木村伊兵衛に出会った
先日「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」に行ってきました。
一部撮影可ながら、見て話すことに集中しすぎて全然撮ってませんでした…。ぐったりするほど白熱した鑑賞を通した気づきと学びを整理してみました。
市井を撮り続けることへの励まし
戦前↔戦後、沖縄↔東京↔秋田など。
時代ごとの表情の変化を念頭に置いた展示の仕方でした。同じ時代でも人々の装いや表情は異なり、戦争戦後の動乱で変わりゆく姿も垣間見える展示に圧倒されます。
個人的には、私も同じ場所へ何度も通って撮っているため作例や被写体の表情から探究心を感じ取れるようでした。秋田が好きで何十回も通った話を見て思わず「ワンクリ圏内のオタクと同じやん…」(補足:「ラブライブ!シリーズが好きで作品舞台へ足繁く通い撮影しているファンと行動が同じ」という意味)と盛り上がったり。
一連の展示から感じ取れる姿勢や変化は、私自身がやっている「お台場の魅力を発掘して広めたい」に対しても自信を与えてくれました。誰もやっていないことだからいつも手探りでやっています。
閉じた世界と閉じない世界
換言すれば、木村伊兵衛の写真からはフレームに入れきった世界とその後のフレームの外を感じさせる世界を感じました。
1930年代の作例からは画面内に被写体を収め構図を整えたものが多く、ヨーロッパへ渡航してからは見切れた被写体や手前に構造物を入れてフレームを切るような作例が見受けられるようになっています。
私自身、東京 お台場の変化を記録している身として、どちらかといえばフレームで完結するよう収まりが良い(閉じた)写真を撮ります。
一方で、「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の舞台としてのお台場を撮るときに、あたかもニジガクがいるように見える写真(=幻覚写真)を撮るときには、街とのつながりを意識した構図を探しがちです。言い換えれば、フィクションかもしれないけれど、作中の人物と私たちの世界は繋がっていることを意識しているからです。
この写真だと左手前に見切れた道路(=画面外・違う場所に向かう道)を敢えて入れることで、画面外への広がりも残したい考えがあります。
(脱線しますが、LoveLive! Daysに連載されている「Find our 沼津」もそんな目線で楽しんでいたりします。)
写真に対するバックグラウンド知識が少なくどうしても己の価値尺度で測りがちですが、ともかく同行者と白熱した話が出来た視点で面白かったです。
そしてそうした作風の変化を通して、著名な写真家も新たなことに触れて作風が変化していくことを、ダイジェストとして間近に感じられたことも刺激になりました。
とても平易に言えば、すごい人だって変わっていく。
モノクロからカラーになった途端の難しさ
テーマと時代で並んでいたため、モノクロ写真に慣れていた頭でカラー写真に接することになります。モノクロ写真では比較的撮影者の意図を掴みやすいですが、カラー写真になると一気に情報量が増えて意図が掴みにくくなる。その分解釈の幅が広がり、写真が何を訴えているか同行者との議論が増えました。
他にも幾つか盛り上がった視点はありました。一例で言えば、平面にも関わらず展示写真から立体感が伝わってくる理由もそうでした。
終わりに:1人より誰かと行った方が良い
2時間弱の滞在で話しながら鑑賞していたこともあり、まるで重たい試験後のようなぐったり感を味わいました。例えば私は構図や撮り手の意図の読み解きみたいな部分から入りがちですが、同席者は細かい描写まで鑑賞し私が見落とす多くの点を教えてくれます。お互いバックグラウンドが違うからですね。
そうした議論を繰り返していくと、1人では到達できない理解や気づきがとても多いです。そんなわけで、今後は定期的に誰かを誘って美術展や写真展に行こうと決めました。きっかけは知人からの紹介でしたが、自分の写真に対する自信にも繋がる良い展示でした。
学んだ視点を早速咀嚼してみたいですね。
以上、今回は写真展へ行った感想と振り返りでした。ではでは。
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