がちょっと静かになって自分の声がやけに広く響いちゃうタイミング」
 ユイは静かにうなずき、「あるある」と呟いた。
「一瞬『しまった』って思ったよ。でも隣の席の同級生はべつに引く様子はなく、『へえ』って言ってくれた。しかも、僕の二列後ろにいた山岡がフォローしてくれたんだ。『やっぱりお前情報通だな! すげえな!』って」
僕の脳裏に当時のアルプススタンドの光景がよみがえる。記憶の中のそれは、まるでサーモグラフィーのような映像になっていて、僕の周りの人間はみんな真っ赤に染まって興奮していた。その中でもひときわ真っ赤になっていたのが僕だった。あくまでも心象風景だが。
「思わず照れて、『何か言わなきゃ』って思っちゃったのかな。それとも、『この空気でなら言っても大丈夫』って思ってしまったのかな。僕は、それまで十六年間誰にも言わずに隠し続けていたことをつい言ってしまった」
 ユイは僕の目を見ずにカクテルを口に含み、黙って耳を傾けていた。
「実は僕の家も『ブラフマンの光』の信者なんだ、って」

(十七)

 「梵の光」は、東京都に拠点を置く新興宗教だ。二十三区内にある巨大な敷地に本拠地を構えており、梵光学園もその敷地内にある。全国各地に拠点があり、僕が住んでいる県にも県庁所在地に一軒、「教会」と呼ばれる建物が建っている。
 一応、教義が存在するようだが、そこまで厳格ではないとされている。少なくとも僕は教義をしっかりと把握しているわけではない。新興宗教で時折問題になるような、お布施として大金を巻き上げられるような制度が明文化されているわけでもなく、信者に高額な商品……例えば壺などを無理やり買わせるようなシステムも、おそらくなかったはずだ。
 だが、毎週末は必ず各地方の教会に行き、そのうち最低でも月に一回は必ず東京の本拠地で参拝をしなければならないというのは、なんとなく定められているようだ。必ずと言いつつ、守れなかったとしても罰則があるわけではないようだが、僕が言い聞かされてきた話を聞く限り「まじめに通っておけばいいことがあるし、なんだかんだと言い訳をつけて教会に通わなかったりするような人のことは神様も守らない」と教え込まれているのだという。
 いつだったか聞かされたのだが、最初に入信したのは僕の父方の祖母だった。僕の父方の祖父は、父が十代の時に病で早逝したらしいのだが、その時に祖母がやや精神的に不安定になった。口さがない地元の目を避けるために県庁所在地にある精神科まで通っていた時にたまたま出会った人間から、この宗教への入信を勧められたのだという。敬虔な信者になった祖母は、父に対しても信仰を勧める。自らの母の精神状態がそれで安定するなら……と、父も祖母に連れ添うように教会に通うようになったのだという。やがて父は母と出会い、結婚する。どうやら結婚するまで、母は梵の光のことを知らされていなかったらしい。だが逆に、祖母は父の結婚にあたって梵の光の関係者にかなり細かく相談していたらしく、梵の光のお墨付きを得た母は、祖母から歓迎される。結婚後に梵の光のことを知らされた母は「これは逃げられない」と直感したという。覚悟を固めて自らも入信したのだ。
 僕は、毎週末必ず県庁所在地の教会に行き、そのうち月に一回は東京の本拠地で参拝することに対して、特段なんとも思っていなかった。なぜなら生まれたときからそうだったから。どの家庭でもそういうものだと思っていたのだ。前述の通り、僕が住んでいた街は県庁所在地まではローカル線で二時間。東京まではそこからさらに新幹線で三時間の距離だ。僕は、家族そろって毎週末お出かけすることを結構楽しみにしていた。県庁所在地まではマイカーで行った。車で行ってもだいたい二時間だ。運転席には父。助手席には祖母。後部座席に僕と母。母が早起きして作ってくれたおにぎりを、車の中で食べるのが好きだった。好きなおにぎりは鮭と焼きたらこ。小さな弁当箱から取り出して、隣に座る母にその場で海苔を巻いてもらって食べた。母は時々、鰹節をまぶしたおにぎりを作ってくれることもあった。弁当箱を開けて鰹節をまぶしたおにぎりの茶色が見えると「おかかだ!」と声を上げて喜んだ。おにぎりばかり食べていると「お茶も飲みなさい」と言われて、水筒のコップに麦茶を注いでもらった。僕は今でも水筒を見ると、家族と過ごした車の中の匂いを思い出す。
 県庁所在地の教会は簡素なもので、今にして思えば各地方の信者を管理する事務所のような役割を果たしていたのだろう。お寺と神社の間をとったような瓦葺きの建物に上がり、畳の広間の奥に鎮座するご本尊に向かって手を合わせて、正座でお祈りする。お参り自体は僕は別に好きでも嫌いでもなかったが、教会に行った帰りにドライブであちこちに立ち寄ってから帰るのが楽しみだった。
 月一回、東京への参拝はもっと楽しみだった。さすがに車で行ける距離ではないので、家族四人そろって始発で電車に乗り、新幹線に乗り継いで行った。本拠地への参拝のタイミングは「月一回程度」と定められているだけで、平日も含めていつ行ってもよいのだが、僕らが本拠地に行くといつも敷地内には大行列ができていた。本拠地のご本尊へのお祈りの列だ。始発に乗って東京へ行くと本拠地に着くのがだいたいお昼ごろ。そこから2時間程度並んでご本尊へのお参りをすると、その場で「先生」と呼ばれる人と話をすることができる。先生は紫色の法被に身を包んだ僧侶のような恰好をしていて、一人一人の人生相談などに応じてくれる。精神的に不安定だった祖母を安定させたのも、僕の父と母の結婚にお墨付きを与えたのも、僕の名前を決めたのも、この先生だったという。先生は優しく話を聞き、時々僕の頭をなでてくれた。
「すごいわね。毎日こんなにたくさんの人がいろいろなご相談をするのに、ちゃんとそれぞれの家庭のことも覚えてくれているんだもの」
 祖母は毎回必ず、先生への相談を終えた後は決まりごとのようにこう口にしていた。祖母は毎回、必ず茶色い封筒を先生に手渡していた。
 本拠地の敷地は広大で、敷地内にはご本尊以外にもいろいろなお堂や祠が建っている。僕ら家族は、先生への相談を終えた後、それぞれのお堂や祠の前で手を合わせる。小規模ながら「巡礼」のイメージだ。敷地内には緑が豊富で、祠もわざわざちょっとした林の中に置かれていたりするものだから、僕はピクニック気分でそれを楽しんでいた。時々、父や母と一緒に芝生広場でつくしや四葉のクローバーを探したりすることもあった。巡礼が終わって敷地を後にする時点で、だいたい午後三時過ぎだ。夏場ならまだまだ日は高いが、冬場だともう日が傾き空が黄色に染まり始める時間帯。僕は黄色の空を見るのがなんだかもの悲しくて、「もう夕方だ」と呟いて父の背中にしがみついたりしていた。そのまま東京都内に宿をとって一泊して、遊園地などに遊びに行くこともあったが、さすがに金がかかりすぎるのでその日のうちに帰ることの方が多かった。帰宅するころには深夜だ。それでも僕は、新幹線の匂いや鮮やかな青色や流線形が好きだった。月一回、新幹線の中でしか食べることを許されないコンビニのおにぎりは、母が作ったおにぎりとはまた違うおいしさや楽しさがあった。当時、僕の目に映っていた東京は色彩に富んでいたのだ。

(十八)

「そうそう、もう一つ、教義で決められていたことがあった。これは結構厳格に」
 僕はジョッキをぐいっと空けながら言った。
「飲酒禁止」
 ユイは少しだけ目を見開いた。僕は店員を呼び、ビールのおかわりを注文して続けた。
「飲酒と、あと、実は牛肉も食べちゃだめだったんだ」
「……へえ」
「ほんと、親父もおふくろも、大人になってから入信してよく耐えられたと思う。今時、普通に生活していたらお酒も飲めない、焼肉もろくに行けない、そんなことを公言しないといけない人間は面倒臭がられてロクなコミュニケーションもとれやしないよ」
「……黙って飲んだり、食べたりしてた人もいるんじゃないの?」
 ユイは少しだけいたずらっぽい顔で、僕がビールを飲み続ける様子を眺めながら言った。
「その辺が信仰の奥深いところでね……」
 僕は話を続けた。

 毎週末の教会通いと、毎月の本拠地への参拝について「まじめに通っておけばいいことがあるし、なんだかんだと言い訳をつけて教会に通わなかったりするような人のことは神様も守らない」と教え込まれていたというのは先述した通りだが、飲酒禁止や牛肉食禁止の戒律についても同様に教え込まれていた。つまり「神様の飲み物であるお酒を飲んだり、神様の使いである牛の肉を食べたりすれば、神様は必ずそれを見ている。誰かに言おうが黙っていようが、そんな人のことは神様からすぐに見放される」と言われていたのだ。
 この「神様は必ずどこかで見ている」という考えが宗教の面白いところであり、怖いところでもある。というか、それを神様と呼ぶかご先祖様と呼ぶかお天道様と呼ぶかツキと呼ぶか、それぞれの違いはあれど、世界中で人間誰しもが普段から少なからず思っていることだと思うし、それはきっと人間社会を維持する倫理や道徳の出発点なのだと思う。
 ある時、幼い僕が、「あのいつも優しい『先生』が、怒ることってあるの?」と家族に尋ねたことがある。祖母は、
「あるよ。こっそり牛肉食べちゃったりお酒飲んじゃったりしたら分かっちゃうみたいでね。そういうときはすっごく怒るらしいよ」
 と言っていた。
また、お布施として大金を巻き上げられるような制度が明文化されているわけでも、信者に高額な商品を無理やり買わせるシステムもなかったはずだ、というのも先述した通りだが、これは単に明文化されたものがないというだけで「信者が勝手に金を出す分にはそれを禁止していない」というのも重要な点だ。
祖母が毎月「先生」に手渡していた封筒の中身は、言うまでもなく金だった。具体的にいくら包んでいたのかは聞いたことがない。だが、こっそり様子をうかがっていた限り、祖母に限らずほとんどの信者が、先生への相談の際には封筒を手渡していた。祖母が体調不良などでどうしても月一回の相談に行けないときには、父が代わりにその封筒を持参していた。これも、「まじめに信仰している人のことを、神様は必ず見ている」という考えに基づく。少なくとも祖母が生きた昭和の日本において、「まじめさ」を数値で示すものは、金だったのだ。そういう価値観だったのだ。

「ついでに言えば、結構高いお守りやお札の類も、毎月買っていた」
「……」
「正直、こんな言い方をすると『カルトじゃないか』なんて思われるかもしれない」
僕はやや身構えていたユイにやさしく説明した。
「でも例えば、お正月の初詣の時、お賽銭を投げるのと一緒さ。一円玉や五円玉ではご利益が少ないかもしれない、とか思うでしょ? 受験だとか、大きな仕事の前には思い切って五百円玉を投げたりしたこともあるかもしれない。それと一緒。あるいは、クリスマスの前には親が子に『いい子にしていないとサンタさん来ないよ』って言い聞かせて、子供は十二月になると急に親のお手伝いをしたり、肩たたきをしたりするようになる。あれと一緒。洋の東西を問わず、僕たちはそうやって普段から神様に賄賂を贈っているんだ」
「初詣やクリスマスは、できたの?」
「ああ、全然大丈夫だった。そういうのを禁止している宗教もあるらしいけど、うちのところは、そこまで厳格じゃなかったと思うから、家族で普通に祝ってた」
「……そう」
 ユイが視線をやや左下に向けて頷いた。
「『カルト』疑惑のある宗教の多くが『うちには信者から金を巻き上げるシステムなんてありません』って明言するのも、これと同じ。システムも規則もない。あるのはただ、人の信心だけ。人の良心に値札をつけて、オークションをするのが宗教法人の本質なんだよ。『誰々はこんなにお金を払ったらしい、じゃあウチはもっとお金を払わないと神様から見放されてしまう』って。宗教法人は、信者がそうやって献上してきた金をただ受け取るだけ。『金をよこせ』とは言わない代りに、『金を払うな』とも言わない。ただ寄付金を受け取っているだけだから、法律で制限するのも難しいだろうね」

(十九)

「……でも、君はそこの信者であることをずっと隠していたわけだ」
 ユイが久しぶりに真正面から目を見つめてきて、少し背筋が伸びた。
「……そうだよ」
 それこそ、小田切光輔のように堂々と胸を張って「梵の光の信者です」と言えたなら、きっと僕の人生はまったく違っていただろう。良くも悪くも。ただ少なくとも、人口約三万人の閉鎖的な「鈍色の街」で、一家そろって新興宗教の信者であることを公言することはメリットよりデメリットの方が大きいと判断した父母の考えを、僕は批判はできない。ただ、「だったら初めから宗教なんてやるな」とは言いたい。少なくとも、周囲の対等な立場の友達に対して隠し事を抱えたまま幼少期から思春期を過ごしたことが、僕の人格形成に影響を与えたことは否定できない。
 僕が小学校に入る前は、よく近所で大勢の前で「次はいつ東京に行くの?」とか母親に尋ねたり、「この前東京に行ったとき」などと友達に自慢したりしていた。母にはそのたび「あんまりそういうことを大声で言わないの」とたしなめたられたから、僕はだんだん言わないようになっていた。
 僕は当時、毎週末家族で都心部に出たり、東京に行ったりすることが普通で、どこの家庭もそういうものなのだと思っていた。さらに言えば、僕にとって当時教会への参拝は宗教的儀式だという認識はなく、家族でお出かけをしたついでに何か偉い人に挨拶に行っている、ぐらいの感覚だった。実際にはあの街で、毎週末必ず出かけ、しかも毎月東京に行くだなんて、相当異質な存在だっただろう。多分、父も母も人間関係には相当気を遣っていたのだと思う。毎週末のドライブならまだ一家団欒で済ませることができるが、毎月東京に行っていることはあまり知られたくないようだった。結果として、僕は成長するにしたがって、東京の本拠地に行くために家族四人で始発に乗り込むとき、まるで夜逃げでもしているような気分を味わうようになっていった。
 そして僕が小学校に通うようになると、毎週末必ず家族で出かけないといけないことを次第に疎ましく思うようになった。土日に友達が遊びに誘ってくれるのを、必ず断らなければならないからだ。しかもその理由は「家族で出かけるから」。どこに、と聞かれても、あまり具体的には言えない。そのように言いつけられているから。小学校低学年の時はまだいい。中学年、高学年になって、だんだん周りの友達が子供だけで出かけるような年頃になってからも、僕は「土日は家族で出かけるから」と言い続けなければならなかったのだ。
 さらに言えば、僕は家に友達を呼んだことがなかった。家にはあちこちにお札が張られていて、さらに居間には巨大な神棚があるからだ。僕がそれに触ると、祖母や父は猛烈に怒った。だから、もしヤンチャな友達を呼んで、神棚やお札に触ったり、万が一破損したりすれば、とんでもないことになる……と恐れていたのだ。
「ずるいな、と思うのは、親父もおふくろも、僕に対して『家に友達を呼ぶなよ』なんて一言も言わなかったんだ。むしろ、一丁前に、僕が友達を家に呼んでくることを期待すらしてたんじゃないかな。なんとなく。だから僕は、友達に対して『親がそういうの嫌がるから』と言うことすらできず、自分の判断で友達に『来るな』って言うしかなかったんだ」
 なにより、小三ぐらい……思春期に差し掛かりユイへの好意を自覚したぐらいのころから、僕は自分が梵の光の信者であることを「恥ずかしいことだ」と思うようになっていた。
 小四の時、母親に「野球を始めたい」と言ったことがある。それこそ、三角ベースで大活躍して、同級生からチヤホヤされる日が続いていたころだ。地元の少年野球団に入りたいと言ったのだが、結局「土日は教会に行かないといけないから無理でしょ」と言われて断念した。
 今にして思えば、週末の参拝のたびにちょっとしたドライブや東京観光に連れて行ってくれていたのは、友達と遊んだり少年野球団に入ったりできない僕に対して、何か代わりに人格形成に必要な刺激を与えたいと思っての教育的配慮だったのかもしれない。

