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舞台『蒼穹の王』感想 ネタバレばかり

舞台『蒼穹の王』基本データ


企画・制作 ILLUMINUS
劇場 IMAホール(光が丘)
上演期間 2024年2月24日から2月28日
2020年上演の『黒の王』から続く『王ステ』シリーズ5作目

舞台『蒼穹の王』の感想について

本感想は2024年2月29日から3月10日頃にかけて、怒涛のようにただ書いた感想文です。
まだ配信などもなく記憶によって書いているため、時系列の錯誤や勘違いが含まれます。
文中、~のようだ、~なのかもしれないといった否断定文章ばかりとなっています。
また、想像として文章化していますが、多くは推測からの想像であり、考察ではないことを明記いたします。
文章量としては3万字程度、A5 2段 33P分くらいの文章量が続きます。

舞台『蒼穹の王』の感想

舞台蒼穹の王について、感動が覚めやらぬ熱に浮かされたような状態ではあるが、あの舞台上に確かにあった聖域について感想なのかレポートなのかわからないがなにか文章という形で残したいと思う。 

物語は黒死病が蔓延する英国のとある田舎の村から始まる。冒頭、暗い客席の中を二人の兵士がランプ片手に歩いてくる。緞帳の降りた舞台に上がり、二人の兵士が話すには、どうやら一年たって村の封印を解く、ようだ。
重たい扉の音と共に分厚い緞帳が上がり、そこに待っていたのは夥しい数の死体だった。
兵士は惨状に驚き、主の名を呼ぶ。
村の奥、闇の中から屍を乗り越えてきたイヴリンに、なにがあったのかと兵士が問いかける。
花束を手にしたイヴリンは、静かにしかし悲しみを抱いた声で、村の中で「皆がどう生き、どう戦い、どう死んだ」かを聴きたいかと問いかけ、語り始める。
一曲目の『愚かな悲劇』が始まり、ここまでが冒頭の一幕となる。
そして、開幕のこのシーンを劇中の現在と考えると、この物語は時系列的にはここが終着点となる。開幕早々だが、劇中の時間としてはこれ以上先に進まない。
驚きだった。
黒の王からはじまる王ステ劇中の時間は、観劇時間とともに(回想は含まれるものの)前へと進んでいく。
その中で人々が悩み苦しみ救われない様を見ていく、体験していくのが常だったが、今回は幕が開いた瞬間に全てが終わってしまっていた。
そこにただ一人歩いてきたイヴリン、彼だけが花束を抱えている。つまりイヴリンしか生きていないことがここだけで理解ができる。これから始まるのが悲劇であることが、そして、死した舞台上の人物の生き様が語られることが台詞と歌から伝えられた。
冒頭のイヴリン役の米原幸佑さんは、重苦しい悲しみを背負い語りはじめ、慟哭とも思えるような力強く伸びやかな歌声を披露してくれる。
美しい旋律を、美顔の米原さんが美しい花束を抱えて歌い出すという、美しいのてんこ盛りだ。
屍の王のラストのような圧倒的な魂の歌声を思わせるのに、響きがまた違って聞こえるところに米原さんという役者さんの凄みを感じる。

「幕が上がる」という歌詞と共に、誰も救われない物語が始まると身構えたが、始まったのは王ステでも1、2を争う穏やかで朗らかな場面。
馬車に乗り込んでいる英国王子オリヴァーと、従者であろうヴァージル、レオ、スペンサーの3人だ。
疾走する馬車が生み出す風に舞い上がったのだろうか、色とりどりの花びらが舞ってオリヴァー達に降り注ぐ。ふっと空を見上げたオリヴァーが立ち上がり赤い花弁を手にすると、馬車が大きく揺れ、ヴァージルが手を伸ばし、レオとスペンサーが視線でオリヴァーを支える。
矢部昌暉さん演じるオリヴァーは立ち姿から凛としていて、瑞々しくありつつ気品が漂っている。英国王子という役柄、王子らしい端正なお顔立ちと些細な身のこなしから伝わる品の良さは、眩いばかりだ。
風、花びら、穏やかな六月の日差し、四人の仲間という構図をこの場面で、冒頭シーンからの落差も含めて効果的に心に刻み込まれる。
花は嫌いだとたわいのないやり取りをする四人の会話は気心が知れた間柄であることがわかり、心安らぐが、客席はこのシーンが今ではない過去であることを既に知っているので、穏やかであればあるほど、「現在」はそうではないことが強調され胸が痛む。
山中のイーム村に向かう一行はイーム村について花が美しいと話をしており、やがてオリヴァー達は英国王の命を受けてイーム村を目指していることが語られる。
回想での英国王と王子オリヴァーとの会話の最中、英国王が死を近く感じており、オリヴァー王子のように子を沢山もうけたことがわかる。その会話シーンに、闇から這いだしてくる白い服の二人が加わる。双子のセオドア、シオドアはオリヴァーにもたれかかるが、オリヴァーは二人の存在に気がつかない。
オリヴァーがなぜイーム村を目指すかを回想で示すシーンだが、同時に妖しい魅力を放つ双子のセオドア、シオドアが登場する。
死について王が語るところから姿を表し、オリヴァーが王からの「一番大事なものがなにか考えろ」との言葉に半ば恍惚とした顔で同意する瞬間、オリヴァーの耳にだけセオドア、シオドアのカウント「3(スリー)」が聞こえる。
短い回想ではあるが、死というキーワードとセオドア、シオドアの双子が登場する。そして「国を守れ」という王の言葉が指し示している事柄への狂信的なオリヴァーの様子が引っかかるが、回想を終えて馬車の場面へと戻っていく。
舞台の一番奥、風車の羽が十字のように配され、いつの間にか回想から抜け出してきたかのようにセオドア、シオドアがその前に立っていた。
掲げた剣を「見られた、自然に隠せ」とヴァージルが指示をする。ここではただそれだけのシーンなのだが、オリヴァー王子一行は黒死病に侵されたイーム村の民を虐殺し、村そのものを葬ることで黒死病の英国への更なる蔓延を防ぐという任務を負っているため、初めから武器を見られては具合が悪い。そのために笑顔で手を振り、王子一行は友好的であるかのように振る舞う。
もともと虐殺するために村に入るオリヴァーが、にこやかに微笑み手を振る、その手のひらからこぼれた花びらが風に舞う。

オリヴァーの手からこぼれた花弁を受け取るように、王子一行から場面が変わり、舞台にイヴリンをはじめとしたデヴォンシャー公爵軍が現れる。
舞い散る花びらを一枚掴んだイヴリンは、静かに「薔薇の花弁」と呟くのだが、前作である『黎明の王』では人が死に際に散らす血を薔薇の花弁で表現していたことが思い出された。
オリヴァー、そしてイヴリンが掴んだ赤い薔薇の花弁は、彩のためだけの赤というだけではなく前作からの文脈を考えると血の暗喩と見ることもできそうだ。
同時に、薔薇の花弁を掴み、離すという同じ仕草によって、この二人の登場人物に何か繋がりがあることが示唆されている。
村を封鎖するために作業をしている兵士の中で、すらりとした高身長に黒のハットのデヴォンシャー公爵の存在が目を引く。デヴォンシャー公爵演じる橋本全一さんは、高身長に赤と金のロングジャケットがよく似合うスタイルの良さもあいまって、切れ長の瞳や聡明な面差しがよく研いだ刃物のように静かに美しい。紡がれる声は低く落ち着いており胸を張った姿勢や少しの視線の移動だけで、この場にいる全員がデヴォンシャー公爵を信じ、忠誠を誓っているのも頷ける貫禄があった。
デヴォンシャー公爵軍のうち、直接デヴォンシャー公爵と会話のできる四人が軍の主要メンバーなのだろう。デヴォンシャー公爵との短いやりとのなかで、ホッブズはユーモアのある人物、ハードウィックは敬虔なクリスチャン、イヴリンは実直だが豪胆な男であることが理解できる。この会話の時点では、デヴォンシャー公爵軍側はオリヴァー達に下った命令を正確には把握していないようだ。
劇中では英国の王位を狙っているとされるデヴォンシャー公爵は、黒死病を周囲に広げないために村の封鎖するが、同時に封鎖を利用してオリヴァーを檻の中へ閉じ込めることになる。ホッブズのセリフからオリヴァーがこの時期のイーム村に来ることは予測されていないので、オリヴァーの馬車を知っているイヴリンが村にいたことで予期せず王子の命を狙える機会になったということのようだ。
急遽その夜に村の封鎖をすることが決まり、イヴリンが手にしていた薔薇の花弁を離すところで場面が変わっていく。

花畑の見事さを語りながら客席からヴラドとヴィンツェルが現れる。
旅の途中で村に立ち寄ったということだが、二人がただの旅人ではないことは、シリーズを見ていれば理解ができる。
王ステシリーズ、二作目以降の楽しみの一つが、ヴラドとヴィンツェルの作中の立ち位置がどこになるのかという点だ。圧倒的な強さと、不死の肉体を持つ二人がどの勢力に加担するのかによって、物語は右へ左へと揺れ動く。
余談だが、前作の二人の登場シーンで城主をやっているヴラドには驚かされ、同時にヴィンツェル以外の従者を従えていることに対する違和感が大変面白かった。
シリーズ共通の登場人物である二人が出てくると、安心感がある。
花畑を楽しむ二人だが、長く旅をしており、空腹であるようだ。そして、長旅についてヴィンツェルが自分の責であると主であるヴラドへ謝罪をする。従者として快適な旅をアテンドできなかったことへの謝罪という一面はあるだろうが、作中が黒死病の流行が終わっていない欧州であり、自然と黎明の王から数年程度の近い時間軸であることがわかるため、ひょっとしたら前作でヴィンツェルが取り逃したジェリコを探していたのかもしれないと想像できる。推測にすぎないが、新たに不死者として登場した前作の主役ジェリコの思想はヴラドとヴィンツェルから見れば危険であり、野放しにできないと戦いを挑んでいるので、逃したジェリコの行方を追っていたため、どこかへ逗留することのない長い旅になってしまったのかもしれない。
また、二人の食料である人の血が「残り少なく」なってきた(台本では空となっている)というヴィンツェルの言葉から、むやみやたらと人を殺して血を奪うような生活をしていないのだろうと推し量れる。人と共存していきたいというヴラドの言葉を実践し、前作と同じく殺して血を奪うのではなく死した人間から血をもらっているのだろう。
イーム村に入ろうとする二人と時を同じくして、オリヴァー一行が村に到着する。

