私的シンクロニシティ(乃木坂のシンクロニシティの解釈)


図書館の椅子でふと息をつく。
ふかふかの椅子くらいしか、なんとなくひとりでほっとして良い場所がない。
ふかふかの柔らかさに癒されている感覚がある。
昼寝をしてもスマホをいじっても、なにをしても受け止めてくれる優しさを持っている椅子だ。

今日も椅子のふかふかに癒されていると、水の音が聞こえてきた。
トイレのような人工的なものではなく、誰かが丁寧に注ぐような優しい音。
音のする方を見ると、図書館で勤務する方が花瓶に水を注いでいた。

勝手に、ほっとした。
たかが水の流れるなのに、心がふっと落ち着くような気持ちがした。
思わず音に気持ちを集中させていた。
良く聞きたくて思わず目を閉じていて、気がつくと口角が上がっていた。
心地よく力が抜けた。

このようなことってあると思う。
自分で水の音をネットで検索して聞くとは違う。

自分の考える範囲を越えた、予想外のところからやってくる要素。 時間は長くても短くても、その存在を意識してしまうような偶然の出会い。
自分ではない他者の偶然によって癒されること。
何気ないけど、こういうことが時には必要な感じがする。


…という感じの曲が乃木坂46の「シンクロニシティ」だと思います。

いつの日か、この曲についての解説が咄嗟に出てこなくて、悔やんだことがあります。
私が言いたかったのはこういうことでした。

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