「ちょっとユイちゃんに聞きたいんだけど」
 ユイが優しい目を向けてくれた。
「正直、あの時僕、周りの友達から変な目で見られたりしてなかった? 友達付き合いが悪くて家族といてばっかり……みたいな」
「ふふ。私はもちろん小四までしか知らないけど、そんなことなかったと思うよ」
 ユイが静かに笑う。
「それより、ああ、あの時私が『君ならきっとこの街から飛び出せる』って感じてたのはそういうことだったのかあ、って納得しちゃった。君はとっくに『鈍色の街』から飛び出していたんだね」
 鈍色の街に縛り付けられていたユイが切なげに言った。
「前も言ってくれてたけど、『鈍色』って、覚えてたんだね」
「うん。……なんか、かっこいい言い回しだったし。『死んだ鉄の色』っていうのも、あの街にぴったりだなって思って」
「……ごめん、それも、実はブラフマンの光の『先生』の受け売りだったんだ」
 ユイがまた少し目を伏せたのが分かった。

(二十)

 僕の父は元々製鉄工だった。地元の工業高校を卒業後、そのまま地元に就職。あの街では大多数の男がとる進路を選んだ。だが、就職後間もなく祖父が死に、結果として家には結構な額の保険金が入った。一家で毎月東京に出かけれられるほどの余裕があったのはそのためだ。この余裕が中途半端に父を惑わせた。僕が生まれたばかりのころ、父は「先生」に対して、こんな相談をしたのだという。
「今後も末永く東京のご本尊にお参りすることを考えたら、あの街を出て東京に転居した方がよいのでしょうか」
結局、人間は何歳になろうと、家庭を持ち子供を持とうと、自分だけで自分の進路を決めて生きていけるほど強くはないものだ。相談できる他人がそこにいれば、とりあえず相談したくなる。身内ではない第三者だからこそ言ってくれる言葉があると信じて。事実、第三者だからこそ言える、気持ちのいい言葉はあるだろう。だがそれを繰り返せば、人はやがて他人に依存してしまうのだ。「いい大人が、自分の人生ぐらい自分で決めろ」なんて言うことは簡単かもしれないが、いざ自分の身に置き換えて考えてみると、むしろ家庭を持ち子供を持ち、自分の選択が自分一人の責任ではなくなってからの方がそうした相談相手は欲しくなるのだと思う。
先生は言った。
「それはなかなか大変でしょう。そこまで無理しなくていいですよ」
 今思うと、正直かなり上手い言い方だと思う。まず梵の光の寛容さを示す。そして続けた。
「ただ、今の仕事は……。製鉄工でしたか。……あまり良い色が見えませんな」
「……色……ですか」
「そう。……例えるなら、鈍色。……街全体を、鈍色が覆っている」
「鈍色……」
「死んだ鉄の色です」
「……」
「あまり、今の仕事を長くは続けない方がいいかもしれません」
「……『死』にまつわる出来事に巻き込まれる可能性も……?」
「それは分からないが……」
 父の顔は真っ青になった。実は当時、製鉄所内でインシデントが頻発していたのだという。鉄鋼業界全体の売上が落ち込み、人件費が急速に縮小されていた時期だった。
「しかし、じゃあ次、何をすれば」
「……正規雇用にしがみつき続けるような時代でもないと思いますがね。生きてさえいければいいぐらいの気持ちで、なんでもしてみたらいかがですか」
いじらしくも父はその言葉を真に受け、すぐに製鉄所を退職してしまった。資格も何も持たず、次の勤め先も決まっていない状態だった。母は反対したというが、「いいんだ。俺も今の職場になんだか嫌な予感がするんだ」と、最終的には父の判断で強行したという。
 奇しくもその年の暮れ、製鉄所で大きな爆発事故が起きた。人件費削減に伴う現場の疲弊と、長年使い続けた設備の金属疲労が原因だったらしい。父は「それみろ! あの時辞めてよかった」と大いに喜び、すぐに一人で東京に飛んでいき、先生にかなりの札束を包んだらしい。
 冷静に考えると、当時製鉄業界が落ち込んでいたことぐらいは誰でも知っていたことで、普段から丁寧に各方面の情報を収集していれば近い将来にどんなことが起こるか、ある程度予測することはできる。信者の中には内情に詳しい人間もいただろうから、先生の元には常日頃多くの情報が集まっていただろう。初歩的な占術、というか単なる将来予測だ。
そして、教団にとっては信者が東京に転居してこようが、地方の田舎に住んでいようが、大して違いはない。拠点自体は全国各地にあるし、すでに月一回は欠かさず東京に来てくれるまじめな信者の東京への交通費負担がいくらかかろうと関係ないのだ。問題は、まじめな信者が「このままでは末永く教会に通い続けることは難しいのでは」という精神的揺らぎを抱き始めたことだ。このタイミングで、金銭的にも肉体的にも負担の大きい引っ越しを経た上で、しかも情報量の多い東京に来てしまうと、むしろ揺らぎが疑問に変わってしまう可能性もある。支配は田舎者相手の方がやりやすいのだ。信者の心を教団から離れさせないために、直近の未来を予測して的中させる「神がかり」をする必要があった。結果、見事に教団への妄信を強めた父は、製鉄所の社員を辞めて、しかも地元に残り、数少ない働き口だった役所の守衛になるという、最も中途半端で最も愚かな選択をしてしまった。それ以来、あの街で製鉄所に残った人間たちを揶揄するかのように「あの街の鉄はすでに死んでいる。あの街は鈍色だ」と口癖のように繰り返すようになったのだ。そして僕は、小三のころにその言葉を言い聞かされたというわけだ。

(二十一)

「ユイちゃんはきっと、小四まで一緒にいた僕のことを悪からず思ってくれているんだろう」
 再びユイに問いかける。
「……うん」
 ユイは下を向いたまま言う。かすかに頬が赤らんだ。
「……でも、隠し事をしたまま十代を生きるには、あの街は狭すぎた」
「……」
「同級生世代はまだよかった。新興宗教のことなんて別によく知りもしないから、いじめの材料にすらならなかった。問題は大人たちだった。教員も含めた大人たちが、僕に対して腫れ物を触るように扱うようになった」
「……それ、私と同じかも」
「そんなこと、この前言ってたね。大人たちから、市長のことをいろいろ言われたって」
「……私が小四であの街を逃げ出さなかった未来が、今の君なのかな」
「……」
「それから、どうなったの?」
「結局、中三ぐらいになると同級生からもいろいろ陰で言われるようになった。『カルト信者』とかね。……陰口って、やさしさなんだよね。直接言って傷つけるのを怖がった人が、それでも自分の中の疑問を解消するために他人と共有してみる行為。だから別に僕も反論する気なんてなかった。……どうせ陰で言うなら僕の耳に完全に届かないところで言ってほしかったっていうのはあるけど。それで、僕もとにかくあの街を出たくて仕方なかった。結果的には、電車で一時間ぐらい離れた県立高校に進んだ」
「勉強、頑張ったんだね」
僕の口角が自然と上がったのを感じた。当時は「頭いいんだね」とか「勉強できるんだね」とか言われたことはあったが、別に頭の出来が他人と違うわけではなく、野球部員が夜遅くまで素振りやランニングを続けるように、吹奏楽部員が楽器を家に持ち帰って練習するように、僕はただ勉強を頑張ったというだけだ。その努力自体を評価する言葉をかけてくれたのがうれしかった。きっと、ユイがもっとずっと僕の近くにいてくれたら、僕の人生は違うものになっていたんだろう。
「親は、それこそ僕を梵光学園に入れようかとも思ってたみたいだ。僕は正直、それでもいいかなと思った。梵光学園に行けば東京で寮生活をすることになる。あの街は離れられる。生徒は、特定強化の運動部以外はブラフマンの光の信者がほとんどだから、信者であることを隠す必要もない。さすがに高校から野球を始めるのは無謀だろうけど、無駄な長距離移動で土日をつぶされることだってないから部活だって始められる」
「『確かに』って思うけど……。そうならなかったのは……?」
「この期に及んで『東京の私立に行かせて寮に住ませるような金はない』って言われたんだ」
「え……」
「ひどいと思うだろう? そうだ。馬鹿なんだよ。さっきから気づいてるでしょ? ウチの親は馬鹿なんだ。おじいちゃんが亡くなって、たくさん保険金が入って、親父は一応安定していた製鉄所にいたのに。それらを自ら手放して、その金を何十年もかけて全部ブラフマンの光につぎ込んだんだ」
「……」
「正確には教団に支払ったお金より、東京までの交通費とか時々かかる宿泊代とか、そっちの負担の方が大きかったと思う。でも支払ってる側からすれば同じことだ。それだけじゃ飽き足らず『先生』には金の入った封筒を手渡し続けてたのだって事実だ」
「……」
正直なことを言えば、僕を梵光学園に入れなかった理由は金だけではなかったのだと思う。僕が梵光学園に入れば、僕自身は東京に逃げることができても、田舎町に残る両親と祖母はいよいよ「一人息子を宗教学校に送り込んだ宗教一家」との好奇の目に晒されることになる。それが嫌だった、というのがむしろ本音だったのではと想像する。ただ、その想像を事実だと認めてしまうと、いよいよ僕の両親が「子供のことより自分たちの世間体しか考えない大人たち」だということを認めてしまうことになるから、それ以上想像することを本能的に避けていたのだろう。
「さんざん『お前のため』『お前の幸せをお祈りするために家族みんなで教会に通っているんだよ』なんて、まるで信仰自体を僕のせいにするみたいなことを言っておいて、手元の金がどんどん減ってることにすら気づかないで。僕の土日を奪って、僕の友達を奪って、僕の自由を奪って。この期に及んで僕が逆にその教団を利用してやろうと歩み寄った瞬間、その権利すらも奪って」
「でも、それは……」
「分かるよ。僕にとってはいい機会だった。教団から離れるきっかけになったんだ。僕は両親を前に宣言したよ。『分かった。県立に行かせてもらう。学費は、入学金さえ出してくれれば後は自分で稼いで払う。その代わり、もう二度と教会には行かない。土日はバイトの時間に充てる。ブラフマンの光の神には二度と祈らないし、牛肉は食うし、場合によっては酒だって飲む。あの教団との関係は断絶させてもらう』って」
「……うーん……。それで……お父さんお母さんはなんて……?」
「……『分かった。そういう風に先生にお伺いを立てに行こう』って」
「ああ……。なるほど」
「この人たちはもうダメだ、って思った。一刻も早く家を出ないといけない、って思った」
「でも、結局家を出なかったし、入学金は払ってもらったわけでしょう?」
「自分がいかに両親に甘えて育っていたか痛感したよ。そういう時に自分の足だけで立って生きていくことすらできないなんて。とにかく金を貯めないとだめだって思った。僕は結局、中学時代と何も変わらない高校生活を始めた。中途半端なのも親父譲りなのかな。土日に、教会に通う代わりにバイトをするようになっただけ。相変わらず宗教のことは隠したまま、下手に注目されないように気を付けながら生きてた」
「でも、教会に通わなくてもいいよ、って認めてくれたんだ」
「……。五月ごろだったかな、こっちからは何も聞いてもいないのに、親父が何やら神妙な表情で話しかけてきたと思ったら『先生が、今の高校で頑張りなさい、って言ってくれたよ』とか言いやがった。僕は無視したよ」
「……結局お伺いを立ててくれちゃったんだ」
「……その年の冬、正月にいきなり『今から東京行くぞ』とだけ言われて車に乗せられて、何事かと思ったら東京の本拠地の新年大祭に連れていかれた。必死で抵抗したら、とうとう親父から殴られて、放心状態のまま参拝させられたよ。『正月ぐらいは家族そろって挨拶をするもんなんだ』って」
「……」
「もうダメだと思った」
「……なのに、次の年、甲子園のスタンドで言っちゃったんだ。『ウチもブラフマンの光の信者だ』なんて」
「……本当に、どうかしてた。言った瞬間、それまで真っ赤だったサーモグラフィーが真っ青になったのを感じたよ。みんなが……山岡も……、『は?』っていう顔だった」
「でも、高校生にもなってそれで今更……例えばいじめの対象になったりする?」
「そんなことはなかったよ。でも、僕自身がいたたまれなかった。もう、同級生の顔を見られなくなっちゃったんだ。何かあるたびに『ああ、今こいつの頭の中には僕の宗教のことが思い浮かんでるんだろうな』って思ってしまうようになった」
「そんなことはないと思うけど……」
「うん。そんなことはないんだと思う。でも、僕がそうなっちゃったんだ。我ながら病的だと思うけど」
「それで……どうしたの?」
「僕はバイトばっかり行くようになって、どんどんどんどんシフトを増やして、平日の日中にも入れるようになって、学校に行かなくなって。最後は二年の終わりで、進級できないことが決まったタイミングでやめた」
「え……。親御さんは?」
「もう普段から話なんかしてなかったけど、最後は退学が決まった時に丁寧に手紙を書いたよ。『もう家を出るので、縁を切ってください』って。最初はずいぶん大騒ぎされたけど、最終的には『生存確認のためにメールは返すので、警察を呼んだり居場所を探したりするのは勘弁してください』って言って、それ以来一度も家には……というかあの街には一歩も立ち入らず……。今に至る」
「そんな……」
「なんていうのかな。正直、バイトしてみて思ったんだ。『この環境、すごい楽だ』って。人間関係に振り回されることもない。最低限マニュアルで決められた通りの仕事さえしていればお金もらえるって。高校時代のバイト先はコンビニだったけど、本当に楽だった。僕の両親が宗教に傾倒していようが、僕がどこの出身だろうが、例えば親がどこかの市長で秘書と不倫していようが、僕が誰かの隠し子だろうが、そんなこと誰も興味ない。なぜなら仕事に関係ないから。目の前の客の商品をスキャンして合計金額を言ってレジ袋に詰めて手渡すことに、僕の家庭環境も信条も、人間関係も噂話も、誰に嫌われて誰に好かれているかも、誰とどんな生活をしているかも、なんにも関係ない。僕はその環境をずっと求めていたんだ」
「……」
「だから、長くなったけど、さっきのユイちゃんの『なんでそんな夢がない人生送っちゃってるの?』っていう質問に答えを返すならこうだ。『そういう生き方しかできなかった』」
「……」
「……ごめんね。僕ばっかりしゃべっちゃって。長くなり過ぎたね。帰ろうか」
「……うん」
 ユイはうつむいたままだった。
「……ごめん。今のうちにこれだけは言わせて」
「……」
「私はずっと君の人生を見てきたわけではないから、これは話を聞いた印象でしかないけど。でも話を聞いていた限り、私には君が三十歳過ぎていまだに長い反抗期の中にいるようにしか見えない。高校だって、曲がりなりにも行かせてはくれたんでしょう? 入学金だって払ってくれたんでしょう? お父さんやお母さんが、君が梵光学園の寮に入るのに反対したのも、結局寂しかったからなんじゃないの? 君が納得いく形だったかどうかはともかく、お父さんもお母さんも君のことを心配していたからこそ、先生とやらに逐一相談していたんでしょう? それは、形はどうあれ、ちゃんと愛してくれたからじゃない。それに対して、もうほとんど普段から話なんかしてない状態からいきなり退学と絶縁を突きつけて『縁を切る』は、ちょっと違うんじゃない?」
「……」
「……あのね、ごめん、これははっきり言うね」
 ユイは顔を上げ、目を見張って言った。
「君はきっとこのまま、何者にもなれない」

