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余韻

すごく楽しかった日、うれしいことがあった日、その日だけではもったいなくって、その次の日も、そのまた次の日も、「たのしかったな〜うれしかったな〜」と余韻にひたりたい。最近強くそう思います。

心に余裕がなかったり、頑張りどきで大忙しだったりすると、そのしあわせな出来事をガソリンのようにして、ばーっと次の目標まで走り出してしまいます。余韻にひたることもないまま…。それはそれで、昨年までのわたしにとっては幸せなことで、ものすごくありがたいことでした。自分1人では到底、あんなに頑張れませんでした。

今年に入ってから、昔からの友人や、前職でお世話になった方などに会う機会が多いです。それから、昨年「落ち着いたらご飯にいこうね!」と約束していた人たちとの、ご飯会が少しずつ実現したりもしています。最近はそういう、楽しかったりうれしかったりした出来事の余韻に、よくひたっています。たくさん撮った写真をゆっくり見返しながら、どんな話をしたか思い出して、「みんなみんな頑張っていて、すごいよなあ。」と思ったりします。余韻ってこういうことなんだ、と改めて思うくらい、その日話したことはもちろんだし、他にも一緒に食べたものとか、友人の表情とか、一緒に大笑いしたことなんかも、なんかこう、じんわりじんわり思い出します。(笑いだけじゃなくって、涙も。友人の涙、わたしの涙。両方ありました。)
そうすると、本当にただただ「楽しかったなあ」とうれしくて、ただただあたたかい気持ちになります。そして、「こんな風に、大切なご縁が今でも続いているから、これまでいろんなことがあったけど、頑張って生きてきて良かったなあ。ありがたいなあ。」と思うのです。(余韻ひたりタイムはここまでがセットです。)それがとってもしあわせなんです。

昨年忙しくて、余韻にひたり忘れた分も、写真を見ながら思い出して、これからゆっくりじっくり、取り戻したいと思っているところです。


わたしは、目標に向かって思いきり頑張ることもだいすきだけど、ゆっくり、リラックスする期間も、やっぱりものすごく大切です。自分のペースで仕事をするという日々を過ごしながら、そのバランスを探っています。

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