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嫌われない努力

自分のわがままを正当化していないか

あなたは嫌われる勇気という本をご存知だろうか?
アドラーブームの立役者と言っても良いこの本は、ベストセラーとなり多くの人の目に触れた。

多くの人が読んだということはちゃんと読めていない人の数が多いという事実に他ならない。

人間という生き物は物事を正しく捉えることができる生き物ではなく、少しずつ誤解をして生きているのだ。

そのことは人間の性質だから普通だ。
悪いわけではない。

だが「嫌われる勇気」という刺激的なタイトルからこの意味を誤読、誤用している人間の多さに辟易していることが散見される。

もし嫌われる勇気未読の方は是非ご覧いただいて自分で堪能いただきたい。
なぜなら「嫌われる勇気」という単語の他にも生きることの支えとなる知恵がふんだんに散りばめられているからだ。

その上で、だ。

世間一般で言われている「嫌われる勇気」は大抵このような意味だろう。

「嫌われても自分のことを貫く勇気を持とう!」

たしかにその意味もあるがニュアンスが大きく異なる。

嫌われる勇気の著書内で語られた本来の意味は

「他人のことをコントロールできない。普通にしていても嫌われてしまうこともある。そのことを認めて受け入れる勇気」

このような意味になる。

課題の分離

このことを嫌われる勇気の中では課題の分離という言葉で説明している。

課題というのはいわばその人の責任の及ぶ範囲と言えるだろう。

他人の行動、考え方などはその人が責任を持つことであり、あなたに変えることはできない。
そのことを受け入れることが自分自身の人生を生きるために必要であるという考え方。

私が好きなニーバーの祈りにも似た言葉がある。

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

この考え方を持つためには自分自身を律する必要が出てくる。
だが、今の世の中自分を律することのできる人は少ない。

短絡的な思考に偏って人を思いやることが減った。
そのことが「嫌われる勇気」の誤用を招いている。

本来尊い教えをゆがめられて伝えられていないだろうか?
もっと純粋に。
あなたの人生が良い方向へ進むと信じて。

長峰永地


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