―一途でありたい。

※走り書きの如く書きました。お見苦しい所があるかもしれませんが、ご容赦頂けたらな、と思っています。

1.

近頃というか、大人になるにつれて、「夢」というものを見なくなった気がする。特に、社会人になってからが顕著になったように感じる。
昔とか小さい頃は「〇〇になりたい」とか職業にまつわるものが多かったが、次第に「〇〇を手に入れたい」とか夢を見る対象が「モノ」になったように感じる。でも、夢を見るということをしなくなった気がする。
理由は、「〇〇したいな…」と思うと同時に、「どのくらいかかるのだろうか」と「期間」と「お金」について考えてしまうから。
…「夢(理想)」と「現実」について、悶々と考えたり悩んだりしていた末、「夢」を見なくなってしまい、「妄想」に取って代わったように感じている(※個人の意見です)。
…そう思うと、「歳を取ったな」と思ったと同時に、何となく悲しくなってしまった。

2.

そんな自分だが、ぼんやりと思っていることがある。
「今の愛車に永く乗っていたい」

今の愛車

その言葉は、「好きな車」を愛車に迎えた方は高確率で言うであろう言葉。
しかし、考えていったり、過ごしていると、そのためには様々なハードルがあると実感する。

財政的問題

車に乗るからには維持費というものが掛かってくる。
ガソリン代、オイル代、タイヤ含む消耗品代、税金、自動車保険料金、etc…
車検になればお金はかかるし、自賠責保険もかかってくる。
車に不具合や故障が発生すれば、修理代が掛かってくる。
カスタマイズを行えば、その分お金が掛かる。
他にも様々なお金が掛かってくるが、すぐに思いつくだけでも以上の項目が挙がってくる。
…車趣味とは、お金が掛かる趣味でもあるが、車はお金をケチってはいけない物でもあったりすると考えている。

部品的問題

果たして、今後も部品が出回ってくれるのだろうか?
「製造廃止」になってしまう場合だってあるので、「ずっと部品が出る」保証なんて存在しない。
それ故、降りるケースだってありうる。

場所的問題

車はその分のスペースが必要になる。
仮に別の車を購入する必要が出てきても、保管場所の関係上、泣く泣く手放す可能性だって出て来るであろう。

予測できない問題

「予測できない」と書いているが、「事故の可能性」である。
安全運転を心掛けていても、事故に巻き込まれたりして、修繕に莫大なお金が掛かるとしたら、乗り続けるわけにはいかなくなってしまう。

情勢的問題

「カーボンニュートラル」が声高に騒がれているこの時代。いつまでガソリンが続くのだろうか?そもそも、内燃機関車に乗り続けることができるのだろうか?と考えると、一抹の不安を抱えてしまう。

周囲の問題

家族や周囲の声に対しても、耐えられるのだろうか?

誘惑的問題

「飽き」というものが来てしまわないか?
他に魅力的な車が出たとしても、自分は耐えられるのだろうか?
それとも…

3.

…思いつくだけでも、以上のようなハードルが立ちはだかる。他にも様々なハードルがあると考えられる。
そう思うと、「今の愛車に一途でいる」ことは、エゴイスティックな行為であると思う。故に「夢」と捉えてしまうところがあるように感じる。

…今の愛車は、好きで選んだ車。だから、「永く」乗っていたい。
また、「永く乗りたい」ことから発展していく夢もあったりすると思う(「ガレージを建てたい」等)。

「永く乗る」ためには、色々と必要なことだってある(技術的なものや知識的なもの、お店選びとか…)。
実際に、「ウン十年乗っています」等、「夢」だと思っていることを実現されている方だっている。正直、憧れだし、尊敬したい。
個人的に「目指してみたいな」と思うケースは「100万kmの911ターボ」。

愛車とこのような関係性になれたらな、と思っていると同時に「一途でいられることは幸せな事なんだ」と思っている。

「最後のガソリン車になるのかもしれない」と思って購入した今の愛車。好きで手に入れて、「これ以上、見た目が自分好みの『使い切れる』車は今後出て来るのだろうか?」と思うと、今の愛車と「永く」いたいと思っている(「走ってなんぼ」と思っているので、「走らせて」という前提で。)。
故に、「今の愛車にずっと乗る」ことは「理想」と同時に「かなえたい夢」でもあると思っている。
そのために、頑張ろうと思う(現在、53000kmを既に越えていて、結構なペースで走っているんですよね…)。

この壁画のように、「Love」と言い続けられるように…(撮影場所:神栖市「千人画廊」)

#かなえたい夢

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