(二十二)

 別れ際のユイの言葉は、数日経っても忌々しく脳裏にこびりついていた。そんなこと、言われなくたって自分が一番分かっている。だからこそ図星を言い当てられると弱いのだ。
ユイが苛立った理由も分かる。父親がいなかったユイから見れば、どんな形であれ家族の愛を受けていた僕の幼少期は羨ましいものだったはずだ。彼女が望んでも手に入れられなかったものだったはずだ。自分が今この人生を歩んでいる責任は、父でも母でも、梵の光でもなく僕だけが背負っているはずで、それを誰かのせいにすることはあってはならない。
ただ、思考をそこに向けてしまうと、今まで怖くて認められなかったことを認めるしかなくなってしまうのだ。
自分の人生がうまくいっていないということを。
 ユイは言ってくれた。「君ならきっとこの街から飛び出せると感じていた」と。幼いユイは、幼い僕にどんな未来を重ね合わせてくれたのだろうか。「将来はプロ野球選手になりたいです」。確かに僕はそう言ったことがあるかもしれない。でも確か別の時には「宇宙飛行士になりたい」と言ったことだってあったし、「ロボット博士になりたい」と言ったことだってあった。実際、あの頃の自分なら何にだってなれた。自分が、固有名詞を持った何者かになれると信じていた。
 高校に上がると同時に教会には二度と行かないと決めて「一刻も早く家を出ないといけない」と思ったのはなぜだったか。その後高校を退学する時に家を出て縁を切ろうと決意したのはなぜだったか。ユイにはまだ説明しきれていない気がした。というか、僕自身が僕の当時の気持ちを解釈しきれていない気がした。
 別に僕はただ家を出たくてバイト生活を始めたわけではなかったはずだ。何かきっと熱いものがあって、何かを成し遂げたかったからこその行動だったはずだ。プロ野球選手でもいい、宇宙飛行士でもいい、ロボット博士でもいい。人と違うものをなにか自分で一つでも手に入れたかったからではなかったのか。「右向け右」に流されずに、自分が好きなものを好きだと言えることそれ自体を強いと思っていた。誰もが好きな曲を聞き、誰もが好きな歌を歌い、誰もが好きな漫画を読んで、誰もが望む生き方をする……、それが嫌で、自分だけの「好き」を、自分だけの生き方を、手に入れたかったはずだ。
今にして思えば、中学生になって、高校生になって、「自分だけの生き方をする」ということがいかに難しいかを知って、多くの人が自分の目を現実的なところに向けていくぐらいのタイミングで、僕は自分の目を自分の家庭環境に向けてしまっていたのかもしれない。「自分がそれを手に入れることができないのは、自分がここにいるせいだ」と。「自分はここにいてはいけないんだ」と。実際にそうだったのかもしれない。人のせいにするとかしないとか、そういう次元ではなく、実際に自分が別の家族の元に生まれて別の環境で育っていたら、少なくとも全ての週末と全てのお金を梵の光に捧げることはなかったはずで、例えば土日に少年団で野球をしていた未来ぐらいはあったはずだ。
そう思っていた。
だから、僕の一番の目標が「家を出ること」になってしまっていた。家を出たその先で何をするかも考えずに。
そんな矢先に、あのアルプススタンドで小田切光輔に出会ってしまったのだ。
僕と同じ宗教を信仰する家庭に生まれた彼は、僕のように信仰を隠すどころか堂々と認め、それどころかアイデンティティの一つとして誇っていた。そして僕とは違い大好きな野球を極め、僕と同い年にして「小田切光輔」という世界に一つだけの生き方を体現していたのだ。
そうだ。あの時僕を襲ったのは、焦燥だった。導火線に火がついてしまったような感覚だった。今すぐ何者かにならないとまずいと思った。僕だけの生き方をしないといけないと思った。サーモグラフィーが真っ赤になるほどの焦燥の中、僕のことを認めてくれる山岡が、僕のことを「すごい」と言ってくれた。だからつい言ってしまったのだ。「僕のすごさはこんなものではない」と、「僕はいずれ小田切光輔に匹敵する存在になるのだ」と、「だからぜひとも、隠し事をしていないありのままの僕を見てくれ」と、そんな意味を込めて「実は僕の家も『梵の光』の信者なんだ」と。
ところが、だ。いざ自分だけの生き方を模索しようと高校を辞めてみてようやく気づいた。バイトで生きていく時間は、それまでとは比べ物にならないぐらいあっという間に消費されていった。人間関係に振り回されることもなく、最低限マニュアルで決められた通りの仕事さえしていればお金もらえるという生活は、自分が人間として人間と触れ合って人間について考える時間を奪っていった。
 何もしようとしていなかったわけではない。
「金が貯まったら、まずはギターでも買って弾き始めてみようか」
「時間があったら、しばらく旅に出てもう少し見聞を広げないといけないな」
「余裕があったら、しばらく家に缶詰めになって小説でも書いてみようか」
「いい出会いがあったら、そのうち結婚でもしたいなあ」
 実際には、バイト生活でもきっちり金を貯めるなり家族を作るなりして何かを始めることができる人だってたくさんいることは知っている。でも僕は、それができなかった。散財癖があったわけでもないし、分不相応にいい暮らしをしていたわけでもない。適度に自炊だってしていた。でも、何かを始めるには十分だと自分で思えるほどの金を貯めることができなかった。「これだけ貯めればもう十分だからもうそろそろ始めてごらん」なんて言ってくれる人がいたらどれだけよかったか。
 僕の頭には、常に「もっと金を貯めないと」「何かを始めるにはこんなもんじゃ足りない」という言葉ばかりが巡っていた。
 ……いや、この期に及んでまだ自分に言い訳するのか、と目をつり上げるユイの顔が浮かんできそうだから訂正しよう。そんな言葉たちが脳内を巡ることすら滅多になかった。僕はその日その日を生きることしかしてこなかった。目の前の客の商品をスキャンして合計金額を言ってレジ袋に詰めて手渡すだけの時間が過ぎていくのは、あっという間だった。今日のシフトが終わればまた明日があっという間にやってきた。それが終わればまた次の日がすぐにやってきた。そんな一週間を過ごしたらまた次の週があっという間にやってきた。
 気づいたら十代が終わり、二十代が終わっていた。
 五年前、工場で働いていた時に首を痛めた。
 何か直接的に痛めたきっかけがあったわけではなく、ずっと下を見続ける作業をしていたことで慢性的に負担が積み重なっていたらしい。最初は寝違えて背中を痛めたのかと思っていたら、次第に手足がしびれるようになった。特に右手の親指の感覚は全くなくなっていた。整形外科医からは頸椎のヘルニアだと言われた。今の作業はしばらく休んだ方がいいと言われたので、そのまま上司に伝えたら「それなら辞めて、違う業態の仕事をした方がいい」とアドバイスされたので辞めた。
 僕が通っていた整形外科では、頸椎ヘルニアの患者は首を吊らされた。ベルトがぶら下がったアームの下に座らされ、ベルトで顎と首を固定され、真上に引っ張られるのだ。頸椎をストレッチして、骨と骨との間で圧迫されている神経の負担を和らげる効果があるらしい。僕は勝手にそれを首吊り台と呼んでいた。何度か通い、何度か首を吊ったのだが、それが効いたのか効かなかったのかはよく分からない。単に安静にしていたおかげで時間の経過とともに良くなっただけという気もする。ただ、そのおかげで首を吊っているとなんとなく落ち着いたし、肩や首が凝った時は自分で首を真上に引っ張る癖がついた。
 働かないと金が足りなくなってしまうので、自分で業態を選べる短期の派遣バイトを始めた。「いつまでやればいいのだろう」という漠然とした考えが浮かぶようになったのはこのころからだった。今はまだ、首を痛めた程度だからできることはたくさんある。だがいずれ、このまま年を重ねていけばまた体を痛めることも、病気になることもあるかもしれない。その時、僕はどうすればいいのだろう。
 小田切光輔の現役引退の報道に触れたのは、そんな折だった。
 プロ入り後も華々しく活躍し、タイトルも複数獲得していた小田切だが、もう数年前からなかなか思い通りの結果を残せなくなっていたのは知っていた。小田切の故障離脱は、もはやスポーツ新聞もさほど大きく扱わなくなるほどに何度も繰り返されていた。
 つまり僕らはもうそんな歳なのだ。第一線で活躍していた人間が、第二の人生を考えないといけない時間。それはスポーツ選手に限らないだろう。先日ユイは「タイミング的にそろそろ内勤に異動かな」と言っていたが、大抵の職種でもプレイヤーとして汗をかき靴底をすり減らし、華々しく活躍するのは二十代~三十代だ。絶対的な体力の衰えや、それぞれの家庭環境と向き合わなければならない四十代以降は、内勤として彼らを支える形で会社や社会に貢献することを強いられる。そう、何かを成し遂げる役は、いつだって二十代~三十代なのだ。
 僕はこの時間、一体何をしてきただろうか。何を成し遂げただろうか。

(二十三)

 途方もない恐怖感に身震いを感じた瞬間、携帯も震えた。母からのメールが届いた。
〈最近は気温が少し下がってきましたね。
風邪などひいていませんか。
困ったことがあったらいつでも帰ってきても大丈夫ですよ〉
 母は不定期に、何かきっかけを思いついてはだいたい月一回ぐらいのペースでメールを送ってくるのだ。十七歳で「下手に捜索などを受けないよう、来たメールには返すが、その代わり家には二度と帰らない」と決めてから十年以上、だいたいこのペースだ。先日のアイドル襲撃事件直後のテレビインタビューを見て僕だと気づいて連絡してきた、というわけではなさそうだったので、そこにだけ安心した。
 僕は、どんなに長いメールが来ても必ず、
〈はい〉
 としか返さない。
「三十歳過ぎていまだに長い反抗期の中にいる」。ユイに言い当てられた、その通りだ。自分でも分かっている。幼稚だと思う。いじらしくメールを送り続けてくれているのが純粋な愛情ゆえだというのも分かる。十七歳まで実家で庇護して育ててくれたことにも感謝だってしている。それでも、この十年以上、あの家に足が向くことはなかった。今後もないだろう。自ら鈍色の街の中に身を置いているくせに、そこから抜け出すチャンスだってあったのにそれをせず、周りを「鈍色」と揶揄して自分だけはそうではないと言い切る彼らは、いったい何色なのだろう。あえて言うなら白痴の白か。だとしたら白痴の彼らから純粋で真っ白な愛情を注がれて育った僕自身は、今一体何色なのだろう。
 鏡を見た。無精ひげの生えた汚い三十代の顔だった。
 きっと、彼らの中で僕のイメージはきれいな顔をした十七歳のままなのだろう。十七歳よりもっと幼い、母のおにぎりをおいしそうにほおばり、父の手をつないで四葉のクローバーを探していたイメージのままかもしれない。だとしたら、彼らの中の僕こそが白痴でしかないじゃないか。だとしたら、無様に三十代になってしまった僕は、もはや彼らの前に姿を出すべきではない。幸せだった昔を生きているだけの彼らが、白痴のままこの世を去っていくのを待つべきではないのか。そう思うようになっていた。
「四十過ぎでお母さんにケツ拭いてもらったのか」
かつて中学生の時、自分が市長に向けた嘲笑が跳ね返ってきた気がした。
 部屋の片隅にのろのろと移動する。部屋の天井付近に、ものを引っかけるための頑丈そうなフックがある。僕はそこにロープを結んでいる。ロープの先では輪を作っている。首を吊るのにちょうどいいロープだ。僕は椅子の上に立って輪に頭を通す。ちょうど首が少し引っ張られるぐらいの高さだ。僕は少しだけロープに体重を預け、静止する。
 頸椎ヘルニアを患って以来、ほぼ毎日、出かける前と寝る前に、歯磨きや髭剃りと同じように首吊りをルーティンに組み込んだ。最初は、ヘルニアの症状が出ることを抑えようと思っての行動だったが、医学的にはこの吊り方が正しいのかどうか分からない。むしろ体に悪いような気もする。だが、それ以上の意味が僕にはあった。
 単純に、落ち着くのだ。首を吊ると。頸動脈が少し圧迫された状態で椅子の上に立つ。少しでも足を踏み外せば死ぬ。足を踏み外さなくとも、下に体重を預けるだけで死ぬかもしれない。今、大きめの地震が起きて椅子が倒れたら死ぬだろう。もしこのまま目隠しでもして、手足を縛って何時間も立ち続ければ拷問が成立するだろう。だが、僕にとってそれは数少ない、生を感じられる行動だった。文字通りの死の淵に立ち、頸部から若干の鼓動を感じることでようやく、自分が人間であることを思い出すのだ。人間であることを自ら捨てて、マニュアルに従って決まった行動パターンで生きることを望んだ僕が、何者かになろうとする希望を忘れないためにたどり着いた最後の行動が、死の淵に立つことだった。
自分はいつか自らこの椅子から飛び降りて死ぬかもしれない。その時、僕の身には何が起きているのだろう。将来への希望が完全に消えたときか、働けなくなって金がなくなったときか、それとも、意外と今日のようになんてことない日に、ふと死んでしまいたくなるのだろうか。この小さな椅子を踏み外すかどうか、そんな些細な選択に、生きるか死ぬかという重大な分岐が委ねられていることがなんだか不思議だった。
いや、意外と、生きるか死ぬかなんてものも、足を踏み外すか踏みとどまるかぐらいのちょっとした違いでしかないのかもしれないが。
 五分ほどそうしていた後、椅子を降りて髭を剃ってコンビニに向かった。新たな仕事を探さねばならない。とりあえず求人情報誌を読もうと思った。どんなに高尚なことを考えようと、何者になりたいと思っていようとも、今何者でもない僕はその日その時働いていかねばならないのだ。生きていくために生きていかなければいけないのだ。感情を殺して、人間ではない何かになって、必要最低限を追い求めて働かなければならないのだ。
 そして僕はそうして生きる自分が嫌いではないのだ。

