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ソウル・フラワー・ユニオンについて

ソウル・フラワー・ユニオンは、1993年に結成された日本のミクスチャー・ロック・バンドである。
1988年に自主レーベル「ソウル・フラワー・レコード」を共同設立し、ともに活動を行っていた2つのバンド、ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライヴが、同時に解散し、統合するという形で、1993年9月に結成された。

同年メスカリン・ドライヴの4thアルバムとして制作を開始していたアイヌ民族抵抗史をテーマに据えたアルバム『カムイ・イピリマ』で、アルバム・デビュー。翌年、「物の怪解放」をテーマに据えた、新曲と後期ニューエスト・モデルのライヴ・レパートリーの混在する2ndアルバム『ワタツミ・ヤマツミ』をリリースした。

以降、日本列島周辺に住む民族の民謡(ヤマト、琉球、朝鮮、アイヌ等)や大衆歌謡(壮士演歌、労働歌、革命歌等)、アイリッシュ・トラッドやロマ音楽などのマージナル・ミュージックをロックンロール、リズム・アンド・ブルース、スウィング・ジャズ、サイケデリック・ロック、カントリー、レゲエ、パンク・ロックなどと融合させた音楽を展開する。

1995年2月、阪神・淡路大震災の直後に伊丹英子の発案で、震災被災者を励ますため、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット名義による「出前慰問ライヴ」を開始。被災地特有の諸般の理由からアコースティックな楽器を用いることにし、エレキ・ギターを沖縄の三線に、ドラムをチンドン太鼓やチャンゴ(朝鮮太鼓)に持ち替え、他のメンバーはそれぞれアコーディオンやクラリネットなどを持ち、震災初期はマイクの替わりにメガホンや拡声器を使い、避難所や仮設住宅などで演奏活動を行った。震災当初、如何なる場所でも演奏出来る、ということが主眼に置かれた故の「非電化」であった。

震災被災者の中でも、特に年配のために、戦前戦後の流行り唄や壮士演歌、ヤマト民謡・沖縄民謡・朝鮮民謡・アイヌ民謡などをレパートリーにし、チンドン・アレンジで演奏し、彼らを力付けた。また、同時期に伊丹英子が『ソウル・フラワー震災基金』を立ち上げ、長期にわたり震災被災者の支援を積極的に行っている。

私は兵庫県出身者の一人として参加した阪神・淡路大震災復興ライブの場にいた。
幸い私は身内の被害は軽微だったが、当時神戸には身内を亡くした多くの人々がいた。
彼らの音楽で励まされた人は多いという。
音楽には勇気と平和をもたらす力があることを実感した。

中川敬が震災の一ヶ月後に書き下ろした「満月の夕」では、被災地の惨状や、復興への厳しい現実、そして、それらに向き合う人々のひたむきな姿が歌い込まれ、大きな反響を得た。
それを受け、この曲は後年においてもガガガSPや沢知恵、平安隆、酒井俊、BRAHMAN、J-Min、大竹しのぶ、アン・サリーなど、多くのアーティストによりカバーされている。

そうした多くの出逢いを生んだ被災地での活動は、ソウル・フラワー・ユニオンの3rdアルバム『エレクトロ・アジール・バップ』、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの『アジール・チンドン』『レヴェラーズ・チンドン』など、初期のピークを指し示している作品群の隅々に反映している。

1997年、伊丹英子の耳の持病(音響性外傷)が悪化し、ソウル・フラワー・ユニオンとしての活動を一時停止するが、同年年末に活動再開。活動停止期間中は、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットとしての活動(ドヤ街、障害者イベント、ベトナム、フィリピン、香港など)と、中川敬のソロ・プロジェクトであるソウルシャリスト・エスケイプの活動を行っていた。この中川のソロ活動により、ドーナル・ラニー、シャロン・シャノン、アルタン、キーラらアイリッシュ・トラッド界の歴々たるアーティストとの交流、レコーディング・セッションが始まり(『ロスト・ホームランド』『マージナル・ムーン』『ウィンズ・フェアグラウンド』『スクリューボール・コメディ 』など)、大衆歌謡とトラッド、ロックをミクスチャーした独自の音楽世界を確立してゆく。

1999年、大手レーベルを離れ、映画『アンチェイン』のサウンドトラック、非戦三部作(『アザディ!?』『ラヴ・プラスマイナス・ゼロ』『シャローム・サラーム』)、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの『デラシネ・チンドン』など、自主レーベルからクオリティの高い多くの作品を精力的にリリース。東ティモール独立式典でのライヴ (2002年) や、三度に亘るフランス・ツアー (2002年) 、国後島(2003年)、台湾(2004年、2013年)、韓国 (1999年、2005年) 、ヨルダン・パレスチナ難民キャンプでのライヴ (2005年) など、その国際的な活動が作品として実を結んだ大作アルバム『ロロサエ・モナムール』は、2005年に発表された。

2007年2月、新たな米軍基地建設計画で揺れる沖縄・辺野古のビーチ(在日米軍海兵隊基地キャンプ・シュワブそば)で『PEACE MUSIC FESTA!』を主催し、その模様はDVD作品『ライヴ辺野古』、シングル『辺野古節』『海へゆく』に結実。『非戦音楽人会議』の主宰など、積極的に現場とのコミットを続けている。

2006年から日本全国を回る為のアコースティック・ユニット、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンを結成し、中川敬、奥野真哉(時に高木克)、リクオ(時にJIGEN)の三人での地方巡業ツアーも活動の合間に行なっている。

