”階層”の分断とは、選択肢の受け皿なのかもしれない
世界には、越えられないルールが存在している。
「時間は過ぎ去っていく」とか、「やがて老いて死を迎える」とか、どの道を選ぶかによって左右されない大前提のルール。
しかし、そのもうひとつ先には、選んだ道、属するコミュニティ、環境といった条件ごとの固有のローカルルールがある。
これは、どこに行っても共通するルールではないし、場所によっては一方と真逆のルールであったりもする。
それでも、それがどんな場所であっても、その場所自体のローカルルールを理解して、それをふまえて生きていくことができれば、人は笑って生きていけるものなのだろうと思う。
きっと地球上のすべての人には、自分に合ったルールで回っている世界が存在している。
そして、人は誰でも、どの階層に属していくかを自分で選択することができる。今まさに、そんな認識が広がり始めているのではないだろうか。
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インターネット・SNSの発達は、様々な文脈で「進歩」「発明」と称されているし、わたしも、そのとおりであると思う。
技術・知識は一部の特権階級だけにしか使いこなせないもので、それゆえに高い価値を持っていた時代があった。
それが、今は誰でも使えるツールとなった。
つまり、誰もが発信できる。
誰もが、情報を集めることができる。
今、そんな時代にわたしたちは生きている。
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新しい技術が生まれて間もない時期には、その新技術を使いこなせる層と、使いこなせない、もしくは興味を持たない層との分断が生まれる。
「どちらが正解」ということはない。どちらの層に属しても、属する環境にそれなりに適応できるだけの能力はもともと備わっているらしく、その環境に合わせたかたちにやがて落ち着いていく。
わたしは、現代の、それもたったの20数年しか知らないけれど、過去の時間を生きた人間たちの残したものをたどってみると、その営みは変化していないのだろうなあと思う。
ここまでは、何度も何度も繰り返してきた流れなんだろう。
ただ、同じような流れを繰り返しながら、選べる選択肢は確実に広がっている。
わたしたちが生きている世界に様々な階層が存在していることは紛れもない事実であるけれど、それが近年になって急に増加したわけではないと私は考えている。
しかし、見える範囲、選べる範囲、手の届く範囲に浮かんでくる階層の数が、過去の時代に比べて圧倒的に増えていることもまた確かだろうと思う。
自分に合った階層を選択して生きていく。それが可能であることに気づき始める人が増えている今。
わたしは、どの階層で生きていこうか?
もちろん、大まかな系統までしか絞れないとは思うけれど。
天に与えられた環境で燃え尽きるだけではなく、情報を収集したうえで自ら方向を決められる時代が、始まっているのだと思う。
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