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【プレ版】<風の街>と<甲冑の男達>-1

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 <ジャケット>は落下した。落下した。身をよじり、手足をひねり、宙に踊る。<ジャケット>は落下し続けた。

 取り囲む色はめまぐるしく変わっていく。あれはガラスの反射だろう。今のは雨に濡れた電線のきらめきだ。狂った風に吹かれつつビル塔の隙間を落ち続ける。視界は狭まり耳鳴りは高く、遠くなっていく。

 こんなことになってしまったのはいつのことだったろう。もはや思い出せない。おれの生には終わりは無いのか。くだらない<協定>、このくだらない身体、ああ……。

 そして衝撃。意識からの開放。しばらくの気絶。

 様子を確かめたが、地上333メートルの上からしでかした今回の墜落ですら、彼の身体を包むクローム甲冑に傷ひとつつけることはなかった(いつものごとく)。フェイスプレートを直すと身を起こし(甲冑の音が夜に響いた)、牛革ジャケットの汚れをはらった。近くに防風仕様の標準警察車が止まった。乗っていた警官が近づいてくる……。

「あなた、その、あれですよね」

「いわゆるそれだが」

「もうこの辺ではやめてもらいたいんですけどねえ……ちょっとその、やっぱり、困るんですよ」

 <ジャケット>は警官を見ることもなく、また返事も返さなかった。お前ら困ればいい、困ればいい。知ったことでなし。防風外骨格を来たその警官は、集まってきていた応援へ諦めた顔で手振りをすると、彼らとともにとぼとぼと散っていった。

 近くに立つビル塔のスピーカーから、ある見物人の男の声が飛んできた。目立ちたくてこんなことやっているんだろうと。

 別の女の叫び声が言うには、<ジャケット>を救えるのは聖なる歪んだ立方体の神だけだという。確か今週4つ目の新宗教だ。どれほどその流行は持つのだろう。どれほどの間、その神は彼らを救えるのだろうか。

 簡易防風服を纏った自称ジャーナリストたちはいつものごとく墜落跡の写真を撮ったり、目撃者への聞き込みをするべく近隣のビル塔への入場許可を得ようとしていた。<ジャケット>は馴染みの輩と軽く挨拶を交わす。<ジャケット>自身に興味を持つ者はそれほどいなかった。彼の墜落騒ぎはもはや珍しいことではなかった。 

 少しすると、ひとりの警官が<ジャケット>のもとに近寄ってきた。フルフェイスマスク越しの顔はずいぶん若く見える。警察車の中からは、何人かの警官がこちらの様子を面白そうに伺っていた。若い警官はいつもの書類と、それにペンを持っていた。 

「あ、あのですね……<ジャケット>さん……」

「何か」

「こちらにですね、署名を……」

「ほう」

「はい」

「書類……署名……君……これは何の書類なのかな? 説明をしてくれ……ここのこれ……そもそもこのD-5様式にはどのような意味があるのかな? それがわからなければおれはその署名とやらを出来ないな……説明をしてくれよ、君」 

 <ジャケット>は彼に顔を近づけると、甲冑の奥からじっと目線を合わせてそう伝えた。硬直している。おれと目線をまともにあわせるとは馬鹿な若者だ。恐らく<甲冑の男達>に相対するのは初めてなのだろう。恐れよ、恐れよ、定命の者よ、これが俺たちの力のうちの一つだ……<ジャケット>の甲冑の下の顔は下卑た笑いで歪んだ。くだらないとは思いつつ、こういったことはいつもやめられないものだった。 

 「このおれはどんな書類にサインをするんだ……? 言ってみたまえ!」 

 若者は卒倒した。気絶した彼が抱えていた何かしらの書類をすべてひったくりサインをくれてやると(毎度の儀式だ)、今回は警官達に要請し書式を取り寄せて、いつものそれにもう一枚追加した。盗難届だ。気絶している間にやられたらしい。初めてのことだ。 