今作では村の人々が登場する。
前作にもソロトゥサの民は登場するが、皆がなんらかの使命を帯び、役割を持っている。今回のイーム村の人々は、自分の村で生活をしていただけだ。戦う術を持たずに、日常的に武器を手にしているわけでもない。ある日突然村が戦場になってしまった人々。いわば歴史に名前の残らない村の人々、一人一人が名前を持ち、生きている。この役柄が存在するところからも、冒頭のイヴリンの人々がどう生きたのかを語る物語であるのだと再認識した。

オリヴァー達とヴラド、ヴィンツェルが邂逅を果たした後、夜を迎える。
夜には歓迎の祭りがあると言っていた通り、花を手にした村人が踊りを披露し、国から派遣された王子が村の人々に語りかける。
黒死病患者を視察した際に村のカーペンターからデヴォンシャー公爵に対策を相談していると告げられた際にも、デヴォンシャー公爵のやり方は英国王の期待とは異なっているとオリヴァーは考える。その際にもセオドア、シオドアのカウント「2(ツー)」が入り、祭りの場での演説の最中にカウントが「1(ワン)」へと進む。いずれもオリヴァーが虐殺を命じた王を肯定し、犠牲が必要であることを判断する場面だと考えられる。犠牲をできるだけ減らして周囲への感染を防ぐというデヴォンシャー公爵・イーム村の人々の考えとは異なる判断であり、同時に現実のイーム村は黒死病の犠牲は多大であったが、村人掃討という手段をとることなく周囲への感染を減らしているので現実の歴史から見ても誤った判断をオリヴァーがしている部分に重ねてカウントが入っている。
「イーム村の民を罰する」というオリヴァーのセリフの後、セオドア・シオドアの二人の美しい歌声で「お前は選択を間違えた」と紡がれている。
村人を虐殺していくオリヴァー達に対して、ヴラドは「やり方が気にくわない」と言うが、過去作を見ていると誇張でなく一騎当千といった戦いをしてきた本人の言葉としては趣があると思わざるを得ない。そのあたりのヴラドの心境の変化については、オラニエ公の三人の影響が極めて強く残っているように感じる。神と呼ばれ続けていたが、人間だと言われたヴラドは拒絶してはいたが、喜色がなかったとは思えない。
圧倒的な力で隊長であるヴァージルを制し、再度剣を構えようとする二人の耳に雷鳴が轟く。雷鳴は王ステシリーズでは悪魔がやってくるシーン、人とは思えないような行動をとるシーンなど、印象的に使用されている効果音だ。頭を押さえ膝を付くヴィンツェルが、胸騒ぎを感じると口にした後、黒い表紙の本を手にセオドアとシオドアが悪魔召喚の呪文を歌い上げる。
時系列的にはおそらく呪文とほぼ同時に、デヴォンシャー公爵軍が物理的に村を封鎖する。村の封鎖は物理的なものと、呪術・悪魔的なもの二つ存在しているようだ。
デヴォンシャー公爵軍は村の封鎖と同時にオリヴァーを村の中にとどめゆくゆくは英国王座を手にしようという正義を掲げ、オリヴァー達は虐殺という形ではあるが自分たちの信じている正義を掲げている。正義と正義のぶつかり合いで争いが起きている。
村人が出られぬよう封鎖された物理的なものはデヴォンシャー公爵軍が設置したものだろう。だが、人間が作ったモノでヴラドとヴィンツェルが出れないとは考えにくい。ヴィンツェルが封鎖された場所に手を触れ、驚愕の表情を浮かべていることからもなんらかの封印がされていたのだろう。
村を封鎖したデヴォンシャー公爵軍は、村の中に閉じ込めたオリヴァー達を一網打尽にしようと行動を開始する。風車に火が放たれ、セオドア・シオドアに崩れた木材や火の粉が降りかかる様子が描かれる。シオドアの背に火が付き、デヴォンシャー公爵軍の矢から逃げてきたであろうオリヴァーが双子に遭遇する。必死で弟を助けてほしいと懇願するセオドア。二人の声に聞き覚えがあるオリヴァーは驚き、ことあるごとに奇妙なカウントをしてきた双子の声が目の前の二人であると気がつく。
弟の死を前にして助けてほしいと懇願するセオドアに刃を向けることで、直接的にセオドアを殺害、シオドアを見殺しにしてしまう。この時点でオリヴァーとしては自分が正しいと判断した瞬間に頭に響く奇妙な声の主を殺したというだけの認識であろう。声が同じだったから助けずに殺すというのは、正義であるかと問われると難しい部分があるが、王座に座るということは邪魔な因子を排除するという教育方針であったのであれば納得ができる。
王国を揺るがす黒死病という因子を、虐殺することで排除しようという王の教育を素直に信じているのだろう。素直すぎるが故に、父王の期待に応えて王座に就くという一心で動いてしまっているからこその妄信だとも思えた。
殺したはずの双子は蘇り、あまつさえ「お前の命は残りわずかだ」と宣言されてしまうオリヴァー。
テーマ曲でもある『花は枯れない』が始まる。

曲が終わると、オリヴァー軍がそれぞれ剣を手に粛清を始める。
今作の見所の一つに多彩なアクションがあると思う。殺陣振付はヴィンツェル役の鵜飼主水さんだ。王ステの殺陣は、なんといっても物語としての殺陣になっているところがとても良いと思っている。剣を手にするキャラクターの動き、これまでの鍛錬、生き方が、動きや殺し方に出ている殺陣になっている。殺陣は殺陣として、カッコイイがただの殺陣であるという場合も多いが、殺陣がそのまま演出になっているのはなかなかない気がしている。脚本・演出の吉田武寛さんと鵜飼さんの距離感が近く、互いに信頼しているからこそできるのだろうなと考えている。虐殺部隊と作中で呼ばれるオリヴァー軍の殺陣は容赦も妥協もない鋭さがあり、オリヴァー公爵軍はサーヴァントを従えての華やかな陣形を持ちつつ正統派に剣を構える堂々たる殺陣、村人の腰が引けているものの必死な様子が見れる殺陣、圧倒的無慈悲な強さを持つヴラド・ヴィンツェルの殺陣。それぞれ相手を打ち滅ぼすという目的は同じだが、人物が持っている性格が哲学が違えば同じ得物でも動きが異なる。当たり前のようでそれがはっきりと違いとして判るのはなかなか見れないのではないだろうか。
オリヴァーが下手から登場し、村人を切り捨てるシーン。
村人の背から切りかかり、倒れた村人の後ろから腰を落とした見目麗しい王子が背筋を伸ばして立ち上がる姿の残忍さと美しさを同時に表現している。殺陣として客席から見たときの様子を計算している緻密な美しさと、オリヴァーの残忍ながら清廉とした立ち居振る舞いの美しさが同居しておりはっとさせられた。
目についた村人を殺し、四人が落ち合い会話をする場面で、互いの関係性が微かに語られる。意気揚々としたスペンサーとそれを無言で制するレオ。
レオ役の足立英昭さんは、台詞がすごく少ないが微動だにせずに立っているだけで存在感とレオという人物を表現できている。国柄、時代柄、騎士というべきかもしれないが、武士だと思うような忠誠心と静けさだ。殺陣の際の気迫が素晴らしいが、そちらは後述する。
トリッキーな動きで見ているだけでも翻弄されるスペンサー。
重厚な動きと、切れ、そして振り切った先の切っ先がぴたりと止まるヴァージル。短い殺陣が連続するがどれもこれも本気の殺陣になっているのが恐ろしい。
レオとスペンサー、オリヴァーとヴァージルに分かれて封鎖された理由と村人の殺害を同時進行する場面。舞台装置の階段が村人役のサーヴァントによってぐるぐる動いていくのだが周りを見渡しながら移動するオリヴァーとヴァージルの動きも相まって、物陰に隠れている村人のようにも見える。ぐるっと広い舞台上を歩くことで、かなりの距離を移動したことが視覚的にも理解できるのが面白い。
双子を知らないかと村人をオリヴァーが無慈悲に切り捨てた後、ヴラドとヴィンツェルが登場する。
状況の整理を提案するヴラドを怪しみ、知っていることを話せとヴァージルに迫られるがヴラドは「話すことはなにもない」と言い放つ。挑発のようにも聞こえるセリフだが、ここまでの物語を追っていると、ヴラドとヴィンツェルには何が起こっているのか何の情報も持っていないだろう。とすると、ただ「知らない」と言えばいいところを、わざわざもったいぶった言い回しをしたことになる。ヴラドなりのオリヴァーに対する嫌悪感がそうさせているのだろうか。

