小説 涅槃湯 08
あの世の偏差値
「さて、きみの死に際のSFCの結果だが、利己スコア3.5。利他スコア1.5。SFCは-2」
「なんですか、そりゃ?」
そこは、デス・ラボにあるヴァルツ博士の研究室だった。
「SFCってのは、わたしの創案でスピリチュアルフライトコンディションという。あの世をフライトするための精神状態を数値化したものなんだ。まず精神状態を、利己と利他の傾向に分析する。利己の傾向として、貪り、怒り、自己中心性などがある。利他の傾向としは、慈しみ、憐み、平常心などがあり、それぞれの変数と定数を割り出し、意生身の栄養状態、嗜好性、運動性能、操縦性、安定性に加え揚力と抗力などをトータルして積算する。ようするに、おおむね利他スコアから利己スコアを引いた数値がスピリチュアルフライトコンディションなのだ。もしスコアがゼロ以下になると要注意。つまり、利己スコアが利他スコアを上回ると、フライトは失敗し、三途の川で溺れることになるのだ」
簡単に言うとダンのSFCは地獄の一歩手前で、フライト失敗というところらしい。
「自分が死んでいると気付くまではよかったがね……」
博士は眉を寄せ気味に腕組みした。
「もしかして、あの坊さん、博士だったんですか」
「うん。せっかくアドバイスをあげたのに」
「いやあ、状況が状況ですから。いきなりひき逃げですか」
ダンの胸に逃げたトラックへのやり場のない憤懣がよみがえった。
「ダンくん、状況が自分の自由になったことあるかい? 状況はいつも向こうから断わりなしにやってくる」
「そりゃそうですけど。臨死体験のシミュレーションだとわかっていたら感情的になることもなかった。もう一回やらせてもらえませんか」と息巻いた。
「あれが本番なら?」
「もちろん赦せません」
「それじゃあ、首尾よくあの世にフライトできそうもない。シミュレーションも本番も、状況が自由にならないのは同じさ。状況に気を取られると、SFCが一気に低下する。感情の乱れは、ちょうど天候が悪くなるようなものだ。そんなとき離陸はできないだろ」
しかしダンは不満そうだ。
「天候と怒りは違いますよね。現実には憎むべき相手がいる」
「ダンくん。いま問題なのは著しく低下したきみのSFCだ」
「水に流せってことですか」ダンは憮然とした。
「みんなそうやって、とんでもない精神状態であの世に離陸していくのだ」
「………」
死んで無になるなら、どんな死に方をしようが怨みも怒りも無いはずだ。しかしシミュレーションのとおりなら、ヤバいことになる。妹を探すどころじゃない。
「まだまだ準備が足りないな」
ヴァスバンドゥはきっぱりと言った。「もう少し、あの世のことを知ってもらおう」
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