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2020.05.10 【レジェンド語り・第四弾! ~荒木大輔~】 from べかふぇ

はじめに

BaseBallCafe【CanYouSay…】の主要コーナー【レジェンド語り】の第四弾でございます。今回のお題は甲子園のアイドル・大物!【荒木大輔】!!

今回はベイスターズファンのケンケン氏を講師にお招きしての回でございます♪

基礎データ

荒木大輔。1964年5月6日生まれ。現在、56歳。東京都調布市出身。

早稲田実業で五度の甲子園出場。【大ちゃんフィーバー】を巻き起こす!1982ドラフトにて1指名で、ヤクルトと巨人が競合の末、ヤクルトに入団。背番号11。

ドラフト同期:新谷博(入団拒否・ヤクルト②)/阿井英二郎(ヤクルト③)/西田真二(広島①)/木戸克彦(阪神①)/御子柴進(阪神④)/斎藤雅樹(巨人①)/川相昌弘(巨人④)/鹿島忠(中日①)/平沼定晴(中日②)/彦野利勝(中日⑤)/宮下昌己(中日⑥)/畠山潤(南海①)/加藤哲郎(近鉄①)/古久保健二(近鉄⑥)/二村忠実(日ハム③)/笘篠誠治(西武②)

度重なるケガがありながらも、ヤクルト(1982~1995)→横浜(1995~1996)と14年のプロ生活を全うする。

その人気や凄まじく、神宮球場とクラブハウスをつなぐ、移動専用地下通路【荒木トンネル】が存在した・・・が、【荒木のために作られた!説】は違うってよ!

高卒1年目から開幕一軍入り。初先発初勝利。

3年目1985年後半からローテに加入。翌1986年、開幕投手!21才の若さ!

同年オールスターにファン投票投手部門1位獲得!打者10人被安打1無失点に抑えた。1987年、2年連続開幕投手、10勝投手に。

この年は監督・関根潤三、ボブホーナー、イケトラコンビの急成長の時代。

僕がちゃんと野球を見始めた年である

1988年シーズンの中盤にヒジ痛発症。同年8月27日、ジョーブ博士の執刀による側副じん帯再建手術。リハビリに失敗し、翌年再手術。1991年椎間板ヘルニアと、多くのケガとの闘いとなる。

1992年に1541日ぶりの一軍登板。2試合先発で2勝。

このケガからの復活劇が、チーム14年ぶりのリーグ優勝(野村監督時代)の起爆剤となった。

1993年には101回を投げ8勝4敗防御率3.92。同年のリーグ優勝に貢献。対西武(森監督)との日本シリーズ、初戦に登板、勝ち星を挙げる。

1994年から衰えが見え始め、1995年にはチーム構想外に。

早実、ヤクルトの先輩・大矢明彦新監督の横浜ベイスターズへ無償トレード。背番号47

1996年ノーワインドアップや、サイドスロー気味のフォームなど試行錯誤するも勝ち星は挙げることができず、同年引退。

引退後は野球解説、西武一軍投手コーチ・ヤクルト一軍投手コーチ・日ハム二軍監督と活躍中。

実働10年、通算39勝49敗2S防御率4.80

ちなみに、【平成の怪物・松坂 大輔】の大輔の命名の基となる。(親御さんが荒木のファンだったらしい)


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