ヴラドとヴィンツェルに圧倒されるオリヴァーとヴァージル。オリヴァーが窮地に陥ったところで、スペンサーとレオが駆けつける。四人がかりでなんとかヴラドとヴィンツェルを沈黙させることに成功した。去り際、殿で警戒を怠らないレオの眼光が鋭いのがこちらも主オリヴァーへの忠誠のようでとても良い。
死から甦るヴラドとヴィンツェル。ヴィンツェルの体は起き上がっているのに何も見てない、という瞬間の気味の悪さは人外であることを数秒で表現しきっていて素晴らしい。零れた血を軽く拭いながら穏やかな笑みに戻っていく様に、ぞくっとしてしまう。
死に怯えるオリヴァーをヴラドが少し羨ましいと思うと呟き、ヴィンツェルがお茶の用意を始めるシーン。黒の王の酒場のシーンのような、軽妙な二人のやり取りが懐かしくも楽しい。人は花にたとえられ、花は散るから美しい。ならば死なない自分たちは美しくないのだろうかというヴラドの疑問に、ヴィンツェルが回答する。ヴィンツェルが妙に明るくヴラドを誉めそやすのだが、それに主は疑問を呈する。ヴィンツェルが悪魔の気配を感じていることを隠そうとしている場面だが、ヴラドは「美しい」「イケメン」というヴィンツェルの言葉を答えなくていいというように遮るが、自身が美しくないという形で否定はしない。幼少期からのヴィンツェルの褒める教育の賜物か、王族らしい自意識なのか、いずれにしてもヴラドにはなかなか可愛いところがあるなとくすっとしてしまう。
事実、ヴラド役佐藤弘樹さんは魅力的な役者であり、振る舞い一つもマントの先まで神経が通っているような美しさがある。黒目がちな瞳の愛らしさと澄ました表情の大人っぽさのバランスに危うい色気がある。濡れたような黒髪と、今回の襟の高いジャケットの色味が妖しい魅力を放っている。
ヴィンツェルが主と付き従いたくなるのも納得してしまう。
ひとまずは悪魔を探すことになり、ヴィンツェルが用意した紅茶のカップを手に取るが、ヴラドは口をつけない。普通の人間の食事や、飲み物が飲めないので口をつけないのだが紅茶に視線を落とすこともなく、ヴィンツェルが血を一滴落とし込んでからようやく口にしていた。
食事をとる、なにかを飲むシーンを見ることで、なんとなく劇中の人物に親しみがわくことがあるが、ヴラドとヴィンツェルはあえて人間の飲食とは異なる部分を表現していると思っており、そのことがとても効果的に人外であることを印象付けている。

予想外の村の封鎖と予期しない圧倒的な強さを持ったヴラドとヴィンツェルに出会ったことで、予定通りにできないことに対してオリヴァーが焦りを見せる。自信に満ちた王子然とした姿から一転、焦りを感じるただの青年の顔になる。王にイーム村へ向かえと言われた時にオリヴァーは不安そうな顔をするが、その不安を払拭し奮い立たせたのが王となる自分、為政者としての自分の未来を思い描いたことだったのだろう。おそらくは「多くの蕾を残された」とオリヴァーが言っている通り、王には多くの子供がいる=王位継承権を持つものが多いという状態であり、その中でオリヴァーだけが愛されていたとも考えにくい。愛している息子を虐殺に向かわせるのかという思いもあり、王の言葉ほど愛されていなかったのではないだろうか。そして愛されていないことは、薄々オリヴァー自身も気づいていた。だからこそ真っ直ぐな王子は、王になるために、父に愛されるために、王の言葉を信じたのだろう。そして、武器も持たない村の人間を、訓練を積んだ自分たちが虐殺する任務であったことが暗に語られている。
取り乱したオリヴァーをレオが言葉少なに宥め、スペンサーとヴァージルが安心させるように見守る。忠誠心を持ちつつ、年若い王子の道を示す役割を三人が負っているのであろう。
気持ちを切り替えるように川で顔を洗おうとするオリヴァーの前に、風車小屋の前で殺したはずのセオドアとシオドアが川の中から現れ、引きずり込まれる。死んだのではなくオリヴァーに殺されたのだという二人が何者かと問うと、双子は同時に「死」であると答える。
死神ではなく自分たちの存在が死そのものであるという伝え方は、強い心理的負担をかけることができるだろう。その白い衣服の天使のような二人を見ることで死を想起させるのだから。
オリヴァーが自分の命を狙う者をすべて殺すと宣言すると、それは従者である三人にはデヴォンシャー公爵軍の排除としてとらえられているのも面白い。セオドア・シオドアの二人はオリヴァーにしか接触していないからそういった取り違えが起こっているのだが、問題なく話題が進むというおかしさがある。いずれにせよその宣言によって、オリヴァー軍はイーム村の民を傀儡として戦わせることになる。

村の住人であるポーター、カーペンター、ストーンの三人ともう一人の村人四人が出口を探している。木製の十字を下げるポーター、艶のあるシャツを着ているカーペンター、帽子に丸メガネのストーン。村人を探すデヴォンシャー公爵軍から隠れる姿は戦う力がないことを示しているが、村人の一人を犠牲にすることでストーンが兵士を殺す。物陰から村人を押し出すシーン、公演後半ではセリフが「悪いな」に変わっており、苦悩と自身の身の安全を瞬時に計算して取った行動ではあるが罪悪感があることを伝えてくれている。今回かっこいい殺陣はあまりない村の三人だが、ともすれば役名がなくても物語が進行してしまうところに実力のある三人の俳優をキャスティングしている豪華さがある。
ポーター役馬越琢己さんは屍の王から三作連続出演、ハリのある低音ボイスも美しい歌唱力が魅力の一つだ。今回は信仰厚い役どころだが、信心深いながらもコミカルな部分では十字を無茶苦茶に切っていたりとユーモラスな演技が光る。登場シーンから穏やかで笑いを誘う性格に仕上がったポーターが、必死で生き抜こうとする姿が悲しくもたくましく映る。素朴な綿の白シャツが、可愛らしい顔立ちや仕草も相まって愛くるしい演技になっている。
王ステ皆勤賞のストーン役高岡裕貴さんは打算的だが人間的魅力のある演技で引き付けられる。この後、デヴォンシャー公爵軍かオリヴァー軍か選べないというストーンのセリフ切欠で、妄想?のような歌とダンスが始まるのだが「迷っちゃうな~」とハンマーを頭に乗せながら話す部分のセリフ回しが、少年のように可愛い。今作は明るい金の髪、重ための前髪なのだが、衣装も含めてとにかく可愛い。この後の展開を含めて、常に自分が生き残ることを考えている部分があり、少し見方を変えると卑劣な役どころになりそうなのだが、口調の明るさや可愛らしさで憎めないストーンになっている。だからこそ、最後のシーンが物悲しいのだが。

前述のストーンが追い詰められたことにより、オリヴァー軍対デヴォンシャー公爵軍のイケメン合戦が始まる。イケメンソングは黒の王で、ヴラドの弟、イケメン公ラドゥが突然歌い踊った懐かしい歌だ。黒の王ではヴラドとヴィンツェルがぽかんとしてみていたが、徐々にふりをまねだして、といったシーンも懐かしい。
今回はオリヴァーとデヴォンシャー公爵のイケメンの部分をそれぞれの陣営が歌う仕立てになっている。公演途中で客席こと花畑からのマスク越しの「イケメンコール」許可が下りたので、楽しく熱くイケメンコールをさせていただいた。
二つの陣営が競って終わるかと思いきや、天を突くような勢いでヴィンツェルが「聞き捨てならない」とヴラドこそがイケメン、ヴラドこそが真の王であると突然割って入る。イケメンだと言われたヴラド自身は「目立ちたくない」と消極的なのだが、イケメンであること自体はやはり否定は別にしない。事実美しい主なので花畑の花はなんの文句もないのだが、それにしてもヴィンツェルの熱量が凄まじかった。舞台中央のお立ち台から、毎回信じられない飛翔を見せたうえで、軍勢がない状態なのでデヴォンシャー公爵軍の兵士を魅了でもしたのか従え、ヴラドがイケメンであることを歌い上げる。
目立ちたくないと言いつつ、マントを靡かせ、切れのるダンスを披露するヴラドもなんだかんだとヴィンツェルに甘いのか乗せられやすいのか。
いずれにせよ非常に楽しい楽曲となっている。
黒死病の恐怖、オリヴァー軍の虐殺とデヴォンシャー公爵軍からの兵士の剣でぎりぎりの精神状態が見せた悪夢、と言えないこともないのだろう。
夢か幻想かが醒めた後、オリヴァー達はストーンとポーターに村を救うと持ちかけ協力を依頼する。救われるという言葉にポーターは喜ぶが、ストーンは懐疑的な目を向けたままだった。

