『日本霊異記』上 亀の命を贖ひて放生し、現報を得て亀に助けられし縁 第七

諸注意

・平安初期の仏教説話集『日本霊異記』(『日本国現報善悪霊異記』)の現代語訳と、そのメモ書き。
・テキストは、手元にあった日本古典文学全集本(小学館、1975年)を使用(より新しい新日本古典文学大系本を参照する方が望ましいと思われる)。中田祝夫氏による現代語訳が付いているが、従わない部分もある。
・あくまでメモ書き。乱暴な訳なので、コピペしての二次使用は禁ずるし、奨励しない。

あらすじ

道端で売られていた亀。可哀想に思った僧侶は、亀を買って海へ放してやる。後に僧侶が窮地へ追い込まれた時、その亀は恩を返すべく参上するのであった。

本文

亀の命を贖ひて放生し、現報を得て亀に助けられし縁 第七

弘済法師は、かつて百済国の人だった。

百済が唐・新羅連合軍と戦争(白村江の戦い)になった時、備後国三谷郡の大領(郡司のトップ。地方の有力者)の子孫である某が、百済救国のために派遣された。その時「もし無事に日本へ帰れたら、神仏のために寺や社を建てましょう」と誓いを立てた。

結果、その人は無事に生還できた。彼は、百済にいた弘済法師を日本へ招き、共に三谷寺という寺を造った。弘済はこの他にも多くの寺を造ったので、僧侶や人々は大いに喜んだ。彼は仏像も造ろうと思い、都へ行って私財をもなげうち、金や丹(赤色の顔料)を買い込んだ。

買い物を終えて三谷寺に帰る途中、難波津まで来た時に、海辺の人が大きな亀を四匹売っていた。弘済は亀を憐れんで、周辺の人へ勧めて亀を買わせ、海へ放してやった。

弘済は舟を雇い、連れの童子二人とともに帰り路についた。日が暮れて真夜中になると、船乗りたちは「この金や丹を奪ってしまおう」と欲を起こし、備前国(岡山県東部)の骨島(かばねじま)の辺りに差し掛かった時、童子たちを海へ投げ込んでしまった。弘済へも「お前も早く海へ入るんだよ!」と言う。弘済は懸命に船乗りを説得したが、聞き入れようとしない。仕方がないので、弘済も海へ飛び込んだ。

水が腰の深さまで来た時、ふと足下に石のような感触があって、それ以上沈まなくなった。夜明けになってよく見てみると、亀の甲羅の上に乗っていると分かった。弘済は亀の背に乗せられて、備中国(岡山県)の海岸まで行った。ここで亀は弘済を下ろし、頭を三回下げた後に去っていった。この亀は、難波津で助けてやったあの亀なのであろう。

盗みを働いた船乗りたちは金や丹を売ろうと思い、弘済が生きているとは知らず、三谷寺まで売り込みに来た。寺の檀家は値踏みをして、買うことにした。船乗りたちの喜びも束の間、寺の奥から、海に投げ込んだはずの弘済法師が出てきたので、船乗りは仰天した。

弘済は船乗りを罰するどころか、これを憐れんで許してやった。そして予定通りに仏像を造り、塔を飾って仏像を供養した。

その後、弘済は海辺に住み、往来の人々に仏教を教え説いた。そして80歳まで長生きしてこの世を去った。

亀は畜生という卑しい道に生まれながら、受けた恩は忘れずに返す。人間は道理を知っているはずなのに、どうして恩を忘れることができようか(いや、できない)。

亀の命を贖ひて放生し、現報を得て亀に助けられし縁 第七 終

雑記

・「俺、この戦争が終わったら、故郷に寺を建てるんだ……」という死亡フラグを見事回避していくスタイル。

・亀は自分で買わず、人に買わせていく。にも関わらず海へ放流するという畜生ムーブ。「ふざけんな!」とキレられなかったのだろうか。

・骨島がどこにあるのかは分からないが、後世には海賊の集まる島と考えられていたらしい。『宇治拾遺物語』巻十五「門部府生海賊射かへす事」に「かばね嶋といふ所は、海賊のあつまる所なり」とある。ネットで調べると、現在の「京の上臈島」は別名「屍島」と呼ばれてより、これが「骨島」にあたるという説がみられる。詳細は不詳。身ぐるみ剥がされて骨だけになる、ということか。

・三谷寺は現存せず、現在の寺町廃寺跡に比定されている。7世紀ごろの創建とみられ、百済風の瓦が出土している。霊異記の記述と概ね合致するので、弘済法師が建てたという逸話は、ある程度真実を伝えているのかもしれない。

・丹とは赤色の顔料のことで、具体的には辰砂という鉱物を指す(水銀の原料でもある)。辰砂の採れる地域は「丹生(にう/にぶ)」と呼ばれる。奈良県吉野にある丹生川上神社などが著名である。

・今も昔も、盗みの罪はかなり重い。現代日本の場合、強盗なら懲役確定、強盗致死・殺人なら死刑か無期懲役である。日本古代では更に重く、強盗は徒(づ。懲役刑)三年以上。盗んだ品の価値によって刑期は長くなる。強盗致傷は絞首刑、強盗致死・殺人は斬首刑である(以上、賊盗律34強盗条)。

これに加えて、強盗・窃盗は大赦の対象外となるオマケ付きである。日本古代では、天皇が即位したり、めでたいことがあったりすると、度々大赦が行われ、罪人がことごとく許されるというイベントがある。
しかし八虐(国家反逆罪や、親や神に対する道徳的な罪)・強盗・窃盗・私鋳銭(偽金作り)は、大赦だろうが何だろうが、何があっても絶対に許されない。それだけ盗みは重い罪なのである。盗みダメ、ゼッタイ。

以上の前提に立つと、弘済は金や丹など高価な物品を盗まれ、しかも殺されかけたわけだから、船乗りたちは本来、死刑を免れない立場である。それを許してあげたのだがら、弘済法師の寛大さたるや。まさしく海より深いに違いない。

以上




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