〈蛇の星〉-3
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〈蛙〉とエリックは〈廃物街〉のはずれにある堤防の上を歩いていた。夕日を受けて海は見渡すかぎり暗い虹色に濁っていた。薄暗い空の下、中空になった流木の枝を〈蛙〉が吹き鳴らす不安定な笛の音が、青く輝くガラス片の蓄積した砂浜にこだまする。辺りには、口元を薄汚い不織布で覆った海女達の、日も暮れるというのに延々と腐敗物の間でウェットスーツに身を包んで潮干狩りを続ける姿と、周辺の住民が網に載せた夕飯のフナムシをドラム缶の廃油で焼くぼんやりとした明かりが見えていた。
エリックにとっての〈蛇〉とは、夢であり、幻覚であり、妄想であり、自分の頭の中だけに存在する友人であった。彼らは夢の中で、その舞台がそうさせるのか、主に形而上学的なものごとについての沢山の話を交わした。人生の意味について。人間について。世界について。宇宙について。宇宙について話す時の〈蛇〉はどこか楽しげに、そして寂しげにも見えた。まるでもう叶うことがないとわかっている夢について話しているような様子だった。
「〈蛇〉が? 楽しそうに?」
それを聞いた〈蛙〉は驚いた様子で言った。
「あの大将がねえ。ま、そんなこともあるんだろうさ。おれは見たことが無いけどな、そんな様」
「〈蛇〉は近いのか。どこにいるんだ」
「お前さんもよく知っているところさ」
そう言うと〈蛙〉は振り向いて、笑いながら言った。
「アームストロング号の〈墜落地点〉だ……。まだ場所は覚えてるだろう?」
「あそこに? あそこに〈蛇〉がいるのか?」
エリックは驚いてそう言った。
「ああそうだ。あそこに〈蛇〉は居るよ。ずっと居る。ハハハハハ。まあなあに、急ぐことはない。時間はたっぷりある、〈蛇〉の大将もおれたちのこと、待っててくれるだろうさ……おっとこれは。迂回していこう」
堤防の先には、張りぼてで出来た〈宇宙カルト〉の検問が建てられていた。〈宇宙カルト〉はそこかしこでこのような検問を実施しては通り掛かる旅人達を捕まえ、彼らが〈宇宙カルト〉のいう寄付という名の通行料を捧げるまでひたすらにその説法を集団で浴びせ続けるのである。この検問システムは、〈カルト〉の収入源となるだけでなく、その構成員増加の一助にもなっていた。〈蛙〉とエリックは堤防を降りると、廃屋の立ち並ぶ路地に入った。
エリックは考えていた。〈蛇〉。〈遭遇〉した〈異星人〉達が言っていた彼らの〈敵〉。いったい〈蛇〉はこの地球で何をしているのだろうか。それを尋ねれば〈蛇〉はおれに答えてくれるのだろうか。いつもの夢の中のように。それともはぐらかされてしまうのだろうか。いつもの夢の終わりのように。
/そして異星/
/からの手が/
/舞い降りた/
「〈蛙〉?」
返事は無かった。〈蛙〉の姿はどこにも無かった。エリックは薄暗い路地に一人きりで立っていた。彼の進む先にはまた別の〈宇宙カルト〉の検問があった。ところが検問に立つ彼らは辺りを見張ることはなく、ただ顔を上に向け、夜空を見上げていた。彼らは皆涙していた。嗚咽していた。感動に打ち震えていた。歓喜の叫びを上げていた。
「やめろ! やめろ! 見るな! 見るな! それはまやかしだ! 信じてはいけない! 見るんじゃない! ああやめろ!」
そう必死に叫びながら辺りを駆け回っている〈カルト〉の男がいた。あの頃とは違い髭を蓄えていたとはいえ、彼のその顔を見間違えるエリックではなかった。それはかつての同僚、あのアームストロング号に同乗していたクルーのうちの一人であった。
エリックはその男から目が離せなかった。
やがて彼らの目があった。
エリックに気づいた髭の男は、呆然とした様子で彼に近づいてくると言った。
「船長」
髭の男は涙していた。