(二十四)

 コンビニでとりあえず求人情報誌を手に取ろうとすると、隣の雑誌棚に置かれた週刊誌の見出しが目に入った。
〈アイドル襲撃犯の正体〉
 別に正体などどうでもいいのだが、現場に居合わせた人間として一定の興味はあり、先に週刊誌を手に取った。だが、立ち読みしようと開いた一ページ目の一行目でその興味は俄然強烈なものに変わった。
〈傷害容疑で逮捕された植木勝は、かつて製鉄業と漁業で栄えた○○市出身だ〉
 自分と同郷だったのだ。三万人しかいないあの街の。僕はコンビニに来た当初の目的も忘れて週刊誌を購入し、帰宅して記事を熟読した。
 記事はおおむね次のような内容だった。

植木の父は国立大学を卒業し、管理職として製鉄所に勤務していた。母は主婦だがその実家は○○市内の建設会社。勝は両親から愛されて何不自由ない幼少期を過ごした。小学校時代の同級生は「大人しかったけど、足が速くてクラスでは結構人気者だった。勉強もできたと思う」と話す。
 中学では野球部に所属したが、二年生のころから先輩のいじめの標的になる。中学時代の同級生は「いじめの理由は特になかったと思う。ちょっとしたタイミングで気に食わないことがあったとか、その程度。そういう街なんです、ここ」と自嘲する。
 高校も地元の学校に通ったが、一年生の夏に退学。その後は通信制の学校に通いながら、アルバイトをしていた。当初はバイト代は実家に入れていたそうだが、高校卒業と同時に家を出て、その後は両親との連絡が疎かになる。植木は東京で人材派遣会社に登録し、イベント設営や警備などの短期のアルバイトでその日暮らしをするようになる。
 犯行動機について、逮捕直後の報道ベースでは「誰でもよかった」と供述していたことが明らかになっていたが、それだとアイドルを狙った理由を説明しきれない。植木は特別、アイドルファンというわけではなかったようだ。ではなぜアイドルを狙ったのか。取材班は、事件のつい数週間前に同じ現場で植木と一緒になったバイト仲間に話を聞くことに成功した。植木は、当該アイドルとは別の人気女性グループのコンサートの設営をしていた際、来場客を見てこうつぶやいていたという。
「……いいですねえ。観客。楽しそうで。その陰で僕たちが地獄の苦しみを味わっていたなんて知りもしないで」

 ここで思わず、めくりかけたページを元に戻した。〈アイドル襲撃犯の正体〉と横書きされた大きなタイトルのすぐ脇に、犯人の顔写真が載っていた。真夜中のアリーナの蒸し暑さが脳内でよみがえる。
「……あの時のあいつだ……」
 気づいたら声に出ていた。太った大学生。現場で転んで親方から大目玉を食らったうえ、僕らの暮らしを詮索するような質問をぶつけてきた男。……実際には大学生ではなく僕と同じフリーターだったようだ。白い肌も、動きの悪さも、大学生がたまたま短期で入ったから仕方ないと思っていた。この記事の内容を信じる限り年齢や経歴を考えると確かにバイトの経験はまだ浅かったのだろうが、あの要領の悪さは大学生だからというよりは、生まれつきのものだったようだ。
 記事はこう続いていた。

 植木は犯行の数日前、自らのSNSアカウントにこう投稿していた。
「足りない」
 その言葉の意味するものは何なのか。警察もこの投稿は把握しているが、何が「足りない」のかについて植木は説明を拒んでいるのだという。捜査関係者はこう話す。
「例えば、元々犯行日を先に決めていて、だけどその犯行準備に必要な時間が足りなかったとか、あるいは、元々は銃火器での犯行も視野にあったが、必要な火薬や足りなくて仕方なくナイフを使うに至ったとか、いろいろな考え方はできる。現時点ではあくまでも参考情報でしかないが、基本的に取り調べには素直に応じている植木が、この投稿の真意についてだけは説明を拒んでいるのが気にはなる」
 
 思わず誌面を閉じた。
「違う!」
 またしても声に出して、今度は叫んだ。
 何が足りないのか、言葉で説明できるわけがない。金も、愛も、時間も、承認も、地位も、知識も、頭脳も、学歴も、人脈も、家族も、夢も、自分も、その全てが足りないのだ。「何かがもの足りない」という言葉すらももの足りない。空腹や飢渇と言った方がまだ近いかもしれない。
 なぜ僕にはそれが分かるのか。なぜ、的外れな検証にここまで腹が立つのか。
 植木は、僕だ。
 今一度誌面を開いて植木の経歴を読み直す。
 出身地。何不自由ない幼少期。高校中退。バイト暮らし。僕そのものじゃないか。違っているのは、顔と、年齢と、……事件を起こしたかどうかだけじゃないか。
 ここに居てはいけないという焦燥から家を飛び出し、固有名詞を持った何者かになりたくて進んだはずの僕だけの生きる道は、こうもいとも簡単に、知らない誰かが意図せずなぞれるほどの凡庸な道だったのか。
 思考がどんどん恐ろしい方向に向かって加速しているのを感じた。
 僕より十五も年下の植木は、バイト暮らしを始めてからわずか数年でそこに気づいた。
「自分の道は決してオリジナルではない」と。
「この道を歩んで行っても、きっと自分は何者にもなれない」と。
上司に頭を下げて、先輩後輩関係で振り回されて、オンオフ問わず常に会社の看板を背負わされて、何かあったら会社から怒られて。うまくいかないことがあっても従わないといけなくて、同僚とはいつまでも「会社がさあ」「上司がさあ」と愚痴ばかり言い合って。うまくいかないことを全部、自分ではない誰かのせいにしたまま三十代四十代になるような人生。……僕は多くの社会人をそう揶揄した。そんな僕が歩んできた道が、実は第一歩目から間違っていたのだとしたら……。曲がりなりにも「ちゃんと自分の責任で自分の人生を歩んでいる」と胸を張ってきたこの二十年間が、単なる喜劇でしかなかったとしたら。
 確かにバイト暮らしをしていれば、両親が宗教に傾倒していようが、中学時代にいじめを受けていようが、どこの出身だろうが、親がどこかの市長で秘書と不倫していようが、自分が誰かの隠し子だろうが、そんなこと誰も興味ない。なぜなら仕事に関係ないから。目の前の客の商品をスキャンして合計金額を言ってレジ袋に詰めて手渡すことに、家庭環境も信条も、人間関係も噂話も、誰に嫌われて誰に好かれているかも、誰とどんな生活をしているかも、何も関係ない。でも、それは本当に、この道を歩むと決めたときに描いた未来だっただろうか。自分に対する言い訳でしかなかったのではないか。
 死んだ鉄のような色をしているのは、他ならぬ自分自身ではなかったか。
 開きっぱなしの誌面から流入した植木の思考が僕の脳内に流れ込み、僕の思考と混ざり合っていく。
 脳内で、週刊誌の誌面の余白に文章が勝手に加筆されていく。

「足りない」の真相はこうだ。
ある日。……それは設営の仕事で転倒し、大勢の目の前で親方からひどく叱責された日の仕事終わりだった。夜勤明けの怠い日差しの中、きっと自分が今歩んでいる道を十数年前から歩み続けているであろう年長の同僚は、この道を歩み続けている理由をこう語った。
「足りないから」
何が足りないのか、即座には分からなかった。だが帰宅し、冷静に分析して気づいた。金が足りない。愛が足りない。時間が足りない。承認が足りない。地位が足りない。知識が足りない。頭脳が足りない。学歴が足りない。人脈が足りない。家族が足りない。夢が足りない。自分が足りない。何かが足りない。食い足りない。満たされない。何かになりたいのに、そのために必要な何かが足りない。腹が立つのに、自分が何に腹が立っているのか分からない。そしてきっとこれだけ言葉を尽くしても、その空気を言い表すのに言葉が足りていない。
 植木は気づいた。
「あの人は、僕だ」
同時に、このままの人生を歩んでいても自分は何者にもなれず、十数年後、きっとこの名前すら知らない人物のようにしかなれないとも気づいた。
 植木は決意した。
「何か一つでも、成し遂げないといけない」

 妄想はそこから先に進まなくなり、僕はようやく我に返った。
 妄想が全て事実だったとしても、「何か成し遂げないといけない」と決意してから「アイドルを襲撃する」までにはまだ若干の飛躍があるような気がする。だが、僕と同じ道を歩む人間が、自らの空っぽさに気づいてから何かを成し遂げようとしても、その手段は犯罪行為を含めても選択肢が極めて限られるということも理解していた。
 だが実際、何か一つでも成し遂げたいと思った植木は、決意通り一つのことを成し遂げた。アイドルの命を奪うことが目的ではなかったはずだ。大きな事件を起こしたということ自体で、植木の人生は目標を達成したのだ。
 もちろんその行為は社会的に許されるものではない。至極まっとうなことを言えば「誰でもいい」で傷つけられた被害者の感情を考慮すれば、今の僕の思考自体あまり口に出して言うべきものですらない。
 だが――。
 少なくとも事実として、「植木勝」という名は世に知らしめられた。
 何者でもなかった彼は、植木勝という固有名詞を持つ存在になった。
 僕はそれがうらやましかった。

(二十五)

 東京から新幹線で三時間ほどの距離にある県庁所在地から、さらにローカル線を二時間ほど乗り継いだ先。駅前には大きな製鉄所が立ちはだかり、ところどころペンキのはがれたくすんだ文字で「ようこそ! 鉄の街へ!」と大書されている。三年ほど前に県で開かれた国民体育大会でサッカー種目の開催地になったことを、まるで世界的な一大イベントでもあったかのように記念する横断幕が、黒ずみながら、いまだに堂々と掲げられている。駅前のあちこちに、威勢の良い大漁旗を模したイラストやモニュメントが配置されているが、人通りはない。
 秋の気配が深くなり、空は澄んだ青色がどこまでも続いているのに、街全体が醸し出す雰囲気は二十年前と変わらず鈍色だ。灰色でも銀色でもない、くすんだ鉄が醸し出す寒々しい鈍色。高齢化と共に静かに終わっていく住民たちを象徴するように、死んだ鉄の色が街を覆う。
 突発的な思い付きだった。
 二十年近く一度も足を踏み入れず、二度と近寄ることもないと思っていた街だ。
 本当は、ユイと話して自分の考えをもう一度整理してから来たかったのだが、ユイは仕事で忙しいらしく会えなかった。結局、考えを整理しないまま、両親を含めて誰にも何も言わず、財布と携帯電話だけ持ってふらりと電車に乗り、そのままここまで来てしまった。二十年近く一度も通らなかった道なのに、不思議と乗り換えで迷うことはなかった。体に染みついた動きのまま、気づいたら駅前に降り立っていた。二十年前にはなかった新しい建物だってできているのに、隔世の感はあまりなかった。
 金に余裕があるわけでもない。泊るなら実家だろう。さすがに一言連絡を入れることにした。母から最後に届いたメールに返信する形で〈今日は実家に帰って泊ります〉とだけ打った。
 ほかに行く当てがあるわけでもない。駅から徒歩だと三十分ほどかかる実家に向かって歩き出した。
 歩きながら思考を巡らす。
 自分は何がしたくてこの街を飛び出したのか。何者になりたかったのか。
 今更一からやり直せるとは思っていない。ただ、指標も地図も持たずにこの先の人生を生きていける自信がなかったのだ。都合よく何かが見つかればいいと期待した。何も見つからなかったら……その時は……。
 ふと小学校の校舎が目に入った。距離で言えばまだまだ遠い。それでも、相変わらずこの辺一帯では一番大きくて一番目立つ建物だった。東京で、鈍色のビルに背丈を追い越されても恥ずかしげもなく赤い光を放ち続けなければならない哀れな東京タワーとは違い、初めから鈍色の衣装をまとった田舎町の小学校の校舎は、自らの役目をまじめに健気に果たし続けている。
 ちょっとした思い付きで、校舎の写真を撮ってユイに送った。
〈覚えてる?〉
 返事はすぐに返ってきた。
〈え? 地元帰ったの?〉
 自分が小学校一年から四年まで過ごした校舎だと、すぐに気づいたようだ。
〈何かきっかけになればいいと思って〉
 その後は返事がなかった。きっと忙しいのだろうと思うことにした。
 