ストーンによって村の倉庫に案内されたオリヴァー達は、デヴォンシャー侯爵軍の待ち伏せを受ける。ストーンが案内する際に急に協力的になったことに疑問を呈するオリヴァーが、必死の言葉に信用すると笑うのだが無意識のうちに他人を判断し、評価を下すという傲慢な王族らしさが覗くが嫌味になりきらないまたは完全に傲慢さを隠せないところに青さが滲む。
オリヴァー軍の中心は間違いなくオリヴァーであるが、戦闘となると自然とヴァージルが指揮を執る。オリヴァーを守ると同時に、自然に隊長としての役目を背負っているのだろう。咄嗟の判断で場の兵を動かす号令を響かせる姿は、判断力に長けた騎士のそれだ。
オリヴァー目掛けて飛んできた矢を、当然のごとく自らの体で庇うレオ。この後ホッブズとの闘いで、かなりの数の矢に当たっていたにもかかわらず立って戦っていることを称賛される。真っ先に体が動いたのだろうとわかる素早さでオリヴァーを庇っていた。
オリヴァーを庇ったレオに矢が集中していたということは、デヴォンシャー公爵軍がかなりの精度を持った兵であることがわかる。気づかれることなく狙いを定め命令によって一斉に矢を放った結果だからだ。
その軍と対等とはいえないまでも、村人と一緒にある程度渡り合うオリヴァー軍はかなり優秀な兵でもあるのだろう。
ヴァージルの指示で別れ、それぞれがデヴォンシャー公爵軍との戦いを繰り広げる。
オリヴァーとイヴリンが短く会話をしつつ回想に入るのだが、ここの会話でオリヴァーはイヴリンが王座転覆を狙うデヴォンシャー公爵のもとにいったことで裏切り者だと判断しており、イヴリンはオリヴァーの人を人とも思わないところに耐えきれなかったのだと心情を吐露する。
回想のまるでで兄弟のように親密で剣を磨いていた二人と、本気で剣を交える二人の空気感が全く異なっていて息が苦しくなるような思いがした。必要なのは手向けの花であるというオリヴァーに、戦う必要がなくなったら花束をくれとイヴリンが戯れを言う。ささやかな一幕だ。
そしてオリヴァーとイヴリンの関係性はこの短い回想のみとなっている。
数分という短さの中で、お互いの遠慮のない甘えたような会話が親密さを表し、花を切り捨てるオリヴァーの純粋ながらも残酷な部分や、剣よりも花が良いと笑うイヴリンが剣をもってオリヴァーに立ち向かっている現状等が読み取れる。
オリヴァー軍側の不利が見て取れる場面が続く中で、窮地を救ったのは祭りの花火だ。
驚いて空を仰ぐデヴォンシャー公爵軍の前から、オリヴァー軍の面々は退却していく。花火に火をつけるのはイーム村のポーターだ。どこかぼんやりしているというか、素朴でおかしさのある性格なのだろう、くすっと笑わされる言動や行動が多く可愛らしい。オリヴァー軍の拠点に戻ってきたときのとぼけた感じがまた面白い。

拠点を追われたオリヴァー達が逃げ出すのと時を同じくして、セオドアとシオドアがチェスの盤面を眺めながら人間の駒でチェスをしなければつまならいと笑う。笑い声と合わせて赤と青のフラッグが振られ、本格的な戦闘に入っていく。

ここでも一つ一つの殺陣は短かく切れがあるが、動いている人間の思考が読み取れる動きになっている。ヴァージル役の中村龍介さんは、2月に入ってから渡辺和貴さんの降板と同時に代役としてキャスト発表がされた。
稽古期間もかなりタイトであったことが想像できるがそれを微塵も感じさせない。燃えるような意志の瞳と精悍な顔立ち、作中ではツーブロックに長い髪を括るという厳めしい髪型。落ち着いた風格に見合った、重い剣を振るうのだと思っていたが、軽やかな弓のアクションがとても格好良かった。背負った矢立から矢を引き抜き、高速で打ち抜くという仕草。舞台上で矢はないので、弦をぐっと引っ張ることで矢を打ち出す動きを作っている。打ち出した矢の軌跡まで見えるのではないかと思うような、視線や動き、そして矢を受けるサーヴァントの動きも相まってスピードと爽快感のある殺陣だ。
モンスターをハントするのかはたまたハイラルの騎士を思わせるような、勇壮な動きだ。

混戦の中で、ハードウィックに剣が振り下ろされる瞬間、ホッブズが立ちはだかる。刃を背で受け止めたホッブズの名前を絶叫するハードウィック。ハードウィックの回想そして、ホッブズの走馬灯なのだろう。泣いているハードウィックをホッブズなりに慰め、次の時代への予兆を語る。ホッブズに口も上手くなろうというセリフが、ここまでのホッブズの言葉の数々を思い出させる。英国らしいシニカルな言葉選びは、ホッブズなりの処世術なのだろう。演じる大谷誠さんの軽やかで花やかな笑顔が、ハードウィックを大切に思っているだろうことを伝えてくれる。長めの髪を一つでまとめ、おくれ毛を遊ばせるという良い男のスタイル。きっちりとしたジャケットで、軽々と槍を振り回す姿は流麗だ。緩急ついた殺陣でも剣と、長さのある槍は見え方が違う。手の先から伸びるように悠々と長い槍を扱い、余裕すら見える動き。ラフな口調や動き、無駄な力の抜けている自然な雰囲気がホッブズという役に艶を与えている。
軽やかで華のあるホッブズが倒れるシーンで、花が舞い散る。真正面からホッブズを受け止めるハードウィック、酷く悲しいシーンであるのにお二人の姿を含めて散る花弁までがどうしようもなく美しい。
ホッブズの名を呼んだ直後、ハードウィックが矢を放てと命ずるシーンは、泣いている回想の幼いハードウィックではなくなっていることも表している気がしている。力強く、明確な殺意と敵意に満ちている。戦いたくはないとスペンサーにぼやいていたハードウィックが、明確な殺意を持って叫ぶ悲痛さと司令塔としての厳格さがかっこいい。

ハードウィックの合図で弓の雨に見まわれたオリヴァー達は散り散りになりながデヴォンシャー公爵軍と戦闘を繰り広げる。
見栄えのする戦闘というだけではなく、各々が意味と目的を持って剣を振るう。誰が誰を助ける、誰が誰を逃がすなど台詞はないが関係性が伺えた。
戦闘中にオリヴァーの剣を、イヴリンが走り込んできて弾き、剣と合わせるようにお互いの思いが吐き出される。オリヴァーの意識がイヴリンだけに向いた瞬間、剣を手にしたストーンがオリヴァーを刺した。痛みに驚いて動きを止め、一瞬だけオリヴァーとイヴリンが無言で見つめ合う。その瞬間に何を思ったのか、イヴリンは茫然自失といった力の抜けた表情だった。オリヴァーに斬られそうになったところを助けられた、己の命が助かったにもかかわらず、喜びはない。どこか悲しそうな驚きだ。
斬りかかった後に「殺さなければならない」とわざわざ会話をする二人は、五年前の別れまでに築いていた信頼があったのだろう。剣を交えて尚、どこかで信じていたのかもしれない。

突然裏切ったようにオリヴァーは叫ぶがもともと虐殺されていた側の村人であり、無理やり協力をさせられていた立場だ。裏切りというよりもむしろ、抑圧と恐怖という支配からの脱出のための手段と考えられる。
この、王たる人物が意外な者に刺されるという構図は、黒の王のヴラドを思い起こさせる。
実弟のラドゥにそして貴族ディミトリエに重要な場面で剣を突き立てられ、それが歴史の転換点になっている。蒼穹の王は箱庭のような村の中で駒を動かしているが、ごくミニマムな戦争であり対比がなされていると見ることもできる。
今回は楽曲も黒の王と同じものを使用している、黒の王の頃のエピソードが披露されるなどなんらか転換点となる一作なのかもしれない。

オリヴァーが刺されたことで再び窮地に陥ったオリヴァー軍は、深手を負っているはずのレオが道を切り開くこととなる。死地であるとレオ自身理解しているがそれでも、主であるオリヴァーを生かそうと懸命になって戦う。オリヴァーに止められても、レオは止まらない。ヴィンツェルではないが、レオにとっても一度主から下った命は絶対なのだ。
レオ役の足立英昭さんは、今回黒の上下に細かなプリーツスカートという姿で、実直な剣士レオを演じている。長身の体躯を屈めて斬り捨てるといった沈み込むアクションから素早く立ち上がる時など、スカートが衣擦れの音まで聞こえるほど激しく動き殺陣に花を添えていた。
回想がまた素晴らしく良い。
野の花を積みそっと手に取り、目を細める。僅かな仕草だが、花を愛でる、美しいと感じていることが目一杯伝わる。いい男に花を持たせたら無敵なのではないかと思わされる。残念ながら主オリヴァーは花が好きではないとのことで、花は落とされてしまう。ここでのオリヴァーへの「まもりたくなります」「ただそれだけです」の芯のあるけれどどこまでも優しい声音、そこからの弾けるような笑顔。人が人に忠誠を誓う、信じて付き従うたというのは仰々しいものでなくても信頼できること、守りたくなることだけなのかもしれない。
レオの方が年齢的には上だろうと想像すると、あるいは弟のような可愛らしさがオリヴァーにあったのだろうか。オリヴァー自身は真っ直ぐすぎるが故に、綺麗なだけでは生きていけない王位争いに染まってしまったとも思える。オリヴァーの真っ直ぐさを知っているが故に、守りたいと思ったのだろうか。
オリヴァーを逃がしたレオは、一人デヴォンシャー公爵軍と死闘を繰り広げる。ソロ曲が入るのだが、それがまた蒼穹の王の中でどうしようもなく美しく強い思いがこもっていると思う一曲だ。
レオを奮い立たせたのはオリヴァーとの、何気ない記憶。それを守りたいと、主亡き世に意味などないと歌い上げる。地面にしっかりと打ちつけられたら一本の剣のような、芯を貫く忠誠と痛いほどの優しさが感じられた。
レオにとどめを刺すのが、ホッブズの槍を持ったハードウィックというのが、胸をかきむしられるような辛さがある。ハードウィックもレオも誰かを守りたいという気持ちは同じなのに、殺し合わなければならない。この場面でもレオのソロ中に花びらがひらひらと舞い散る。花は黒い衣装のレオをぐっと引き立てていた。