 「あの<ジャケット>から盗みとはねえ」

 「大した馬鹿だな」 

 車内の警官達は口々に言い合う。<ジャケット>を乗せた警察車は淡々と<風の街>を<中心部>方面に、警察本部の入居するビル塔へ向けて進んでいった。


-2-

 「いやあお待たせしましたジャケットさん。<悪魔の名刺>ですか! 大変なものを盗られましたねえ」

 「よく知っているな」

 「いやまあ。<甲冑の男達>の皆さんについては、ちょっとしたファンなものですから」

 「ならば問題はわかっているはずだ」

 「もちろんですとも。<協定>のことですね」

 凍りついた雰囲気の取調室にノック無しで入ってきたのは、チグイと名乗る男である。彼は刑事であった。<ジャケット>の邪視に気絶させられた若者(名をシュニチという)は気がつくと<ジャケット>と二人きりで長机を挟んでこの部屋に座らされており、どうすることも出来ず、ただただ十分ほど制服に汗染みを作りながら固まっていた。

 「いやあシュニチ君お疲れだったねえ。どうだい<ジャケット>さんは。かっこいいだろう。はははそんなに汗かいて」

 「は、は、あい」

 「まあそういうわけですから。後は警察のほうへお任せください。よろしくやっておきますから」

 「ほう、そうか。よろしくやってくれるのか」

 <ジャケット>の視線は事務室から取調室にまで侵食してきている書類の山へと向けられた。ドアはもはや閉めることは出来ないだろう。明らかに業務が円滑に遂行しているとは言い難い有様だった。

 「そのあたりにある書類はわたしの先代の先代の先代が引き継いだものらしいですねえ。まだ解読は進んでいませんが。気になりますか」

 「悪いがこちらはこちらで勝手に盗人を調べさせてもらうぞ。この坊主を連絡役に借りるとする」

 「よろしいですよ」

 シュニチにとっては寝耳に水である。

 「いやそれはちょっと……」

 「大丈夫だシュニチ君! これも勉強だと思いたまえ。それに<ジャケット>氏から<悪魔の名刺>が奪われたとなれば一大事だ! あの<甲冑の男達>の<協定>を保証する唯一の品物! これがなければ彼からその永遠の命と呪わしき力が徐々に失われてしまうかもしれないんだぞ! ああ、なんたることか! 我々警察組織としても<風の街>の治安維持のために……失敬、少し興奮しすぎました」

 「お喋りめ。腕の一本でも折ってやろうか。もしかしたら<名刺>がない今、それぐらいのことはしても罰は落ちんかもな」

 「<ジャケット>さん」

 チグイは<ジャケット>に目を向けた。

 「それはあんまりな言い草ではありませんかね」

 「喋りすぎる輩は好きではない」

 二人の間に沈黙が流れた。シュニチの汗染みは再び凍りついたこの取調室を、そして自分のこれからの将来を思って、また少しづつ広がっていく。

 取調室の時間はそのまま過ぎていった。


-3-

 <風の街>は滅びゆく都市である。中心にそびえ立つ<芯>から吹く狂った風から身を守るため、人々は次々にビル塔を建設した。人は増える。ビルが伸びる。そしてその伸びたビル群は狂った風をさらに増幅することになる。さらに強くなった風はビルを侵食し、人はそれをなんとか修復するものの、ビルは歪み傾いたままひたすらに伸びてゆく。

 狂った風をまともに受けた者は精神を侵される。そのせいか、風から身を守る手段が少なかったとされる<風の街>建設初期に作られた低階層は、どれもいびつなかたちをしていた。だんだんと歪み捻れ始めた壁を横目に、<ジャケット>とシュニチは空中回廊を伝ってビルを渡りながら、<風の街>中心部から南西方面に向かっていた。行く先は<ジャケット>馴染みのジャーナリストのねぐらだという。

 シュニチにとってはこんな遠出は初めてだった。大方のまともな<風の街>の住民は壁の強固な五階以上に暮らして生業を立てており、活動範囲は居住区としているビルから広くて三ブロック程度である。あるビルから一切出ることもなく一生を終えるものすらいるという。こんなふうにして10ブロック以上移動するのは初めてのことだった。それにこんな低い階層を……。

 既に移動を始めてから数時間が経過していた。

 ちらほらと、定住する場所を持たない野良たちの姿が増え始めてきた。治安の悪い区域に入った証拠だ。シュニチは再びインナーに汗をかく。大丈夫だろうか。これまで習ってきた技術は役に立つのか。この警棒は。この<甲冑の男>はおれのことを守ってくれるのか。やはり<管理組合>からどうにかして一人二人借りてきたほうが良かったのではないか……。恐慌に襲われたシュニチは、首から下げた神聖なる正円(今週6つ目の新宗教のシンボル)を握りしめるとマントラを唱え始めた。

