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超相対性理論 『#34 目的は本当に手段より大事なのか(前編)』を聴いた
きっかけ
1~2年前に上司に勧めてもらったのだが、出演者の御三方の圧倒的知識量についていけず。しばらく聴いていなかったのだが、上司との雑談の中でこの「超相対性理論」の話題が久々に出てきたのと、ちょうど「目的」について理解を深めたいと漠然と思っていたので、タイトルに惹かれて聴いてみた。
印象に残った内容
※話の内容をまとめているわけではありません
⚫︎疑問①|「目的がないこと」ってどんなことなのか?
(深)そもそも人間の活動の中に目的がないものがあるはずで、あって全然OKって話だもんね。その解釈があまりできない社会なんだろうな。目的がないことを解釈するって力が弱いんでしょうね。目的ないことばっかり元々やってそうだけどね、人間。目的がないといけない感覚になるんでしょうね。
印象に残ったというよりは疑問を持った部分。
僕はYouTubeをなんとなくダラダラと見てしまうことがよくある。これは一見目的がない行為と言えそうだが、実際には暇つぶしとか現実逃避という目的が隠れていると思う。
なぜ一見目的がない行為だと思えるのかと言えば、YouTubeをダラダラ見るときに「よし、暇つぶしをするぞ!」とわざわざ意識しないからだと思う。
ダラダラYouTubeを見ることにすら目的があると考えると、自分がする行為のほとんど全てに目的はある気がしてきて、じゃあ「目的がないこと」って一体なんなん?!という疑問が生成された。
これに対してしっくりくる説明が話の中で出てきた。
(深)時間軸もあるな〜。未来に対して志向性が向いている時に目的化しやすいな、そうなると。その活動が将来の何かのためにあるときしか目的と手段って別れ方しないから・・・
(荒)マインドフルネスって目的がない状態なんじゃないかなとふと思ってね。時間軸の話ってまさにそうだと思う。目的って常に先の話じゃない。1年後とかそれとも1ヶ月後でも、常に前の話を考えるでしょ。それを置くことによってマインドが常に先にいってしまうみたいなことってあったりするわけじゃない。ところが没入感っていうのはさ、今ここに集中してるってことじゃん。だから本を読んでて楽しいっていうのは、先のことなんてどうでもよくて、今この瞬間に集中してて楽しい。だからそれが没入であるみたいなことだよね。だからマインドフルネスをやるってことは目的を手放すことになっていくのかな・・・。だから目的を抱えすぎるとさ、見失っちゃうものって多いんだと思う。今ここにあるものに目が止まらなくなるっていうかさ。
未来に意識が向いている場合に目的化しやすい。逆に美しい景色に目を奪われるとか、好きなアーティストのライブに熱狂するとか、「今ここ」に没入している場合はそこに目的はないと言えそうだと自分の中で整理できた。
同時に、自分ってこういう「今ここ」に没入するような体験全然してなくね?と少し悲しくなった。
【整理】
⚪︎目的について考えるとき、思考は未来を向いていそう
⚪︎「今ここ」に没入しているとき、そこに目的はないと言えそう
⚫︎疑問②|「今ここ」に没入していないことに悲しくなったのはなぜだろう?