 僕の家が見えてきた。相変わらず鈍色だ。
 何度も言うが、僕自身、特に地元に漂う鈍色を決して嫌っているわけではない。ひたすらに鉄工所の方に向かって「鈍色、鈍色」と呪詛のように繰り返していた父は違うかもしれないが。地元に来てみて改めて思った。僕は少なくともこの色を嫌ってはいない。小学校の校舎もそうだが、少なくともこの街において鈍色は「やさしさ」でもある。小学校の校舎が東京タワーや新幹線こだま号のような原色だったら、そっちの方が嫌だろう。落ち着きや暮らしやすさを考慮した鈍色だ。そして僕も落ち着きや暮らしやすさを望む一人なのだ。これは自分の中の再確認に過ぎなかったのだが、ここ数日の悶々とした思考の渦の中から抜け出すきっかけになるかもしれないという意味においては新たな発見と言ってもいい。今度ユイに会ったらぜひとも報告しないといけないと思うことが増えた。
 しかしそうなると、やはり自分の中で整理できない事柄が生じる。
 自分はなぜこの街を出たのか。しかもわざわざ、高校生活の途中などという極めて未熟で中途半端な時期に。
 そしてなぜその後東京に出たのか。家を出たかっただけなら、この街ではなくとも県庁所在地でも大阪でも北海道でもよかったはずなのに。
 結局のところ、僕は二十年近くにわたる家出をしていただけなのかもしれない。幼稚な憧れに従って、カラフルな原色で彩られているはずの東京にあこがれただけの子供か、あるいは光に群れたかっただけの羽虫か。
鈍色は、世界が完成した色だ。各々の人間が生きやすさを追求して、チカチカして落ち着かない色を排除した末の色だ。家庭環境も信条も、人間関係も噂話も、誰に嫌われて誰に好かれているかも、誰とどんな生活をしているかも、何も関係ない。人間であることに疲れた人たちが、人間であることを捨てて、楽で生きやすい生活を求めてたどり着いた色。それが鈍色だ。そうして出来上がった東京は、結局鈍色だった。なんだ、だとしたらむしろ僕の地元は、東京なんかよりよっぽど先に進んでいたんじゃないか。
なのに、そうして出来上がった世界に対して僕は一丁前に『つまらない』とか言ってのけてしまっていたのだ。僕は自分の生きやすさとか権利とかを侵されたくはないくせに、心のどこかでチカチカするものへの憧れは人一倍持っている。まばゆい光の中で生き続けられるほど異端でもないくせに、追いかけてしまった。それが僕だ。自分自身が発する色なんて知ろうともしなかったくせに。
家出はおしまい。帰ろう。家に。鈍色の街で分相応に暮らそう。楽で生きやすい人生を歩もう。それで全部終わりだ。
家の鍵を持っていない僕が二十年ぶりのインターホンを押すと、玄関のドアはすぐに開いた。
エプロンをつけた母と、その後ろに父がいた。
「おかえりなさい」

(二十六)

 居間のテレビにはワイドショーが映し出されていた。
 今日は平日だ。時刻は午後三時四十分。小学校の授業が終わって児童が少しずつ帰宅する時間帯だ。
 僕は小学生の頃を思い出した。確か低学年のころは月曜と水曜と金曜は五時間目までしかなかったから、帰宅は比較的早かった。僕は手洗いうがいを済ませると居間に寝っ転がるのだ。傍らでは、エプロン姿の母がワイドショーを見ながらアイロンがけをしている。なんとなく僕もワイドショーを見る。画面では当時まだ若くて元気だったファッション評論家が、街を行く女性たちのファッションを毒舌でチェックするのだ。僕はそれを見て笑ったり、何度も読み返してボロボロになったまま居間の隅に置かれている漫画本を手に取って、また夢中になって読み返したりする。午後五時ごろになると母親が夕飯の支度を始めると同時に僕に向かって「宿題やったの?」と聞いてくる。僕はその言葉を合図に宿題を始める。午後七時ごろ、父が帰ってくるのと僕の宿題が終わるのと母が夕飯の支度を終えるのがほぼ同時になる。僕は自室にいる祖母を呼びにいき、その足で食卓に茶碗と箸を並べ、家族四人で「いただきます」と声をそろえるのだ。
 父も、母も、あの頃と何も変わらなかった。
「おかえり」と言い、祖母の部屋を指して「一言言いなさい」と言い、それだけ。まるでちょっと出かけて少し帰りが遅くなった小学生の息子を出迎えただけ。駅前の風景があまり変わっていなかったとか、そんなレベルではない。まるで完全に時間の流れから取り残されてしまっていたようだった。
 それでも、父の頭部は白く寂しくなっていたし、母は記憶よりだいぶ肥えていた。祖母の部屋をノックして入ると、部屋のほとんどのスペースを巨大なベッドが埋めていて、祖母は仰向けになっていた。僕が挨拶しても、目の焦点は合っていなかった。
「いつまでいるの? 今日は泊まるんでしょう?」
 祖母の部屋を出た僕に母が問うてくる。
「あ……うん」
 僕が短く答える。
「もう少し早く言ってくれればよかったのに。ごはんの支度とかあるんだから」
「あ……うん」
 僕はまた短く答える。
「明日は?」
「あ……。か……考え中」
「決まったら言ってね」
「……はい」
 おかしい。いくらなんでもおかしい。こんなに何も変わらないものなのだろうか。無関心というわけでもなさそうなのだが。
 階段を上がって二階の自室に行く。まさかとは思うが僕が家を出た当時のままになってはいないだろうか。いや、この際、それならそれでいいのかもしれない。僕はもう少し、老いゆく両親と祖母を見捨てて一人幼稚な「家出」を続けていたことに対する罪の意識を背負った方がいいのかもしれない。ここはきっと時空のはざまに取り残されてしまった無間地獄なのだ。ここが地獄なら、それはきっと僕の罪への罰なのだ。
 そんなことを思いながら自室のドアを開けた。
 
僕の部屋には、小田切光輔がいた。
 何人もいた。
 もちろん実物ではない。壁や天井にポスターが何枚も貼られ、サイン色紙やサインボール、グッズ、等身大のパネル……それらが部屋を埋めていたのだ。ふと本棚から異様な気配を感じた。僕がいたころは、漫画本とか参考書とか文庫本とか、そんなものを雑多に押し込んでいた。今、そこにあったのは大量の「梵の光」の関連本だった。梵の光関連の出版社が発行している月刊誌は、小田切が表紙を飾る号が何冊も置かれていた。しかも表紙がわざわざこちらに向けられていたから、僕はさまざまなポーズをとった小田切に見つめられるような格好になっていた。異様な気配の正体は小田切だった。よく見たら、何冊かの表紙には直筆と思われる小田切のサインが書かれていた。
 サイン本の一つに近寄ってみた。よく見ると、小田切光輔のサイン以外に小さい字で何かが書いてあったからだ。
 目を疑うしかなかった。
 サインの左上に、小さく「お父さん、お母さんへ」と書かれていたのだ。
 思わず部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。
 居間にいた母に尋ねた。
「あれ、何?」
「あれって?」
「部屋」
「部屋? ああ。光ちゃんの部屋ね」
「光ちゃん……?」
 小田切が全国で「光ちゃんフィーバー」を巻き起こしたとき、つまり小田切や僕が高校一年の時は、僕はもはや家族との会話をほとんど交わさなくなっていたが、そうは言っても同じ生活圏内にいた記憶の限り、母がそこまで小田切に入れ込んでいた印象はなかった。
「荒らさないでよ。光ちゃんのためにいつもきれいに保ってるんだから」
「……?」
 呆然とするしかない僕を、ソファに座った父がじっと見つめていた。
 恐怖。今まで感じたことのない恐怖だった。
「えっと……」
「ああ、今日はあの部屋で寝てね。しょうがないから。急に帰ってくるんだもん」
「あの部屋って……」
「だから光ちゃんの部屋」
 父がすっくと立ちあがった。
「まあ、少しは整えてやろうか。あとで戻せばいいだろう」
 階段を上がっていき、三段上ったところで僕を見て言った。少し抑えた声だった。
「ちょっと一緒に来なさい」
 僕は黙ってついていく。
 大量の小田切に取り囲まれた部屋に入ると、ドアを閉め切って父が低い声で言った。
「お前が家を出て少し経った頃だったよ」
 母の精神が不安定になっていったのだという。
 祖父をなくした直後の祖母にそっくりだったという。
 父は母を連れて梵の光本拠地に行った。「先生」に会うためだ。落ち着かない母を公共交通に乗せるのは不安があり、車で東京まで行ったという。その車内、少しでも気晴らしになればと思ってつけていたカーテレビで、小田切光輔の活躍を特集する番組が流れた。母の目が、異様なほどキラキラと光りだしたのはそれからだったという。
「先生に会うなり、『私、光ちゃんの母親になりたいんです!』だとさ」
 先生は落ち着いていた。もしかしたら、これまで対応した信者の中に似たような状態になった人を見たことがあったのかもしれない。しかも幸運なことに、小田切光輔は梵の光の信者なのだ。先生はゆっくりと言った。
「いいんじゃないですかね。それで」
 それ以来、小田切光輔は我が家の息子……ということになったのだという。
 無論、本人非公認だ。
 母はそれから、何かにつけて小田切を追いかけまわしてはグッズを買いあさったり、チャンスがあればサインをねだったりした。運よくサインをもらえた時には「光ちゃん光ちゃん」と、なれなれしく、まるで母親であるかのようにふるまったが、小田切はそんなのは慣れっこだったから大したトラブルにはならなかった。見知らぬ中高年夫婦に「お父さん、お母さんへ」と宛名をつけてサインを書くように頼まれてもその通りに書いてくれたという。
 小田切がプロ入りしてからも、そして引退後も、母は小田切を見守った。ファンとして追いかけたのではない。母として見守ったのだ。現役引退後、半ば梵の光の広告塔と化した小田切は、信者ではない多くのファンを失ったが、信者である母にとっては相変わらず何の違和感もなく「息子」であり続けた。
「えっと……じゃあ、俺はどうなってるの?」
 たまらず聞いた。父は僕を見ずに言った。
「お前も息子だよ。メール、来てただろう」
 僕が毎回二文字でしか返さなかったメールだ。
「うちには同い年の息子が二人いる。そのうち一人は元プロ野球選手。もう一人は……。とにかく二人いる。二人は同い年だけど双子でも兄弟でもないし、それぞれ別々の人生を送っている。それだけだ」

(二十七)

 夕飯の食卓には三人分の食事が並べられていた。一瞬、僕の分がないのかと思ったが、ないのは祖母の分だった。祖母はもうずっと起き上がれないから自室のベッドの上で流動食に近い食事をとるらしい。記憶の中の祖母は時々、食卓で母と口喧嘩をしていたからその点だけはよかったと思った。……すぐにそんなことを思った自分を恥じた。祖母の介護をしているのは、還暦を過ぎた父と母なのだ。それは本来は自分がやらねばならない仕事なのだ。
 父はお盆に乗せた流動食を持って静かに祖母の部屋に行き、静かに帰ってきた。
「さあ、食べよう。三人での食事なんていつぶりだろう」
 小田切の分の皿が食卓に置かれていないことだけは素直にホッとすることができた。
 
 食卓は静かだった。僕が小学生のころ、こんなに静かだった日は一度もなかった。
「……それで、あんたはちゃんと暮らしてるわけ?」
 母はいつも僕を「あんた」と呼ぶ。間違っても「ちゃん」付けで呼ばれたことなどない。
「……ああ、うん」
「……誰か紹介しに連れてきたわけじゃないのね」
「………………うん」
 長い沈黙の後、一言だけ声を出して僕はわざとらしくため息をついた。
 なんだか、早くも後悔しかしていない。来なければよかった。少しでも牧歌的な再会を期待した自分が愚かだった。
 どうしても一言言いたくて、モゴモゴと声に出してみた。
「いい人がいたとして、こんな家に連れてこれるかよ」
 母の耳には届かなかったようだ。父は無言で咀嚼していた。
 言葉というのは不思議なもので、届けば絶対に人を傷つけると分かっているどんな酷い言葉でも、それが届かないとそれはそれで自分の中だけで反響し、かえってフラストレーションを増幅させてしまうのだ。暴力と同じだ。加害者は、被害者が傷つくところを見たいのであって、無反応を貫かれたくはないのだ。声量を上げてはっきりと言ってみた。
「俺は親を選べなかった。誰のせいでこんな人生になったと思ってるんだよ」
「ごちそうさま!」
 父は音を立てて立ち上がり、いつの間にか空になっていた茶碗を持って台所に消えていった。母は相変わらずポカンとしていた。
 ダメだ。やっぱり僕はここに来るべきではなかった。居場所なんてとっくになかったんだ。
「……あ、光ちゃん」
 母が居間のテレビを見て言った。
 居間のソファにどかりと座った父がちょうどテレビのチャンネルを変えた瞬間、スポーツニュースの解説席に座る小田切が映し出されていた。
 僕は無言のまま立ち上がり、空になった茶碗を洗って片付けた。
「……『ごちそうさま』ぐらい言いなさいよ。光ちゃんはこの前ちゃんとテレビ番組で言ってたよ。そういうのちゃんとしないから……」
 そこまで言っておいてそこで口をつぐむ母に、猛烈にイライラした。
とっとと自室に行きたかったが、「光ちゃんの部屋」に行かなければならないとなると気が重かった。やむを得ず、父の隣、ソファの片隅に座った。
スポーツニュースはCMに入った。ビールのCMが流れていた。歌舞伎界の重鎮として知られる名優と、その息子で連続ドラマの好演を機に人気急上昇中の俳優。仲の良い親子としても有名な二人が、小さな卓を囲んでビールをうまそうに飲んでいた。
ちょうど、ソファの両端に座る僕と父と同じ構図だった。
父はわざとらしく「そうだ」と言って立ち上がり、冷蔵庫から何かを取り出した。予想はついた。予想がつく程度の行動しかとれない父が嫌いだった。
父はビール瓶とコップ二つをソファの前の卓に置いた。
「……どうだ」
 まるで顔色を窺うように僕の顔を見る父が嫌いだった。
「……」
「ノンアルコールなら大丈夫なんだって。この前先生も言ってくれた」
 父の背は丸く、小さくなっていた。髪は減り、寂しくなっていた。
「……」
 無言で父を睨み続けると、父は黙って自分の分だけコップにノンアルコールビールを注いだ。
 助け舟とばかりに母が口をはさんできた。
「お父さんね、あんたが大きくなったら一緒にお酒を飲むのに憧れてたんだよ」
 母は、指のさかむけをもじもじと触っていた。昔から変わらない、緊張したときの癖だ。
「……」
 僕は無言を貫いた。何か一言でも発したら、きっと僕はすべてを壊してしまうと思った。
 母の右手の人差し指のさかむけがめくれてきた。
「……ダメだろ」
 僕はボソッと言った。
 母の右手の人差し指のさかむけがちぎれた。根元から少し血がにじんだ。
 父は一つだけノンアルコールビールを注いだコップを傾け、一気に飲み干した。
ダメだった。我慢の限界だった。
 後から後から、涙が出てきた。
大声で「ふざけるな」とでも言って、ふざけた色のビール瓶や小さなコップを粉々に破壊することができたらどんなに良かったか。
いくら何でも調子のいい話だと思わないのか、家族ごっこがしたいなら大好きな光ちゃんにでも頼み込んで演じてもらえばいい……と流れるように舌を回して言いたいことを全部言いつくして言葉の暴力をぶつけきることができたらどんなに良かったか。
この場で家に火でもつけて、家族もろともこの世からすべての痕跡を消すことができたらどんなによかったか。
 僕は、小さくなった父と、小さくなった母に暴力をふるうことができなかった。ただ、涙が止まらなかった。
 父と母の顔は見えなかった。
 僕は一人黙って家を出た。誰も追っては来なかった。

