「NEO SKY, NEO MAP!」は何を描いているのか?
「NEO SKY, NEO MAP!」、良いですよね。
じゃあ具体的にどう良いんだろう?
そんな脈絡のないお話です。
元はお台場の空をよく撮り始める前にまとめたメモをnoteにしてみました。
ひとまず冒頭から読み解いてみましょうか。
歌詞を読み解く
起点であり、作品に照らせばトキメキや夢が出来たスクールアイドルの姿を指しているでしょう。"何かが生まれてかけてる"でまだ具体化出来ていない点や、ゆっくりと"走る"言い回しの巧さにも引き込まれますね。
季節毎に変わる空の青さから、生まれかけている"何か"の伝え方は自由で良いんだよと背中を押されています。なぜ毎日空を見上げているかは、ニジガクのアイコンとなっている虹が架かるのは空だからでしょうかね。
明確には書かれていませんが、空は自由の記号として"夢見て憧れて"の夢に当たる対象なのかもしれません。
トキメキを楽しんでもっと好きなことを追い求めよう。
ストレートな一節ですね。"ゆっくり走るこの道"や"あせらないで"とあるように、自分らしさには自分主体で取り組むことを意識しているように感じます。スローだった作品の歴史を意識してるようにも感じますが、ラブライブ!出場を目指す競争を念頭に置いた言い回しにも見えます。
サビに入ります。明確なゴールや道筋がない中でも、面白そうな未来が待ってると夢を語れる君すなわち同好会のみんなとあなたがいて嬉しいし心強い。優勝のゴールがない虹ヶ咲固有の観点でしょうね。
引き続き直球なパートです。
自分の好きなことを追求すること。
それは青い空のように自由で、ゆっくりでも良いこと。
そして道の先が見えなくても心強い仲間がいる。
だから自分だけの地図を持って安心して突き進もう。
ゆっくりと走ってきた子達が心細さと支えを感じながら、最後は「見たいんだ!」と冒険に飛び出すのが1番。
2番では進み始めてからの話に移ります。
どこに向かうか分からないところを進んでいくと、振り返れば必然としか思えないような出会いがあった。
進む最中は分からなかったのにいつから決まってたんだろう?そんな疑問が提示されます。
その答えはサビにある通り、同じ想いを持っていた(すなわち想いが一つだった)からなのかもしれませんね。
涙を雨の比喩と捉えれば、ままならないことも経験しながらも、新しい光すんわち晴れ(=解決や新たな出会い)によって進んで行くことを示唆しています。
物語が再び進むことで、"知らない場所へ行こう" "自分が好きなことは頑張れるよ"と意志が強くなっていきます。
困難を乗り越えつつも進み続けていくことが2番の特徴です。
2番サビの前半は再び抱える不安を同好会が支えてくれることを指しています。
1番の"どこに向かうか"に比べれば、"いつになるか"で不安の軸が変わっているのが見どころです。
1番Bパートでは"追求"の単語が使われていましたが、自分の夢を歩いて行く姿勢の変化によって、2番では"冒険"の単語が使われています。ニジガクは地図を片手にした冒険者なんですね。
言葉で明示されていないため想像の範疇ですが、"夢の色は違うけど想いは一緒"とは、現実では七色が一束になって架かる虹そのものを指してるようにも解釈できます。異なる夢の色が虹の1色ずつであり、見上げて進んでいく道が虹であり、想いは同じ同好会の束だから一つなんだと推測が重なっていきます。
実際のところネオスカでは「空」と「雲」は登場しますが、雨は「涙」の一語でにおわせる程度で虹に至っては出てきません。
描きたい部分ほど遠回しにしている仮定に沿えば、夢を目指す新しい地図を持って変わり続ける空へ駆け出す同好会、すなわち「NEO SKY, NEO MAP!」の曲名こそが超遠回しに虹そのものの例えにも見えます。
1番と同じく自由の比喩である空をリフレインしつつ、突然昨日→今日→明日の移り変わりを強調していることが見て取れます。
1番サビのように自由の裏返しはゴールがない不安ですから、変わり続けることは必ずしも前向きなことばかりではなく、不安や心配の象徴と言いたいのかもしれません。※1期でそこを描かれたのが歩夢でした
間奏は意味合い・言葉の掛かり方の理解が難しいです。
フレーバーのようにも見えますが、前述の2行に込められた意味を踏まえると「心配や心細い時(=ほっと出来ない時)でもお互いがいる(=同じ想いを持つ同好会がいる)ことがこの上なく・筆舌に尽くしがたいほどに心強くて安心できる」(①③②④の順)なのでしょう。これは言うまでもなく、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会が持つ本質としてアニメで描かれてきてる部分です。
ラスサビ前に歌詞でもキーワードのNeo Mapが初登場。
ラスサビは最後の「Neo sky, Neo map」の繰り返し以外は割愛します。
結論
「NEO SKY, NEO MAP!」の歌詞が描いていることを簡単にまとめてみましょう。
ひとりひとりが夢に向かって歩んで行こうとする熱量と、ひとりである故の心細さや、歩む先が未知であることの不安。
ひとりであっても、途中に紆余曲折があっても、同じ想いを持っていて理解ある同好会の皆がいる(同好会という場がある)心強さと支えによって歩み続けること。
トキメキを持ち続けていること。
夢(憧れと不安の対象)である空、進んで行く道としての虹、道しるべとしての地図。
それぞれの夢を追いソロで活動をするスクールアイドルの姿と、彼女たちに力を与え支えているスクールアイドル同好会の場。その姿と気持ち、不安と前途洋々な様子を空と地図になぞらえて描いている歌です。
まとめてみると「知ってた」とがっかりする方もいるでしょう。
その通りで、たいていの人は敢えて読み解かなくても肌で理解出来ています。壮大なイントロやマーチングバンドのような楽曲と、歌詞の断片・表現を合わせることで虹ヶ咲の物語と結びつけられているからです。
実際に畑亜貴先生がお台場でこの歌詞を思いついたのか知りたいところですが、空が広いお台場特有の景色が曲とシンクロすることで物語の枠を超えた説得力を持っているところも印象的です。
そんなわけで、冒頭の「ネオスカはどう良いのか?」に対する私の回答はこうです。
虹という単語を使わずに虹(虹ヶ咲)を表現している。
歌詞から想起させられる光景とお台場海浜公園の景観とがあまりに親和性が高く、舞台からも背中を押し続けてくれる。
まぁ、その解釈が正しいかは分からないですけどね。
お台場の空を撮り続ける上で、虹ヶ咲を通して見上げる空には、少なからずそんなことを考えいたりします。応援してニジガクと共に歩んでいる私もまた、「NEO SKY, NEO MAP!」の概念のなかに居るんでしょうね。
おまけ
"NEO"に関する考え方はこちらで書いています。
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