インスタントでラーメンを語る者たちへ
今ラーメンという食事は日本人にとってなくてはならないものだ。
ご存じの通り元をただせば中国を起源とする食事が日本で独自の進化を遂げたものという認識で間違っていないだろう。
そして日本では手軽にラーメンを楽しめるようにカップ容器に収めたカップ麺が誕生。
今は有名ブランド店の監修したカップ麺も多数存在している。
そんな非常にメジャーな食事となったラーメンであるが、実際の店舗に訪れたことなくインスタントやカップ麺だけしか食べていない人も存在する。
私は本日とあるチェーンの味を再現したというカップ麺を食べた。
そのカップ麺は確かにいい味をしていたが、わざわざそのチェーン店の冠を戴く必要があるのかと疑問に思うほど味の違うものであった。
ラーメンというものは特殊な食事だと思う。
一言にラーメンと言っても使える食材は無限で、組み合わせも自由。
結局麺をスープに浸して食すという決まりを守れば結局のところ「うまい」と言ってもらえば正解だ。
つまり、正道や王道は存在せず気に入る人がいればそれでオッケーという土壌がある。
その流れがある上でインスタントしか食べていない人が本当にラーメンを語れるのか、という点だ。
インスタントラーメンがプロの仕事ではない、というつもりはない。
むしろ歴史を考えたらそこら辺の店よりも長いのだから。
だが、そのインスタントが名店に遠く及ばないのは事実である。
だがしかし、インスタントは安い。自分の都合のいいタイミングで食べることのできる。
そして一時の腹を満たすことができる。
それを求めることを否定できるだろうか?
私には、出来ない。
インスタントで満足している人に、通常のラーメン店を案内しても高いだけでしょ?と断られることが関の山である。
ただ、そのインスタントの値段で美味しいラーメンを食べられるかと言われたら…私は首をかしげるだろう。
もし本当に美味しいラーメンを食べたいのであれば、それなりの値段を出す必要がある。
試食だけでお腹を満たしきることはできない。
何故、占いだとそこを一緒にするのかね?
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長峰永地の哲学note
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