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ずっと嫌いで避けてきた「嫉妬」が実は重要だった。

人間の「感情と本心」について学んでいると
「嫉妬」や「ずるい」という感情は
使い方次第でとても有意義に働くのだと知った。


私は中学生のころ、嫉妬されたことをきっかけに
軽い嫌がらせを受けた経験がある。

運動ができたため、体育の授業で注目された。
過度に見せびらかすつもりや、自慢するつもりもなく
ただ楽しかったから動いていた。
そしたら授業でちょっとよく評価された。


なにか悪いことをした訳ではないのに、
目立ってしまったがゆえに嫉妬され、一部の人間から嫌がらせを受ける。
それがとても嫌だった。


自分がされて嫌なことは人にしない。
だから自分は

嫉妬しない。

と決めた。


時は過ぎ。
高校の部活で、とある大会があった。
その大会は入部して半年が過ぎたころ、
同じ地区の高校1年生が全員出る大会。


そこで私は表彰台に上がれなかった。

同い年で、毎日一緒に練習していた友人が
表彰式で賞状をもらっている。
そんな姿を見ているとき、



俺も表彰台に上がりたかった。嬉しそうにしやがって。ずるい。
なんで負けたんだ。悔しい。くそ。嫌だ。



マンガの1カットの様に歯を食いしばり、拳を握りしめていた。


同時に、自分が嫉妬していることに気づき、気持ち悪いと思った。




今まで、自分より優れている人、
例えば同じ塾に通い、自分より難関校を目指して勉強している人や、
同じ学校の頭のいい人に対しては純粋にすごいなぁ、なにが違うんだろう。
どんなことしてるんだろうと考えていただけだったのに。

その時は違った。

それはたぶん、毎日同じ練習をし、実力をこの目で見ていたから、
俺だってああなれる、と思ったから。


「嫉妬」や「ずるい」という感情は、
自分がなりたいと思っている姿、
かつ
自分の能力でもなれそうだと思っている姿を
体現している対象に抱く感情。



つまりそれらの感情を抱くきっかけとなる人物は
自分が心の中で進みたいと思っている方向を示す、指針となる人物。
ロールモデルとは少しずれるかもしれないが、そんな感じ。

たとえばYoutuberやTikTokerといった動画クリエイターは
よく「ずるい」と言われている。
何に対してずるいと思うのだろうか。

クリエイターになりたいなら、自分でやってみろと思う。
なんか違う、人気がでない、稼げない、そして投げ出す。
または自分が露出することや時間を惜しみなく使うことに
勇気が出ず、諦める。
大多数だろう。

こんな思考を巡らせ、
実行しない人はただ嫉妬、ずるいという負の感情を持ち続ける。
さらには誹謗中傷などで足を引っ張り、落とそうとする。
だいっきらい。


一方でそれらの感情を咀嚼し、少しでも自分で動こうとする人は、
現在の自分自身が抱いている不満要素を、
動画クリエイターは解消しているんだと気づき
(好きなことして、自由に楽しそうな企画をして、行きたいとこに行って、ただご飯を食べるという行為がお金になるなんて、ずるい。そういう人は自己裁量に不満があると気づくとか。)

じゃあその要素を自分なりに解消するにはどんな方法があるか思考し、
実践したならば程度の差はあろうが、人生が変わる。


私はどうかというと
あの表彰式で抱いた感情が嫌で、捨て去りたかった。
自分が嫌だと思った感情に、自分が染まっているのが気持ち悪かった。

だからその後は朝練開始前に体育館へ行き、自主練を始めた。
ただ頑張ろうと思った。

まぁ結果はあまりでなかったんですけどね笑笑


当時から私は嫉妬という感情自体が気に食わないのではなく、
自分の本心から目をそらし、
人をおとしめる「行為」が気に食わないのだと気づいた。

なのに
嫉妬やずるいという「感情」を持たぬように努めてしまった。
結果として、嫌味や小言を言わない
いい人にはなれたかもしれないけれど、

いくつもの指針を見過ごしてしまったようにも感じる。

もしくは高校の部活のように力を注いだ、
悔しいと思えるほどの努力をしたものがないのかもしれない。



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