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百冊で耕す〈自由に、なる〉ための読書術 近藤康太郎

蔵書を数えたことがない。
自分が何冊の本を所有しているのか、まったくわからない。
小学生の頃に、コミックの冊数を数えたことがある気がする。
何冊だったか、忘れてしまった。
たしか渡部昇一か誰かが、蔵書が多い学者のほうが論文をたくさん発表できるのだという意味のことを書いていた。
なるほどと思った。
立花隆は、文藝春秋に入社したあと本を読む時間がなくなったが、自分が本来どれくらい読まなければならなかったのかを可視化するために、本を買い続けたそうだ。
これも、たしか本人が何かに書いていたのを読んだ。
昔からメモでもしていれば、そういう情報もすぐに取り出せたのかもしれないが、メモがあっても私は調べないかもしれない。
話を蔵書に戻す。
私は、「本を多く所有するのは、自分の知識にとって、よいことである」と信じて生きてきた。
「百冊で耕す」は、そんな私に、アンラーンを求めてきた。
本は、たくさん読んだうえで厳選した百冊を持てばよいそうだ。
「蔵書は多ければ多いほどよいというのは、本当か」
私は、その答えを出せていない。
抜書帳を作ることに、挑戦してみるべきかもしれない。

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