(二十八)

 田舎の夜は、東京に住んでいると信じられないぐらい真っ暗だ。それでも泣きながら歩く僕の足は勝手に交互に動いて地面を踏みしめていった。
 前もこんなことがあったな。僕の脳が網膜に明るい道を投影した。
 夏の暑い日差しの下。市道脇の駐車場は、当時は里芋畑だった。里芋の大きな葉が無数の傘のように地面から生えている。僕の正面から、幼い僕と、まだ元気だったころの祖母が歩いてきた。僕は祖母に引き連れられて歩いている。祖母は右手で自転車を転がし、左手で僕の手を握っている。前かごには僕の幼稚園の鞄が入っている。前かごは少しひしゃげ、鞄は少し汚れている。
 僕は左膝をすりむいて少し黒い血をにじませている。祖母は右肘をぱっくりと割り、真っ赤な血を流している。祖母はしきりに「ごめんね、ごめんね。大丈夫?」と僕に語り掛けている。幼稚園からの帰りだ。祖母が自転車で迎えに来てくれたのだ。僕はいつも通りに祖母の自転車の後ろに乗せられていた。僕は当時、父や母より祖母の背中に乗るのが好きで、迎えも「おばあちゃんがいい」なんて駄々をこねていたから、祖母もまんざらではなかったのだ。額に汗を浮かべて自転車をこぎながら「ずいぶん重くなったねえ。私はもう自転車じゃ大変だよ」なんて言われていた矢先だった。僕の重みのせいでカーブを曲がり切れず、自転車が倒れてしまったのだ。祖母は即座に、僕をかばうように手をついた。裂傷を負った祖母は自分そっちのけで僕を抱きかかえたが、僕は恐怖とショックで大声で泣きわめき続けた。
 その後、祖母が僕の送り迎えをすることはなかった。
なんだ、「前」といってももう三十年も前の光景じゃないか。いつまで郷愁に浸っているんだか、と自分で自分に呆れながら、網膜の中で祖母と僕を見送り、僕は歩みを続けた。
 たどり着いたのは小学校だった。僕の足は、勝手に小学校の通学路を辿っていたのだ。六年間、千回以上往復した道だ。
校門は締め切られ、校舎は真っ暗だった。
 校門の前には公園がある。昔はもっと大きくていろいろな遊具があった記憶があるが、いつの間にか遊具が取り払われ、敷地も駐車場や住宅地に侵食されて小さくなってしまったようだ。
小さな街灯に照らされた小さなベンチに座り、鞄を開いた。
 僕の部屋……改め、「光ちゃんの部屋」からひっそり持ち出していたものがあった。小学三年の時に書いた文集だ。小さな本棚の中にこれがあったことだけが救いだった。僕は当時、母に「いつか読み返したくなる時が来るはずだから、こういうのはいつでも取り出せるところにしっかりしまっておきなさい」と言われていたのだ。文集自体は小学生時代は毎年作っていたし、もちろん卒業文集や卒業アルバムも同じ本棚にしまってあった。中学に入ってからは文集を毎年作るようなことはなかったが、中学の卒業文集と卒業アルバムは、母の言いつけ通りにちゃんと保管していた。
 二十年近く放置していたにしては埃が浅かったから、母か父がたまに開いて読み返していたのかもしれない。児童それぞれが自己紹介や将来の夢を記したページを開く。僕の将来の夢は「プロ野球選手」だった。理由は「最近、三角ベースが楽しくて、みんなからも褒めてもらえるから」。なんてことはない。無邪気な夢だ。
 ふと気になって、ユイのページを開いた。ユイの将来の夢は「アイドル」だった。
 派遣アルバイトやコンビニ店員を夢見ている子なんて一人もいない。正社員になんてなりたくないだとか、責任を背負いたくないだとか、そんな後ろ向きなことを書いている人なんて一人もいない。
「何しに来たんだか……」
 都合よく何かが見つかればいいと期待した。何も見つからなかったら……その時は……。
 携帯が鳴った。メールだ。
〈どこにいるの? 帰ってくるんでしょう?〉
 母だった。
 一人息子として育った責任から家に帰ったが、彼女にはすでに僕の代わりに小田切光輔という立派な息子がいた。もうそれで十分じゃないか。僕の居場所はすでにあの家にはないのだ。
 父はこういう時、絶対に連絡してこない。連絡役は母なのだ。今頃、ノンアルコールビールの瓶を抱えて何を思っているのだろう。教育を間違えたとでも思っているだろうか。
 鞄の中から、もう一つの荷物を取り出した。いつも部屋の隅で首を吊っているロープだ。結局、これを持ってきている時点で、初めから決まっていたゴールだったのだ。「都合よく何かが見つかればいい」なんて自分に言い訳しておいて、それを本気で探すわけでもなく、この期に及んでこれが死出の旅だということを認めもせず、そのくせちゃっかりと首吊り用のロープは用意しておく。他人に言い訳、自分に言い訳、誰にともなく言い訳、神様に言い訳。言い訳ばかりの人生。それが自分だった。
 鎖と木板が取り外され、支柱だけになったブランコが目に入った。
ここだな。
 水平方向の支柱にロープを引っかけ、きつく結んだ。
 この暗さだと、発見は朝になるだろう。
 ぶら下がったロープの先に、いつも首を通している輪を作った。
 小学生が発見することになるのかな。少しかわいそうかな。
 踏み台は見つかりそうにないので、ロープの輪をつま先立ちギリギリの高さに調整した。
 でもそれはそれで、発見者の記憶に残るなら、少しは生きた証にはなるのかな。
 首を通した。後は足を投げ出して全体重を預けるだけだ。
 死ぐらいは自分の手で成し遂げたなら、僕としては上出来な答えでしょう。
 足を投げ出す。

「そうじゃないんだよなあ」
 公園の入り口、小学校の校門の方から、聞き覚えのある滑舌の良い声が響いた。

(二十九)

 投げ出しかけていた足を少し踏みとどめ、声の主を見た。
 街灯で逆光になっていた影が、徐々に近づく。
「君はいつもそうだ」
 ユイだった。
「そうやって、勝手に周りに期待だけして、周りが自分を何者かにしてくれることを期待して、自分は何者にもなろうとしない」
 ユイが僕の首の後ろに腕を回す。花のような心地よい匂いが鼻から直接脳に届く。
「おいで」
 ほどけたロープとベンチ上の鞄を速やかに回収して僕に投げつけ、ユイが僕の手を引く。
 ユイは一・五メートルほどの校門をあっさりと乗り越え、ずいずいと敷地内を進んだ。
「何びびってるのよ。死ぬ勇気に比べれば不法侵入ぐらいどうってことないでしょう」
 ユイはあざ笑い、僕を招き入れた。
「さすがに昇降口は空いてないから仕方ないね」
 校庭を突っ切り、花壇を飛び越えたユイは昇降口を素通りし、校舎脇の屋外に取り付けられている非常用階段を上っていった。
「あ、すごい! カギ開いてる! ほんと昔から相変わらず不用心ね」
 非常階段を三階まで上ったユイはけらけらと笑い、廊下に侵入した。
 僕は混乱したまま、黙って後ろをついていった。
「一応、靴は脱いであげようか。汚しちゃったら子供たちが明日の朝かわいそうだしね。ほら、早く」
 ユイは三年二組の教室に入り、わざとかと思うほどかわいらしく手招きした。僕らが学んだ教室だ。
「ふー」
 電気は付けず、教室の一角、一つの椅子に座ってユイが大きく息をした。
「ふふ、座ってみて。小学校の椅子ってこんなに小さかったんだね」
 言われた通りに座った椅子は、背中からひっくり返ってしまうかと思うほど小さく、机にはとても膝が収まりそうになかった。机の脇には道具箱が入った巾着がぶら下がっていて膝に当たった。引き出しの中は教科書がパンパンに詰まっている。教科書以外にも鉛筆や消しゴムのカスの塊やぐしゃぐしゃになったプリント類が入っていた。教室の後ろには児童一人一人の習字作品が貼られ、教室の前の黒板の上には学級目標が書いてあった。
「ごめんね、ちょっと机、借りるね。汚さないようにするからね」
 ユイは、自らが座っている机の主を勝手に想像して勝手に謝っていた。ユイが座った机の主は、僕が座った机の主より少し几帳面なようで、引き出しの中も整っているようだった。
 その机は、記憶の中でかつてのユイが座っていた机だった。
 ユイは黙って窓の外を見る。僕は席を立った。膝がパキンと鳴った。
ユイの近くに立った。
僕は、そしてきっとユイも、あの三年生の写生の時間を思い出していた。
窓は閉め切られ、カーテンはピクリとも動かない。その裾は、あの時と同じように絵の具で汚れている。あの時、他のクラスは授業中で、教室はやけに静かで、何かあまり良くないところに取り残されてしまったような気分だったのを思い出した。
ユイはこちらを見ずに、窓を見据えたまま、両手の親指と人差し指で小さな四角形のフレームを作っていた。
「見て」
 ユイは依然としてこちらには一瞥もくれない。あの時と同じだった。
 灰色しかない……と、言うと思った。だがユイは、
「綺麗」
 そう言った。
 僕は指でフレームを作り、窓の外を見た。
あの時と同じ角度から見渡した街は、あの時と同じように工場や煙突ばかりだった。だがそれらは今、夜の闇に溶け込んでいた。四角いフレームの中には、港が放つ光が、製鉄所が放つ光が、煙突が放つ光が、海の反射が、見事な夜景を作り出していた。
 青い海は見えない。ピンク色の桜も、赤や黄色のチューリップも、中庭の草花も闇に溶け込んで見えない。
 だが真っ黒な闇の中で、鈍色の街は別の光を発していた。
 港の方では赤い光が点滅し、鉄骨がほのかにその輪郭を浮かび上がらせていた。製鉄所の煙突からは青白い可燃性ガスの光と、それに照らされた煙が沸き上がっていた。工場や街のあちこちからは白や黄色の光が灯り、それらを海が反射していた。
 東京タワーや新幹線こだま号のような原色ではない。きっとクレヨンでは描くことができない。それでも……。
「大人になってからじゃないと見えない光景だってあるんだよ」
 ユイは優しい声で呟き、今日初めて僕の顔を見つめた。

(三十)

