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ファイアーエムブレム封印の剣で十分だったのに

ファイアーエムブレム封印の剣は、ゲームボーイアドバンスのシミュレーションRPGである。


プレイしたことがない人でも、スマブラの赤髪キャラクター「ロイ」が主人公だと言えばわかるだろう。


個人的な見解だが、ファイアーエムブレム封印の剣は、最高傑作のゲームだ。


小中学生のころ、私はこのゲームにドハマりした。


このゲームを超える作品はあるだろうか?そんな渇望から、私は様々なゲームに手を出したが、逆にこの作品の秀逸さが際立つばかりであった。



それが一体どうしたことだろう。最近のゲームときたら。


やれグラフィックだ、やれムービーだ、やれオープンワールドだ、と……



最近のゲームを批判しているわけではない。


私はPS4も持っているし、PS5も購入予定だ。PSVRも持っている。むしろ新しいものは好きだ。



最近のゲームのグラフィックに心を奪われないわけではない。


モンハンワールドのグラフィックはプレイしていて本当にすごかった。



ムービーが不要だとも思わない。


NieR:Automataはまさに「動かせる映画」だった。あれは本当に素晴らしいゲームだ。



ただ、グラフィックにそこまで力を入れる必要はあるのか? ムービーはプレイヤーの想像力を減衰させないか?


オープンワールドで、自由度が高いゲームだと私はガッカリする。オイオイ、制約の中でいかにやりくりするのかが楽しいんじゃないかと。そう。自由度が高いとガッカリする●●●●●●●●●●●●●プレイヤーもいるのだ。そんな私は少数派だろうけども……



ところで、昨今の「グラフィック至上主義」のようなゲーム業界の潮流は、逆に、ゲーム業界自体の首を絞めていないか?


仮想通貨目的の演算が増えたとか、半導体不足などの外部的影響があるにせよ、グラフィックボードの価格は高騰している。


グラボのような「高級品」を持っていないとゲームが楽しめない、そんな潮流に敷居の高さを感じてしまう。ゲームとは敷居が高いものだっただろうか?ゲームなんて、寝そべってポテチ食べながらやるものだった気がするのだが。


グラフィック至上主義が行きつく先は、開発工程の高級化、複雑化、そしてゲーム開発の停滞、最終的にはゲーム業界の衰退につながるのではないかと、素人ながら危惧している。



VRもそうだ。


確かにVRは素晴らしい。けれど、どんなに安くてもVRゴーグルは5万円もするようだ。以前からVRに携わってきた関係者は「昔30万円もしたものが5万円になってる!安くなったなぁ」などと感慨深げにツイートしていたが、5万円は5万円である。決して安い金額ではない。庶民の手が届く値段ではない。個人的には、5千円でも高いと思う。いや、VR技術者の血と涙の努力で5万円に安くなっていることは知っている。でも、繰り返すが、5万円は5万円である。


加えて言うと、VRの関係者が「VRゴーグルを買えない人は最初からノーサンキューなんですよ」なんて得意げに語っているところを何度も聞いたことがある。敷居が高いことをウリにしているようだったが、そんな態度で良いのだろうか。あくまで筆者の観測範囲の関係者の発言かもしれないが、そういった風潮があると、新参者が入りにくい。




私の中で、いつまで経っても最高傑作のゲームは、20年前に発売された「ファイアーエムブレム封印の剣」だ。今でもたまにプレイしたくなる。


懐古主義だろうか?否定はしない。ファイアーエムブレム封印の剣をワクワクしながらプレイしていたときの、あの、過ぎ去った少年時代に戻りたいと思っているだけのかもしれない。


だが、それを差し置いても。


私は何度も思うのだ。きらびやかな最新のゲームの作品一覧をぼんやりと眺めながら。何度も思う。


ファイアーエムブレム封印の剣で十分だったのに、と。

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