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【プレ版】<風の街>と<甲冑の男達>-4<終>

その3

-6-

 「<ジャケット>」

 蚤の市の喧騒越しに<ブルヘッド>は言った。

 「お前には告げたはずだ。<名刺>を探すのをやめるようにと。<ホークムーン>とお前を争わせるわけにはいかなかったからだ。だがここに至ってはもはや遅い。いっそあの時無力化しておけば良かったか。お前は優秀な<甲冑の男達>だったのに。惜しいことだ。そしてチグイだったか。もどきとは言えお前を殺すことは出来ないようだ。ならばどうにかして封じこめるしかあるまい」

 <ブルヘッド>は短剣を抜いた。それを見た群衆はさっと引き、蚤の市の中に<ジャケット>らを取り囲むようにして空間が出来た。どよめきがあがる。

 「お前たちは<ホークムーン>の元へ向かうつもりだろう。それは必ずや争いとなり、いずれの勝利に終わるにせよ、結果として<風の街>全体の損害となる。私はそう確信している。私は危険な存在を無力化せねばならない。争いを起こすには二つの存在が必要だ。<ジャケット>とチグイか、それとも<ホークムーン>か。どちらを取り除くか。決まっている。<ホークムーン>のほうが<風の街>にとってより有益な存在だ。私は<風の街>を守らなければならない。私は<風の街>を守る。私は守る」

 その時<ジャケット>は<ブルヘッド>の瞳を初めて見つめた。こんな目をしていたのか。それは赤く血走った猛牛の目だった。妄執に狂った守護者の目だった。 

 「待て<ブルヘッド>。こいつの<名刺>をおれたちは今から」

 「<名刺>が取り外されるのを待てというのか。聞かぬ。お前たちはそれを言い訳に逃げ出し、そして<ホークムーン>に戦いを仕掛けるつもりだろう。私は<風の街>を守る。<ジャケット>よ。まずは約束どおりお前の残った腕を貰っていくぞ」

 <ブルヘッド>の突き出した短剣は<ジャケット>の甲冑を貫きその左肩に刺さった。 <ジャケット>は左手で<ブルヘッド>の短剣を持つ右腕を掴み抵抗しようとするものの、その力の差は歴然であった。<ブルヘッド>は左手で<ジャケット>の左肩を掴むと短剣で<ジャケット>の左腕を切断にかかる。<ジャケット>は思わず苦悶の声を上げた。

 そしてその左腕は安々と切り取られた。<ジャケット>は崩れ落ちた。

 「まだ終わりではない。後で足も切る。残念なことだ。私の知るお前は、その自殺癖を除けば規律を守る本当に優秀な<甲冑の男達>であった。無力化の処置が終わったあとはどこか静かな住処を見つけて余生を過ごすと良い。さて次は」

 「チグイ……やれ」

 「何」

 チグイが立っていたのはあるドアの前である。彼が何をしようとしているか悟った<もぐら>達はドアから彼を引き剥がしにかかった。だがしかし、<甲冑の男達>の力の前にはあまりにも無力であった。

 そのドアとは狂風地帯と蚤の市を隔てる、長年開かれたことのない錆びついた防風扉であった。その向こうには狂った風がうずまいていた。

 そしてそれは開放された。

 すぐさま溢れ出した狂った風は、蚤の市全体を膨大な狂気で包み込んだ。

 風の狂気は人に乗り、人から人へと伝染する。狂った人々は巨大な波になり、<ジャケット>らを押し流す。人の波の向こうから、彼方へ流される<ブルヘッド>の吼える声が聞こえてきた。

 「<ジャケット>! <ジャケット>! <ジャケット>! その男を殺せ! チグイを殺せ! そしてお前は<風の街>を守るのだ! <甲冑の男達>ならば! <名刺>がなくとも! 誇りがあるのならば!」

 倒れ伏した<ジャケット>は荒れ狂う<もぐら>達に踏まれながら笑った。殺そうにも守ろうにも、お前がどっちの腕も取ってしまったよ……。

◆ ◆ ◆

 ようやく人の波が引いたころ、<ジャケット>はよろよろと立ち上がった。そのクロームの甲冑は背面に無数の足跡がついているものの、それはいまだ健在であった。

 チグイは防風扉の陰に隠れていた。

 <ブルヘッド>の姿はどこにも見えなかった。あのまま流されていったらしい。

 そしてシュニチは人のいなくなった蚤の市の真ん中で呆然と立っていた。彼は狂気の波の中、一歩も動くことが出来ずひたすら立ち尽くしていたのだ。奇跡的にも無傷だった。波は彼を避けて流れていったようだった。