「ああ、船長。なぜあの時、私達を置いていってしまったのですか」
髭の男はただ、涙を流していた。
「船長。船長。ああ、船長……なぜ……」
エリックは空を見上げた。ああ、そこには、あの時に見た、〈遭遇の時〉に見た、忘れようもないあの恐ろしい〈顔〉が浮かんでいた……。
/そして異星/
/からの手が/
/舞い降りた/
「〈蛙〉?」
「ああ、また検問か。しょうがない、さっさと金を払って突破するとするか」
彼らの進む先にはまた別の〈宇宙カルト〉の検問があった。エリックと〈蛙〉は説法を聞き流しながらそそくさと通行料を払い、そして検問をくぐり抜けようとした。
「ここを出たあとだが──」
だが蛙が口を開きかけたその時、突然壁の間から突き出した数本のビニールパイプ槍が、〈蛙〉の身体を四方八方から貫いた。
〈蛙〉は驚いた様子で少しの間身体を痙攣させた後、程なくして死んだ。
そしてエリックは、立ちすくむ自分を見つめているある〈カルト〉の男に気づいた。あの頃とは違い髭を蓄えていたとはいえ、彼のその顔を見間違えるエリック立花ではなかった。それはかつての同僚、あのアームストロング号に同乗していたクルーのうちの一人であった。
「船長。こんなところで何をしているんです? それも〈蛇〉の使いなんかと?」
髭の男、ルーク鈴木はにこやかに笑いながらそう言った。
◆
そしてここに〈六人の正気団〉が登場する。彼らは現在の〈廃物街〉を──彼ら自身はそれを〈七番目の楽園〉と呼んでいたが──実効支配するある一団である。〈洗浄〉により発生した政治的間隙を突いて見事に〈廃物街〉をその手にした彼らは、かつてはごろつきであり、会社役員であり、学童であり、老人であり、賢者であり、病的性欲者であったが、みな等しく正気ではなかった。ただお互いの妄想に共通点があったがために、お互いの〈正気〉をお互いの妄想で担保するかたちになった彼らは、『この〈街〉で唯一正気である我らこそがこの〈街〉を支配するべきなのだ/そして〈外敵〉から〈街〉を守護するのだ/それこそが我らの使命なのだ』、と考えていた。なおこの〈外敵〉は実在しない。彼らの妄想でしかない。〈廃物街〉の外の世界は、それぞれの内にある問題を片付けるのに精一杯で、その外に目を向ける余裕などはなかった。だが存在しない〈外敵〉の存在こそが、〈正気団〉の面々の絆を強く結びつけていたのであった。
彼らは六人で構成されていた。すなわち、〈強盗〉、〈社長〉、〈優等生〉、〈翁〉、〈名無し〉、そして〈スベタ〉である。
彼らの根城は〈都庁〉と呼ばれているある高層建築物の中にあった。白痴と化したかつての役人達が徘徊する中、〈正気団〉の〈廃物街〉を守るための会議は毎日のように開催されていた。
〈強盗〉は、〈廃物街〉のより健全な発達を促すため、ここは一つ新たな貨幣を発行し、そしてそれを大量に流通させるべきではないだろうか、と言った。
〈優等生〉は、あなたは人から金を奪いたいがためにこれを提案したのではないか、と指摘した。
〈強盗〉は言い訳をしながらも、結局はそれを認め、そして提案を取り下げた。
〈社長〉は、〈廃物街〉のより健全な発達を促すため、ここは一つ中央株式市場を開設し、そして土日を除く午前九時から午後三時まで稼働させるべきではないか、と言った。
〈翁〉は、そもそも今日は何曜日だったか、と質問した。
誰もそれがわからなかったため、〈社長〉は提案を取り下げた。
〈名無し〉は何も考えていなかった。
〈スベタ〉は自慰に夢中だった。
「ところでだが」
そこで〈六人〉の視線が会議机の上に集まった。そこにはねばつく粘液と銀色の鎖以外何も纏っていない男の姿があった。会議机の上に仁王立ちする彼は、〈蛙〉と名乗っていた。
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