11月16日の日記「文体シャッフル企画No.33について」
・文体シャッフルの言い訳させてください……
・とある蛮族の方に「短歌へのリスペクトがないのに腐すな」と言われちゃったので、言い訳をします。
・自分の中では短歌へのリスペクトがないわけではないし、腐しているつもりもなかった。むしろ「短歌を詠むことの良さ」をそこに書いているつもりだった。もちろんユーモア的なものは入れたことに間違いはないけど。
・まず僕の短歌への解釈になるんですけど、短歌に限らず、詩とかそういうものの良いところって「言葉にできるところ」だと思っている。日記を書き始めてなおのこと実感しているんだけど、日常生活で言葉をわざわざ書いたり打ち込んだりする場面ってかなり少ない。仕事じゃない場所で、自分の考えを形にするような作業は特に。
・結構考え事をするタイプではあるんだけど、それでもその考え事を文字に起こすのってまたこれはこれで違う作業なんだよな。頭の中でずっと考えていたからってスッと文字起こしできるわけではない。大体は「ここの論理ぱっと見飛躍してんな〜」と読み返しながら思う。頭の中でできているように見えたって、言葉に出来ているわけじゃない。
・そういうことを書きながら思うからこそ、「言葉にする」って凄い貴重な機会だなと思う。今回書いた(書きたかった)のは「言葉にできることを発見した男」の話だ。
・男は短歌を詠もうとか、そういう出力のための運動をなしに、自然と、音の心地よさだけで短歌を詠んだ。それってかなり奇跡的なことで(そういえば奇跡もありきたりだと言われたな)、その気づきを得ること自体がいいものだったんじゃないかと思うのだ。
・配信では「技術とか、そういうものがなってない」と指摘されたけど、あんまりそういうのは重要じゃないんじゃないかと思う。もちろんテレビとかコンクールでは技量が問われるし、それによって入れ込める情報とか情感もある。
・でも男にとっては技術より何より「自然と言葉が出てきた」こと自体が重要だったわけだ。そういう意味では短歌である必要性はなかった気はする。でも音の心地よさによって言葉が引き出されたわけだから、おそらく短歌に近いものを使っただろうけど。
・自然と言葉が出てきて、それによって得られた気づきがある。これはいつも日記を書きながら自然と感じていることだし、今回書きたかったのはそれなんだよな。
・街中で見かけた言葉が「なんか語呂がいいな」と思ったら5.7.5だったように、自然と浮かんだ言葉が「なんか語呂がいいな」と思ったら短歌だったのだ。
・というか話を作る時も瞬足→短歌だったわけじゃないんですよね。メタ的にも、変身といえばニチアサ、戦隊モノ……と考えを広げてる時に自然と「瞬足の〜」という言葉が出てきて、それがたまたま語呂がよくて、今自分が何も考えてないところから言葉が出てきたぞ、これは面白いぞというのをやろうとしたのが今回です。ポロッと転がり出てきた言葉の感動を伝えたかったんだけど、失敗しましたね。
・最後の繰り返しについては、もちろん「天丼したら面白いかな」という意識もあったけれど、それより「言葉にする面白さを知った」というところを書きたかった。実際あるじゃないですか。授業で俳句とか川柳をやった小学生が、なんでも俳句調にするような。あれは音の心地よさ、言葉を作ることの楽しさに魅入られた結果だと思う。男もそれを10年遅れで見つけたのだ。久しぶりの瞬足は手に入らなかったけれど、代わりに言葉の心地よさを見つけたのが最後のシーンだ。それは大人になってからは得難い。瞬足よりも。
・見る人が見たらひどい短歌なんだけど、何かあった時に「短歌にしてみたいな」と思う心は誰が持っても面白いんじゃないかな。それは作品の巧拙とは別にある、一番楽しめるところなんじゃないかな。というところを700文字にしたかった。
・というのが書きたかったわけなんですけど、上手くいきませんでした。特に最後のシーンはもう少し余韻を残す展開にするという手もあったはずなんだけど、700文字でどうしても上のような部分をうまく盛り込めなかったのもあって、手癖で「オチ」のようなものを作る方に走ってしまった。これは選択ミスです。
・だので「短歌にリスペクトがなかった」と評されるとちょっと悔しい気分になります。「短歌から言葉を生む楽しさを知った。気軽にいろんなものを言葉にしていいんだと気づいた」話を書きたかったわけだから。もちろんそれを表現できていないのは自分の手落ちとしか言いようがない。常日頃「文字削りて〜」と言ってる割に実際に削られたら全然言いたいこと表現できないんだもんな。日記という外付けHDDに全部頼ってしまった。とはいえリスペクトあるないは放置しておくには流石に悔しいので、ここで弁明させていただきました……
・瞬足を買うくだりとか全部捨てて短歌でふと昔のことを思い出した、という話にすればよかったのかな。でもそうすると変身要素が全然残らない気もする。
・「案外簡単に出来る」じゃなくて「案外簡単に作っていい」に書き換えるべきだったのかな。
・こういう部分は全面的に僕の実力不足です。配慮が足りなくて本当に申し訳ない。
・めちゃくちゃ長くなった!