 彼の身体に巻き付いた鎖には、<ジャケット>の左腕がぶら下がっていた。

 <芯>まではもう少しだった。


-7-

 <ジャケット>達が地表に出ると、そこは<風の街>の中心近くの路地裏であった。

 <風の街>の歴史は、<芯>が建てられた時から始まったと言われている。その<芯>からは人を狂わせる風がやむことなく吹いており、そして<風の街>の住民は常にその風と共にあった。しかしその歴史の中に、<芯>からサイレンが鳴っていたという記録はどこにも無かった。今その音は高く細く、強弱を付けながら、風に乗って街中に鳴り響いていた。

 横たわっていた野良の死体を乗り越え<ジャケット>が表の様子を見ると、<芯>を遠巻きに囲むようにして警察車と防風テントが並んでいた。

 するとそれを見たシュニチが突然駆け出した。<ジャケット>の左腕をぶら下げたまま。

 当然か。<ジャケット>は考える。これは予想出来ていた。もはやおれとシュニチを繋ぐものはない。だが奴のせいでおれたちの居場所がばれるのはまずい……<ジャケット>はチグイに合図すると、再び地下に潜った。

 「おやシュニチ君! 無事だったかね!」

 <ホークムーン>がシュニチを迎え入れた。その傍にはジャーナリスト兼<風の街>の歴史家である、マンガオが立っていた。

 「はい、<ホークムーン>さん。なんとか無事で」

 「ではシュニチ君、早速だが業務に戻りたまえ。非常事態だ。聞けば分かる通り<芯>からサイレンが鳴っている」

 「はい」

 「誰かに中に入って、何が起きているか調べて来てもらわねばならんのだよ。今向こうで誰が向かうかを決めているところだ。ほら。混ざってきなさい」

 「は……はい」

 シュニチはとぼとぼと歩き出した。<ホークムーン>はマンガオに向けて言う。

 「で、どうですかね。何かわかりそうですか」

 「いやあ何とも。なんせ記録に無いものですから」

 「まあそうでしょうなあ」

 「一般論的に言えば、サイレンはサイレンですから。何か良くないことの予兆だと思いますがね。お役に立てず申し訳ない」

 「いえいえそんな。ところで<ジャケット>君はお元気ですか」

 「は」

 「知らないとでもお思いですか。彼は今や危険人物です。彼に深い繋がりのあるあなたも例外ではない。あなたに<芯>に入っていただくのも良いかもしれませんね。君たち、マンガオ氏も突入者の候補に入れてあげなさい」

 捕縛されたマンガオはシュニチの歩いていったのと同じ方向へ引きずられていった。

 <ホークムーン>は再び物思いに耽りながら、自分のテントの元へと一人歩いていった。

 サイレンの高低の周期が速くなっている。このペースで行けばもう数分のうちに単なる持続音と化すだろう。その時何が起こるのか。それまでに何かするべきなのか。それとも何もしないほうがいいのか。何も起こらないのか。単なる音なのか。<ホークムーン>の知る限り、答えを与えてくれそうな者はどこにもいなかった。

 「コーヒーです」

 お付きの警官が差し出したコーヒーを<ホークムーン>は受け取る。普段のとおり周囲にアンテナを張っている彼であればすぐにそれに気づいたことだろう。警官はチグイの変装だった。やけに近い<名刺>の反応に<ホークムーン>が気づいたときには既に遅かった。チグイの手刀が<ホークムーン>に襲いかかった。すんでのところで<ホークムーン>はそれを受け止めた。

 「やめろチグイ! 今はこんなことをしている場合ではないのだ」

 「<ホークムーン>! <ホークムーン>! <ホークムーン>! なぜ! <ホークムーン>! なぜ!

 「完全に狂っているな」

 <ホークムーン>はチグイの攻撃をあしらいながら考えた。なぜチグイがここにいる。なんのために。これは偶然ではない。この狂った男をここまで導いた者がどこかに……。

 「<ホークムーン>!」

 「<ジャケット>!?」

 呼び声に振り返った<ホークムーン>に、<ジャケット>の邪視が直撃した。<ホークムーン>はくずおれた。

 「ジャ……ジャ……<ジャケット>……貴様……<ジャケット>……」

 「言いたいことはわかるな。おれの。<名刺>を。返せ

 「聞け……<ジャケット>……今は……サイレン……」

 「おれの。<名刺>を。返せ。おれの!<名刺>を!