「びっくりしたよ。いきなり校舎の写真が送られてきて」
 ユイは教室の椅子に座ったまま僕に語り掛けた。僕は夕方にユイに送ったメールを思い出した。
「ごめん。……まさかあれを見て東京からわざわざ……?」
 僕は恐る恐る尋ねたが、ユイはニコニコとほほ笑んだまま何も言わなかった。
「君は、たかが地元に帰るぐらいのことを、何かの起爆剤にできるほど器用な人間じゃないから」
 ユイがまた嘲笑した。僕も笑うしかなかった。
 僕は、今日帰省してから今に至るまでの出来事を包み隠さず話した。
「……」
 ユイはしばらく無言だった。
「……でも、その部屋には、過去の文集が大事に保管されていた。『大事にしときなさい』っていうのは、お母さんの言いつけだったんでしょう? そしてそれは……、あの部屋が小田切選手一色に染め上げられた後になっても、それだけは残ってた。そうでしょう?」
 僕は小さく頷いた。
「初詣やクリスマスは、家族と一緒に楽しく過ごしたんでしょう?」
 僕はまた小さく頷いた。
「ブラフマンの光の教会に行くとき、お母さんが作ってくれたおにぎりを食べて、お母さんが注いでくれた水筒でお茶を飲むのが楽しかったんでしょう? お父さんと手をつないで、本拠地とやらの敷地内でお堂や祠を巡るのが楽しかったんでしょう?」
「……楽しかった……」
 僕はついに口に出した。認めてはいけないと思っていたことだった。
「そうして出来上がったのが君なんだから。それを否定しちゃったら、君は空っぽになっちゃうんだよ」
 ユイはきっと僕に気を遣って「否定しちゃったら」と言った。正確には「否定しちゃったから」、僕は今こうして空っぽなのだ。
「生きていくのって大変ね」
 ユイは言う。
「いつまでやればいいのか、何をやればいいのか。『これをここまでやればいいよ』なんて言ってくれる、学校の先生みたいな人は社会にはいないんだから。だから人は何歳になっても……むしろ大人の方が……。だから君のおばあさんも、お父さんも、宗教を求めたんだろうね。それは別に弱さではないし、悪いことでもないと思う」
 僕は何も言わずにただ聞く。僕が首を吊っていたことについてユイが何も言ってくれないから、僕はただ黙っている以外の行動を思いつかない。
「どこかで、誰かいきなり何かにスカウトしてくれるような人がいればいいのにね。自分には自分ですら気づいていない類まれなる才能があって、何かのきっかけでいきなりそれを見出してくれる人がいて、その仕事に就かせてくれる人がいればいいのにね」
 ユイは淡々と続ける。
「みんな同じことを思ってる。若者に限らない。むしろ三十代ぐらいが一番多いかもしれない。『私を見つけて!』って叫んでる」
 僕はハッとする。ユイは続ける。
「みんな、常に『足りてない』。金が足りない。愛が足りない。時間が足りない。承認が足りない。地位が足りない。知識が足りない。頭脳が足りない。学歴が足りない。人脈が足りない。家族が足りない。夢が足りない。自分が足りない。何かが足りない。食べ足りない。満たされない。何かになりたいのに、そのために必要な何かが足りない。腹が立つのに、自分が何に腹が立っているのか分からない。そしてきっとこれだけ言葉を尽くしても、その空気を言い表すのに言葉が足りていない。そうでしょう?」
 僕は、ただ頷く。
「仕事でね、前、新宿や原宿で、芸能スカウトを装って女の子たちを犯罪に巻き込む悪い人たちのことを取材したことあるの。もうね。簡単。ああいう人たちって、自己顕示欲が高そうな子のことを見分けられるみたい。そういう服装をしてるから分かりやすいんだって。で、そういう人たちにまず一言。『見つけた』って言う。それでまず興味を引く。次に、『このままだと、君はきっと何者にもなれない』って言う。すると、その子がこれまで培ってきたアイデンティティは簡単に崩れる。そして極めつけにこう言う。『こっちに来いよ』。こっちに来れば、君はきっとなりたい自分になれるよ、って。もうね、全部これ。犯罪グループの基本手法なんだって」
「……」
「そしてこれは……」
「カルト宗教の勧誘も同じ」
「そう」
「……」
「君のおばあさんが最初にブラフマンの光に入ったとき、どういう勧誘を受けたのかは分からない。別にブラフマンの光をカルト宗教だと言うつもりもない。ただ、君が、さっきみたいに自分を殺そうとしたり、この前みたいにご家族に対して憎しみに近い感情を持っていたりするとして、その破壊的な熱量は、きっと向ける先が間違っている」
「あの教団に向けろって? どうやって? 本拠地を爆破でもすればいい? 教祖でも殺せばいい?」
「……見てて。そろそろ」
 ユイは窓を見る。相変わらず、工場夜景が見事に光り輝いていた。
「……?」
 僕が首を傾げた瞬間、工場が強い光を放った。少し遅れて激しい音。窓ガラスがビシビシと鳴った。
「……え?」
 僕の困惑をよそに、強い光は複数の箇所から放たれ、激しい音も続いた。黒煙が上がる。少し遅れて炎が立ち上った。
僕はユイの顔を見る。ユイはまた、指でフレームを作って窓の外を眺めていた。
「綺麗」
 見たことのない顔でうっとりするユイ。僕はたじろぎ、後ずさりする。
「……ユイちゃん?」
 僕が恐る恐る尋ねると、ユイはにっこりとほほ笑んだ。
 ようやく消防車や救急車のサイレンが鳴り響く。窓の外はすでに真っ赤だ。まるで炎の熱がこちらまで伝わってくるほどの赤い光に、街中が包まれている。製鉄所の鉄に炎が反応し、各地で花火のようなカラフルな光がはじけ飛んでいる。青、緑、黄色……。正直に告白すると、僕もまた、その光の美しさに見惚れざるを得なかった。
 激しい光を背に、黒い影になったユイが白い歯を見せて言った。
「ごめんね。私の答えも、正しいか分からない。多分間違ってる。でも、これが私の答え」

(三十一)

 私の母は、市役所の秘書だった。二十三歳で私を産んだ。未婚の母だ。父親は市長。私が生まれたとき、母方の実家……というかつまり私と同居していた祖母が激怒して市長の実家に乗り込んでいき、認知届に印鑑を押させた上、事実上の養育費にあたる金もまとめて支払わせたという。市長が自分一人の問題で収めて自分の財布から養育費を払おうとしたところを、「お前の財布は市民の税金だろう! お前の親の金で払え!」と言ってのけたというから、祖母はずいぶん肝っ玉の据わったしっかり者だったのだろう。
 家に父親がいないことを、さほど不思議には思わず育った。これは持論に過ぎないが、家族というのは、別に「父」「母」「子」のような肩書で構成されるものではないと思う。たとえば「お父さん」「お母さん」と呼ばれる人が、たまたま家にいるだけ。「パパ」「ママ」と呼ばれる人が、食事を作ってくれたり服を買ってくれたりするだけ。人によっては「親父」「おふくろ」だったり、「○○ちゃん」みたいなあだ名だったり、「太郎」「花子」みたいに名前で呼ぶ家庭もあると聞いた。それがうちの場合は「市長さん」と「ママ」だったのだ。
 市長さんはちょくちょく家に来てくれた。お小遣いをくれたり、おもちゃを買ってくれたりしたこともあった。お出かけに連れて行ってくれることはなかったが、家の中で遊んではくれた。今になって思えば無責任だと呆れるが、個人的な恨みのようなものは抱いていない。
 小学校中学年になり、近隣住民から市長への悪口を伝えられるようになると、だんだん自分の境遇というものを理解するようになった。「お父さんに言ってもっと税金減らしてよ」と言ってきた老婆に「なんで私に言うの?」と聞き返したら、「あっはっは!」となぜか愉快そうに笑われた。家に帰って母にそのことを伝えると、一人で激怒していたが、激怒の理由も教えてはくれなかった。ただ、なんとなく自分はそういう星の下に生まれてしまったのだと察した。
「ユイはアイドルになりなさい」
 母からは、事あるごとにそう言われた。
「アイドルになれば、周りは変な目でなんて絶対見ないから」
 そう言い聞かされた。幼稚園や小学校で将来の夢を発表することがあれば、必ず「アイドルになりたい」と書いた。理由を書く欄があれば「お母さんにそう言われたから」と書いた。
 小学三年の五月、写生の時間の前にクレヨンを盗まれた。仲良くしていた隣の席の女の子に「私のクレヨン知らない?」と尋ねたら「また市長さんに買ってもらえば?」と言われた。他の友達は誰も目を合わせてくれなかった。別にそれがいじめだという認識はなかった。そこにあるのは悪意ではなく、例えば誰か……親とか先生とか友達から植え付けられた常識……いわゆる正義を遂行しているだけだと本能的に理解していたから。
 ただ私にも一応意地があって、先生に助けを求めたくはなかったし、泣いて悲しみを表に出したくもなかった。ふと足元を見ると灰色のクレヨンが一本、ポツリと転がっていた。誰かが私のクレヨンをどこかに捨てたときに零れ落ちたのかもしれないし、単に別の誰かが落としてなくしただけかもしれない。人気がなく、大して使われない色。赤や青がどんどん短くなっていく一方で、片隅で長いまま残される色。ゴミ箱でもあされば私のクレヨンセットが捨てられているのを発見できたのかもしれないが、私はそれを使うことにした。今は絵を描く時間なのだ。クレヨンを探す時間ではないのだ。
 本当は中庭に出て花でも描こうかと思った。だが灰色だけでは花を描くことはきっとできない。ため息交じりに窓の外を見たら、花曇りの空の下に映る自分の街はどこまでも灰色だった。正確には、裸に剥かれた山肌は赤茶けていたし、私が住んでいた小さな長屋の屋根も黒くくすんだ赤の方が近かったが、私が「全部灰色で塗りつぶしちゃえ」と思うのには十分だった。
 画用紙を灰色で塗りつぶしていると、男の子が隣に立った。やだなあ。見ないでほしい。私は、自分がせっかくの写生の時間に教室に残って画用紙を灰色で塗りつぶしている奇行の言い訳をしなければいけなかった。
「見て」
 ミステリアスな感じを出したくて、指でフレームを作ってみた。
「灰色しかない」
 早くどこかに行ってくれないかな。「変な奴、かかわりたくない」とでも思ってほしい。
 そう考えていると、彼は予想外の反応を示した。
「これはね、『にびいろ』っていうんだよ」
「にじいろ?」
「違う。にびいろ」
「なにそれ」
「死んだ鉄の色」
 なんだそれ。この街にぴったりの色じゃないか。
 その時になってようやく、私の目に涙が浮かんできた。いけない。私は絵を描かないといけないのに。泣くための時間なんかじゃないのに。
 私はその後はずっと無言で、一生懸命灰色のクレヨンで画用紙を埋め尽くした。

(三十二)

 母が全市民約三万人の個人情報を不正入手したことが発覚したのは、それから一年半ほど経った後だった。市長さんが連日家に来て、母となんだか激しい言い争いをしていた。どうやら、市民税課に忍び込んで、市民の住所や電話番号を記した名簿を入手してしまったのだという。備考欄には家族構成や通院歴、車種や宗教まで手書きで記されていたというから今思えば驚きだ。どうやら市民税課で入手した情報に、自分の足で稼いだ情報も書き加えて膨大かつ詳細なデータベースを作っていたというのだ。
 母はある夜、私を呼び出して神妙な顔つきで言った。
「いい? こんな田舎にいる限り、情報は何よりも安く手に入る強力な武器だから。貴女を『妾の子』と蔑んだ人には必ず復讐しなさい。例えば隣のババアの息子は、実は暴力事件を起こして製鉄所をクビになっている。クラスメートのミホちゃんのお父さんは、中学から大学までずっと市長さんの後輩だったから、今も市役所で市長さんに絶対に逆らえないはず。あと、なんだか毎週のようにどこかの怪しい宗教施設に通ってる人もいるみたい。いい、人の弱みにはどんどん付け込みなさい。あなたに罪がないことであなたを虐げる人がいたら、相手に罪がないことでやり返しなさい。この世はそういう世界なんだから」
そのころには、近隣住民やクラスメートから私に対する嫌がらせは徐々にエスカレートの兆しを見せていて、母にもそれを悟られてしまっていた。母はデータベースをフロッピーディスクに複製し、私が大事にしていた「宝物箱」に勝手にしまった。
その直後、母は市長の説得に応じて街を出ることを決断した。祖母が健在だったらいろいろ手を回してくれたかもしれないが、当時祖母はすでに他界していた。母はとにかく私に「いつか復讐しなさい」と言い聞かせ続けていた。もしかしたらそのころには少し精神を病んでしまっていたのかもしれない。
東京に出たとき、母は今の私と同じ年だった。今の私が十歳ほどの娘を抱えていたらと想像すると、母に感謝こそすれ責めることなどできない。
今思えば、母もまた、何者かになりたかったのだろう。
私を身ごもったことが望まぬ妊娠だったのかどうか、私は怖くて聞くことができない。だが、その目に宿していた復讐心を思えば、その人生は彼女の理想とは違ったのだろう。ある夜、酒に酔って帰宅した母がテレビに映るアイドル歌手を見て「私だって、アイドルになりたかったのよ」と呟いていたのは覚えている。
母が大輪田氏とどのように出会ったのかはよく聞かされていない。私に対してしきりに「高校や大学なんて行かなくていいから早くアイドルになれ」とオーディションを受けさせようとする母をなだめて、私を高校や大学まで送り込んでくれたのは確かに大輪田氏だ。その点に関しては感謝しているが、それ以上の感情はない。
 母が「アイドルにならないならせめてアナウンサーになって野球選手と結婚しろ」と言うからテレビ局の採用試験を受けた。アナウンサー枠には通らなかったが記者枠で採用された、と伝えると、母はひどく私を罵った。テレビでレポートしている映像が地上波で流れても「アナウンサーじゃないのにこんなことやらされるんだ」と何やらブツブツ言っていた。
母が何を望んでいて何に不満だったのかが分かるようになったのは、それから少し経った頃だった。母が女性アイドルグループの熱心なファンになったのだ。特定のメンバーを「娘」と呼ぶようになった。少し病的な怖さを感じて、もしや私のことを忘れてしまったのかと確かめたことも何度かあったが、私のことも「出来の悪い方の娘」として認識していた。母はとにかく「アイドル」という字面に対して、文字通り偶像のような憧れを抱いていただけなのだ。きっとそれは、何者にもなれなかった母にとっての代償行動のようなものだったのだろう。「娘」と呼ぶメンバーが引退したら、また新たな「娘」ができた。私が社会に出てから母が大輪田氏と二人暮らししていた一軒家には今でも「子供部屋」があって、そこにはアイドルの名前や顔写真をプリントした団扇や写真集、タオルなどのグッズ類で埋め尽くされていた。
私が決意を固めたのは、母にとって四人目の「娘」ができたころだった。

(三十三)