先ほど自分で『同時に、自分ってこういう「今ここ」に没入するような体験全然してなくね?と少し悲しくなった。』と書いていて、なんで悲しいんだろうな〜と思った。
(荒)マインドフルネスって目的がない状態なんじゃないかなとふと思ってね。時間軸の話ってまさにそうだと思う。目的って常に先の話じゃない。1年後とかそれとも1ヶ月後でも、常に前の話を考えるでしょ。それを置くことによってマインドが常に先にいってしまうみたいなことってあったりするわけじゃない。ところが没入感っていうのはさ、今ここに集中してるってことじゃん。だから本を読んでて楽しいっていうのは、先のことなんてどうでもよくて、今この瞬間に集中してて楽しい。だからそれが没入であるみたいなことだよね。だからマインドフルネスをやるってことは目的を手放すことになっていくのかな・・・。だから目的を抱えすぎるとさ、見失っちゃうものって多いんだと思う。今ここにあるものに目が止まらなくなるっていうかさ。
まさにこれだよな〜と思う。
より正確に言えば、「今ここ」に没入できていないこと自体が悲しいのではないのだと思う。今を楽しめていないというか、常に先のご褒美に目を奪われながら走り続けて疲弊しているというか、それが何なのかは分からないけど大事なものを見失っているというか。
未来の幸せのために頑張っているつもりがその未来はいつまで経っても来ず、「俺は何のために頑張っているんや?」という虚無感を「悲しい」と言っているんだと思う。
※「疲弊」とか「虚無」とかいう言葉を使うと悲惨さが増すが、実際そんなに悲惨な感じで悩んではないので悪しからず。
この思考を端的に言語化してくれているシーンがあった。
(深)多分自分がやってることが全部投資になっちゃうんだよね。目的的な人生を生きると。未来に対する投資ばっかりしてる人生になるので、「ずーっと未来の自分に投資し続けて行きますか?」みたいな話になっちゃうよね。じゃあその瞬間の自分に誰が投資してるんですか?っていう。
(渡)現在の取り組み全てが未来のための手段に成り下がっているっていうことだよね。
(深)外国の人はよく分かんないけど、日本ではよく起こってますね。今の仕事を楽しまずに、未来のキャリア形成のためにやってしまうみたいな。
これらの話から、自分が今、目的(未来)に囚われすぎていそうなこと、また「もうちょっと今を楽しみたいよね、楽しんでも良いよね」って思っていることに気付いた。
(渡)苦労とか努力、もしくは短期的な居心地の悪さみたいなものに耐える先に大きな達成が起こるっていうのは多々あると思うんだけど、結構程度問題で、今の瞬間を全く楽しめないんだったら、そもそもそれが目指すべきゴールなのかどうかっていう問いが発生するよね。
設定したゴール(目的)を、ある程度の期間で見直すことが大事だということも再認識した。
【整理】
⚪自分が目的に囚われすぎていないか、定期的にチェックできると良い
⚪︎設定したゴールに問題があり今を楽しめていないのであれば、そのゴール自体を見直す必要があるかもしれない
⚫︎疑問③|「目的がないといけない感覚」とは何なのか?
(深)そもそも人間の活動の中に目的がないものがあるはずで、あって全然OKって話だもんね。その解釈があまりできない社会なんだろうな。目的がないことを解釈するって力が弱いんでしょうね。目的ないことばっかり元々やってそうだけどね、人間。目的がないといけない感覚になるんでしょうね。
言葉の定義をしたいのだが、僕は「目的がないといけない感覚」という言葉を次のように解釈した。
「(自身が持つ人生の目的に通ずる)目的がないといけない感覚」
先述の通り、今ここに没頭している状態には目的は存在しないと考えると、目的について考える時点で目的が存在する気がする。(自分でも何を言っているか分からない)
要は、嫌な飲み会に参加しないことに決めた時、それは「行く目的が無いので行かなかった」ではなく、「より自分にとって重要な何かに時間を使うという目的を達成するために行かなかった」となるのではないか、ということだ。
まあどうでも良いっちゃ良いのだが、昔からこういう瑣末な部分が気になってしまう。
※目的という言葉を使うからなんかややこしくなるのだが、つまりは「自分にとって価値がなさそうなことはしたくない」というのが「目的がないといけない感覚」と考えるとしっくりきた。
次の疑問に続く。
⚫︎疑問④|自分にとって価値がなさそうなことを意図的にするのってめっちゃ難しくない?