何とかデヴォンシャー公爵軍の包囲網を抜けたオリヴァー達のいく手は、追手であるハードウィックに阻まれる。下手で剣を構えるハードウィックだが、オリヴァーにだけはセオドアがゆったりと腰かけている様が見えてしまう。セオドアは「死」なので、そちらへ向かっていくスペンサーは死んでしまうとオリヴァーは思っている。死に怯え取り乱すオリヴァーを、叱責するヴァージルの語気は強いが、それは傷つけるためでなく立ち上がらせるためだ。ヴァージルの言葉を理解しいてる、レオとスペンサーの思いを受け取っているにも関わらずオリヴァーは目の前に迫った死に怯える。
逃げ出せたとはいえオリヴァー自身傷を負っており、さらに「必ず守る」と言ってくれた仲間の二人がいなくなっている。身体のダメージと心のダメージが蓄積し、それがヴァージルに向けて一種の甘えとして発露しているようだ。
狼狽するオリヴァーの肩を強く掴んでヴァージルが死を恐れていないと語り、剣を胸に掲げる。年長でありオリヴァーの護衛でもあるが隊長としての役目を持っているヴァージルはここまでオリヴァーに敬語を使うシーンが少ない。語り掛けるシーンも兄のように、親友のように語り掛けている。オリヴァーが生きていてこそ自分達の命が意味を成すと、王族に仕える人間の気品を滲ませ、デヴォンシャー公爵と対峙し道を切り開く。
余裕を持って戦い、命令を下していたヴァージルが、背筋を伸ばしてオリヴァーに微笑む姿は、一層大きく頼もしく見えた。
スペンサーとヴァージルがそれぞれセオドア、シオドアの闇にのまれるように見えるシーンが連続するが、ここで花弁は舞い散らない。蒼穹の王では死は花の匂いであり、また逆もしかり花が散るとき死が近くにある。スペンサーとヴァージルは一旦退場するが、死の帳が彼らに降りたわけではなさそうだとわかる演出だ。

仲間を失い、深手を負ったオリヴァーは死が怖いと崩れ落ちる。セオドアとシオドアがそのオリヴァーに迫り、懐かしい楽曲を歌い始める。王ステ一作目の黒の王から、作中で印象的に繰り返されクライマックスでヴラドが歌い上げた『黒の王』だ。セオドアとシオドアがオリヴァーを死へ誘う曲へ歌詞が変わってはいるが、歌の中でオリヴァーは自身が愛を求め認められたかっただけであると気づく。ヴラドも同じく愛を求めて闇に飲まれそうになった時に同じ歌を歌っている。オリヴァーの場合はヴラドとヴィンツェルが現れ、セオドアとシオドアを追い払った。
そして、本家ともいえるヴラドの「黒の王」が聴けるという嬉しい驚きがあった。同じ文脈の歌詞で星屑、屍、黎明とヴラドとヴィンツェルに何があったかを伝える歌はあったが、歌詞は近くともメロディーが異なっていた。今回は黒の王で歌ったままのメロディーである。ヴラドにとっては約200年ぶりの歌唱だが、以前とは少しずつ内容が歌詞が異なっているのも年月を感じさせて大変良い。中央でヴラドが一人歌い上げるシーン、高身長のヴラドが大きく両手を広げて歌うのは圧巻だ。個人的には今回の衣装、黒地に金模様のゴブラン織りジャケットが非常に似合っていると思う。手に手を添えて歌うヴラドとヴィンツェル、素直に見ればともに歩んできた絆を感じるシーンだが、手元の振付の綺麗さも合間ってアイドルのようだと思ってしまった。

ヴィンツェルがヴラドと再会する前のエピソードを披露したのも驚いた。やけに悪魔召喚に詳しいと思ったが、悪魔召喚の黒い本に色々書いてったのだろうと、そう思いたい。
傷つき眠っているオリヴァーに自分の上着をかけてからヴィンツェルが語り始めるのだが、ジャケットを脱いだことにより薄いシアーシャツのみになり腰の剣が目立つようになる。服装としては軽快な印象を受けるようになり、若いころという言い方もおかしいのだが洋服の様式として過去の場面に違和感がでなくなるは場面としても理解がしやすい。
ヴィンツェルが追い払ったことにより、セオドアとシオドアが隠れ家を訪れる。チェスを前に一局誘うヴラドに、セオドアとシオドアはシンクロするように話出す。二人で一つのような、まるで次にお互いが口にすることが理解できているような違和感のあるセリフ回しだ。
セオドアとシオドアと悪魔の契約については後述したくここでは省略する。
セオドアとシオドアによって、ヴラドのみ不死でなくなる呪いをかけられる。不死という「永遠の牢獄」からヴラドが解放されたことで、ヴィンツェルが幼子に言い含めるように死について考えていたのだろうと告げる。地獄まで道連れだと口癖のように言い続けているヴラドが、酷く動揺していたのが印象深い。不死でなくなる呪いということは人間は皆呪いの中で生きているとも捉えられる。不死でない呪い、不死の呪い、いずれも呪いなのが「呪われし王」と歌われたヴラドを象徴するようだ。
セオドアとシオドアにヴィンツェルが激昂するのも、恐らく初めて見る姿だ。常に余裕を持ち、黒の王の物語開始時点では不死であり、誰よりも強かった。屍の王では一度敗れてはいるものの、約八十年の重みに負けることを決断しただけで、彼ら自身が負けたとも言い切れない。そのヴィンツェルが手も足も出ない、当然ヴラドも歯が立たない。悪魔と直接対決をする描写がないため、シオドアとセオドアの力がどれほどのものだったかを他の悪魔存在と対比することはできないがそれでも力の差が歴然であった。
シリーズが続いていく間に物語中の人物のパワーバランスがインフレしてしまい、これまでの人物が陳腐化するといった現象はなかなか避けがたく難しいと考えるが、前作黎明の王で同格の不死者との対決を描き、その上で蒼穹の王でのシオドア・セオドアとの対決を描くことで自然とパワーバランスを見せつつ他の登場人物とのバランスが崩れていないのは素晴らしい。
「傷の回復と動き出すタイミング」を見定めようとヴィンツェルが心配そうにヴラドの傷を見るシーンで場面が変わる。死により近いであろうオリヴァーではなく、ヴラドをじっと見つめるあたりぶれがない。

6月の花の季節から、隠れ家に逃げ込んだオリヴァーとヴラド、ヴィンツェルの生活は約一年程度続いたのだろう。
オリヴァーが語る様に何も考えずにただ生活をするという生き方に、口にした本人だけでなくヴラドとヴィンツェルも悪魔の気配を感じながらといえ満足を感じていたのだろうと思う。花を手にするオリヴァーが、自分が人々をどう扱っていたのか気づき始め、ヴィンツェルが手渡したスープにほっと息を付く。室内で静かにスープを口にするヴラドが、そろそろと一口飲み、次いで飲み干す。人の食事がとれなかったヴラドにとって、簡素なスープでも味がわかるとうことが驚きだったのだろう。基本的に無表情な分、微かな動きで心の動きが見て取れる。
時間の経過は風の冷たい音と、ヴラドの手の傷が治り動くようになっていく様で表されている。合わせて差し込む光から温かさが減り、どこかほの暗い日差しに変わっている。
オリヴァーが手にした枯れた花を火にくべようというヴラドは、恐らく寒さを感じているので暖をとるという考えに至るのだろう。人間であれば自然な動きだが、前作では分厚い外套もなく、マント一枚で深い雪山を彷徨っていたとは思えない変化だ。痛みの感じ方を含めて、不死でいると感覚が鈍っていくのかもしれない。死なず、痛みが鈍いとなると、怯むことなく敵対相手に突っ込むことができるので強い。それも十年や二十年程度ではなく百年を超えた経験と知識がありさらに強くなる。寒さや空腹、痛みといった感情がないということは、その逆の喜びや幸福についても感じにくくなっているのかもしれない。
ヴィンツェルに揶揄され、少し不服そうに「経験がなかった」という顔は産まれながらに王族でありこれまでも野の花や畑仕事に従事したことがないということだけだ。それを短くもわざわざ口にしてしまうのは、先のスープの場面と合わせて星屑の王以降のヴラドではあまり見なくなっている子供っぽい部分に思える。王族が故の純粋さというべきか、どこか可愛らしく見えた。

チェス盤を前に駒を弄ぶセオドアとシオドアが、オリヴァーに同じ苦しみを味合わせたと言う。それも飽きてたと言い、パーティーを繰り広げるデヴォンシャー公爵軍の間に自然と入り込む。パーティーの華やかでけれど何度繰り返したために退屈しているような単調さを感じる踊りに交じり、セオドアとシオドアはその場に黒死病患者がいることを示す。彼ら自身が言う通り、死そのものであり彼らが出てくる場面では多くの人が死ぬ。疫病を運ぶように現れ人々の心をかき乱して死を生み出す。動きがとても悪魔らしい。
黒死病患者を殺せと命じられ、ハードウィックが驚いた顔をする。
殺したはずの黒死病患者をセオドアとシオドアが生き返られせ、場の混乱を防ぐためにデヴォンシャー公爵は全員を殺せと命じる。動けずに名前を繰り返すだけのイヴリンを怒鳴りつけ、デヴォンシャー公爵は自らその手で兵士を切り捨てていく。剣だけでなく銃でのアクションがあるのだが、デヴォンシャー公爵の長身と長い足で足蹴にされて打ち抜くのは残酷だが素直に格好がいい。唖然とするイヴリンとハードウィックに対していくぞと一瞥するが、ハードウィックはデヴォンシャー公爵とは別の道を走り出す。セオドアとセオドアがそれをいかにも面白そうに見ていた。

