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死の恐怖

今日はとんでもなく変な話し(というかカミングアウト)。
ホリエモンがタナトフォビアだっていう記事を読んで、ふと検索したら自分もタナトフォビアだった。
小学生ぐらいからずっとこれに苦しめられてきたのに一昨日ぐらいにこの病気?を知ったっていう…。(どんだけ遅いの!)

おそらくみなさんにとっては「は?笑」な話しだと思うんだけど、とりあえず聞いてください。

死恐怖症(しきょうふしょう、英語: death anxiety)は、死の観念によって引き起こされる不安の症状。「ひとが死に至る過程や、存在することが止まることについて考えるときに認識され、心配になるという死の感覚。これはタナトフォビア (thanatophobia,ギリシャ神話の死の神タナトスが由来) とも呼ばれる。(Wikipediaから引用)

死んだらもう二度とみんなと会えなくなる恐怖。
死んだあと無になってしまう恐怖。
この世界は夢で、目覚めたら違う世界があったりして。そもそも自分はなんなんだ?とか。永遠という概念も怖い。
言葉で言うとこんな感じ。そんなのみんな怖いよと思うはず。みんなの感覚とちょっと違って、タナトフォビアの場合、感覚的な無の恐怖が突然襲ってきて、そうすると猛烈怖くて誰かにしがみついたりウロウロしたりジャンプしたり。

子供の時から「死んだら無になるのがこわい」と泣いて親に訴えても「そんなこと言ってないで寝なさい。」と言われて相手にしてもらえなかった。
今でもたまに恐怖に襲われるが、今さら誰にも言えず…。旦那に言ったことあるんだけど「無とか言ってないで早く寝な。」と親と同じ反応され、ひとり恐怖に慄いていた。まわりとすごい温度差!なにこれほんと!泣 なんでみんな怖くないの?😭と思って孤独に生きてきたのに!
タナトフォビアを検索したら、同志(あえてこう呼びたい!)めちゃくちゃいっぱいいた!芸能人もホリエモンだけじゃなくてたけしとかナポレオンも(ほんとか?)そうらしい。
うぅ、この恐怖が自分だけじゃない安堵感。親がタナトフォビア知ってたらもっとかけてくれた言葉違っただろうに…。子供の「こわい」はおじさんおばさんになっても変わらないというのを知ってもらいたくて書いた。子供の時から変わらないって、ただの厨二病?って話しなんだけど笑、高所嫌いな人は変わらない。それと同じだと思う。いわゆる高所恐怖症とか閉所恐怖症に近い感じだと思う。
まわりにこういう訴えしてくる子供いたらちゃんと対処してあげて欲しい。また大人で同じ人いたらそれは恐怖症だとわかればどれだけ気持ちが救われるかと思う。

輪廻転生はある、と自分に言い聞かせてみたり。いや逆に永遠に輪廻転生あったらそれも怖い。
50歳過ぎてからさらに不安を感じながら眠りにつくという日々だった。

これは病名がはっきりしている不安症だと知って、腑に落ちた。

そんな「不安症」を抱えていたためか、何か自分の存在をこの世に残したいという思いでアーティストを志した。
必死にやってきたけど、結局「モノ」ではなく「記憶」なんだなと思う。

永六輔の
「人間は2度死ぬ。1度目は肉体の死。2度目は誰かの思い出の中で生きている私を思ってくれる人が、一人もいなくなった時」。
ダ・ヴィンチ級じゃなければ、記憶からいつか消える。ダ・ヴィンチだって恐竜みたいにいつか人間が絶滅すればそれで終わり。
誕生前も無、死後も無。

でもタナトフォビアの人は想像豊かでもあるんじゃないか?とポジティブに捉えてみたり。


調べたらみんなの克服法が色々書いてあった。

1/ぬいぐるみや抱き枕を持つ。
これは効果絶大。いい歳こいて恥ずかしいと思ってはいけない。
肌触りのいい毛布とか、私は大きさも心地いいコアラのぬいぐるみ抱えて寝たら恐怖がかなり和らいだ。死んだらこのコアラも一緒にお棺に入れてと頼んである。死んでも一緒にいるものがあると思うだけでかなりの効果。

2/ゲーム。
効果超絶大。特にオンラインゲーム。
ゲームの中の自分は死なない。必ず蘇る。歳も取らない。そういう安堵感からやっているのかも。
オンラインのギスギスにもまれると鈍感力という最大の武器が身につく。この鈍感力で深く考えなくなり、いつのまにか恐怖も半減してた。

3/自分にとってとんでもなく難易度の高い勉強をする。
これは無意識にやっていた。今はドイツ語学んでいる。難しいと没頭できるから余計なことは考えなくなる、という理由。できてもできなくてもいい、難解な数字とかそういうのらしい。

4/死んだら自分の好きな芸能人や家族や飼っていた犬や猫のところに行けるとイメトレする。
これもなかなかの効果。無とか絶対考えない。とにかく再会できた時の幸せを想像する。

5/スポーツをする、食生活を充実させる。
多分スポーツが一番いいと思う。ところがインドア派の自分にはなかなかできない。

6/自然を感じる。夜空を見上げる。
自分は宇宙のネジの一つに過ぎない。夜空を見て宇宙の大きさを再確認し、自然にもっと身を委ねるのも克服する手段。

7/医者に相談。
どうしようもなくなったらこれもいいと思う。

結局のところ、自分の人生を謳歌させられるのも自分。誰かの記憶に残ることがそんな大事か?無になったら恐怖も無くなるじゃない。いつか無になるのが変えられないなら、今の楽しさを満喫することに1秒でも多く時間を費やしたほうが自分のため。
「余命宣告されたら世界一周する」とか「時間が作れる年齢になったら趣味を始める」とかいう人いるけど、なんでそうなるまで待つ必要ある?思ったらすぐにやろう。

そろそろこの不安症の呪縛から完全に解き放たれて楽しく生きたい。

未来は「恐怖」ではなく「希望」なんだから。

今のところ、ジブンが恐怖症だとわかったら怖くなくなった。(多分)

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