なぜなら、その意志力があるのであれば、自分にとってより価値がありそうだと事前にわかっていることをした方がおトクだと思えてしまうから。
これについては他の話や本で、「自分にとって価値があるかは、やってみないと実は分からないよね」という話がった気がする。
(荒)目的と手段のちょっとモヤっとするところってさ、仮に目的ありきで良いとして、その手段が本当に正しいのかということは正当化誰もできないっていうことにあるような気がしてね。例えば受験戦争とかあったりするじゃない。受験させることの目的っていうのはさ、その子の将来的なハピネスというかさ、幸せという目的に対して今を犠牲に…まあ犠牲っていう言い方もアレだけど、受験頑張れっていう、その手段をやるわけだよね。ところが、将来的な幸せに対するその手段は本当に正しいんですか?と。それに対する因果関係ってあんま分かんないじゃん、正直。
これ以外にも良い言葉があったと思うので見つけた時にまた貼ります。
⚫︎チームとしての目的と意義
(渡)目的があると、他の人とそれを共有できるようになるっていうのが結構大事だよね。やっぱり。ビジネスの場ってそうじゃん。「何のためにこれ作業してんだっけ?」って常に思い悩んじゃう人は、「このためにやってんだよ!」って同じ方向を見つめている限りは、「じゃあそのためにちょっと頑張ろう」と(いう思いになる)。「今日はもしかしたら遅くまで働かないといけないけどこの目的のために頑張ろう」って言えるものがあるかないか。ふわっとしてるとやっぱりチームがギクシャクしちゃうよね。「何のためにやってるんですか」って。自分はモチベーションが高いけど他の人は低いとかっていうのが、目的がないと共有できないっていう状況があるよね。
社会人生活の中で上司・あるい先輩の立場になったことが(ほぼ)ないので個人のことばかり考えがちだが、チームとしての目的の意義を認識できた。
⚫︎FDL(Fun Done Learn)の重要性
(渡)ゴールに向かって進んでいる時の作業をすでに楽しめる場合は、その楽しみを深めていく。で、まだ楽しめない場合は、この中に小さな喜びみたいなのを見つけられるか。っていう瞬間の楽しみを探すようなちょっとした努力が要るんだよね。
主に仕事の話だけど、まだ楽しめないものを楽しくするにはやっぱりちょっとした努力は必要だよなと。こちらは何もしてないのに仕事の方が勝手に楽しくなってくれるってあんまりない気がしている。
⚫︎向き直りの重要性
(渡)今僕たちが話してる、目的に寄りすぎると実は弊害があるんじゃないかって話はどっから来てるかと言うと、多分最初にガチガチに決めすぎると目的が機能しなくなるタイミングってのがあるよねってのがあって。例えば、自分たちの状況に対する理解がどんどん上がっていってリテラシーが上がると、「あれちょっと待って、最初に考えてた前提自体が変わってきたね」ってのがあって、目指すべき方向とか目的をそもそもアップデートしなきゃいけない。それが分かってきた。そう言う場合あるよね。うまくいかないプロジェクトだと、目的を変えられないままズルズルなんかデスマーチみたいになっていくっていうパターンがある。その他には、周辺環境とか現実環境の方が変化してきていて、自分たちが定めた目的が意味をなさなくなっちゃうっていうのもあるかもしれないよね。
(深)曖昧なんだな、目的って。そう考えるとやっぱり。常に仮説でしかない曖昧なもので、外的環境とか内的要因によって左右されるっていうものなんだな。
聞いた上でやりたいこと
自分が何かに没入していたことに気付いた時に、それを書き留めておく。
それを書き留めるDBをNotion上に用意する
自分が目的に囚われすぎていないか、まずはWeekly Review時にチェックしてみる
「目的に囚われている」とはどういう状態なのか定義する
目的のないことを意図的にできるようになる方法を考える(または本などから見つける)
どんな場合に聞き直したいか
今が楽しくないな〜と思った時
目的に追われて疲れた時
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