 「正義の正円よ……完全なる完璧よ……我を見守りたまえ我に永遠をあたえたまアアーッ

 「着いたぞ」

 マントラは<ジャケット>の邪視により中断された。

  ◆ ◆ ◆

 「ちょっとした噂になっておるぞ」

 防風限界ギリギリである、五百九丁目ビル塔六階のある一室に入った途端その声が飛んできた。部屋の中には、初老の男が事務机の向こうに、様々な資料や怪しげな呪具に囲まれて座っていた。

 「<名刺>を盗まれるとは。自殺遊びはやめろと言った」

 「そこまで知っているなら話は非常に早くなるな」

 <ジャケット>は男の向かいに腰掛けた。シュニチはどうしていいかわからず、部屋の隅で立ち尽くしていた。<ジャケット>はギロリとシュニチのほうを向く。シュニチはあわてて視線をそらした。

 「この男はマンガオという。おれの知るかぎりでは<風の街>とその歴史に誰よりも詳しい。おれが一番頼れる男だ。だから」

 シュニチの視界の端で<ジャケット>の邪視が強まった気がした。

 「お前はそこで。黙って立っていろ」

 「冷たいことだな! 君、いいからそこの椅子に座ってなさい」

 「立っていろ」

 「まあそれで<ジャケット>君よ。今日の用事についてはなんなのかね」

 「決まっている」

 <ジャケット>はマンガオのほうに向き直ると言った。

 「これでおれは死ねるのか?」

 「なんとも言えんね。ちょっと待ってくれたまえ……確かここに写しが……あった。『<協定>。第一項。<甲冑の男達>は永遠の命と比類なき力を持つ。第二項。<甲冑の男達>は<風の街>を害するものを排除しなければならない。第三項。第二項の場合を除き、<甲冑の男達>が人を傷つけることを禁ずる。第四項。第一項、第二項、及び第三項は、この名刺を持っている限り有効となる。なおこの名刺が<甲冑の男達>の元を離れることはない』。最後に署名。この署名は未だ解読中だが」

 「では死ねるはずだ」

 「そうだな。君は今名刺を持っていない。これまで<名刺>の束縛から離れる方法を数々試してきたが、いつもすぐに君の手元に戻ってきたものだ。まさか念願の正解は他人に盗ませることだったとはな。ともあれ、今は第一項は無効になっているはずだ。試してみるかね」

 「そうするとしよう」

 そう言うとジャケットは部屋を出て、屋上へ向かった。 

 ◆ ◆ ◆

 数十分後、<ジャケット>は再び戻ってきた。 

 「おかえり。どうだったかね」

 「ダメだ。死ねん。見ての通りだ」

 「となるとどうしたことだろうなあ。この<協定>なんてものはもともと嘘っぱちだったのか」

 「少なくともかつて第二項は有効だった。一度<風の街>の住民を殺して回っている野良に遭遇したとき試したことがある。面倒なので見逃そうとしたら謎の力に魂を締め付けられ、死ぬ思いだった。なんとか殺人鬼を殺して開放された」

 「ならばそのまま死ねば良かったじゃないかね!願いが叶ったではないか!」

 「いや……あれは……死などではなく……」

 <ジャケット>は言葉をつまらせた。

 「何かもっと別のものだ。恐ろしい何かだった」

 「お上品に死にたいというわけか。おっと! その眼はやめろ」

 「とにかくだ」

 <ジャケット>はマンガオに顔を近づけた。

 「このままではまずい。あらゆる結果を想定しなければ」

 「例えば不完全なかたちで<協定>が履行され続けるといったことかね。君は今死ねなかった。永遠の命だけが残ったままその強大な力は失われ……君はかつて痛めつけてきた悪党共に捕らえられ……」

 「好きで痛めつけてきたわけではない」

 「君が好きでやったかどうかは相手にとっては変わらんさ。それに君はそれが好きだ」

 「とに。かく。だ。おれはおれで探す。お前はお前でやってくれ」

 「まあ、君の頼みなら」

 「頼んだぞ」

 ◆ ◆ ◆

 マンガオの事務所を離れた<ジャケット>とシュニチは、会話を交わすことなく再び警察ビルへ戻った。チグイの進捗を確認するためである。沈黙に耐えかねたシュニチは口を開いた。

 「チ、チグイさんは優秀な人ですから……きっと何か手がかりを今頃」

 「黙れ」

 シュニチは黙ると、チグイの個室へ案内する。ドアを開けた。チグイは首を切られて死んでいた。

<つづく>

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