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松元ヒロ『テレビで会えない芸人』

 松本ヒロのドキュメンタリー映画『テレビで会えない芸人』を見た。なんと清々しい生き方なんだろうと思った。
「いまどきテレビなんて見るのは年寄りだけだ」などと悪口を言う経営者にも会ったことがあるが、人口構成が逆ピラミッドになるいま、まだしばらくはテレビの力は衰えそうにない。番組制作という意味において、配信メディアも含めて考えるなら、やはり映像番組の影響力はまだまだ大きいし、企業はそこに広告を出したい。制作側も、金を出してくれるスポンサーをつけたいだろう。
 『セクシー田中さん』については、残念ながら原作の漫画も、放送された番組も見ていないが、ドラマ化にあたっては、亡くなられた原作者の芦原妃名子さんと制作側の間に色々と軋轢があったと報じられている。番組を作る側の立場として、いかに脚色して視聴者ウケするものを作るかということが最優先になることも、理解できなくはないが、力関係の優劣を利用する形で原作者の意図に沿わない変更を無理やり認めさせるようなことがあったのだとすれば、そしてそれが日常的に当たり前のように繰り返されているのだとすれば、苦しみながら作品を産み出した原作者の無念や怒りはどれほどのものだったろう。
 松元が「ザ・ニュースペーパー」から独立してソロになったのも、人気者になったグループの活動において、テレビ局とそしてその裏にあるスポンサーの意向に配慮しなければならないことへの疑問があったのだろう。
 自分は言いたいことを言う。
 そんな当たり前のことがやりにくくなっている背景には、SNSというツールによって、「気に入らないこと」を言う人を、あまりに簡単に非難することができるようになったことがあるだろう。
「自分はそうは思わない」
「あなたの考え方は間違っていると思う」
 そう表明することにはなんの問題もないのに、なぜ、そうではなくて、誹謗、中傷という形に堕ちてしまうのか。本人を知っていたり、目の前に本人がいたら絶対に言えないであろうことを平気で言い放っても痛くも痒くもないし、むしろ「いいね」がたくさんついていい気分になれるからなのか。
 人気商売のタレントやスポンサー企業は、それを「炎上」と呼び、忌み嫌う。スポンサーに敬遠されれば、放送局は収入を失う。失うと困るから、タレントやクリエーターにもプレッシャーをかける。彼らも生きていくためには仕事を失いたくないのは誰でも当然だから、放送局の意向に合わせて我慢し、耐え忍ぶことになる。
 こんなことは昔からあることで、単純な理屈だし、わかっていても、どうにもならないと言われるかも知れないが、それでも「これはどうにかしなければ」と声を上げ、アクションを起こす人たちが、放送局や制作現場の人たちから少しでも出てきてほしいと思う。

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