・あと細かい指摘答えるか。
・「まだ、とか重複しすぎ」これはそう。そうなんだけど、今回は日記的な軽さで書きたかったから別にいいかな、と思ってこのままにしました。実際僕の日記は結構急いで書いてると重複している要素が多い。それこそ「まだ」とか。あと漢字とかもちょっと開き目にはしている。変換でひらがなで出てきたら、そういうもんかな?と思って敢えて直さないで見たり。でも読む側からしたら関係ないし、読みやすさの配慮は必要だったなと思います。
・「奇跡とかが安っぽい」これも上に近いんだけど、一人称で書く都合上、話の男がそんな気の利いた言葉を持ってくると思えなくて、わざとそうした部分です。正直書いててう〜んとは感じていた。むしろ何も言及しないぐらいでいいか?と思っていたのでそうすればよかった。
・「技術がなっていない」これは上の話の総合ですが、技術を見せる話じゃないのでいらないと思ってます。それはそれとして、作品として公開される以上、細部まで詰められている前提なので「技術の短歌じゃないですよ」という提示を何処かでする必要はあったと思う。でも短歌って音が気持ちいいもので、特別な技術ばかり求められるものじゃないと思うんですよ。
・「大人が重複してる」これは単純にミスです。あえてとかじゃなく、見落とし。「大きいサイズが」とかにすればよかったかな でも一文字はみ出るか……
・俳句とかで文字数がズレるのは嫌われるようだけど、正直どれぐらい嫌われるのかわかっていない。上の「おおきい」なんかは実質3.4文字ぐらいの発声だと思う。「洗濯機」は4文字になるし、「体育館」って「いい」が圧縮されて5文字になるじゃないですか。575って音が重要視されてると感じてるので、表記上はみ出ていても音が収まっていれば問題ないと思ってるんですけど実際どうなんだろう。
・調べたら促音は1文字らしい。ルールであるらしい。まぁ確かにゆっくり読めば音のスペース変わらないもんな。体育館が何文字かは分かりませんでした。
・俊足←誤字です。ちゃんと公式ページとか見ていたのに思い込みで見逃した。
・「短歌禁止」これはマジですみません!!!短歌以降参加してなかったので一切意識してなかった……出した後に気がついて主催の鳴瀬さんに謝罪しました。おかましくんではないです。
・そういえばなんでも短歌とか川柳にするのってbotとかでもあるな。あれも確かにやり過ぎればリスペクトを欠いたイジリだ。そういう気をつけるべき前例があった上で気をつけられなかったのは、やっぱり自分の落ち度だな。
・でもWikipedia川柳botとかが流れてくるとどうしても「やっぱ5.7.5って音の響きが気持ちいいな」って感心しちゃうのが先にくるんだよな。「短歌とか俳句とか川柳とかって音が気持ちいいものだな」って認識が自分の中で大きかったから、今回みたいな失敗があったのだと思う。
・ふざける意図は全然なかったんですけど、自分の意図が全然伝わらないせいでいらない騒動を生んでまいました。本当に申し訳ないです。
・700文字の意図を説明するのに3400文字も使ってしまった。これからしっかり勉強します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?