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蛇狩りの季節(β版)3

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〈蛇狩り〉狩り! 〈蛇狩り〉狩り! 〈蛇狩り〉狩り!


 廃電線を腰に巻き付けた〈ターザン男A〉がそう大声で叫びながら錆びた鉄塔の先端から飛び降りた。はためく毛髪と長い髭に取り囲まれた荒い顔、そして腰ミノしか身に着けていない半裸のその姿はまさに誇り高き野生人そのものであった。


〈先生〉はエリック立花! 〈先生〉はエリック立花! 〈先生〉はエリック立花!


 続けて〈ターザン男B〉も同じようにして叫びながら飛び降りた。その声は〈廃物街〉の隅々までとてもよく通った。


捕まえたら〈愛国者〉へ! アーアアアアアアーアアア! 〈ターザン男〉でした!


 続けて〈ターザン男C〉も同じようにして飛び降りたが、残念ながら〈C〉の電線だけはちょうど伸び切ったところでぶつりと千切れてしまい、彼は鈍い音とともに地面の赤い染みとなって死んだ。見物人からは嘆きの声が漏れ、鉄塔からぶら下がったまま揺れている〈A〉と〈B〉は眼下に広がった〈C〉の血溜まりを眺めながらちょっと困ったような顔をしていた。〈ターザン男〉たちの業務中の死亡事故率は低いものではなかった。
 だがしかし、じきに〈ターザン男〉選抜試験が行われ、再び〈ターザン男〉たちの快活な叫び声が〈廃物街〉をこだますることだろう。〈ターザン男〉とは〈廃物街〉における広告業務を一手に担う名誉ある職業であり、その人気は非常に高いのだ。補充のための宣伝を打つ必要など、きっと無いに違いない。 

    ◆

「なんだあの馬鹿でかい声は」


 叫び声を聞いた〈蛙〉は心底驚いた様子でそう言った。


「あれは〈ターザン男〉……街じゅうに何か知らせたいことがある奴が雇って使う。こんなことも知らないってなると、〈蛙〉お前、〈街〉の外から来たってのは本当みたいだな」
「〈街〉じゃなくて星、まあ、まあ、いい……。とにかく、そうなるとこの今ってのは少しばかり慌てたほうがいい状況なんじゃないかね。そう思うんだけどね」


 エリックはそれを聞いても腰を上げるわけでもなく、唸りを上げる資源回収壁のそばで座ったまま、地面に広げた汚い地図をじっと睨みながら考え事をしていた。その地図には〈占い婆婆〉の手による書き込みがいたるところになされており、そのどれかが〈廃物街〉からの脱出のヒントになるかと思われたが、どれも非常に癖の強いねじ曲がったような字で書かれているためその解読にはかなりの時間を要していた。


「畜生め、埒が明かない。時間もない。歩きながら考えるか」


 そう言って立ち上がり足早に歩き出したエリックを見て、〈蛙〉も垂れ下がる粘液の糸と股間の生殖器を揺らしながら後に続いた。〈蛙〉はエリックに話しかけた。


「で」
「アテはある。〈青空食堂〉だ」
「ほう」
「お前、おれを守るってことで来たってことは、強いってことでいいんだよな」
「そこのところは、頼りにしてもらっていい。保証する……」
「そこのところを特にアテにしてる。本当に。頼んだぞ」


 そしてエリックと〈蛙〉は、再び悪臭漂うゴミの壁の中へと消えていった。

    ◆

〈青空食堂〉の天井はなんらかの化学物質で毒々しいまでに真っ青に染められていた。この〈青空〉は外が暗くなればなるほどその輝きを増す。〈青空〉の元に長い間座っているとなぜか身体がだるくなったり毛が抜けたり止まらない鼻血が出たりするというが、そんなことはこの美しさに比べれば大したことではなかった。
 天井からの青い光は滑稽なポーズの〈蛙〉の死体も周囲に飛び散ったその内臓も、分け隔てなく青一色に染め上げていた。
 アテが外れた。エリックは〈蛙〉の死体を横目で見ながら、頭の中でそうつぶやいた。
 二つのドラム缶の上にベニヤ板を渡したテーブルを挟んだ向かいには、〈食堂〉の〈店長〉が頬杖をついて座っていた。その左手には〈蛙〉の体液が未だぬらぬらと絡みついたままの牛刀が握られていた。テーブルには黒いソースのかけられたプラスチック米の丼ぶり。入店した時にエリックが注文したものだが、少しも手は付けられてはいなかった。
 大きな蝿が一匹、縁の欠けた丼ぶりの上を飛んでいた。
〈店員〉がやってきて、無言で水の入った汚いグラスを二つテーブルの上に置き、そしてまた去っていった。
 蝿は相変わらず飛んでいた。
 二人ともしばらく丼ぶりを挟んだまま何も喋らなかった。
 そして〈店長〉は長い〈食堂〉ぐらしですっかり色素の抜けた薄い髪をかきあげると、充血した腫れぼったい目をしばたたかせながらようやくエリックに話しかけた。