 「<ジャケット>……!」

 叫ぶ<ジャケット>が<ホークムーン>の顔を蹴り上げんとしたその時、<ジャケット>の視界が白く染まった。

 風が止んだ。

 <風の街>の全ての動きが止まっていた。 

 そしてサイレンの音だけが高く、高く鳴り響いていた。これまでになく。


-8-

 <ジャケット>は意識を取り戻した。そして自分の周りを取り囲む白い壁に目がくらんだ。

 それは一片の汚れもなく、真っ白くまばゆく輝いていた。意識はこれまでになく明瞭だった。まるでずっと頭の中に嵌められていた枷が取れたかのような、そんな印象だった。だが、ここがどこなのか。なぜ自分がここにいるのか。それだけはわからなかった。

 <ジャケット>は自分が載せられていた台から足を下ろすと、よろよろと歩きだした。まだ視界がふらついた。

 そこは<芯>の中だった。

 <完璧な人々>は完璧である。かつて生きていた人々から抽出されて選ばれた彼らは<風の街>を設計し、人々の要請に従い<芯>を作り上げた。そしてその中で代々、誰にも知られることなく代を重ね、業務を続けてきた。

 <ジャケット>に面会した<完璧な人々>の一人は(そのぬらりとした長身と体毛のない白い肌は彼を驚かせたが)、彼に次のとおり説明をした。あなたたち<甲冑の男達>が<名刺>を完全に失うことは全く想定されていなかった。<甲冑の男達>が<甲冑の男達>の<名刺>を盗むことができる、というのは明らかな設計の誤りであり、修正を行った。この状況を解決するべく<風の街>を眠らせたが、もう間もなくみな目覚めることだろう。風もまた吹く。あなたの新しい<名刺>ももうすぐ出来上がる。これからもどうか、私達が設計したとおり、<風の街>を守っていただきたい。そう言った。

 <完璧な人々>から見せられた<名刺>の条文のサンプルには、確かに<甲冑の男達>の<名刺>はそれ自身だけのものである、といった内容が追加されていた。

 <ジャケット>は、<甲冑の男達>はお前達が作ったのか、とたずねた。

 <完璧な人々>は、作った、というのは正確ではない、と答え、次のように説明した。あなたたち<甲冑の男達>はもともとは通常の人間であり、それを私達が無作為に選んで、<甲冑の男達>に設計し直したのだ。あなたもかつては人間であった。どんな人間だったかは調べることが出来るが、それは必要かとたずねた。

 <ジャケット>は今気づいていた。自分がかつてなく正気であると。これまでずっと、自分も含めて、どこに住んでいる<風の街>の住民であれ、<甲冑の男達>であれ、野良であれ、<もぐら>であれ、みな全てこの<芯>から吹く風に狂わされながら生かされており、そしてそれを忘れ去るようにされていたのだと。この<完璧な人々>を除いては。

 <完璧な人々>は、その通りであると告げ、次のように説明した。狂った風は<完璧な人々>の<担当者>の脳波を元に生成されている。機械で代用出来ないか研究したこともあったが、こればかりはやはり人の脳に機能するものであるため、生きている人類の脳を利用しなければ難しい。<担当者>の寿命がつき次第、すぐに次の<担当者>へ引き継がれることになっているので、風が途切れることは無いからどうか心配しないで欲しい。

あなたたちは安心して忘却の中を生きることができる。そう答えた。

 <ジャケット>は死にたいと告げた。

 <完璧な人々>はあなたは死ぬことはできないと答えた。

 <ジャケット>は傍にあった手術用メスを口に咥えた。

 <ジャケット>は彼らを<担当者>含め皆殺しにした。

 

 血まみれの<ジャケット>は、解放者の気分であった。

 これで風が吹くことはなくなる。これでみな正気のまま過ごすことが出来る。おれはみなを狂気から解き放ったのだ。みなが自分のことを笑顔で迎えてくれると思っていた。死ねなくとも、それで生きるのならまあ構わないと思っていた。

