私とワルツをー自己中心的な懇願

鬼束ちひろさんの「私とワルツを」について。

人気ある曲であり、とりわけ特にある種の面倒な人間――メンヘラに好かれがちな曲である。

この曲の歌詞からは、直感的には「あなたに手を差し伸べ、助けたい」という優しさを感じることはできるし、そのような解釈はしばしば目にする。YouTubeの公式動画にも、「慈愛に満ちた歌詞」と書かれている。実際私も十代の頃などはそのように感じた気もする。

しかし、今あらためて歌詞を読むと、優しさを装った自己中心的な懇願のように思う。

優しいものは とても怖いから
泣いてしまう あなたは優しいから

この部分は「あなたは優しいが、同時にとても怖い」と読めるように思う。「あなたは怖い」のだ。

ところで、歌詞に出てくる「あなた」は一貫して「あたし」から見えているものでしかない。

二番では「あたし」からみた「あなた」に対しての感情が歌われる。

失う時が いつか来る事も
知っているの 貴方は悲しい程
それでもなぜ生きようとするの
何も信じられないくせに
そんな寂しい期待で

これはあなたには助けが必要だという決めつけに他ならない。そしてそれは、私に助けを求めてくれという懇願。

悲鳴を上げて 名前を呼んで
一度だけでも それが最後でも
誰にも傷が付かないようにと
ひとりでなんて踊らないで
そして私とワルツを

はっきりと自己中心的になる。一度でもいい、最後でもいい、お願いだから私を頼ってくれという懇願。

助けてあげたい優しさを装ってはいても、言いたいことはつまり「私を見て」ということ。

この曲は、最初から最後まで、優しさを装いながら「私を見て」と言っている。

「あなた」は助けが必要だと決めつけ、助けてあげられるのは「あたし」だけ。そういう世界観。

こういった考え方は、実にメンヘラ的。だけどその自己中心的な優しさは、私を見てほしいという懇願で、それは勝手な優しさだけど、「私を助けて」という心からの叫び。

「私を見て」なんて、そんな我儘は言えない。だからこうして優しさを装う。そうやって自分さえも騙す。それはとても自己中心的だけど、紛れもない心からの叫び。

そして「どうか私をワルツを」と、弱々しく、回りくどく、来ることのない助けを求める。

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