「参ったなあ」


 エリックはその言葉に答えなかった。青白く薄い皮膚をした〈店長〉はそれに構わず話し続けた。


「参ったなあ。ぼくが今参っているっていうのは、二つあるんだよ。何かわかる……」
「……」


〈店長〉は指を一本上げると言った。


「一つ目は、あんたをこれからどうしようかってことなんだよ、〈先生〉……。何のつもりなのかな。こんな奴をけしかけてきて、一体何のつもりだったのかな。カネでも欲しかったの。いや違うだろうな」
「……」


〈店長〉は指を二本上げると言った。


「二つ目は、あんたにどんな質問をしようかってことなんだよね、〈先生〉。いや、エリック立花」
「またそれか」
「誰かにもう何か聞かれたの? そりゃそうさ。もしもあんたに会えたら聞いてみたいことなんて、みんな少なくともひとつかふたつは持ってるもんだよ。それに答えるのがあんたの責任ってもんなのさ、〈先生〉。あんたのおかげで、あんたのせいで、今の世界があるわけだから」
「おれに聞くよりも、〈蛙〉って奴に聞いたほうがまだ本当のことがわかりそうなもんだよ。本当に。多分おれよりもモノを知ってるし、返すべき言葉も持ってる」
「何、その〈蛙〉ってのは」


 エリックは無言で隣の死体を指差した。


「ああ、そうだったの。まあいいや。死体に聞いてもしょうがない。あんたに聞く。どっちみちぼくが欲しいのはあんたからの言葉だし」


〈店長〉は大きく伸びをしてから、言葉を継いだ。


「ずっとあんたには会ってみたかったんだよ、エリック立花。まさか〈先生〉だったとは思わなかったけどね。よく隠してきたね。あんたがこれから、ぼくの質問することにきちんと答えられたなら、〈街〉から逃してあげる。それが目当てなんだろう」
「……ああ」
「それにしてもどこで知ったんだろう。〈偽探偵〉にでも聞いたのかな。それとも〈占い婆婆〉かな、まあいいや、どうでもいい……。それじゃあ質問だ。結局、〈蛇狩り〉ってのはなんだったの」
「また、それか……」
「まあ、そりゃあそうさ」
「なんて答えればお前たちは満足するんだ」
「そりゃあぼくたちが知りたい答えを言ってくれれば満足するさ」
「それには当然宇宙人なんて言葉は入らないんだろう」
「まあ、そりゃあそうさ」


〈店長〉は腕組みをすると言った。


「ぼくとしては今の世界は結構気に入ってるんだよ。〈蛇狩り〉が起こる前の世界は窮屈だった。ちょっとしんどかったんだよね。今はいい、今はいいよ。みんな、何もないからね。世界に未来がないってみんながわかってるのはいい。シンプルな世界だ。今のことだけを考えていればいいからね」


〈店長〉は言葉を続けた。


「その様子だと、前に質問された人からはよっぽどな目に遭ったみたいだね。でも大丈夫、別にぼくは何を言われても怒ったりはしない。ただ知りたいだけだ。好奇心だよ。なんで〈蛇狩り〉なんてことをしたんだい。きっかけは」
「それはお前には知り得ないことだなあ」


 そう言いながら〈食堂〉のドアを蹴り開けて現れたのは〈蛙〉であった。
 それを見た二人はエリックのそばに転がっている〈蛙〉の死体に目をやった。それは確かにそこにあった。だがしかし今現れた男もまた〈蛙〉そのものであった。
 うろたえる〈店長〉の背後へキッチンから現れた男もまた〈蛙〉だった。この〈蛙〉はその肩に首の折れた〈店員〉を担いでいた。
 さらに窓を割ってもう二人の〈蛙〉が現れた。
 四人の〈蛙〉は〈店長〉を速やかに取り囲むと、彼を手に持った椅子や丼ぶりで繰り返し殴りつけた。程なくして〈店長〉は死んだ。
 呆然としているエリックに、入り口から現れた方の〈蛙〉が言った。


「〈蛙〉は多産。というわけで、こういうわけってこと……。これが、強さ」


 四人の〈蛙〉はお互い奇妙なまでに目を合わさなかった。エリックは彼らに話しかけた。


「その、あれか、お互いあんまりそっくりなもんだから、あんまり視界に留めてると気がおかしくなりそうになるってことなのか……」

 四人は一斉に頷いた。そして〈店長〉と〈店員〉の死体を担ぐと、一人を残して入り口からどこかへ去っていった。残ったのはどこから現れた分の〈蛙〉なのか、エリックには区別はつかなかった。
 エリックは〈蛙〉に言った。


「なあ」
「なんだい」
「〈蛇狩り〉ってのは結局、なんだったんだ」
「そんなの、宇宙のきまりさ。そんなことも知らなかったの」


〈蛙〉は当然のような顔をしてそう言った。エリックは黙ってプラスチック米を食べ始めた。
 青い光の中で食う米の味は、よくわからなかった。

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