 正気に戻った<風の街>の住民は、<芯>から出てきた<ジャケット>から説明を受けた。彼らは速やかに<ジャケット>を拘束した。

 そして会議が始まった。<風の街>に生きているもの全てが、高層民、野良、<もぐら>、<甲冑の男達>問わず集まった会議であった。

 会議はまず、現状の確認から始まった。<風の街>の周囲に文明の痕跡は見つからなかった。<風の街>の人口、すなわち把握できる限りの全人類の残数は、わずか596人でしかなかった。文明の存続は絶望的であると皆悟った。ここで32人が自殺した。人口は更に減って564人になった。

 次の、そして最も重要な議題はこれからの<風の街>の方針であった。すなわち、正気を保ったまま、絶滅を認識して、絶望に暮れたまま生きていくのか。それとも風に吹かれて狂気に返り、再び全てを忘れて終わりが来るまで生きていくのか。あまりにも辛い現実は、彼らには耐え難かった。狂気とは現実を忘れるために必要な薬だったのだ。<風の街>の建設当初、人々が<完璧な人々>に願ったのは、まさにこのことだった。

 最後の議題は、誰を風の依代にするかだった。すぐさま勇敢な<甲冑の男達>の一人が立候補したものの、<風の街>を狂気に包み込むことは彼の中の第二項に反していたせいか、彼は間をおかずゲル状の物言わぬ物質と化してしまった。議場は沈黙に包まれた。誰も手を上げるものは居なかった。

 難問であった。通常の人間を選べば確かに風は吹く。だが装置を確認したところその負荷は多大なものであり、依代に選ばれた人間は長く持ちそうになかった。かといって永遠の命を持つ<甲冑の男達>は第二項違反になってしまうため依代にはなり得ない。

 議場は停滞した。だがそこで、ある男が声を上げた。<ジャケット>だ。<ジャケット>がいる。

 彼らは<ジャケット>の拘束されている牢へ向かい、そして告げた。お前は風の依代になる。これから永遠に風の依代として生きるのだ。それに答えて<ジャケット>は声を荒げ罵声を浴びせた。ふざけるな。それがおれにする仕打ちか。おれはお前たちを開放したんだぞ。お前たちのために風を止めたのに。正気が必要じゃないのか。狂ったままでいたいのか。しばらく待つ。変わらない。ゲルにならない! <名刺>を持たないこいつは第二項が不全になっている! <甲冑の男達>のこいつならに永遠に生きることが出来る! 交替の必要もない! 風は止まない! 成功だ! 解決だ! 万歳! 万歳! 万々歳! 彼らは歓声を上げた。

 <ジャケット>はむせび泣き、抵抗した。ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。やめろ。おれはお前達のためにやったのに。なんてことをするんだ。彼はそう繰り返した。だが力を失っていて、おまけに腕までなくしている彼は抗うことが出来なかった。彼は風の依代にさせられた。

 そして風は徐々に吹き始めた。人々はにこやかに笑いあった。次に会うときはあなたのことを忘れているだろう。だが少なくとも、これで絶望的な未来も、忘れることが出来る。人々は喜びを分かち合い、そして待った。優しい狂気が訪れるのを。

 だが風は引いた。人々の前に現れたのは、<ジャケット>の幻であった。

 「お前たちに風をくれてやる! お望みの風をくれてやる! このおれの風を! 永遠の呪いを!

 そしてクローム色の狂った風が吹いた。


-9-

 男の名はかつてシュニチと言った。しかしもはや彼がそれを名乗ることは無かった。

 <あの風>が吹いてからどれほど経っただろうか。千年? 二千年? もはや誰も覚えていなかった。

 死に絶えたこの惑星の上で、動くものは564人の狂った<甲冑の男達>しかいなくなっていた。

 

 シュニチは干からびた海を超えた。彼は歩き続けた。

 シュニチは砕けた山を超えた。彼は歩き続けた。

 シュニチは歩き続けた。シュニチは歩き続けた。


 そしてシュニチは落下した。落下した。身をよじり、手足をひねり、宙に踊る。シュニチは落下し続けた。

 取り囲む色はクローム一色だった。クロームの風はどこまでもついてきた。地の果てまでクロームで染まっていた。

 こんなことになってしまったのはいつのことだったろう。もはや思い出せない。おれの生には終わりは無いのか、いつか終わりはくるのか、それとも……ああ。

 そして衝撃。意識からの開放。しばらくの気絶。

 様子を確かめたが、地上333メートルの上からしでかした今回の墜落ですら、彼の身体を包むクローム甲冑に傷ひとつつけることはなかった。いつものごとく。フェイスプレートを直すと身を起こした。

 あたりには、誰一人いなかった。それは寂しい夜のことだった。



 -おわり-

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