 三十年間大事にしまっておいた「宝物箱」を引っ張り出した。フロッピーディスクを復元した。「いつか復讐しなさい」と言われた、その「いつか」が今なのだと思った。
 休みのたびに地元に帰り、情報を再収集した。金が金の上にしか集まらないように、情報は情報の上に集まる。私は個人情報の塊を武器に、使える人材を探した。
 探したのは「ローンウルフ」。政治的な色もつかず、団体にも属さない、一匹狼。見つかったのは私より十五歳年下の植木勝という男。まずは彼を使うことにした。
 製鉄所の管理職である父と、建設会社の令嬢である母に愛されて育つも、高校でドロップアウトし、その後はフリーター生活を送る若者。理想像にぴったりだった。似たようなパーソナリティの候補者は他にも何人かいたが、現在地をすぐに特定できたのが植木だったというだけだ。
まず一言、「見つけた」と言う。ものの見事に植木の興味を引くことに成功した。
 次に、「このままだと、君はきっと何者にもなれない」と言う。恵まれた家庭に育った植木が、これまで何不自由なく培ってきたアイデンティティが簡単に崩れるのが分かった。
そして極めつけにこう言う。「こっちにおいで」
本当は、母の目の前で、母の「娘」であるアイドルの子を植木に殺害させたかった。でも、その子はまだあまりにも序列が低く、殺害したとて世間に大きなインパクトを与えられない可能性があった。マスコミには植木の生い立ちから思考回路まで徹底的に報じてもらって、植木を何者かに仕立て上げてもらわないと困る。そこでグループのエースである郡司ユーコを殺害させることにした。
犯行日に選んだのは握手会イベントの日だった。なぜなら、その日、母が会場に行くと言っていたから。「娘」のミニライブがあるのだとはしゃぐ母に、家で耳打ちした。
「『親です』って言い張れば、握手でもなんでもさせてもらえるんじゃない?」
愚かしい母は私の言葉を真に受け、会場に混乱を招いた。
混乱の中、植木は見事に郡司ヨーコを襲撃した。殺害には至らなかったが、世間に対しては十分なインパクトを与えた。何より、私が現場にも行かず、具体的に罪に問われる可能性がある形では犯行に一切関与せず、その事件を引き起こすことに成功したという事実が大事だった。
その後、私は何気ない顔で記者として現場に行った。
「そこで君に会った」
 私は君を見る。君は相変わらず呆然としている。
「君の名前も、私の『ローンウルフ』候補にはあったんだよ。ただ、現在地を特定できなかった。あの事件の現場で、よもや君に出会えて、私は神を信じかけたよ。次のローンウルフが、向こうからやってきた。神様が『また次の事件を起こせ』って言ってる、って思った」
「……それで、あんな反応だったのか」
「驚いたのは事実。『アイドルのファン』とか書いて、適当にモザイクなしで放送しちゃったのはごめんなさい。結果的に怒った君から連絡が来たけど、君から連絡が来なくても私は君に連絡するつもりだった。『やっと見つけた』とでも言って」
「……」
「しかも君は、混乱の引き金になったのがママだったことに気づいていた。あのまま放置して警察に連絡されていたら、それで全部終わっちゃいかねないところだった。よかったよ」
 君は後悔と怒りと恥辱にまみれた表情を浮かべ、言った。
「……それで、僕は何をすればいいの?」
「まあ待ってよ」
窓の外では相変わらず断続的に製鉄所が爆発音を立て、巨大な線香花火のような光を発している。この規模だと、負傷者や死者も発生しているだろう。
「元々は、君に東京で『ブラフマンの光』の施設を爆破でもしてもらおうかなとか思ってたんだけどね。君のせいで予定がだいぶ狂っちゃったけど、どうにか成功みたい。元々準備はしてたしね。君からメールが来た瞬間、『あ、今日しかない』って思ったんだよ」
「……そんなことして何になるんだよ」
「ふふ。君は本当に純粋でいい人だね。でも私ときたら本当に人間性が終わっているから、君とは違って平気で人の不幸を願えてしまうんですよ」
「……結局これはユイちゃんがやったの?」
「……君との会話は、思っていた以上に楽しくてね。なんだか、君には、植木くんみたいに理解しがたい悪役じゃなくて、ちゃんとヒーローとして『何者か』になってほしいな、って思っちゃったの」
「……」
「ああ、分かった、じゃあ、君には悪役を倒してもらえばいいんだ、って思った」
「……まさか」
「私が悪役になれば、君も私も、同時に『何者か』になれる。素敵じゃない?」
「……勘弁してよ」
「君は何も考えなくていいの! ほら、君は実に都合の良いことに、頑丈そうなロープを持ってる! こんなに都合よく運命的なことがある?」
「……」
「何泣いてるの。私言ったよね。このままではきっと君は何者にもなれないって。さっきみたいに君が一人公園の隅で首を吊ったところで、君の不幸な生い立ちも、宗教の闇も、誰も見向きもしてくれやしない。でも、死んだ気になって、今私の首を絞めれば、君は爆弾魔をやっつけたヒーローになれる。生きながらにして誰もが君に興味を持ってくれる。私は死ぬけど、私の生い立ちも、今までやってきたことも、市長さんのことも、ママのことも、きっと公になる。これでも一応美人記者として人気だってあるんだから」
「……」
「……はあ。みなまで言わなきゃよかったかな。一応、私も自決用のナイフぐらい持ってるけど、これで自分の首を掻っ切って死んだところで、君は何者にもなれないよ。ただ爆弾魔の自決の瞬間を見ていた人にしかなれない。君が一応、私を殺して殺人犯として逮捕されて実名で報道されることに意味がある。分かるかな。国会議事堂の前でプラカードなんて持って歩いてたって何の意味もないからね。さあ、ロープ持って!」
「やめろよ!」
「やめない!」
「……っ」
「君にはもう、帰る場所なんてとっくにない。そうでしょう? だから公園の隅で首を吊ってたんでしょう?」
「他になかったのかな。何者かになる方法……」
「子供みたいなこと言わないでよ。何歳だと思ってるの」
 私は携帯で一一〇番をコールする。
「製鉄所を爆破したのは私です。今、小学校の三年二組の教室にいます。今、男に殺されそうになっています」
「やめろよ」
「遅い。どんくさい。君はいつもそうだ」
 私は携帯を切って投げ捨てる。
「おいで」
「……」
「私がやってきたこと、無駄にしないで」
「……」
 君はロープを手に取り、私の首に巻く。
「泣いてくれるの?」
 私は笑う。君は泣く。
「……ふふ。あのね」
「……」
「私、君のこと結構好きだったんだよ。また会えてよかった」
「……」
「……綺麗」

(三十四)

「なんか複雑な事件みたいで、……うーん……びっくりしてます。あの、俺、高二の時期しかわからないけど…‥。それでもいいなら答えますけど」
 山岡幸也は、天然パーマで大きく膨らんだ頭をがしがしと掻いた。
新聞記者が突然、山岡の営むリサイクルショップ「ブロッコリー」を訪ねてきたのは、製鉄所爆破事件から四日後のことだった。爆破事件を起こした女を殺害したとして、殺人容疑で逮捕された男について聞きたいという。記者がどういうツテで自分を探したのか見当もつかなかったが、男の名前について、山岡は確かに知っていた。
 爆発事件は大きく報道され、在京キー局の美人女性記者が起こした、として大騒ぎになった。当該キー局が対応に追われる羽目になったばかりではなく、事件翌日には、大輪田ユイが地元の名家である市長の「隠し子」であることが、ゴシップ誌の取材で判明。市長も釈明に追われる羽目に。大輪田ユイの母親が地元で個人情報流出事件を引き起こしていたが市長がそれをもみ消し、ユイともども街を出ることで事態を収拾していたということも次々と明らかになり、市長の辞職は免れようがない状況となった。
 大輪田ユイは製鉄所以外にも、市役所や市長の自宅にも自作の爆弾をしかけていたと事前に予告しており、実際に予告通り爆弾が発見された。さらに、なぜか東京の「梵の光」なる宗教法人の本拠地にも爆弾をしかけたと予告しており、教団側は警察による捜索を頑なに拒んだ末、自ら「爆弾が見つかった」と表明した。
 同時に注目を集めたのが、製鉄所以外の爆破を防いだヒーローとしてあがめられた、大輪田ユイ殺害犯の男だ。大輪田ユイ自らによる一一〇番通報を受けて、発信元である小学校に警察が突入すると、そこにはすでに息絶えた女と、女の首をロープで縛って殺害したとみられる男がいたのだ。なぜ小学校にいたのか、なぜ大輪田ユイを殺したのか、など憶測が憶測を呼ぶ中で、この男が梵の光の信者であると報じられ、大輪田ユイとの「共犯説」も浮上し、この男の正体が報道の争点の一つとなったのだ。
「……まあ、うん。……彼が本当に、僕の知る彼だとしたら、ですけど……。……まあでも記者さんがここに来てるってことはそうなんでしょうね」
 控えめに口ごもったが、すぐに言い直した。申し訳なくなったのだ。当時の自分に。
「友達でしたよ。仲良かったです。いい奴でした。僕は好きな奴でしたよ」
 はっきりと答え、思い出せる範囲の記憶を訥々と語った。
「……記者さん、いろんなところ行ってるんですよね。みんな、どういう風に答えてるんですか。……あの、テレビとか見ると、元同級生とか名乗る人たちから『大人しかった』とか『暗かった』とか言われてるけど、……うーん。そんなことなかったと思うんです。なんか、そういうのって、報道で字になるとどうしてもネガティブな印象になるじゃないですか。……印象に残ってないなら答えなきゃいいのに。……僕は結構彼のこと好きでしたよ。むしろどちらかというと『いい奴』として印象に残ってる方だった」
 山岡は丁寧に言葉を紡いだ。
「学校の成績は悪くなかったと思うけど、そういうことを鼻にかけるタイプではない。かしこぶってる感じもなかったし。背が高くて運動もできたけど、たとえば体育のバスケで活躍しても、周りから褒められて照れ笑いしてたけど、それで調子乗ったり鼻にかけたりはしない。はにかんで笑ってる感じ。そうっすね。彼についてまず思い出すのは、褒められて照れてはにかんで笑っている顔です」
 店の奥から、妻が心配そうに山岡の方を見ている。
「まあ……なんですかね。社会人になってからも、何か機会があれば会いたいなあと思える同級生の、数少ない一人でしたよ。……そうは言っても、彼の家庭環境とか別に詳しく知らなかったし。……宗教のこととかも……うーん……まあ、知らなかったし。彼がやったことが、事実だとしたら、それはもちろん悪いことで、それを肯定はできないけど。ここからは推測でしかないけど、いろいろ聞いている限り、人生にもう何も見出せなくなって、最後に命がけで何かをやったっていう感じなのかな。もう、なんていうか死のうとしてたんじゃないかなって。これは妄想でしかないけど……。なんかそんな気がするんですよね……。ごめんなさい……なんか涙出てきちゃって……。なんか……こういう形で彼の現状のことを知ってしまった以上、今となっては彼に会うのは怖いけど……。彼の全部を否定的な目で見られないというか。やったこと以外の彼の内面を否定したくはないというか……。まあ、こんなこと言われても彼にとっては余計なお世話なんでしょうけど。今はなかなか世間には言いづらいですけど、僕が彼と高校時代に友達で、仲良かったということは、隠さないでいいなら隠したくないという気はします。こういう形ではなく、違う形で彼の名前と出会いたかったなと思います。もちろん現実に起きたことは受け止めなきゃいけないけど……。どんな形であれ、人ひとり殺してしまっているんだったら、それはまったく肯定できるものではないんですけど……。再会するとしたら、多分、傍聴席で、とかになるんでしょうけど……。多分彼は、刑務所でも淡々と生きていきそうな気もします。何年後になるのか、分からないけど。もしこっちに戻って来ることがあるんだったら……。まあ、酒でも飲みたいかなって。……これはあくまでも僕の推測ですけど、彼の中には何かきっと熱いものがあって、人生の中で何かを成し遂げたかったタイプのような気がするんです。人と違うものを何か自分で一つでも。そういうのはあったと思うんです。それが、こういう形で結実してしまったというか。……まあ、それを周りのせいとか、環境のせいとかにするのは、まっとうに生きられている人間から見たらその時点でダメなのかもしれないけど、でも、やっぱり生きている限りどうしようもなく周りのせいで振り回されてしまうことって、あるわけで。結局やりたいことや叶えたいことが、何かあったかもしれないのに、それができない状況とかになって……。……まあ、時間っていうのは思っているよりも短くて。なんか、『アレやりたいな、コレやりたいな』って思っている間に、あっという間に時間だけが過ぎていって、気づいたら四十歳間際、みたいな感じになっていて。『何か成し遂げたい』って思ったときの『成し遂げたい』が、そっちに向いてしまったのかな……って、僕は解釈します。もちろん実際のところは分からないけど。……ああ、僕ですか。僕は一応今でこそ自分の店を持ってるけど……。しがない雑貨屋ですけど……。まあ僕なんかは元々賢くもなかったし、就職なんて元々考えてなかったしね…‥。……あ、もういいですか。……分かりました。まあ、聞いてもらえただけでも良かったです」

(三十五)

 カーブで体が傾いて一瞬の眠りから目が覚めた。車の窓の外には、拘置所が巨大な神殿のようにそびえていた。
 隣で警察官が「よく護送中にうたた寝できるな」とでも言いたげな目で僕を見ている。
無数のカメラのフラッシュを抜け、怪しげな車に乗せられて運ばれる。以前、バイトに向かった夜のことを思い出した。さしずめドナドナに合わせて運ばれる子牛か、あるいは奴隷か囚人か。……ああ、囚人だった、と自然と口元が緩む。
ユイが犯行予告を出していたのは東京の警視庁だったので、僕は地元の県警ではなくて警視庁に逮捕された。捜査能力を考えればそっちの方が良いという判断があったのかもしれない。護送車は荒川沿いを走り、東京拘置所に向かう。
二十一世紀の東京は、鈍色だ。ねずみの色でも灰の色でもなく、鉄が静かに輝きを終え、仄かに黒くくすんだ鈍色。これから向かうところは、その最たる例かもしれない。
「見て」
 ふと、記憶の中の小さな彼女が、両手の親指と人差し指で小さな四角形のフレームを作って見せた。
「灰色しかない」
 記憶の中の小さな彼女に、小さな僕が言った。
「これはね、『にびいろ』っていうんだよ」
 記憶の中の小さな彼女は、再び言った。
「綺麗」

弁護士の話や差し入れの新聞・雑誌などによると、僕やユイの生涯は丸裸になっていた。僕らそれぞれの両親のこと。あの街のこと。アイドル襲撃事件のこと。宗教のこと。僕らに対しては同情的な意見も寄せられたというが、死者も出た製鉄所爆破事件に対してあまりにも独りよがりな動機であることをひたすら憤る意見もあったという。テロリズムによってしか自分の主義主張を訴えることができないという現代社会について痛烈に問題視し、「大輪田ユイに続く者はもう二度とあってはならない」と論じられた。
製鉄所爆破事件に関して僕がユイと共犯関係ではないということはどうにか立証してもらえそうで、報道が進むにしたがって、僕は被害者としての面をクローズアップされるようになっていったようだ。人ひとりの命を奪っている以上、ユイの次なる犯行を殺害によって止めた、という点に関しては報道は抑制的だったが、僕のことをヒーローだと思い込んでいる人は時間がたってからも一定数いたようだ。
悲しきかな、すべてがユイの掌の上だった。
最初から最後までユイの言いなりで行動しただけの僕が、ユイの言う通りヒーローじみた扱いを受けるのが悔しくて仕方なかった。
数日後、弁護士が一通の手紙を持ってきた。
差出人はユイだった。
「どういうことですか」
 僕は思わず面会室で立ち上がった。
「どうやら、大輪田ユイが生前……というか犯行前に日時指定して投函していたらしい。君がここにいることまで予測して」
 頭が混乱した。もしかして全部が嘘で、ユイはまだどこかでちゃっかり生きているのでは、とすら思った。
「それで、なんて書いてあるんですか」
「自分の目で読めばいい」
 弁護士が手渡した手紙をその場で開く。
 涙があふれた。
「ユイちゃん……」
 涙が止まらなかった。
「……君は……」
 そういえばユイに再会した日もそうだった。
「本当にずるい人だ……」
 涙でいっぱいになった目を再び開き、手紙を読み返した。
〈大変よくできました!〉
 下には僕の名前が書いてあった。ユイが初めて呼んでくれた名前だったのに、涙でにじんでしまって読めなかった。

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