2008年9月、3年ぶりのフル・アルバム『カンテ・ディアスポラ』(73分の大作)をリリース。2009年以降、脱退した河村博司に代わり新加入した高木克が参加したマキシ・シングル『ルーシーの子どもたち』『アクア・ヴィテ』『死ぬまで生きろ!』、10年振りのライヴ・アルバム『エグザイル・オン・メイン・ビーチ』をリリース。

2010年12月、2年ぶりのフル・アルバム『キャンプ・パンゲア』をリリースした。

2011年3月11日に起こった東日本大震災の被災地支援のため、『ソウルフラワー震災基金2011』を立ち上げ、ソウルフラワーみちのく旅団名義で、石巻、女川、南三陸、登米、気仙沼、陸前高田、大船渡、南相馬などの避難所や仮設住宅で出前ライヴを行なっている。

2011年12月、被災地・東北での出逢いの結晶ともいえるミニ・アルバム『キセキの渚』をリリース。

2013年6月、反原発運動、反レイシズム運動と連動したミニ・アルバム『踊れ!踊らされる前に』をリリース。レーベル枠を超えた結成20周年記念のベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブ・ソウル・フラワー・ユニオン 1993-2013』、ベストPV集『ゴースト・キネマ 1993- 2013 〜20TH ANNIVERSARY MUSIC VIDEO COLLECTION』をリリースした。

反線・反核、平和を訴える彼らの活動は今も継続して行われている。
永遠に続くその志しは高い。
応援している。

2014年10月、4年ぶりのフル・アルバム『アンダーグラウンド・レイルロード』をリリース。

2016年3月、6月、12月、『ニューエスト・モデル結成30周年記念ツアー』と称して、ニューエスト・モデル楽曲中心のセットリストでツアーを展開。

2017年3月の『闇鍋音楽祭』ツアーから、新しいドラマーJah-Rahが加入し、コーラスにLIKKLE MAIを迎えた新体制で活動を展開。

2018年12月、4年ぶりのフル・アルバム『バタフライ・アフェクツ』をリリース。

2020年12月、2年ぶりのフル・アルバム『ハビタブル・ゾーン』をリリースした。

三ヶ月に一度(3、6、9、12月)開催される「東(名)阪ツアー」は1997年12月から休むことなく続いており、2007年からは毎年3月に『闇鍋音楽祭』を開催している(『年末ソウル・フラワー祭』は1987年から続いている)。トラッド、ソウル、ジャズ、パンク、レゲエ、ラテン、民謡、チンドン、ロックンロールなど、様々な音楽を精力的に雑食、それを具現化する祝祭的ライヴは国内外で高い評価を得ている。

親交のあるアーティストは多く、同世代や若手世代以外にも、例えば、登川誠仁、田端義夫、加藤登紀子、大城美佐子、照屋政雄、柴山俊之(ex.サンハウス)、シーナ&ロケッツ、仲井戸麗市、パンタ(ex.頭脳警察)、ネーネーズ、大工哲弘、梅津和時、渋さ知らズ、有山じゅんじ、友部正人、遠藤ミチロウ、早川義夫、中川五郎、春日博文(ex.カルメン・マキ&OZ)、OKI、金子飛鳥、電気グルーヴ、非常階段、the 原爆オナニーズ、BO GUMBOS、アナーキー、ザ・ルースターズ、JAGATARA等とレコーディングやライヴでしばしば共演している。
活動範囲も幅広く、ベトナム、フィリピン(スモーキー・マウンテン)、香港、韓国、北朝鮮、台湾、フランス、東ティモール(独立式典)、ヨルダン(パレスチナ難民キャンプ)、北方領土(国後島)など世界中でライブを、アイルランド、イギリスなどでレコーディングも行っている。アイリッシュ・トラッド界のミュージシャン達や、ビリー・ブラッグ、ミック・ジャガー、ザ・ポーグス、スピーチ(アレステッド・ディベロップメント)、3ムスタファズ3など、海外ミュージシャンらによる評価も高い。

中川敬(唄、ギター、三線など)は、バンドの大半の作詞、作曲、編曲、プロデュース、デザイン・ワークなどを手がける。かつての愛称は「番長」「ゲーリー」などがあったが、近年ではバンド周辺の子どもたちを中心に「ゲゲ」と呼ばれる。徹底して現場主義にこだわり社会的発言を続けており、反権力・反権威、アナーキズムの視座から、非戦の立場を明確にしているが、左右を問わず既成のイデオロギーや宗教への懐疑や嫌悪感もしばしば表明しており、それらに代わり甲子園観戦を「巡礼」・球団を「宗教」と言い切るほど熱狂的な阪神タイガースファンであると同時に、現在も大阪に住み続けるほど愛郷心が強い。バンドの音楽からも伺えるロックンロール・パンク・ファンク・フォークなどの豊かな蓄積の他、世界のトラッドや民謡、ヨーロッパ映画などにも明るい。過去ソウル・フラワーの活動以外にソウルシャリスト・エスケイプ、ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーションなどの別プロジェクトがあったが、2011年6月に『街道筋の着地しないブルース』を発表してからは純粋なソロ名義での活動を始め、2015年からはアコースティック・ギターのみの弾き語りライヴを全国津々浦々のライヴ・スポットで旺盛に行っている。また東日本大震災ならびに福島第一原発事故以降、東北の避難所や仮設住宅で慰問ライヴをするかたわら、多くの反原発デモや反レイシズム、アンチファ運動の現場に一市民として参加している。

いつもより相当長くなりました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
あなたも是非ソウル・フラワー・ユニオンの優しさに触れてみてください。



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