このあたりから徐々にそれぞれの登場人物が隠していた秘密が、語られていく。一つ目が前のパーティー会場でカーペンターが吐き出した、風車小屋の双子だ。そして、彼を刺し殺してその場から逃げ出してしまったポーターを追いかけてきたストーンが、イーム村に黒死病を流行らせてしまったと語られる。二人の回想で初めて、どうやらカーペンターが村の外からやってきた人物であることが判明する。
文献としてイギリスのエセリントンと呼ばれた村の荘園についての文章が残されている(講談社学術文庫『中世ヨーロッパの農村の生活』参照)。十三世紀ごろの文章となるが、荘園の領主は主に「伯、大修道院長、司教など」で、持っていた領土はイングランドの四分の一を超えたという。ポーターは木製の十字を首から下げたびたび神への許しを請うことからも、前述の村は直接的にイーム村との関係はないものの近しい地域にあったことから宗教的な考え方は近かったのだろうと推測ができる。神に許しを請うという現代の日本ではあまり日常的にみられない光景だが、時代背景と黒死病という状況を考えるとそう異常な行動ではなかったのだろう。ポーターがカーペンターを刺したのは、黒死病に罹っていたからかと思ったが、後の場面でポーターが双子は殺されるべきと考えていた回想があるため、呪われる双子、殺されるべき双子を村に匿っていたことで村には黒死病が蔓延した。そのため呪われた双子を匿っていたカーペンターについて許せず、刺し殺したのだろう。現代から見ればおかしな話だが、ある地域ある村の信仰を村人全員信じている場合などに呪いは有効に発露するためポーターもその呪いにかかった一人であるともいえる。殺しておきながらその罪を神に許しを請いながらも神も怒っていると口にしてしまうのは、価値観として双子を殺さなかったカーペンターに罪があるという思いからだろう。
追いかけてきた兵士とデヴォンシャー公爵により、二人はその場で殺されてしまう。散る花びらを見上げていると、亡くなったはずのカーペンターが笑顔で二人に詫びる。それを見て三人は笑い合う。
救いのないシーンだが美しく、どうしようもないほど朗らかだ。ポーターが冒頭でヴラドに死は花の香りがする、それで少しでも楽になるなら悪くないと笑顔で語った場面が思い出される。ポーター、ストーン、そしてカーペンターが花の香りの中で少しでも楽になってくれていたらと願わずにはいられない。なかなか生き様を描かれることのない、秘密を知っているわけでも、力があるわけでも、人外でもない村の人々の死は見ている客席に最も近い立ち位置でありその分、願いは切になる。少しでも楽に、そしてもう苦しまないでいてくれるのなら、と。
そろそろ舞台上に散った花びらの量が増えてきており、演者が走り回るたびにひらひらと舞い上がる様が美しい。それだけ命がなくなったという証なのだが、それを美しく表現することの残酷さと救いのなさに眩暈がする。

デヴォンシャー公爵とは別の道を走り出したハードウィックが、兵士たちの殺し合いに遭遇する。誰が生きていて誰が死んでいるのかわからないような混乱する状況の中、スペンサーが再登場する。
斬った兵士を足蹴にしながら、深々と被った黒いフードをゆっくりと上げるとスペンサーが笑っていた。戦闘を楽しむ、命のやり取りが楽しいと言う描写が繰り返されていたスペンサー。スペンサー役森田晋平さんの軽妙な剣とナイフのアクションは、役者さんご自身の色気と相まってとても魅力的だ。レオとヴァージルの正統派な動きとは異なる、確実に人を殺す技術があるのだろうと想像できる切れのある動き。迷いなく突き立てられるナイフ、拳の打撃の速さ。冗談を言ったり皮肉を言ったりする時の笑顔からは想像できない、酷く暗い戦いの時の笑顔の温度感のつけ方がスペンサーという人物を描き出している。言葉遣いや衣装等から、おそらくは身分よりも力でのし上がって王子直属の部隊に抜擢されたのだろう。
ハードウィックにとどめを刺そうとしたところをオリヴァーに止められ、無駄な殺しをするなと命じられるが拒否をする。「レオの命を奪った」デヴォンシャー公爵軍を殺せるのになぜ止めたのかと、怒りをむき出しにする。レオと一緒だと話しが弾まないと言っていたので、スペンサーはレオが苦手なのだろうと感じていたが、苦手でも仲間ということだろう。
オリヴァーが仲間と刃を交える中で、敵であるハードウィックと共闘することとなる。別の形で出会えていればとハードウィックが口にする。無駄な殺生に意味がないと気がついたオリヴァーと、ハードウィックはおそらく同じ思想を持っている。ホッブズ曰く次の時代の希望となる、民間の人間が主役となる時代へと変わっていくことを予見していそうだ。
スペンサーとの思い出をオリヴァーが振り返り、その中でも戦闘への偏愛の片鱗を覗かせている。スペンサーが強くなることでオリヴァーを守るのだと言った相手と、命のやり取りをすることに楽しさを見出しているのは確かに「狂っている」かもしれない。命のやり取りがスペンサーにとって最も他者との距離が近くなる瞬間であり、当然自身の命も危ないのだが、緊張感とそこからの解放、そして他者との一時的な関係構築といった事柄から好んでいるのだろうか。
オリヴァーとハードウィックが懸命に戦うも、二人相手にスペンサーは圧倒的な強さを見せる。不利なオリヴァーを救ったのは、レオだった。死んだはずのレオがやってきことに喜び走り寄るオリヴァーに、死者が蘇るところを見ているハードウィックが危険を知らせる。ハードウィックの説明に、レオとも戦えると思ったのか、スペンサーの興味がレオに移っていく。
レオに本心を語るスペンサーの攻撃に対して死者は何も語ることがない。楽しい時間、戦っている時間を終わらせたくないと抵抗をするも、死体に群がられるスペンサーの散り際に花びらが舞う。

ヴァージルとデヴォンシャー公爵、イヴリンが戦っているところへ、オリヴァーとハードウィックが合流する。ハードウィックがこれまでの控えめな様子ではなく強い調子でデヴォンシャー公爵に人の命を奪うことの無意味さを進言するが、主はそれを排除する。オリヴァーも戦う意思がないことを示すためにそっと剣を地面に置き、そのことに気がついたイヴリンが驚いていた。
考えていろと一喝されたハードウィックを除き、オリヴァーとヴァージル対、デヴォンシャー公爵とイヴリンが剣を交える。激しい攻防の末、オリヴァーとイヴリンが膠着状態になったところでデヴォンシャー公爵がオリヴァーにとどめを刺そうと剣を構える。そのデヴォンシャー公爵に、ハードウィックが刃を突き差した。戦うのが嫌いだと、人を殺す罪悪感があることを語っていたハードウィックが迷いなく剣が抜け落ちないように腕で押し込み固定する動きに意志の強さが表れている。
ハードウィックの回想の中で、デヴォンシャー公爵が黒死病に罹った人々を無暗に殺すのではなく村を隔離するという計画があることをそして公爵自身も村の中で共に苦しむという考えを聞く。英国軍のやりかた、恐らくは当初イーム村にやってきたオリヴァー達のように黒死病が広がる村人を虐殺することで感染を食い止めるという方法に納得ができなかったハードウィックは公爵の考えに強い感銘を受ける。差し出されたデヴォンシャー公爵の手を両手でしっかり握る姿は、希望に満ちていた。
輝山立さんは黎明の王ではヴァンパイアハンターのビクターを演じており、死した兄の幻覚を見ながらも戦い続けるタフな戦士を演じていた。今作のハードウィックの優しい雰囲気とはかけ離れていたため、HPで役名を知っていたにも関わらず登場当初はビクターで拝見した輝山さんだと気づかなかった。今作は貴公子といった白いフリルシャツにナポレオンジャケットを羽織る華やかさがある。デヴォンシャー軍で常にこの時代には珍しいであろう村人の命を守ろうとし続け、その結果として忠誠を誓っていたデヴォンシャーを刺し殺してしまう。
静止した姿勢で大きく目を剥くデヴォンシャー公爵の上に、花が降り注ぐ。天からの迎えのような福音のような花びらの中で、意外そうなけれどどこか納得しているような満足そうなデヴォンシャー公爵の最期だった。
イヴリンが公爵に取り縋るが、死体となったデヴォンシャー公爵は奇妙な動きで起き上がる。悪魔の仕業で意識がないのに動いている状態だが、デヴォンシャー公爵の動きの意識がない体が動いている感覚は見事だった。頭が重たく、体が動くので不規則に頭部が揺れるといった生きているとそう見ることのない動きにぞくっとした。
オリヴァーとイヴリンに走れと命じ、ヴァージルとハードウィックは二人で死体と戦うことになる。いくら斬っても痛みも感じず倒れない相手との戦いは、足止めにしかならないことを二人とも知っているのだろう。それなのにどこか吹っ切れたように、敵同士だった二人はともに戦う。そして二人の上にも花びらが降り注ぐ。懸命に戦い、必死に守ろうとした二人が倒れ、そして無慈悲にも悪魔の力で無理矢理体だけが動き出した。

