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bloodthirsty butchersで踊ろう

bloodthirsty butchersは日本のロックバンドである。
通称「ブッチャーズ」。
トイズファクトリー、キングレコード、ユニバーサルミュージック、東芝EMI、日本コロムビア、自主レーベル「391tone」を経て、現在は再びキングレコードに所属。

バンド初期はノイジーでカオティックなギターサウンドが特徴で、「SHE'S BREAK」、「korekara dohshiyo」などDinosaur Jr.やSonic Youthを彷彿とさせる楽曲が顕著にみられる。

吉村の使用するチューニング・ギターのコードはオリジナルが殆どであるが、直感で作っているため本人ですら理解しきれておらず、再現するのは困難を極める。 使用ギターはジャズマスター、テレキャスターなどシングルコイルのギターが多く、特に本人はジャズマスターを好んで使用していた。シングルコイル特有の繊細なクリーントーンと、ファズによる大音量に歪んだ音を使い分け、ブッチャーズ特有の「静と動」を表現していた。

ボーカリストとしては音程が不安定かつ線が細く、聞く人を選ぶこともあるが、日本語による抽象的な歌詞と相まってブッチャーズ特有の哀愁を生み出している。

射守矢の使用ベースはほぼ一貫してムスタングベースである。ムスタングベースを大音量に歪ませ、ルート音に加え3度や5度の音を加えたコード弾きやアルペジオを多用する。吉村曰く「ブッチャーズのバンド・サウンドにおいて中心に据えているのはベース。ギターはそこに乗っけただけっていう感じ」。

その唯一無二のサウンドのため、トリビュートアルバムが発売される際、多くのミュージシャンが再現するのに困ったという。

また向井秀徳(NUMBER GIRL、ZAZEN BOYS)は「私が大変昔から尊敬するバンド」としてあげている。
BECKやRage Against the Machineからは指名されて共演。
Fugaziのイアン・マッケイから「グレイトなバンドだ」と賞賛され、會田茂一(EL-MALO, FOE他)は「音楽的に大変尊敬している」と述べている。
このように、国内外においてミュージシャン人気が高く、それを示すように早い時期にトリビュート盤がメジャー、インディーズからそれぞれ発売されている。また一部のアルバムは台湾でもリリースされている。

ブッチャーズ結成前、北海道留萌工業高等学校の同級生である吉村秀樹と射守矢雄、北海道留萌高等学校出身の上原子友康、1期下の佐野紀代己は北海道留萌市で「畜生」というバンドを組んで活動していた。
その時に「留萌にすげえバンドがいる」と聞かされた増子直純によって札幌に招待され、増子との親交が生まれる。

1年ほどの空白期間の後、1986年に吉村が「もう1回やろうよ」と言ったことがきっかけで、吉村・射守矢・佐野の3人でブッチャーズが結成される。バンド名はアンディ・ミリガン監督のカルト映画「血に飢えた断髪魔(原題:Bloodthirsty Butchers)」に由来している。
結成から半年ほどが経った頃に札幌市のライブハウス「キャンパス21」で初ライブ。
初ライブ時点で7曲のオリジナル曲を持っていた。当該ライブには射守矢が別に活動していたバンド「チェリーブラッド」も出演していたが、ブッチャーズの始動と共にチェリーブラッドは活動を停止し、射守矢はブッチャーズに専念することになった。
なお、留萌出身のメンバーで結成されたバンドだが、吉村の意向もありブッチャーズとして留萌でライブを行うことは一度もなかった。

活動初期はドラマーが安定せず、佐野の脱退後は何人ものドラマーが入れ替わっていた。
結成から3年後の1989年、リハーサルを行っていたスタジオのオーナーに紹介され、当時のドラマーと入れ替わる形で同郷の小松が加入。
札幌時代はライブハウス「ベッシーホール」を拠点に活動していた。

1990年、初アルバムとなる「BLOODTHIRSTY BUTCHERS」発売。
結成から札幌市を拠点にたびたび上京してライブ活動を行なっていたが、1991年11月のFugazi初来日での共演を機に東京に拠点を移す。

1993年、アルバム「I'm standing nowhere」発売。

1994年、トイズファクトリーより初メジャーアルバム「LUKEWARM WIND」発売。

上京後には1993年と1994年にアメリカツアーを敢行、アメリカ北西部のインディーロックの中心の一つであるオリンピア・YoYoレコード主催のインディーフェスYoYo a Go Goに二回(1994,1997)参加するなどした。

1996年、キングレコードよりアルバム「kocorono」が発売。
プロデューサーは吉村秀樹と共にコーパス・グラインダーズでも活動している名越由貴夫。

1999年、ミニアルバム「「△」SANKAKU」発売。 
同年、MCAビクターよりアルバム「未完成」が発売。

2001年、東芝EMIよりアルバム「yamane」発売。

2003年、アルバム「荒野ニオケルbloodthirsty butchers」が発売。
三人編成としては最後のアルバムとなるその年、ツアーを共にした田渕ひさ子(toddle・元ナンバーガール)が加入し、四人編成となる。

2004年、日本コロムビアより田渕ひさ子加入後初となるアルバム「birdy」発売。

2005年、アルバム「banging the drum」発売。

2007年、自主レーベル「391tone」よりアルバム「ギタリストを殺さないで」発売。

2010年、再びキングレコードよりアルバム「NO ALBUM 無題」と、12ヶ月をコンプリートした「kocorono完全盤」を同時リリース。


2013年、アルバム制作終了後、吉村秀樹が急死。
訃報を聞きつけたアーティストからは多くの追悼の声が寄せられた。
スペースシャワーTVは吉村への
追悼の意を表して、同年5月31日に30分間の追悼番組『bloodthirsty butchers 吉村秀樹 追悼ミュージックビデオ集』を放送した。
同年発売された「youth(青春)」が遺作となった。

2016年に発売20周年を記念し新たに未発表曲「kocorono」を収録、84ページ豪華ブックレット等を同梱した「kocorono最終盤」を発売。

過去共演した海外アーティストとしてFugazi(3回の来日すべて)、Rocket From The Crypt、Beck、The Flaming Lips、Rage Against the Machine、J・マスシス(Dinosaur Jr.)がいる。フジ・ロック・フェスティバル等、フェスティバルへも毎年のように参加している常連であった。

明確な解散宣言は出していないが、吉村の死後はブッチャーズ名義でのライブ出演や新作の発表は行われていない。

bloodthirsty butchersを聴いたことのないあなた、是非その美しい世界に触れてみてください。

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