逃げた出したオリヴァーとイヴリンを、かつての仲間を含めた死体が取り囲む。窮地に陥って戦う覚悟を決めたイヴリンに、オリヴァーが「斬れない」と呟く。その言葉はこれまでの死に怯えていたオリヴァーと同じだが、意味は異なっている。オリヴァーはかつて一緒に戦った仲間を、死体とわかっていても自分の手で斬れないと呟いたのだ。
現れたセオドアとシオドアにも、イヴリンの命を救ってくれと自らの命を差し出す。もっと早く、もっともっと早く、せめて風車小屋で弟を助けてほしいと言ったセオドアに、苦しんでいるシオドアに、手を差し伸べていれたらと思わないではいられない。セオドアとシオドアは、そういった人間を見殺しにしてきたオリヴァーの願いは叶えられないと一蹴される。
死者の大群に襲われる二人のもとに、ヴラドとヴィンツェルが駆けつける。
ヴラドとヴィンツェルがタイミングを見計らっていたとは考えにくいため、隠れ家から急にいなくなったオリヴァーを探していたのかもしれない。あるいは、悪魔の気配を察してやってきた可能性もある。
オリヴァーは一年ほど時間を共にしているが、イヴリンはこの時までヴラドとヴィンツェルと顔を合わせていないので思い切り不審者を見る目で警戒をしている。
軍勢対四人の構図の中で混乱を極めるが、中でもヴラドの悲鳴が非常に珍しく慣れない。真っ先にヴラドを助けに走り寄るヴィンツェルの様子も、今までとは必死さが違った。
襲いかかるかつての仲間に詫びながら、オリヴァーは皆を振り払い先に進むのだと大切にしていた王家の証を取り出して両手に握る。セオドアとシオドアはその証を欲している様子だ。
王家の証を見たヴィンツェルが、風車小屋の宝石を思い出し、あの風車小屋の宝石が王家の証であることそしてそれが悪魔の依代になっていることに気がつく。ヴィンツェル、悪魔リテラシーが高すぎる。
状況を打破するためには風車小屋の依代を破壊する必要があるが、破壊するとヴラドに再び不死の呪いがかかる。
風車小屋に向かうヴラドに、命令を下せとヴィンツェルが迫り、迷いなく主は命ずる。二人の会話に不死の呪いが再びかかることについての言及はないが、風車小屋に行くことを決めたヴラドは再び不死に戻りヴィンツェルと居ることを望んだのだろう。
悪魔だの不死だのといった初耳の事をひたすら聞かされているイヴリンが、定期的に「え?!」という顔をしているのが仕方がないにしろ面白く、同時にどんな小さな動きでも演技をすると意味が出てしまうことを良く知っている役者さんの物語への生真面目なほど真摯な理解に脱帽する。
余談だが、オリヴァーの「え?!」というセリフが複数回出てくるのだが、どれも本当にかわいい。それぞれの演技で意味は変わっているのだが、どれも純粋な驚きをもった声が出ている。

主の命により、オリヴァー達を送り出したヴィンツェルが無数の死者を相手にする。「せっかく我慢してきたのに」「たまには、見せてあげましょう」と言って、圧倒的な強さと残忍な方法で死者を倒していく。
今作の殺陣をつけているヴィンツェル役の鵜飼主水さんによる、殺陣の連続。スピード、そして静止した瞬間に腕ごとビタっと止める動き、圧巻の殺陣だ。今作の串刺しはヴィンツェルの見せ場に含まれていた。
笑いながら首を絞め殺す動きは、心の底から楽しそうで見ていて怖いほどだ。剣が突き差されたまま引きずれる動きなど、人の体の重さが伝わってくる。
台詞にあるヴィンツェルが我慢をしてきたのが、一体いつからのことなのか。ヴラドの命に限りができたときから無理はしてないはずなのでその我慢だったのか。あるいはヴラドと出会った頃から、我慢していたのか。また、何を我慢していたのか。殺すことを?血を浴びることを?または、両方をなのか。どちらともとれ、どちらとも思えない。ヴラドを通して、ヴィンツェルだけはあの牢獄からずっと味方であると思ってきていた。だが、思い返してみるとヴィンツェルのことを何も知らないのだ。本当は何歳なのか、あるいは冗談で言っていた180というのが本当に年齢だった可能性も出てくる。
ヴラドの父を暗殺したのは、本当にワラキアの貴族だったのか。
そもそも、ヴィンツェルを悪魔にしたのは本当にヴラドの父だったのか。ヴィンツェルの口からはそう聞かされているが。
ヴィンツェルは悪魔に、何を求めその代償は何なのか。
ヴィンツェル本人の弁では、嘘をつくのは苦手だとのことなので、嘘ではないとすればヴィンツェルが悪魔と契約をしたこと、死ねないことは確定する。だがそれ以外があまりにも何の情報もなく、ヴィンツェル自身も語らない。主、マリアタの命令は絶対だと口にしているため、それも本心だろう。
願わくばいつまでもヴラドの味方ではいてほしい。ヴラドを裏切ることになったとしても、ヴラドの見方ではいてほしい。

風車小屋にたどり着いた三人は王家の証を見つけ、オリヴァーはセオドアとシオドアが王家の子供であることを知る。
冒頭でイヴリンが絶唱した『愚かな悲劇』を、セオドアとシオドアが歌い上げ、出生の秘密に迫っていく。
セオドアとシオドアが産まれたとき、父である英国王の前にはカーペンターがいた。帽子を脱いだカーペンターは、静かに国王に対して生まれた命を幸せにしてほしいと懇願する。
カーペンターは王族に仕える人間であり、それも、国王よりも先に双子が生まれたことを知ることができ、国王に直接謁見、言葉を伝えることができる立場にあった。双子を匿っていたことはすでにわかっていたが、確かにカーペンターだけ村人の中でひと際艶のあるシャツを着ている。つやっとしたいわゆるサテン生地だが、時代背景を考えるとアジア、おそらく中国あたりで作られた絹で仕立てたシャツだろう。
双子を殺せと命じられたカーペンターは、双子を殺すことができずに連れ去る。服部武雄さんが作中では、金に近い明るい髪で演じている。屍の王ではアルフォンソを魅力たっぷりに演じ、前作黎明の王では従者四人の中心人物レオネルを演じていた。大変ダンスが素敵で体の芯が全く動かず踊る姿が今回あまりないのは残念だったが、双子を可愛いと撫で、やがて意を決して首に手をかけるシーンや、その後の殺せないとうなだれるシーンで悲しみが伝わる演技が素晴らしい。ここまでのカーペンターの苦しそうな様子や、自分が双子を生かしてしまったことでイーム村が呪われたと銃を取る姿を見ていると、ここで殺せなかったことを責めることがとてもできない。カーペンターの優しさが悲劇を産んでしまっていたとしても国王に懇願するほど大事にしてほしかった二人を、殺せなかったことが静かにしかし重たく腹に溜るようだ。
イーム村に逃れ、風車小屋で二人を育てる姿は献身的で、セオドアとシオドアが外には出れないまでも大事にされていることがわかる。食べ物だけでなく、本やおもちゃまで与えているので生かすだけではなく育てるつもりがあったのだろう。
王家の証を渡し、大事にされていることを伝える姿が切ない。セオドアとシオドアは結局はストーンとポーター、または他の村人からも同じように言われたのだろう、双子は呪われているという言葉を聞いてしまう。王には大事にされることはなかったが、カーペンターは間違いなく二人を大事に育てている。それがこの場面でわかると、パーティー会場で黒い肌の彼を中央に突き飛ばした二人は、セオドアとシオドアであって昔のままの二人ではないのかもしれない。
ここでようやく、セオドアとシオドアの望みが明らかになる。英国王と、二人の代わりに愛されているであろう王子を呪うこと。それが悪魔とセオドア、シオドアの契約と推測できる。結果的にはオリヴァーは、王に愛されていたとは言えないのが悲劇でもある。
悪魔を呼び出す方法を記載した本を、カーペンターが持って来たのかという疑問がでてくる。本の内容を読めずにかき集めているのであれば混ざっている可能性があるが、国王と直接会話できるカーペンターが文字を読めないと考えにくい。わざわざ本を集めて来る愛情を持っているのに悪魔契約の本を混ぜるだろうか。カーペンターの様子を見るに、わざと紛れ込ませたとも思えない。推論として、悪魔契約の本を悪魔が人間に影響を与えるためにそこに置いたのではないか。呪われていると捨てられた王子二人が、悪魔と契約して苦しむ姿はいかにも悪魔好みだ。
ヴィンツェルは不祥な部分多く例外となるが、ヴラドとジェリコの二人が悪魔契約をした書物は、一国の主が城に残した書物の中に紛れていた。本自体が高価であった時代に、ありとあらゆる書物を集めているのはそれほど不自然ではない。ヴラド一世に至ってはおそらく自分で探し求めたのだろう。セオドアとシオドアの悪魔契約の本は、風車小屋の様子から見ても特異で、突然そこに現れたかのように不吉に思えた。

オリヴァーは双子の出自を知り、ヴラドに依代を壊せと言われるが、逆に自分の王家の証を二人に渡す。もう英国に戻らないとオリヴァーは言い、双子はオリヴァーに礼を言うとその場から消えていった。
セオドア、シオドアは悪魔なのか。
悪魔を呼び出したのは間違いがない。ヴィンツェルが悪魔の気配を感じ、ヴラドが悪魔として隠れ家に招き入れている。
名前を呼ばれてわずか表情を変えるヴラド、疑問を呈するヴィンツェル。マリアタの後ろに控えている状態のヴィンツェルが表情を作る必要はないので、名前を知られていることが意外だったということだろう。
ヴラドとヴィンツェルを圧倒した際に「肉体の感覚があった」と言われている。
セオドア、シオドアの2人は人間として生を受け、悪魔を依代に宿らせ、国王とオリヴァーを呪う力を得たために悪魔と近しい能力を持っていたのかもしれない。二体の悪魔を召喚したのではなく、一体をよしりろに宿らせて悪魔の力を引き出していたというように考えることもできそうだ。
悪魔と近しい能力を手にしたことで、悪魔と契約したヴラドとヴィンツェルを知識として知ってはいた。同じ会社内であれば社員が契約を照会できるようなものなのだろうか。
ヴラドの不死の呪いを解除できず、呪いの上掛けになっているのもそのせいなのかもしれない。そもそも解除ができなかった可能性がある。
ただ、これも依代に悪魔を宿らせ、国王とオリヴァーを呪うことが契約内容だとすればの仮定にすぎない。
呪いが解かれたセオドア、シオドアは呪いの反動で消えたと解釈もできるが、最終曲の出だしを、ヴラドへの呪いを歌うため、彼らは彼らで永久に死ねず呪い続ける呪いにかけられているとも想像できる。
シオドアとセオドアの契約は村人が虐殺された日に犠牲者が100人を超えて契約できたというが、オリヴァーが村に入ってきたときに「来たね」と言っているので来ることを知っていたと考えるのが自然だろう。またそれ以前に虐殺を命じた王の言葉を正しいと判断したオリヴァーを、カウントしている。なお、王も死の気配を感じているので、かなり以前から契約と呪いについて準備をしていたのだろう。いわば契約締結の前段階、仮契約として悪魔が少しだけ力を貸していたのかもしれない。仮契約で100人の生贄を差し出せなければシオドアとセオドアの命を奪えばいいだけ、契約が成功したら悪魔としては万々歳で、悪魔側にはリスクが少ないためそう考えられる。王に死の気配をちらつかせ、ひょっとしたら黒死病を呼び寄せたのも悪魔の力のなせる業なのかもしれない。ヴラドとヴィンツェルがいたことで悪魔の依代に気がつき、呪いは解かれたが悪魔側はイーム村封鎖の一年間にかなり実りある収穫ができたのだろう。つくづく契約約款は注意して読み込まねばならないと肝に銘じることができるエピソードだ。
セオドア役二葉勇さん、シオドア役二葉要さんのお二人は実際に双子とのことで、前作勇さんが二コラ役として重要な役柄を演じていた。今作のお二人は白を基調とした天使のような衣装で、悪魔を演じている。シオドアとセオドアの歌のハーモニーが素晴らしく、アクションが少ない分歌で引っ張っていきたいとご挨拶されていた通り、歌で作品全体を引っ張っていっていたと思う。お二人とも文句なくかっこいい上に、雰囲気がやはり良く似ている。そのことで美しい二人のハーモニーと、存在感が非常に妖しく光っていた。シンメトリーになるように動きを合わせているところもだが、二人ですっと立っているだけで空気がどこか異なって見える。全体的に黒っぽい衣装の多い中で白衣装だからというだけでなく、二人にしか出せない空気感を纏って演じられていたのが間違いなく作品全体のイメージを大きく方向づけていると思えた。
悪魔の呪いが解けたことで、村の封印は解けヴラドの呪いも解かれる。それは不死の呪いがかけられた状態にもどったということだが、傷を負い疲弊していたヴラドがあっという間に常の通りの無表情に戻っていくのは奇妙で恐ろしく美しい。
オリヴァーとイヴリンに逃げろと言って送り出した後、風車小屋の外にいるヴィンツェルを見つけてヴラドは一人、ヴィンツェルは何者なんだと呟く。初日あたりは「やれやれ」といった、よくやるなという呆れと賞賛を持っていたように感じる響きがあったが、二日目以降は次第に真剣な眼差しで呟いていたように見えた。
ヴラドまでもがヴィンツェルが何者か知らないとなると、いよいよ客席ではヴィンツェルが一体何を知って何をするためにヴラドの背後に控えているのかと恐怖する。にこやかで礼儀正しい従者の顔で、ヴィンツェルは何を考えているのか。ただヴラドと共に歩むことを考えてくれていたらどんなに良いだろう。

風車小屋を後にしたオリヴァーとイヴリンは、花畑で足を止める。
デヴォンシャー公爵軍がパーティーをしていた時間が夜と考えると、おそらくそろそろ夜が明ける時間であったのだろう。薄明りの中に星もまだ空の端に残っていたのかもしれない。オリヴァーは花畑にかがんでその場にある花を集めて花束を作り、そしてイヴリンが下げていた剣で自分を貫く。
驚いて動きが止まるイヴリンに、震える手が花束を差し出した。
腰を落としたオリヴァーはどこか清々しい顔で死ねない呪いをかけ、イヴリンへ花束を託す。かつては仕えたオリヴァーはイヴリンにとってどんな人だったのだろう。回想の頃はだいぶ若かったように思えるが、その頃は仲が良かったようだ。兄弟のように剣を交えて遊んでいたのだろう。一時は離れたとはいえ、出会ってすぐに殺すことができずにわざわざ「殺さなければならない」とオリヴァーに語りかけるところを見ると、デヴォンシャー公爵の前では悪態をつきつつも完全に憎んでいるというわけではなさそうだ。その相手を、自分の剣で貫き、看取ろうとしている。その苦しみはどれほどのものだろうか。花の匂いがしていたと、オリヴァーが黒く染まった肌を見せる。
オリヴァーの黒死病はどこからだろう。黒死病の発症から肌が黒ずむまでの期間はそれほど長くなく七日程度と考えると、隠れ家で隔絶した生活を送っている間に感染していると考えられる。
感染経路はどこかについては、黒死病の感染拡大と同じく不明な点が多いが、イーム村に入った時点から冬を超え春になり、六月まではオリヴァーが生き延びていることから、村人から案内された時点や村人の虐殺時点では感染していないのではないだろうか。
推論の一つとしては、オリヴァーが着ていた服に付着したノミ。
もう一つはエアゾルを含む人から人への感染。
いずれの場合もオリヴァーが物語終盤まで生活していたのはヴラド、ヴィンツェルの隠れ家であり、外の人間とオリヴァーは接触する機会がない。
双子のことを探っていたこともあり、衣服・防寒具を用意(奪取?)したのはおそらくヴィンツェルであろう。ヴラドも人と同じく傷を負うため、その状態の主をヴィンツェルが同行させるとは考えにくい。そのため、ヴィンツェルが用意した衣服・防寒具に付着していたノミからの感染が経路と考えられる。またもう一つは悪魔の契約と死の設定について明らかにならない部分も多いため妄想のレベルでしかないが、ヴラド、ヴィンツェルは不死ではあるが切られれば一度死ぬ。傷は負うが、再生することで生き返る。ヴィンツェル自身が黒死病にり患したとして、ヴィンツェル自身は再生するが、ウイルスを体内で殺すといった免疫機能を持ち合わせているという複雑な描写もないため、ヴィンツェル自身は症状がない(再生している)が体内にウイルスが存在する状態となる可能性もある。ヴィンツェルはスープを作りふるまうシーン、食事が口に合うかとオリヴァーに問うシーンがあるため、食事の用意をする際に知らずにウイルスをオリヴァーに移していたのかもしれない。
三人が同じ空間で生活をしている中で、ヴラドだけが無事であるというのも作中を含めた感染力を鑑みると可能性が低い。そのため、ヴラドも黒死病に罹病していたのかもしれない。幸か不幸か不死に戻ったことにより、傷と共に再生している上に特に黒死病の症状を訴える場面もないことから想像に過ぎない。
ヴラドが黒死病に罹っていたとして、ヴィンツェルは主の望む死を受け入れるために何も言わなかったのかもしれない。

死を恐れてきたというオリヴァーの頬を風が撫で、風車が大きく回転し花びらが舞いがる。舞台上が大きく明るくなり、死したはずのオリヴァーの仲間が迎えにくる。もちろんイヴリンにその姿は見えていないので、光は朝日だったのだろうと想像する。ゆっくりと昇っていく朝日、青く晴れ渡る空、舞い散る花びらという情景だ。
冒頭の馬車のシーンを彷彿とさせる明るく、美しい場面がどうしようもなく悲しい場面となる。ヴラドとヴィンツェルがやってきて、取り乱して助けてやってくれと頼むイヴリンの声に何も言わず、オリヴァーの名を呼ぶ。そっと触れるような優しさのある声に、オリヴァーは仲間が待っていると答えた。ヴラドには何が見えているのかわかっていたのか、静かに肯定を示す。イヴリンに礼を言ったオリヴァーは、迎えに来た仲間たちと共に花びらの中を去っていく。死の情景だが暖かく美しく、それ故に悲しい場面だ。そして、看取ったイヴリンは花束を託され一人残される。
死ねない呪いだとオリヴァーに言われたイヴリンは、花束を手にしてるが故に自死を選ぶわけにもいかず生きていくのだろう。かつての主を失い、今の主を失い、戦友を失い、それでも生きていくしかない。生きていることが希望であるかどうかはイヴリンにしかわからないが、生き残ったことがそのまま救いではない。ある意味死よりも救いのない、生がイヴリンを待ち構えている。
そもそも救いとは何か。宗教的救済か、生きていることか、悔いなく死ぬことか、本人が救われたと思うことなのか。どれも救いであり、どれも救いではない側面を同時に持ち合わせているように思えた。

封印が解かれた村に、デヴォンシャー公爵軍の兵士がやってくる。
イヴリンは花束を抱えて村の外へ出ていくという、冒頭の場面にたどり着いた。
イヴリンが歩き去る前にヴィンツェルが落ちていた剣を拾い上げ、持ち主に返そうと膝を付く。イヴリンは剣を見るも、受け取ることはなく花束だけを手に村を去る。戦いの象徴であった剣をとることをせず花束という願いを持って外に出たとも思える。
それをヴラドとヴィンツェルは静かに見送った。
剣を背に回してヴラドの前に立つヴィンツェルの背を見て、ふとヴィンツェルの救いのなさとはなにかと考えた。
絶対的な主、ヴラドに仕えている彼は幸せそうに見える。
救いがないとすれば、ひょっとしてヴラドに仕えることはできても主であるヴラドを手に入れることができないということか。
逆説的でありかつどうとらえていいのか表現は悩むが真っ正面の愛というよりはあるとすれば支配欲のようなものかと思う。
(愛がないのではなく愛情はたぶん伝わってはいる)
主であるヴラドを支配したいが、支配されるヴラドはもはや主ではなく支配する意味がないといったような矛盾をかかえている、というのは一つの仮定だ。
そんなことはなくただ客席のあらゆるファンと同じく熱狂的にヴラドを信奉しているファンであるというだけかもしれない。どこかただ、そうであって欲しいとも願ってしまう。一緒に永遠にヴラドイケメンと踊っていて欲しい。

従者が何者なのかと呟いたヴラドは、けれどヴィンツェルに地獄まで道連れだと宣告する。どこか満足そうに、ヴィンツェルはそれに腰を折る。
ヴラドとヴィンツェルの地獄の底はどこになるのか。
ヴラドとヴィンツェルはどの時代の落日に出会うのか、今から楽しみが尽きない。

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